スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

学会歌「星落秋風五丈原」のお話

祁山悲秋の 風更けて 陣雲暗し 五丈原
零露の文は 繁くして 草枯れ馬は 肥ゆれども
蜀軍の旗 光無く 鼓角の音も 今しづか
丞相病 あつかりき

漢語が多く戸惑っている者が多かった。
何の歌だろう?と顔を見合わせている壮年もいる。
映画「レッド・クリフ」に出てくる孔明の歌だ――と、うなずく、現役青年部もいる。


寸劇の最後に「歌詞全部」「詩の意味」「小説人間革命 第7巻からの引用」などの資料があります。

P1010487_1.jpg

≪ナレーション≫ それでは、寸劇人間革命のコーナーです。

本日は、草創期からの学会歌「星落秋風五丈原 ほしおつ しゅうふう ごじょうげん」のお話であります。



はじめに、青年部より、詩の意味の説明を、お願いします。

 この歌の舞台は、約千八百年前の中国です。
三国志の英雄、諸葛孔明(しょかつこうめい)の最期の心情を歌ったものであります。

「丞相病あつかりき」、と何回も出てきますが、丞相とは、今で言えば総理大臣で、皇帝を支える、最高の位(くらい)の名前で、孔明のことです。
つまり「丞相病あつかりき」とは、「丞相の位についている、孔明の病は、きわめて重かったのであります」という意味になります。

一番の意味は、おおよそ
「祁山に吹く秋風は、病に倒れた孔明を、嘆き悲しむ様に、吹きあれている。

我が軍は、負け戦の最中で、その旗は、弱々しく、戦の合図である鼓(つつみ)の音も、角笛(つのぶえ)の音も、今は静まりかえっている。
丞相である孔明の病は、きわめて重かったのであります」と、なります。

2番の「大樹ひとたび倒れなば」の大樹とは、偉大な人物を意味し、ここでは孔明のことです。
つまり、孔明が病にたおれ、死んでしまったら、漢王室の行く末は、どうなってしまうのか。
という、意味です。
つまり、2番の意味は、おおよそ
「今は無き君王・劉備様の遺言は、夢にも忘れた事は無い。常に、全身全霊を投げ打って、活路を見出して来た。
しかし大樹すなわち孔明が、病にたおれたならば、漢王室の行く末は、一体どうなってしまうのであろうか」と、なります。 

3番4番5番は、あとで、自分で読んでください。

6番の「あらしは叫び露は泣き」とは、孔明が、志なかばで、死んでしまったことを意味します。
「諸葛亮」とは孔明のこと。
つまり、6番の意味は、おおよそ
「五丈原においては、孔明の死を悲しみ、全ての草木を涙の夜露で濡らし尽くす銀河の星は瞬き、孔明の想いを、余す処無く照らし尽くすあれから二千年あまり、その名・諸葛孔明は、燦然(さんぜん)と、歴史に、輝いているのであります」と、なります。

以上、解説が長くなりましたが、いよいよ寸劇の始まりであります。


私が戸田先生役です。よろしくお願いします。 

歌の得意な男子部、中道秋雄の役です。

山本伸一役です。よろしくお願いします。
当時は、男子部 第一部隊長という役職についたばかりです。

≪ナレーション≫ 時は昭和28年、西暦1953年1月5日。午後3時15分。
新年の 会食会 の真っ最中であります。
男子部の中道秋雄が、一人立って、耳なれぬ歌をよく通る声で歌いだしました。

歌の調べは、男性的な強さとともに、格調のある悲哀(ひあい)が込められて、響いたのであります。

≪中道秋雄≫(独唱一番)一番を歌います。
♪♪ 祁山悲秋の風更けて~~♪♪ 《または、CD再生》

≪ナレーション≫ いうまでもなく土井晩翠(どいばんすい)の「星落秋風五丈原」の詩で、三国志の英雄・諸葛孔明(しょかつこうめい)の晩年の苦衷(くちゅう)を歌った名作であります。

お話は前の日に、さかのぼります。
山本伸一は、「五丈原」の詩を、数名の男子部員の前で朗読したのです。

≪中道秋雄≫ 山本部隊長、メロディーを、僕、知ってます。♪丞相病あつかりき~♪という、いい曲ですよ。

≪ナレーション≫ 歌う中道について、一同は一緒になんども歌った。
山本伸一 部隊長は、詩の意味を、熱く皆に話したのであります。

≪山本伸一≫
 
彼は病んでいた。
病は重かった。
味方は負け戦だ。
病んでいる彼の胸に去来(きょらい)するものは、思わしくない戦況と、先王(せんおう)の深い信頼と、漢の国の命運であったと思う。
彼の病気を敵に知られてはならない。
戦乱に苦しむ民衆のことを想うのは辛(つら)かった。
そして二十数年前、先王に仕える以前の、あの平和な日々が懐かしく思い出されるのである。
彼は今、秋風(しゅうふう)吹く五丈原に病んで、胸ひとつに壮烈(そうれつ)な決意を抱(いだ)いていた。
そして、天地は悠久(ゆうきゅう)である。

 う~~ん。 ~~そうだ! 

