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もうひとつの5月3日

昭和27年、西暦1952年5月3日、
戸田先生が、第2代会長に就任してから、ちょうど一年、一組の結婚式が営まれたのであります。
いったい誰の、どなたの、結婚式でありましょうか。
SBSH1845.jpg


≪ナレーション≫ それでは、寸劇人間革命のコーナーです。

時は昭和27年、西暦1952年の5月3日、
戸田先生が、第2代会長に就任してから、ちょうど一年後の記念すべき日であります。
この日、一組の結婚式が営まれたのであります。

いったい誰の、どなたの、結婚式でありましょうか。
お話は、数年前に、さかのぼります。

なお、登場人物の年齢と、出演者の年齢にかなりの無理が、ありますが、いつものことですので、よろしくお願いします。
(婦人部の方が、峯子役の時には、このセリフが必要です。)

昭和23年、西暦1948年9月、
山本伸一青年は、戸田先生の第7期法華経講義に参加します。
その時、戦争中に軍需工場で一緒に働いたことのある、春木義男(よしお)に偶然、であったのであります。

≪春木義男≫  私のうちは、戦前からの信心なんですよ。
座談会には、牧口先生もよく、来てくださったんです。
山本さんも、蒲田支部ですね。
私も同じ、蒲田支部ですよ。

≪山本伸一≫  そうだったんですか。
ところで、そちらにいるのは、妹さんですか。

≪峯子≫    妹の、春木峯子(みねこ)です。高校生です。
私の入会は、昭和16年(1941)7月12日です。

≪ナレーション≫ 昭和26年5月3日、戸田先生が第2代会長に就任します。
二人は同じ蒲田支部の、男女青年部として、参加したので、あります。
二人が顔をあわせる機会も、次第に増えていきました。
二人の親しさは、彼らが、自覚するよりも前に、周囲のひとびとが、早くも感づいていたのであります。

 さて、次の場面は、7月のある、会合の始まる直前の出来事であります。


≪山本伸一≫ まだ、会合に誰も来てませんが、峯子さんも、早かったですね。ドキ 

≪峯子≫ 勤め先の、銀行の仕事が、早く、終わりましたので、ドキ 

≪山本伸一≫ そうですか、ちょっと、待ってください、サラサラ、サラサラ、このメモを

≪峯子≫ 何でしょう?

≪山本伸一≫ あとで、、

≪ナレーション≫ 峯子は、その夜、家に帰ってから、そのメモを広げたので、あります。

≪峯子≫     
わが心 嵐に向かいつつ  わが心 高鳴(たかな)りぬ    
嵐に高鳴るか 我が心よ  あらず秘(ひ)めやかに高鳴るを知りぬ 
ああ 我が心 汝(なれ)の胸に 泉(いずみ)を見たり  
汝の胸に 花咲くを願いたり 
 
 
ドキ 

≪ナレーション≫ この時を境として、二人の手紙の、往復が、始まったのである。

戸田先生は、そんな二人を、じっと見守っていたのであります。

≪山本伸一≫   *生活が苦しくても、進まなねばならぬ時が、あるかもしれない。
早く死んで、子供と取り残されるかもしれない。
それでも、いいのですか

≪峯子≫     結構です。

≪ナレーション≫ 峯子は、微笑みながら、答えてくれたのであります。

二人の心中を訊(き)かれた戸田先生は、双方の親への了解を取ってくださることになった。
戸田先生は、伸一のために、まず峯子の家を訪れたのであります。


≪戸田城聖≫ 今日は、素晴らしい、一世一代の話を、持ってきたぞ。
山本伸一君との縁談だ。

≪母_明子≫ 長女が、嫁いだ、ばかりですから、、とてもいいお話ですが、、

≪戸田城聖≫ あなたは、正直だ。娘を嫁にやると思えば、そうかもしれない。
反対に婿をとると思えばどうなるかな。
生まれた、孫をうんとかわいがりなさい。
そうすると、孫ぐるみでこちらに、なついてくるものだ。
娘を嫁にやったようでも、実は婿を、もらったと同じことになる。
そうすれば、決して心配しなくてもよい。どうだろう。