これは、広宣流布に一人立ち向かう毅然(きぜん)たる戸田先生の心情に、どこか通(かよ)うところがあるのではないか。

この歌を、明日の、新年会で、戸田先生に是非お聞かせしようではないか。
中道君、君が歌うのだ。頼むよ。ところで君、よく知っていたね。

≪中道秋雄≫   そんな深い意味があるとは、ちっとも知らなかった。
ただ、なんとなく好きな歌だったのです。
戸田会長先生の前で歌うのですね。
はい。是非、歌わせてください。

≪ナレーション≫ こうして、中道秋雄がこの「五丈原」を歌いだしたとき、
山本伸一は聴(き)き入る戸田の顔をじっと見つめていたのであります。

≪中道秋雄≫(独唱2番)2番を歌います。
♪♪ 夢寐に忘れぬ君王の~♪♪《または、CD再生2番》

≪ナレーション≫ 漢語が多く戸惑っている者が多かった。
何の歌だろう?と顔を見合わせている壮年もいる。
映画「レッド・クリフ」に出てくる孔明の歌だ――と、うなずく、現役青年部もいる。

ところが、戸田城聖だけは「今落葉(らくよう)の雨の音 大樹(たいじゅ)ひとたび倒れなば、、」の段になると、みるみるこわばった表情は、くずれて、ゆがんできた。
そして、涙を、浮かべたように、思われたのであります。

戸田は、じっと聴いていた。耳を澄(す)まして聴いていた。
今まで多く歌われた歌の中で、これほど激しく、彼の胸を打ったものは、なかったのです。
やがて皆は、戸田のただならぬようすに、気づきはじめたのであります。
戸田はとうとうメガネをはずした。
そして白いハンカチを、眼にあてたのであります。

≪中道秋雄≫(独唱6番)6番を歌います。
♪♪ 嗚呼五丈原秋の夜半 あらしは叫び露は泣き♪♪《または、CD再生6番》
IMG_3529_4.jpg
(演技指導、ここで100円の、ロイドメガネ(ヒゲはダメ)と、白いハンカチ使用)                                                            
≪戸田城聖≫  (メガネをはずし、ハンカチで涙をふきながら)
う~~~ん。いい歌だ。もう一度歌って聴かせてくれないか。

≪ナレーション≫ このとき、山本伸一もすっくと立ちあがった。
そして二人で歌い始めたのであります。
二人の声は、朗々と響き渡ったのであります。

≪戸田城聖≫   いい歌だ。もう一度歌って聴かせてくれないか。

≪ナレーション≫ 戸田城聖は涙を浮かべ、時に一すじ、二すじ、流れる涙を押さえようともしなかった。
そして、歌が終わると、また「もう一度」、そして再び「もう一度」といって、前後6度も繰りかえさせたのであります。

≪戸田城聖≫   君たち、この歌の本当の精神がわかるか。
僕には、天に叫び、地に悲しむ、孔明の痛烈(つうれつ)な声が聞こえてきてならないのだ。
それは、民衆を救わんとする、まことの使命を自覚したものの、責務と辛(つら)さです。
孔明は、あすをも知れぬ命となっている。味方の軍勢は、負け戦(いくさ)の最中だ。
しかし、このままで今、死ななくてはならない。黙然(もくねん)として、頭(こうべ)を独り垂れるとき、諸君ならどうするか。

この時の孔明の一念が、今日(こんにち)も歴史に生きつづけているのです。
私が今、不覚にも涙を流したのは、この鋭い一念が、私に感応(かんのう)をよびおこしたからなのです。

大樹がひとたび倒れたら、いったいどうなる。私がひとたび倒れたら、広宣流布はどうなるか。
私は今、倒れるわけにはいかないのだ。死にたくても死ねないのだ。

最後の一節にいたって、諸葛孔明はついに死ぬのだが、悲しいことに使命の挫折(ざせつ)を歌っている。
孔明には、挫折も許されるかもしれないが、私には、挫折はゆるされぬ。

広宣流布の大業(だいぎょう)が挫折したら、人類の未来は真っ暗闇(くらやみ)だからです。
どんなに辛くとも、誰がなんと言おうと、今の私は、重い使命に一人、生きる以外、仕方がない。
誰も知らぬ、誰も、気もつかぬところで、私は体を張って、やるより仕方がないのだ。

この「五丈原」の歌が、私の心中を、きわめて近く表現してくれているから、泣けるのです。
みんな、少しはわかってくれたかね。(メガネをはずし、ハンカチで涙をふきながら)

地区部長さんも、すました顔をしてるが、実は、よくわかっていないんだよ。
はっはっはっはっは~~

いいメロディーの、歌じゃないか。
旭日地区の皆さん。
もう一度、みんなで歌おうではないか。

はい、音響係りさん、準備はいいかな。
はいスタート。

  ♪♪CDに合わせて全員で合唱♪♪ 拍手!!

≪ナレーション≫ *私たち弟子は、偉大なる広宣流布の大将軍の、心奥(しんおう)の大境涯を垣間(かいま)見る思いであったのであります。

この五丈原の歌は、その後、戸田先生の前で何度も何度も歌われ、そのたびに戸田先生が涙されたこと。そして戸田先生の葬儀の時にも歌われたことは、皆様ご存知のとおりであります。


本日は『小説「人間革命第7巻」飛翔(ひしょう)の章』から『学会歌「五丈原」のお話』を、旭日地区の オール スター キャスト、さらに、旭日地区芸術部の特別出演でお送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



最後まで読んでいただきありがとうございます。


* 随筆人間世紀の光 「中国京劇院 三国志」 より引用


続きには、解説、語句の意味、小説人間革命からの引用、原詩からの全文の引用などがあります。

長々と続く引用の最後に、原稿印刷用の空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、是非ご活用ください。


この寸劇人間革命の分量は、青年部の詩の意味の説明(3,4,5番を除く)も含めて、おおよそ、20文字×230行です。

YOUTUBEにこの歌があります。
SGIメンバーの歌。必見です。
ここをクリック 
2006年10月12日、第64回本部幹部会、第31回SGI総会、東京牧口記念会館。池田SGI会長が、SGI秋季研修会で来日した65カ国・地域の代表260人らと出席。ハービー・ハンコック氏、ウェイン・ショーター氏らアメリカSGI芸術部を中心とした「平和のための国際芸術家委員会」(ICAP)が祝賀演奏。

この五丈原の歌が登場する寸劇を、懲りずにまた作りました。
その寸劇人間革命を読んでみたい方は、ここをクリック してください

スポンサーサイト

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

学会歌 「田原坂」にまつわるエピソード

その傷ついて帰った、我が子を匿(かくま)って、傷を癒(いや)してやる。
そして、立派に大きく育てて、天下を取るために、ふたたび世に、送り出そうとする。
その母の心境が、この歌だと考えてみてはどうかね。
婦人部のみんなも、子供を立派に育てて、広宣流布の庭に、送り出すんだよ。

婦人部のために作った寸劇人間革命です。
P1010582_2.jpg

≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。

本日は、学会歌「田原坂 たばるざか」にまつわるエピソードであります。

≪婦人部説明≫はじめに、歌の意味を説明いたします。
(最後まで照れずにはっきりと読む)


 明治政府軍の大砲や、鉄砲が、雨が降る如く、薩摩(さつま)軍を攻撃してくる。
そんな、悲惨な戦場を「雨はふるふる」と表現しているのです。

「田原坂」とは、激戦となった、地名ですが、伝令となった、三宅伝八郎(みやけでんはちろう)が、必死の思いで、激戦の戦地を駆け抜ける様子を、「越すに越されぬ田原坂」と、歌っています。

つまり、どこまでも広宣流布の激戦を勝ち抜くのだという、その意気込みが、歌われているのであります。

「血刀」の一言で、この歌が悲惨極まりない戦場の歌であることを、リアルに表現しています。

「手綱」の一言で、この若き青年が、自由自在に馬を乗り回して、戦場を駆け抜ける様子が、心に浮かぶのです。

「馬上ゆたかな美少年」とは、イケメンのことではありません。
「馬上」とは、遠くを見渡せることから、リーダーシップ、すなわち指導力を意味します。
「美少年」とは、将来性に溢(あふ)れ、だれからも慕(した)われる、力ある、凛々(りり)しき青年を、意味します。

まさに、私の若いころに、そっくりであります。(笑う)

つまり「馬上ゆたかな美少年」とは、広宣流布のリーダーに成長しゆく、我が青年部のことなのであります。

明治政府軍を「蚤」と、表現しているわけですが、「天下取るまで」とは、広宣流布のことです。

広宣流布の大舞台で活躍するその日まで、決して、つまらぬ失敗で、身を滅ぼすな、との戒(いましめ)を「蚤にくわせてなるものか」と表現しているのです。

以上、長くなりましたが、いよいよ寸劇のスタートであります。


≪ナレーション≫ 時は、昭和33年・西暦1958年の2月11日は夕刻。

 戸田城聖の、病気回復の快気祝いと,誕生日祝いを兼ねた、祝宴(しゅくえん)が、行われたのであります。

戸田は、前年の昭和32年11月に病に倒れ、以来、闘病生活を送っていたのでありました。

戸田は、和服姿のくつろいだ装(よそお)いで部屋に入ってくるなり、「よお~!」と、一同に呼びかけたのであります。

≪戸田城聖≫ 私の闘病中は諸君らには、大変苦労をかけた。
その間の学会の運営は、なんらの支障もなく、ここにあらためて御礼申し上げたい。

私は会長就任以来7年になるが人生を振り返ってみると、7年ごとに難にあっていることになる。

昭和18年の弾圧による投獄、昭和25年の事業の問題、そして今回の病気です。

しかし今度の病気も打ち破ることができた。

かくなるうえは、もう7年、また会長として頑張るつもりだから、ひとつよろしく頼みます。

≪ナレーション≫ そして、乾杯、祝宴がはじまった。

健康を回復した元気な戸田の姿に、宴は喜びに溢(あふ)れた。
やがて、歓喜の歌が、相次ぎ披露されたのです。

婦人部は、皆で、「田原坂 たばるざか」を歌ったのであります。

≪ナレーション≫ 戸田は、一生懸命に歌っているその姿に目を細め、歌に合わせ、拳(こぶし)で軽くテーブルを、トントンと叩(たた)き、さも愉快そうに聴き入っていたのであります。

♪♪CD演奏・合唱♪♪

≪戸田城聖≫ みんな、この歌の意味を知っているかな

 これは、西南(せいなん)の役(えき)の時に伝令(でんれい)となった薩摩軍の一青年・三宅伝八郎(みやけでんはちろう)を歌ったものだと言われている。

西郷隆盛 率いる薩摩軍(さつまぐん)は官軍と熊本の田原坂で激戦となったが、近代的な装備を整(ととの)え、武器弾薬の豊富な官軍の前に、敗北を余儀(よぎ)なくされる。

そして、多くの青年や少年が、命を失ってしまう。

西郷という人物は、立派な面もあったが、結果的には、有能な若い命を散らせてしまった。

私はそれが気にくわんのだよ。

いよいよ敗北が決定的になった時、薩摩の本陣に敗北を伝えにいく伝令を、送ることになった。

それを命ぜられたのが、若干(じゃっかん)20歳の三宅伝八朗だった。

同志は次つぎと討ち死にしていった。

激戦に伝八郎も疲れ果てていた。

しかし、彼は最後の力を振り絞(しぼ)り、敵の囲いを抜けようとする。

死んでいった同志のためにも伝令の使命を果たし、かならず生き抜いて天下を取ろうと心に誓いながら。

その後、伝八郎がどうなったか知らないが、君たち青年部は、生きて生き抜いて、天下を取り、民衆の楽土を作るのだよ。

つまらぬ失敗で、身を滅ぼすようなことがあってはならんのだよ。


≪ナレーション≫ 戸田はそれから、合唱した婦人部たちを見て、言ったのであります。

≪戸田城聖≫ この歌には、また母の心が託(たく)されているように、私には思えるのだ。

男は戦場に行き、まだ、とても手放せないような、小さな子供まで、送り出さなければ、ならなかった。

その中には、戦いに出て行ったまま、帰ってこない子もいただろう。

あるいは傷ついて、帰って来た子供も、いたはずだ。

その傷ついて帰った、我が子を匿(かくま)って、傷を癒(いや)してやる。

そして、立派に大きく育てて、天下を取るために、ふたたび世に、送り出そうとする。

その母の心境が、この歌だと考えてみてはどうかね。

婦人部のみんなも、子供を立派に育てて、広宣流布の庭に、送り出すんだよ。

きっと、送り出すんだぞ。約束だよ。

≪ナレーション≫ 戸田の言葉には力がこもっていた。

そうです。

学会歌「田原坂」は「母の心」を歌ったものだったのであります。

そして、これが、婦人部に対する、最後の指導と、なりました。

3月16日の儀式の33日前、そして逝去の4月2日の、50日前の、お話であります。


≪ナレーション≫ *時は流れて、昭和56年1981年12月15日。

池田先生を迎えて、熊本文化会館の近くの公園に、1500人ものメンバーが集まりました。

「さあ、『田原坂』を、歌おう」池田先生の提案に、大歓声があがったのであります。

さあ皆さんで、もう一度歌いましょう。
 
♪♪CDに合わせて合唱♪♪ 拍手!!