≪母_明子≫   そうですね。
わかりました。よろしくお願いします。


≪ナレーション≫ 数日後、今度は伸一の父を訪問した。
二人は初対面で、あります。
世間話から、突然、居住(いず)まいを改めて言い出しました。

≪戸田城聖≫  伸一君を私に、くださらんか

≪父_宗一≫   伸一を、、ですか、、

≪戸田城聖≫  そうです。伸一君を、私に、ください。

≪父_宗一≫  五男の伸一は、小さいころから、弱くて、一番心配してきた子供だ。
その伸一が普段から、「先生」「先生」と呼んで、尊敬している人物が、突然、「くれ」といってきた。
んー。

うん。差し上げましょう。

≪戸田城聖≫  くださるか。伸一君のことは、今後一切、戸田が責任をもって、引き受けましょう。

**伸一は、私の大事な弟子です。
私が一生涯、訓練し、私の後を継いでもらいたい人物です。
学会は小さい。
しかし、いかなる非難中傷を受けることがあっても、伸一のような、私の弟子が成長したならば、必ず学会も大きくなります。
日本はおろか、世界的になるでしょう。
どうか、お父様も見守ってあげてください。
お母様も、お願いいたします。

≪父_宗一≫   伸一は、一切、先生に差し上げたものです。
先生に、学会に、うんと、ご奉公してもらいたいと思っています。

≪戸田城聖≫  ところで、実は、伸一君に、縁談が今、起きたところなのです。
かくかくしかじか。
私の見るところでは、しごく良縁と思われますが、いかがなものでしょうか。

≪父_宗一≫  伸一は今、あなたに差し上げたばかりです。
どうなりと、いいようになさってください。

≪戸田城聖≫  いや、まいった。
はっはっはっはっはっーーー


≪ナレーション≫ 年を越して、一月。
蒲田支部長、小西夫妻を、仲人として、結納の儀式をすませ、そして、5月3日を結婚の、吉日として選んだのであります。


≪戸田城聖≫   さあ、これからが大切なのだ。
峯子に2つ頼みたい。
一つは、必ず家計簿をつけること。
これができない女房などは、家庭をもつ資格はない。
第二に、主人を朝晩、送り出したり迎えたりするときには、たとえ、どんな不愉快なことがあっても、笑顔で送り、笑顔で迎えなければいけない。
この二つだけは守ってほしい。
伸一を頼むよ。
私の願うことはただ一つ、これからの長い人生を広宣流布のために、二人で力を合わせ戦い切ってもらいたいということであります。

≪峯子≫ 二人で話しました。
生涯、戸田先生に師事すること。創価学会から離れないこと。
社会のために、プラスになることをすること。
人のために、尽くすことを、いとわないこと。

≪山本伸一≫ 前途には、想像を絶する苦難や、嵐が待ちうけているかも知しれません。
時には権力の弾圧も、あるかもしれません。
しかし若い私たち二人は、広宣流布という将来の夢を、ひたすら実現することに、焦点を置いています。
それは壮大な夢であり、私たちの人生の唯一の目的であり、それが、新しい二人の人生のすべてであります。


≪ナレーション≫ 時に、新郎、山本伸一24歳。
新婦 峯子は、二十歳になったばかりでありました。

先生、奥様、二人が命がけで、広宣流布実現のために戦ってこられたことは、皆様、ご存知のとおりであります。

本日は、小説-人間革命.第6巻「推移(すいい)」の章から、「もうひとつの5月3日」のお話を、旭日地区の オール スター キャストでおおくりいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。

  
*私の履歴書  
**随筆 師弟の光『わが「創価の出発」の記念日』 


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

(ドキ)
まことに稚拙な表現もあり、お恥ずかしいしだいです。
今後ともよろしくお願いします。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×170行です。

原稿印刷のために空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、是非ご活用ください。



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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話

私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。
もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