≪ナレーション≫ あの日、その時、それは、雪の秋田指導の3週間前。

いかなる想いで、1500人の田原坂の合唱が行われたのでありましょうか。

それは、嫉妬(しっと)や讒言(ざんげん)による迫害を吹き飛ばす、反転攻勢、開始の歌声だったのであります。


 本日は、『小説人間革命第12巻「後継(こうけい)」の章』などから、学会歌「田原坂」のお話を、旭日地区の オール スター キャストで、お送りいたしました。


以上で寸劇人間革命のコーナーを、終わります。
    


*潮 2012.1月号.民衆こそ王者   

**反転攻勢 1979年会長勇退後、再び先生が広布の指揮を執り始めた こと




最後まで読んでくださってありがとうございます。

「きっと、送り出すんだぞ。約束だよ。」のセリフの中、(約束だよ)の部分は、自分が勝手に付け足したものです。原作にはありません。

蛇足だ。と思われた方には、大変申し訳なく思います。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×170行です。


参考のためのデータ。そして原稿印刷用の空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、是非ご活用ください。

A4用紙、1枚に収まる、20文字×110行のものも準備しました。
こちらも、ご活用ください。


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

学会歌「嗚呼 黎明は近づけり」のお話

最後に歌詞を収録しています。

P1010491_1.jpg

≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、学会歌「嗚呼(ああ)黎明(れいめい)は近づけり」に、まつわるお話であります。

池田先生の役です、よろしくお願いします。

学生部員の役です。よろしくおねがいします。

≪ナレーション≫ 時は昭和43年西暦1968年7月24日午後7時30分。
大阪大学と神戸大学の代表が大阪・関西本部新館に集(つど)ったのであります。

会長は、一人一人と視線を交わしながら、語っていった。

≪池田会長≫ 悩むことは、青年の青年たる所以(ゆえん)なんです。
そこに題目さえあげていけば、妙法がちゃんと決めてくれるんだ。
その悩みは自然の中に変毒為薬されていく。

誰人(だれびと)たりとも経ていく道程(どうてい)です。
自分の今の課題には、忍耐強く頑張っていきなさい。


≪ナレーション≫ 60数人の会合であったが、池田会長の語らいは、一対一だった。
アッと言う間に終了の時間を、迎えようとしていたのであります。

≪池田会長≫ では、またお会いしましょう。

≪学生部員≫ (大きい声で)先生!阪大(はんだい)の歌を聴いてください。

≪池田会長≫ いいね、よし!

(演技指導 池田先生は瞬時に返事をする。間があっては、ダメ)

≪ナレーション≫ 学生部のメンバーがスックと立ち上がり、この日のために練習してきた歌が始まった。
「嗚呼 黎明は近づけり」の歌で、あったのであります。

♪♪CD再生 「嗚呼 黎明は近づけり」 青年部代表合唱♪♪(約2分30秒)

≪池田会長≫ ウ~ン、いい歌だなあ。僕も覚えたい。これはいい歌だ。
青年部で歌っていきたいね。

≪学生部員≫ 合唱したメンバーは、喜びと笑顔が広がったのです。

≪池田会長≫ 一番だけ、座ったままでいいから、歌ってもらえないかい。
いい歌だ。じゃあ三番!
もう一回最初から、いい歌だね。頼むよ!

こりゃあ、創価高校の寮歌も、いい歌をつくらなきゃならないな。

≪学生部員≫ 先生が、喜んでくださったことが、うれしくてなりませんでした。
私たちが歌い終わると、先生は、歌詞の意味を、仏法の視点から語ってくださいました。
皆が、顔(かお)を輝かせて聞き耳を立てました。

≪池田会長≫ 『嗚呼黎明は近づけり』――これは、広宣流布だよ。

『立てよ我が友 自由の子』――我が友・これは同志。
自由の子は、地湧の菩薩という意味になるんじゃないか。
“わが学生部よ、わが同志よ、わが青年部よ、そして地湧の子よ”というふうに

『帝陵山下(ていりょうさんか)』つまり帝塚山(てづかやま)は、大阪の象徴(しょうちょう)の一つだね。
この歌詞は、大阪を中心として、全世界の青年部を指導していきなさいということだね。
大阪が本当の『熱血児』ということだ。

『侃諤(かんがく)の弁(べん)』つまり、遠慮なく意見を言い合い、議論が白熱すること
―これは哲学、教学だよ

『哲人の声 消えんとす』今までの哲人はもう意味がない。
ゆえに、新しい哲学をもって黎明の広宣流布にむかわなくてなならない。
こういう意味にもとれるでしょう。

『君が愁いに 我は泣き 我が喜びに 君は舞う』
――これは同志愛の極致(きょくち)じゃないか!!
 