昭和26年・西暦1951年5月3日。戸田先生の会長推戴式のお話です。
SBSH1845.jpg



≪ナレーション≫それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話です。

時は昭和26年・西暦1951年は、5月3日。
定刻二時―― 粛然(しゅくぜん)とした場内に、司会の緊張した声がひびきわたったのであります。

≪司会者≫ ただ今より、創価学会第2代会長推戴式を、おこないます。推戴の辞!三島理事長

≪三島理事長≫ 創価学会再建いらい、ここに7年、『戸田会長推戴賛意署名簿』に署名した、3080名の同志の衷心(ちゅうしん)からなる歓喜と祈願(きがん)をこめて、ここに戸田城聖先生を第2代会長に推戴いたすものであります。

≪司会者≫ 会長講演 戸田城聖先生

≪戸田城聖≫ 故牧口常三郎初代会長は、昭和18年の春ごろから、『学会は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)しなければならぬ』と私どもを責めるようにいうのが口癖(くちぐせ)になっていました。
不肖(ふしょう)の弟子どもは、それがどんなことなのか、私はじめ、戸惑(とまど)うだけで、どうすることもできなかったのであります。

昭和20年7月―私は「われ地湧(じゆ)の菩薩である」との確信をいだいて、名誉の出獄をいたしました。
いらい、この自覚は、会員諸氏のなかに序々に浸透(しんとう)してまいったものの、ただ各人の自覚に属する問題にすぎず、いまだ学会自体の発迹顕本とは、おのずから異なるものであったのです。
しかるに、いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります。

すなわち外用(げゆう)の姿においては、我々は地湧の菩薩であるが、その信心においては日蓮大聖人の末弟子である。
三世十方の仏菩薩(ぶつぼさつ)の前であろうと、地獄のそこに暮らそうと、声高らかに七文字の法華経を読誦(どくじゅ)したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。
而(しこう)して、一切の邪宗教を破って、必ずや東洋へ、世界への広宣流布の使徒として、私どもは故会長の遺志をついで、大御本尊の御前(おんまえ)において死なんのみであります。
かくのごとく確信するにいたった以上、これこそ創価学会の発迹顕本でなくして何でありましょう。

≪ナレーション≫ 山本伸一は獅子吼(ししく)する戸田の姿を目(ま)のあたりにして、人知れず随喜(ずいき)の涙を流していたのであります。

≪山本伸一≫ だれも知らなくてもいい。蔭(かげ)で先生をお護(まも)りしてきた、この年月、きょうの日の来るのを、おれはどんなに待ちこがれてきたことか。
あのとうり先生は、元気に闊達(かったつ)自在(じざい)になられたではないか。
今のおれの喜びがどういうものか、だれも知らないであろう。知らなくていいのだ。

≪戸田城聖≫ 折伏をなすものは、慈悲の境涯にあり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢(かかん)に実践せんとするものであります。
私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます。

私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。

もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

≪司会者≫ 誰もが耳を疑いました。
んんん~~。もしかして、七万5千の、聞き間違いではなかろうか。
いやたしかに七十五万と聞こえた。
はたして、そのような大折伏がほんとうにできるのであろうか。

≪ナレーション≫ 七十五万世帯の折伏達成という確信はいささかの狂いもなかった。
しかし、当時の誰ひとり、それを信じることはできなかったのであります。

≪ナレーション≫ この日の夜。山本伸一は、日記に次のように記(しる)したのであります。

≪山本伸一≫

五月三日 木曜日 

第二代会長、戸田城聖先生の会長推戴式。
晴天、午後二時開始。
祝賀会終えて解散午後九時。

遂に戸田先生は会長となられる。
待ちに待った、我等門下生の願望であった。
生涯の歴史とならん、この日。

集まりし同志、約一千数百名か。--
進まん、法旗(ほうき)を高らかに。
広宣流布をめざして。二十億の民(たみ)ぞ待て、吾が学会の進軍に。--
新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。

講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛(いきさか)んなり。
吾人(ごじん)は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏(せんぱいしょし)の話を聞き入るなり。

 十年先の、学会の前途(ぜんと)を、見定(みさだ)める青年ありとは、先生以外に、誰人(だれびと)も知らざるを思いながら。

≪司会者≫ 戸田は後日、この日を記念して幾人(いくにん)かの弟子に、当日の写真を贈っている。

伸一への写真の裏には、次のように記(しる)されてあった。

現在も 未来も共(とも)に 苦楽をば
   分けあう縁(えにし) 不思議なるかな 




≪ナレーション≫ 戸田会長の七十五万世帯の折伏達成という予言的確信が的中するには、わずか七年たらずの歳月で充分であったのであります。
昭和32年・西暦1957年12月、
学会の総世帯数が、七十六万五千を達成するにいたったこと。
そして三ヵ月後の翌年の四月二日に、戸田先生が逝去(せいきょ)されたことは、皆様ご存知の通りです。

≪ナレーション≫ そして、戸田会長の逝去から2年後に、山本伸一が第3代会長に就任。

昭和35年・西暦1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。

≪山本伸一≫
 
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!

≪ナレーション≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、「小説人間革命第5巻 烈日(れつじつ)の章」
 そして「若き日の日記」などより、
「戸田先生の会長推戴式」のお話、
そして5月3日「創価学会の日」のお話を、
黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


おまけに、写真を2枚。

05_ph01.jpg
(会長推戴式 5月3日 当日の写真)

IMG_3555_12.jpg
(写真裏面の歌)
(創価新報に載ったやつをデジカメして加工したやつです。)(スキャナ持ってないもんで)

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×160行です。


今回は、創価学会の原点である5月3日のお話でした。

日記のところは「若き日の日記(1)」聖教ワイド文庫P217からの引用です。

随筆人間革命など、多くの文献がありますが、
「人間革命第5巻烈日の章」からの引用のみを使った、寸劇です。

昭和26年・1951年5月3日のお話が主体でしたが、
昭和35年・1960年5月3日のお話を主体にした寸劇は、
またの機会に、こうご期待となります。


これからも よろしく お願いします。



印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。ご活用ください。

戸田先生の挨拶の部分を少し省略したもの(20文字×140行)も、準備しました。
座談会でやるには、こちらのほうがいいと思いますので、ご活用ください。


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

七つの鐘・そして五月三日のお話

問題はこれからだよ。あと7年でどこまでやるかだ。
急がねばならんのだよ。
伸一、あと7年で、300万世帯までやれるか?

はい、成就いたします。
ますます勇気がわきます。
私は先生の弟子です。
先生の御構想はかならず実現してまいります。
御安心ください。

そうか。
伸一の手で、どこまでできるかな。
一千万人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。
楽しみだな、ほんとうに楽しみだ・・・・・・

SBSH1846.jpg


≪寸劇係長≫ 皆さんこんばんは。好評の寸劇人間革命のコーナーです。
  本日は、『七つの鐘』のお話です。
  ナレーションが2人になってますので、≪ナレーションA≫を○○さん。
  ≪ナレーションB≫を○○さん、お願いします。
  戸田先生は、やはり壮年部の○○さんにお願いします。
  山本伸一のセリフが、今回、たくさんあります。
  6回もありますので、前半の3回を、○○さん。
  後半の3回は、男子部の○○さんにお願いします。
  以上、配役が決まりましたので、よろしくお願いします。


≪ナレーションA≫ 昭和33年1958年2月10日。伸一は関西の状況を、戸田に報告したのであります。

≪戸田城聖≫ よし。関西は完璧に仕上がったな。

これで日本の広布の基盤は調ったといってよいだろう。さて、問題はこれからだよ。あと7年でどこまでやるかだ。

 急がねばならんのだよ。伸一、あと7年で、300万世帯までやれるか?