いい歌だ。私も覚えよう。帰りの電車で覚えよう。


≪ナレーション≫ お話の続きは、昭和56年西暦1981年11月2日であります。


随筆 新人間革命 の、朗読をおねがいします。(青年部朗読)


昭和54年(1979年)あの卑劣(ひれつ)な宗門問題の渦中(かちゅう)に、私は会長を辞任した。

しかし、役職を辞めても、広宣流布の使命が終わるはずはない。
私は、我が師の遺言(ゆいごん)を思い起こしながら「断じて勝って見せる!」と、ただ一人、堅固(けんご)に、胸深く誓っていた。

―(中略)― 

その日は、激しい雨が降っていた。
しかし、立川と西多摩の合同総会に集った友は、八王子の創価大学の体育館を埋めて、熱く燃えていた。
この日、私は「仏法は勝負である。断じて我らは勝たねばならぬ。」と全生命で訴えた。

「我々には、なすべき行軍(こうぐん)、交(まじ)えるべき戦い、挑(いど)むべき苦難がある。
強固な一念が、我々に勝利をもたらすであろう」とは、ある大英雄の叫びである。

そして私は、最後に「新しい希望の歌を、歌おう!一緒に歌おう!」と指揮をとった。
その曲は、「嗚呼 黎明は近づけり」であった。

(朗読する)…君(きみ)が愁(うれ)いに 我は泣き 我(わ)が喜びに 君は舞う
若き我らが 頬(ほお)に湧(わ)く その紅(くれない)の 血の響き

―(中略)―

声高らかな歌が始まると、皆の胸の思いが一つにとけ合って、大会場に巨大な感情がうねり始めた。
皆の顔(かんばせ)に決意がみなぎっていた。
断固として戦う決意であった。

私は嬉(うれ)しかった。
本当に嬉しかった。
私が再び広宣流布の雄渾(ゆうこん)の指揮をとる日を待っていてくれたのだ。

当時、全く、本格的な地方指導に行かぬ私のことを、多くの同志が心配していた。

宗門の権威(けんい)が、私を動かせぬように、してきたことを、皆、知っていた。

その卑劣さに、怒りに、もえていた。

その鉄鎖(てっさ)を切った私が、獅子のごとく関西から四国へと飛び込(こ)んでいったのは、この一週間後のことであった。


≪ナレーション≫ 
それは「雪の秋田指導」の2ヶ月前。
先生の指揮は、嫉妬(しっと)や讒言(ざんげん)による迫害を吹き飛ばす、*反転攻勢 開始の舞(まい)だったのであります。

さあ、もう一度「嗚呼黎明は近づけり」の歌を、全員で歌いましょう。

♪♪CD再生 「嗚呼 黎明は近づけり」全員で合唱♪♪拍手!!(約2分30秒)

≪ナレーション≫ 本日は学会歌「嗚呼 黎明は近づけり」のお話を,
___支部 青年部の オール スター キャストで、お送りいたしました。


以上で寸劇のコーナーを終わります。
 
             

大白蓮華 2012年1月号

随筆 新人間革命 地湧の使命第二東京平和と文化の連帯人華にひかりあれ 創立の月と学会精神


*反転攻勢 1974年の会長勇退後、先生が再び、広布の指揮を、執り始めたこと。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
いつもの寸劇とは、パターンが異なるタイプです。

大白蓮華2012年1月号の内容を、自分で勝手にいじって作りました。
下手な作文申し訳ありません。

分量は、おおよそ20文字×140行です。

YouTubeにこの歌がありました
「嗚呼黎明は近づけり」の歌を聴いてみよう


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

人生の並木道

そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。
やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。

立派な娘さんです。これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。
 事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。
そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。
 私は、山本先生と約束したのだ!。それが、父親の口癖となったのであります。


SBSH1421_1.jpg



≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は『人生の並木道』と題しましてお送りいたします。

時は昭和33年1958年8月16日、長野県は諏訪でのお話であります。

≪山本伸一≫ 山本伸一です。当時は、学会でただ一人の、「総務」という役職だったそうです。

≪竹本君子≫ 竹本君子です。女子部の組長(現在の地区リーダー)をしています。東京の先輩幹部から、手紙が来ました。どれどれ、

≪先輩幹部≫ 山本総務が諏訪市民会館で行われる文京支部の方面大会に出席されます。山本総務は、事実上学会のすべての責任を担っている人です。山本総務が諏訪を訪れる機会は、これからも滅多にないと思いますので、是非、自分の部員さんに会ってもらうようにしたらどうでしょうか。

≪ナレーション≫ 彼女は喜び勇んで、6人のメンバーを連れて参加したのです。メンバーのなかには、小児マヒの後遺症で体の不自由な人や、結核に苦しむ人もいた。
皆、生活も決して楽ではなかったし、家族の中で、たった一人で信心している人がほとんどだったのであります。

市民会館での山本総務の指導を聞くと歓喜が込み上げてきた。そして、なんとしても山本総務に、メンバーと会ってもらおうとの思いが、つのったのであります。
会合が終わって、大急ぎ控え室に駆けつけました。しかし、、

≪会場役員≫ 山本総務は、近くの旅館で予定されている、幹部の指導会へ行ってしまいましたよ。

≪竹本君子≫ どうしよう。みんなの家族の事情を考えると、もし列車に乗り遅れ、今日のうちに帰れなければ、大変なことになってしまう。
でも、このチャンスを逃せば、みんなが山本総務と会える機会はないかもしれない。
ウーン…よし、がんばって、みんなで指導会の会場に行きましょう。

≪ナレーション≫ 旅館の二階は、たくさんの人が、階段まであふれていたのであります。
山本伸一が参加者の質問に答え、次の質問を受けようとした時、姿は見えなかったが、人垣の後ろから、女性の叫ぶような声がしたのであります。
その声には、どこか必死な響きがあったのであります。

≪竹本君子≫ 山本先生!!

≪山本伸一≫ どうしましたか?

≪竹本君子≫ 私の組の部員さんに会ってください。

≪山本伸一≫ お会いしましょう。連れていらっしゃい。みんな道を開けてあげて!

≪ナレーション≫ 人をかき分けて、体の不自由な友をかばいながら、竹本は伸一の前にやってきたのであります。

≪山本伸一≫ よく来たね。みんなどこから来たの?

≪竹本君子≫ 伊那市から、七人でまいりました。

≪山本伸一≫ あなたが女子部の組長さんだね

≪竹本君子≫ はい!

≪山本伸一≫ それじゃあ、あなたから、みんなを紹介してください。

≪竹本君子≫ はい!私は、組長の竹本君子です。そして、ここにいるのが私の妹の達枝と申します。その隣にいるのが……

≪ナレーション≫ (少し間をおいて)
 彼女はこう言うと声を詰まらせた。目には涙があふれていた。自分が責任をもつ同志を伸一に会わせたい一心で、ここまで来たのだ。それが実現できたと思うと嬉しくて仕方なかったのであります。

≪山本伸一≫ 組長さんが泣いてしまったんでは、しょうがないな……。
あとの人は自己紹介だね。

≪ナレーション≫ ところが、皆同じように喜びに震え、声にならなかったのであります。

≪山本伸一≫ そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。

≪ナレーション≫ 伸一は、優しく竹本君子を見つめながら言ったのであります。

≪山本伸一≫ そうだ!あの歌を歌ってあげよう。『人生の並木路』だよ

(音響係りさん、準備はいいかな)

地区の皆さんで合唱

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い ふたりして
故郷を捨てた 甲斐(かい)がない

遠いさびしい 日暮れの路(みち)で
泣いて叱った 兄さんの
涙の声を 忘れたか

雪もふれふれ 夜路(よみち)の果ても
やがてかがやく あけぼのに
わが世のはるは きっと来る

生きてゆこうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路

≪山本伸一≫ じゃあ、今度は『赤とんぼ』だ

夕やけ こやけの 赤とんぼ
負われて みたのは いつの日か

山の畑の くわの実を
小かごに つんだは まぼろしか

十五で ねえやは 嫁に行き
お里の たよりも たえはてた

ゆうやけ こやけの 赤とんぼ
止まっているよ さおのさき

≪ナレーション≫ 伸一の提案で、数曲の歌が、次々と歌われたのであります。
同志を思う心が織り成す、ほのぼのとした調べが、乙女たちの胸に、希望を燃え上がらせたのであります。

≪山本伸一≫ やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。
ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。
それじゃあ、遅くなるといけないから、早くお帰りなさい。気をつけて……

≪ナレーション≫ 会場をあとにした竹本たちは、天にも昇るような気持ちだった。
彼女たちは、車中、互いに手を取り合い、人生の希望を語り合いながら帰路に着いたのであります。

≪ナレーション≫ 時は流れて、2年後の昭和35年1960年11月10日、会長就任後、初の海外歴訪の旅を終えた直後であります。
この日は、松本支部の結成式が行われたのであります。

山本伸一は、諏訪に自分を尋ねてきた竹本君子が、松本支部の女子部の中心者に育っていたことが嬉しくてならなかったのであります。

≪山本伸一≫ 竹本君子さん、よくがんばったね。
家族の、皆さんお元気ですか。

≪竹本君子≫ はい。父が一年ほど前に信心を始めたのですが、まだ勤行もしておりません。
実は、事業に失敗して、家族と別居しているんです。

≪山本伸一≫ そうか……。大変なんだね。
今度、お父さんとお会いしましょう。
大切な娘さんを、お預かりしているんだもの。

≪竹本君子≫ 本当ですか!お願いいたします。

≪ナレーション≫ 人材を育むには、本人だけでなく、その人の環境も考慮し、さまざまな応援をしていくことが大切である。
またそれが指導者の責務でもあります。

翌日、松本駅には、父親を連れた竹本君子の姿があった。
伸一は、丁重にあいさつをしたのであります。

≪山本伸一≫ いつも、お世話になっております。
私が会長の山本です。
これから、長野支部の結成のために、長野まで行く予定になっているんです。
お父さん。長野までご一緒いかがですか。切符はありますから。

≪ナレーション≫ 車中は伸一と竹本の父親との語らいの場となった。

≪山本伸一≫ 立派な娘さんです。
これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。

≪お父さん≫ は、はい。ゴクリ。
ふつつかな、娘ですが、よろしくお願いします。

≪山本伸一≫ お父さん、事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。
信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。
焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。

≪ナレーション≫ 竹本の父親は、この日を契機に勤行を始めた。そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。

≪お父さん≫ 私は、山本先生と約束したのだ!

≪ナレーション≫ それが、父親の口癖となったのであります。

本日は、新人間革命第2巻『勇舞』の章から、
『人生の並木道』と題しまして、女子部の大先輩・竹本君子さんのお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
女子部の皆さんが主役の寸劇をと思って作ってみました。
地区の座談会では、いつも皆さんで歌を歌っていますので、寸劇の中でもすぐに合唱できるんです。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×200行です。

この寸劇人間革命を、実際に座談会で上演するには、原稿印刷が必要です。
印刷しやすいように、空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご活用ください。

テーマ: 二次創作:小説 | ジャンル: 小説・文学

新世紀の歌

新世紀の歌 作詞 佐々木政俊 作曲 上田金治郎

ひらけゆく大空に
舞う若鷲
日本の柱 師のもとに
苦悩にあえぐともどちを
救わん地涌の誇りもて

荒海に踊る鯱
轟く大号令
七つの海を征くところ
世界を結ぶ大偉業
進まん今ぞ意気高く

師子王の雄叫びは
大地ゆるがす
広宣流布の大進軍
破邪顕正の剣もて
築かんわれら新世紀

P1010737_1.jpg


≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。本日は、学会歌『新世紀の歌』にまつわるお話であります。

時は昭和36年西暦1961年は五月。福島での会合から、お話が始まります。(5/17東北3総支部結成大会)

≪山本伸一≫ それでは、東北の新しい旅立ちの誓いを込めて、皆で“東北健児の歌”を歌おう!