≪ナレーションA≫ 彼は熟慮(じゅくりょ)の末に、壮大な広布の展望を練(ね)り上げたのです。

だが、それを成すのは戸田自身ではないことも、彼は悟らざるをえなかった。

自らの寿命の、ながからぬことを、戸田は覚知(かくち)していたのです。

≪山本伸一≫ はい、成就(じょうじゅ)いたします。

ますます勇気がわきます。

私は先生の弟子です。先生の御構想はかならず実現してまいります。

御安心ください。

≪戸田城聖≫ そうか。うん。うん。

 伸一の手で、どこまでできるかな。

一千万人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。

楽しみだな、ほんとうに楽しみだ・・・・・・

≪ナレーションA≫ 伸一は、その言葉を遺言(ゆいごん)として心に焼きつけた。

師から生涯の大指針を示されたのだと思うと、胸が高鳴るのを覚えたのであります。


≪ナレーションB≫ 4月2日。戸田先生が逝去。

山本伸一は、その日の日記に、次のように、記(しる)したのであります。


≪山本伸一≫ 嗚呼(ああ)、四月二日。

この日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。

・・・・・・妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。

しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。

われは立つ。


≪ナレーションB≫ 伸一は、創価学会の新たな出発のために何が必要かを、考え続けていた。

伸一は、戸田が生前、「学会は七年ごとに大きな歩みを刻(きざ)んでいくのだ。」と、しばしば語っていた事を知っていた。

また「七年を一つの区切りとして広布の鐘(かね)を打ち、『七つの鐘』を鳴らそう!」と語っていた事が思い出された。

≪山本伸一≫ 牧口常三郎と戸田城聖の手によって、創価教育学会が創立されたのは、昭和5年11月18日である。

そして、7年後にあたる昭和12年には、創価教育学会の発足(ほっそく)式が行われている。

そして、7年後の昭和19年11月18日には、牧口が獄死。それから7年後の26年5月3日には、戸田が第二代会長に就任している。

以来、7年を経て、戸田は願業(がんぎょう)をことごとく成就し、逝去した。不思議な時の一致といってよい。

昭和5年に、第一の広布の鐘が打ち鳴らされたとすれば、すでに、第4の鐘が鳴り終わったことになる。すると、今年の5月3日の春季総会は、第5の鐘を高らかに打ち鳴らす日としなければならない。

この第5の鐘にあたる7年のうちに、先生が示してくださった300万世帯を、断固、達成するのだ。第6の鐘となる次の目標は、600万世帯の達成になろう。

そして、次の7年が、第7の鐘。
つまり、今から21年後の昭和54年には、「七つの鐘」が鳴り終る事になる。

それまでに、日本の広宣流布の、確かな形を作り上げることだ。

それは同時に、本格的な世界広布の幕開けとなるだろう。

そのとき私は、51歳 ・・・・・・。

もし、健康でさえあれば、新しき世紀への大舞台が待っている。


≪ナレーションB≫ 伸一の、広布の展望は、限りなく広がっていった。
伸一は、この日、高鳴る胸の鼓動(こどう)を感じながら、日記に、こう記したのであります。

≪山本伸一≫ ・・・意義深き五月三日、目前に迫(せま)る。実質的―学会の指揮を執(と)る日となるか。

胸(むね)苦し、荷(に)重し。『第五の鐘』乱打(らんだ)。

戦おう、師の偉大さを、世界に証明するために。

一直線に進むぞ。

断じて戦うぞ。

障魔の怒濤(どとう)を乗り越えて。本門の青春に入る。


≪ナレーションB≫ 昭和33年5月3日。
第18回春季総会であります。

≪山本伸一≫ ・・・・・・そして、昭和26年、戸田先生は、第二代会長に就任され、以来7年、いっさいの広宣流布の原理を示され、広布の基盤を、つくってくださいました。

いよいよ、本日から、第5の鐘となる新たな7年の幕が開くのであります。
そして次の7年が第6の鐘。その次の7年が第7の鐘となり、その終了は21年後の、昭和54年となります。

この『七つの鐘』が鳴り終わる時までに、広宣流布の具体的な形態(けいたい)をつくりあげることを目標に、前進してまいりたい、と思うのでございます。

本日を力強い前進の第一歩として、希望と勇気と確信を、たぎらせて、広宣流布に邁進(まいしん)していこうではありませんか!


≪ナレーションB≫ 人びとは、新しき広布の道が豁然(かつぜん)と開かれ、未来の金の峰、銀の峰を仰(あお)ぐ思いで、伸一の話を聞いたのであります。

≪ナレーションA≫ そして、2年後。山本伸一が第3代会長に就任。
昭和35年・1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。

≪山本伸一≫
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!


≪ナレーションA≫ こうして5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、小説人間革命第12巻 後継の章。そして新・黎明の章、より、「七つの鐘・そして五月三日」のお話を、黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。




この寸劇人間革命を、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この寸劇人間革命は、まぁ、ほとんど、近頃噂の “コピペ” であります。
こりずに、続けましょうと、思っておりますので、「なんだこれは?」と思われた方には、お詫びいたします。

『よし。関西は完璧に仕上がったな。』このセリフ中の「よし。」
『そうか。うん。うん。伸一の手で、どこまでできるかな。』このセリフの中の「うん。うん。」
以上の「よし。うん。うん。」は、わたしの作文です。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ 20文字×135行 です。


「5月3日創価学会の日のお話 20文字×110行」というのも、作ってあります。 その寸劇人間革命を読んでみたい方は、ここをクリック してください


原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備いたしました。
ぜひ、ご活用ください。

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8年目の、お赤飯

 今日は、会長就任のお祝いの、お赤飯かと思ったら、いつもと同じだね。

 今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。今日は山本家のお葬式です。
 お赤飯は炊いておりません。

 確かにそうだね・・・

 お赤飯の用意はしておりませんが、あなたに何か、会長就任のお祝いの品を、贈りたいと思っております。
 何がよろしいのかしら。

 それなら、旅行カバンがいい。
 一番大きな、丈夫なやつを頼むよ。

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≪ナレーションA≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、「8年目の、お赤飯」というお話であります。

はて? さて? これは、いったい何のお話でありましょうか。お話は、昭和35年・1960年まで、さかのぼります。

≪ナレーションB≫ 昭和三十五年の五月三日。
前夜の雷雨は上がり、朝が明けると、雲一つない五月晴れであった。
 山本伸一は、戸田先生の形見のモーニングを、身につけ、妻・峯子が、静かに第三代の「会長」の胸章(きょうしょう)を整えたのであります。

≪山本伸一≫
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!

≪ナレーションB≫ その日の夜、自宅に帰ると、峯子は食事のしたくをして待っていた。
しかし、祝いの膳(ぜん)など何もない、普段と変わらぬ質素な食卓であったのであります。

≪山本伸一≫ 今日は、会長就任のお祝いの、お赤飯かと思ったら、いつもと同じだね。

≪峯子≫ 今日から、わが家には主人はいなくなったと思っています。
今日は山本家のお葬式です。お赤飯は炊(た)いておりません。

≪山本伸一≫ 確かにそうだね・・・

≪峯子≫ お赤飯の用意はしておりませんが、あなたに何か、会長就任のお祝いの品を、贈りたいと思っております。
何がよろしいのかしら。

≪山本伸一≫ それなら、旅行カバンがいい。
一番大きな、丈夫(じょうぶ)なやつを頼むよ。

≪峯子≫ 旅行カバンですか。
でも、そんなに大きなカバンを持って、どこにお出かけになりますの?

≪山本伸一≫ 世界を回るんだよ。戸田先生に代わって。

≪峯子≫ いよいよ始まるんですね。世界広布の旅が。

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≪ナレーションB≫ 峯子の瞳(ひとみ)が光り、微笑(びしょう)が浮かんだ。
山本伸一は、ニッコリと笑って、うなずいたのであります。

峯子は後年、ある婦人部の同志に、次のように語っています。

≪峯子≫ 今日から山本家には、主人はいなくなった、というのが偽(いつわ)らざる心境でした。
 会長就任、一周年の、五月三日には『ああ命があったのか』と思いました。それは二年目、三年目の五月三日も同じでした。

≪ナレーションB≫
 戸田先生は、会長就任から七年にして、偉大なるご生涯の幕を閉じられています。
 まして、山本伸一は、医師から「三十歳まで生きられない」と言われてきたのです。