≪青年部幹部≫(申し訳なさそうに) 
あのーー“東北健児の歌”というのはないのです。

≪山本伸一≫ そうか。関西には『威風堂々の歌』があるし、沖縄にも『沖縄健児の歌』がある。どの地域も、自分たちで歌を作り、高らかに歌いながら、楽しく、堂々と前進している。

東北も、未来への出発のために、新しい歌を作ったらどうだろう。

民衆の興隆(こうりゅう)のあるところには、必ず歌がある。
歌には、人びとの理想があり、その歌を通して、団結も生まれる。
だから、声高らかに歌を歌って、明るく、うんと陽気に、人生を楽しみながら、広宣流布を進めていくんだよ。

≪ナレーション≫ 青年部を中心に作成委員会が作られ、歌詞の公募が始まりました。
やがて、何十かの作品が集まった。幹部たちも率先して作り始めた。

しかし、これといった歌詞はなかったのであります。

 その頃、一人の青年が、歌詞作りに挑戦していたのであります。
学生部員、佐山俊夫であります。

≪佐山俊夫≫ 山本先生の、「自分が開いた道はすべて、学会直系の青年部に託していく」との指導に感動しました。

この師の心を受け継いで自分たち青年が、新しき世紀へ、新しき世界へと雄飛していくのだ!よし。この思いを、“東北健児の歌”の歌詞として表現しよう。

≪ナレーション≫ 佐山俊夫は、戸田城聖と山本伸一が立った、青葉城址を歩いては、その師弟の姿に思いをめぐらしながら、自身の未来への飛翔(ひしょう)を誓ったのであります。

≪佐山俊夫≫ 松林の上には、澄(す)んだ秋の空が広がっている。天空へと上昇しゆく、空飛ぶ者の王・鷲(わし)のイメージが、うかんできたぞ。
うーん、世界広布の大空に飛び立つ、青年部。

うーん、「ひらけゆく大空に」よしこれだ。これでいこう。

大空とくれば大地だ。
地走る者の王・獅子の広布の雄叫びだ。

天と地。よし、次は、新世紀への船出の海を表現しよう。

≪ナレーション≫ 彼は、戸田城聖が昭和三十二年1957年の年頭に詠んだ「荒海の鯱にも似たる若人の 広布の集い 頼もしくぞある」との和歌を思い起こしたのであります。

≪佐山俊夫≫ よし、いいぞ。あーでもない。こーでもない。鉛筆なめなめ。唱題、唱題。

ひらけゆく大空に舞う若鷲 日本の柱 師のもとに
苦悩にあえぐはらからを 救わん地涌の誇りもて

よしこれでいこう。

≪ナレーション≫ その頃、最終選考には、数点が残っていた。
しかしどれもこれも、どんぐりのせいくらべ。皆が納得できるものではなかったのであります。

≪佐山俊夫≫ 遅くなりましたが、まだ、間に合うでしょうか。

≪青年部幹部≫(あまり期待せずに)
 はい。はい。ご苦労様。どれどれ。
おォ!おォー!
これは、すごいぞ。いいよ、すごくいいじゃないか。斬新で、勇壮じゃないか。

≪ナレーション≫ さらに皆で推敲(すいこう)をかさね、歌が完成したのです。
いよいよ、新しい歌の発表となる、東北本部の落成式の11月20日がやってきたのであります。

≪山本伸一≫ 戸田先生は何度も、この仙台に足を運ばれました。そして、ある時は指導にあたり、ある時は講義をされ、また、ある時は青葉城址に立たれて、あの有名な『学会は人材の城をもって広宣流布に進むのだ』とのお言葉を残されております。

この「人材の城」をもって広宣流布をしていくということが、学会の永遠の考え方であります。その人材を育成していくための城が、ここに完成したことが、私には何よりもうれしいのであります。

仏法を持った皆様方こそ、新時代を開くリーダーであると確信して、一人一人が、社会の第一人者となっていただきたい。

≪ナレーション≫ 続いて、新たに作られた、“東北健児の歌”が発表されたのであります。
伸一は、手渡された歌詞にじっと視線を注ぎながら、参加者の合唱に耳を傾けた。

ひらけゆく大空に 舞う若鷲、、

歌詞も、曲も、勇壮で、力強かった。

皆の心が、無限の大空に広がっていくような、雄大な歌であった。

≪山本伸一≫ いい歌だ。
東北も明るくなったね。もう一度!。

≪ナレーション≫ 再び合唱が始まった。皆、はつらつと、喜びを満面にたたえて、力いっぱい歌ったのであります。

≪山本伸一≫ この歌を、東北だけでなく、日本国中で歌っていきたいと思うが、どうだろうか。

≪ナレーション≫ 大拍手が鳴り響いた。

≪山本伸一≫ この歌は、全国の同志が歌っていくのだから「新世紀の歌」としてはどうだろうか。

それと、一番の歌詞に「苦悩にあえぐはらからを」とあるが、この「はらから」を「ともどち」としてはどうかね。その方が親しみやすいように思うが。

≪ナレーション≫ 作成に携(たずさ)わった青年たちから、ひときわ大きな賛同の拍手が沸(わ)き起こったのであります。

それでは、皆さんで、いっしょに歌いましょう。

ひらけゆく大空に 舞う若鷲(わかわし)
日本の柱 師(し)のもとに
苦悩にあえぐともどちを
救わん地涌(じゆ)の誇りもて

荒海に踊る鯱(しゃち) 轟(とどろ)く大号令
七つの海を征(ゆ)くところ
世界を結ぶ大偉業
進まん今ぞ意気高く

師子王(ししおう)の雄叫びは 大地ゆるがす
広宣流布(こうせんるふ)の大進軍
破邪顕正(はじゃけんせい)の剣もて
築かんわれら新世紀

≪ナレーション≫ 翌朝、山本伸一は、七年前、戸田とともに歩いた、青葉城址を散策したのであります。

≪山本伸一≫ ほら見てごらん。大きな石も、小さな石も、いろいろな石が、きれいに、きちっと積み重ねられている。だから、この石垣は堅固なんだね。これは団結の象徴だよ。
人材の城というのは、人材の団結の城ということだ。団結は力であり、そこに学会の強さがある。