 昭和四十三年の五月三日。
「会長就任八周年」の、その日に、峯子は初めて、お赤飯を用意してくれたのであります。

≪ナレーションA≫ 本日は、小説・新人間革命・第1巻・錦秋(きんしゅう)の章、など* より、「8年目のお赤飯」のお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。

*随筆 人間世紀の光 永遠なれ 栄光の五月三日





この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇は、婦人部のミニ座談会などで、上演できるかなと思います。
「随筆 人間世紀の光 132 永遠なれ 栄光の五月三日 2007-5-4」は、随筆 師弟の光 に収録されています。該当する部分を最後に、掲載しています。
読み比べてみると、ほとんど、コピペであることがわかると思います。
これは、ちょっと、と思われた方には、お詫びいたします。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×80行です。
原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

再び、創価学会本部一階応接室からのお話し_三代会長就任のお話


山本伸一の脳裏に、愛する同志の顔が、次々と浮かんでは消えていった。
皆、不思議なる使命をもって、宇宙のいずこからともなく集い来たった地涌の仏子であり、人間革命の大ドラマを演じゆく、ヒーロー・ヒロインたちであります。

若輩では、ございますが。
本日より。戸田門下生を代表して。
化儀の広宣流布をめざし。
一歩前進への。指揮を、とらさせていただきます!

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≪ナレーションA≫ 時は昭和三十五年、1960年3月30日。
創価学会本部一階の応接室であります。

≪小西武雄理事長≫ 今日は、山本先生に、率直に、私の……いや、多くの同志の、要望を申し上げたいと思います。山本先生に、会長として、本格的に広宣流布の指揮を執(と)っていただきたいのです。

≪山本伸一≫ 申し訳ありませんが、私はまだ、会長をお引け受けするわけには、いきません。
会長としては、あまりに若輩です。
せめて、戸田先生の七回忌を終えるまでは、現在のままで、お願いしたいと思います。

≪小西武雄≫ 山本先生、今の状態は画竜点睛(がりょうてんせい)を欠いています。
同志は、皆、山本先生が、会長になっていただける、ことを信じて、奮闘(ふんとう)しているというのが実情(じつじょう)です。

≪山本伸一≫ お話は、よくわかります。しかし、小西理事長もそうですが、私も大阪の事件で被告の身です。
もし、会長になって、有罪判決がくだされれば、学会は、反社会的な宗教団体ということになってしまいます。

わがままを言うようで申し訳ありませんが、せめて無罪の判決が出るまで、猶予(ゆうよ)を、お願いしたいんです。

≪ナレーションA≫ 伸一は、丁重(ていちょう)に、しかし、きっぱりと辞退(じたい)した。小西理事長の顔が曇った。

この二人のやりとりを、壁に掲(かか)げられた、牧口常三郎と戸田城聖の写真が、じっと見つめていたのであります。

≪ナレーションB≫ 伸一は、会長・戸田城聖に仕えるなかで、学会の会長職が、いかに峻厳(しゅんげん)なものであり、また、その使命が、いかに重大で、深いものであるかを、身に染(し)みて感じていた。

創価学会の会長には、一切の矢面(やおもて)に立って、一身に集中砲火(ほうか)を浴(あ)び、会員を守らねばならぬ責任がある。

すなわち、その双肩(そうけん)には、御本仏の御遺命(ごゆいめい)である、広宣流布のすべてが、かかっている。
まさに、凡智(ぼんち)をもってしては計り得ぬ、仏意(ぶつい)仏勅(ぶっちょく)の聖職といってよい。

それだけに、会長就任については、慎重にならざるを得なかったのであります。

≪山本伸一≫<独白> 七回忌を終えても、まだ三十六歳であり、それから会長を務(つと)めても、決して、遅くないはずだ。

そのうえ、ここまで生きてこられたのが不思議なほど病弱である。そんな体(からだ)の自分が、大任(たいにん)を全(まっと)うできるのだろうか。

誰か、疲れ果てた私に代わり、指揮(しき)を執る人はいないのか。

≪ナレーションB≫ 伸一は、自分と戦うように、悶々(もんもん)と考え続けた。そんな、ひとり苦悩する伸一の姿を、妻の峯子は、胸を痛めながら、静かに見守っていたのであります。

≪清原カツ≫ ここで、あきらめるわけには絶対に、いきません。さらに、勇気を奮(ふる)い起こして、もっと強く、会長就任を、お願いする以外にないのよ。

≪原山幸一≫ 私も、そう思う。
私たちが、必死になってお願いすれば、山本先生は、きっと会長を引き受けてくださるはずです。

≪山本伸一≫<独白> 所詮(しょせん)、断っても、所詮、断りきれない定(さだ)めなのか。
戸田先生……。伸一にはもはや、わずかの猶予も、許されないのでしょうか……

≪原山幸一≫ 山本先生、今日は、御了解いただくまで帰らないつもりであります。

≪関久男≫ 会長は、山本先生以外に、ありえません。このままでは、同志がかわいそうです。先生、お願いします。

≪山本伸一≫<独白> こんな、弱い体で、本当に戦えるのか。……いや、御本尊の力は無量無辺だ。ただただ、御本尊に祈り抜き、命ある限り指揮を執るしかないのか。

≪ナレーションB≫ 伸一は、今、避けがたき宿命の嵐が、胸中に吹き荒れるのを感じていた。使命の怒涛(どとう)が、わが体内に、渦巻(うずま)き、うねるのを覚えた。

御仏意(ぶつい)と感じながらも、会長に就任することを思うと、言語(げんご)に絶する緊張を覚えたのであります。

≪小西武雄≫ 山本先生が会長職を辞退されている限り、広宣流布は遅れてしまいます。それでよろしいのでしょうか!
戸田先生も、あなたを第三代会長と思い、心に誓って、訓練されてきたことは、あなたもよくご存じのはずです。
私たちも、戸田先生の遺言として知っております。

会長推戴(すいたい)は、広宣流布を願っての全幹部の要請です。お引き受けください。

≪山本伸一≫ ……それほどの皆さんの、お話なら……

≪小西武雄≫ よろしいのですね!ありがとうございます。

≪ナレーションB≫ 小西は満面に笑みをたたえて、深々と頭をさげた。
理事の一人が、急いで部屋を出て行った。
歓声があがった。

≪山本伸一≫ やむを得ぬ。やむを得ざるか!
戸田先生に、直弟子として育てられた私だ。
訓練に訓練されてきた私だ。何を恐れぬものがあろう。
青年らしく、嵐に向かい、堂々と前進するのみだ!

≪ナレーションA≫ 山本伸一の脳裏に、愛する同志の顔が、次々と浮かんでは消えていった。皆、不思議なる使命をもって、宇宙のいずこからともなく集い来たった地涌の仏子であり、人間革命の大ドラマを演じゆく、ヒーロー・ヒロインたちであります。

昭和三十五年。1960年5月3日。晴天。東京・両国の日大講堂。

≪山本伸一≫ 
若輩(じゃくはい)では、ございますが。
本日より。戸田門下生を代表して。
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし。
一歩前進への。指揮を、とらさせていただきます!

≪ナレーションA≫ 本日は、人間革命第12巻、新黎明の章より、「三代会長就任のお話」を、黎明地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。




この寸劇人間革命を、最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×140行です。


【登場人物の本名の紹介】 (おべだふり、といいます)

≪小西武雄≫   「小泉隆」 当時は、理事長として、学会の最高責任者の立場であった。

≪清原カツ≫   「柏原ヤス」 当時は理事であった。参議院議員として活躍した。小中学校の教科書無償化に尽力したことは有名。

≪原山幸一≫   「原島宏治」 当時は理事。公明党の初代委員長を務めた。

≪関久男≫    「辻武寿」 当時は理事。昭和の時代に信心していた人にとっては、副会長として、個人指導の名人として有名。    


≪清原カツ≫の登場する寸劇
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楽しく、有意義な座談会に、ぜひご活用ください。

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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