東北に人材の牙城をつくろう。

そして、あの「新世紀の歌」のように、東北の君たちの力で、民衆の新世紀を開いていくんだよ。

≪ナレーション≫ 青年たちの瞳(ひとみ)が光った。

山本伸一は、青葉城の一角に立ち、一首の和歌を詠んだのであります。

人材の 城を築けと 決意ます
 恩師の去りし 青葉に立つれば

本日は、新人間革命第5巻「勝利」の章より、「新世紀の歌」にまつわるお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

池田先生が「随筆・新人間革命 新世紀の歌と東北」の中で、

「私は、『新世紀の歌』が大好きであった。東北の同志が作ってくれたことが、無性に嬉しかった。わが東北は、多くの苦難の道のりをも、雄々しき歌声とともに、今こそ、新しき世紀の夜明けなりと、威風堂々、出陣したのである。」

と、紹介してくださっていることは、皆様ご存知の通りであります。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。




最後までこの寸劇人間革命を読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×190行です。

印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。ご活用ください。

このほど(2017/03)、スリムなタイプを新たに作ってみました。
分量は、20文字×120行ほどです。
こちらのほうが、座談会では、上演しやすいと思います。
テキストデータを準備しましたので、楽しく、有意義な座談会に、是非、ご活用ください。


テーマ: 二次創作:小説 | ジャンル: 小説・文学

愛唱歌 『森ヶ崎海岸』 にまつわる お話

岸辺に友と 森ヶ崎  磯の香高く 波かえし
十九の青春 道まよい 哲学語り 時はすぐ

友は悩めり 貧しけれ 基督の道 われ行くと
瞳きびしく 月映えて つよき鼓動に 波寄せり

崩れし土手に 草深く いかなる虫か 知らねども
今宵は詩歌を つくらんと 楽 平安の 念いあり

されども友は 黙しけん いかに生きなば わがいのち
深園の月に 飛びゆかん 涙を拭い 悲歎あり

友の孤愁に われもまた 無限の願望 人生を
苦しみ開くと 誓いしに 友は微笑み 約しけん

友の求むる 遠き世に たがうも吾れは 己が道
長歌の舞台 涯しなく 白髪までも 月語る

君に幸あれ わが友よ つぎに会う日は いつの日か
無言のうちの 離別旅 銀波ゆれゆく 森ヶ崎


P1010481_2.jpg


≪ナレーション≫ それでは、寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、「友人との語らい」と題しまして、お送りいたします。

≪山本伸一≫ 私の友人にキリスト教に入った人がいた。
戦後間もなく、一緒に読書会を開き、文学や哲学を学びあった親しい仲間だった。
彼は、ある大きな悩みを抱え、教会の門を叩(たた)いた。

私が創価学会に入会する直前のことです。

その後、彼も、私も移転してしまい。消息は途絶えてしまったが、今も私は、この友人の幸せを祈っています。

もし、彼と会うことができたら、また、人生を語り合いたい。そして、仏法を教えたいと思う。
布教といっても友情から始まる。相手を尊重してこそ、本当の対話ができる。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、友と語り合った、青春の日々を思い起こした。
それは、彼が十九歳の時のことであった。

やがて友人は、自分の悩みを打ち明けるようになった。

貧しい暮らし、複雑な家庭環境、人間への不信、失恋の痛手、友人は、時には涙を流しながら、自分の心境を語ることもあったのであります。

それは、月の美しい夜であった。

森ヶ崎の海岸で、いかに生きるべきか語り合っているうちに、友人は意を決したように言ったのであります。

≪友人≫ 山本君、ぼくは、キリスト教に入ってみようと思う。人間は、心に神を持たなければ、人を信ずることも、自分を信ずることもできないような気がする。

神の存在とは何かは、まだ、よくわからないけど、聖書を読んでいると、心の安らぎを覚えるし、神を信じられそうな気がしてくる。

≪山本伸一≫ 君が、そう決めたのなら、それもよいと思う。ともかく、ぼくの願いは、君が幸せになることだ。

ぼくの進もうとする道とは異なると思うが、そこから君が何かをつかみ、人生の大空に飛び立ってもらいたい。

ぼくも今は結核だし、生活も苦しいが、すべてを乗り越えて、社会のため、人々のために貢献できる、堂々たる人生を開こうと思う。お互いに頑張ろう。

≪ナレーション≫ 伸一がこう言って手を差し出すと、友人は固く、その手を握り締めた。

山本伸一が、生涯の師匠・創価学会第2代会長・戸田城聖と出会うのは、この直後のことであります。

伸一は、この友人との語らいを詩にしてノートに記し、「森ヶ崎海岸」という題をつけたのであります。

≪山本伸一 詩の朗読≫

岸辺(きしべ)に友と 森ヶ崎(もりがさき)
磯(いそ)の香(か)高く 波かえし
十九の青春 道まよい
哲学語(かた)り 時はすぐ

友は悩めり 貧(まず)しけれ
基督(キリスト)の道 われ行(ゆ)くと
瞳(ひとみ)きびしく 月映(は)えて
つよき鼓動(こどう)に 波寄せり

崩(くず)れし土手に 草深く
いかなる虫か 知らねども
今宵(こよい)は詩歌(しいか)を つくらんと
楽(がく) 平安(へいあん)の 念(おも)いあり

されども友は 黙(もく)しけん
いかに生きなば わがいのち
深園(しんえん)の月に 飛びゆかん
涙を拭(ぬぐ)い 悲歎(ひたん)あり

友の孤愁(こしゅう)に われもまた
無限の願望 人生を
苦しみ開くと 誓(ちか)いしに
友は微笑(ほほえ)み 約(やく)しけん

友の求むる 遠き世に
たがうも吾(わ)れは 己(おの)が道
長歌(ちょうか)の舞台 涯(はて)しなく
白髪(しらがみ)までも 月語る

君に幸(さち)あれ わが友よ
つぎに会う日は いつの日か
無言のうちの 離別旅(わかれたび)
銀波(ぎんば)ゆれゆく 森ヶ崎


≪ナレーション≫ 後に、この詩に、青年部の有志が曲をつけ、愛唱歌として広く歌われていますことは、皆様ご存知のとおりであります。

本日は、小説・新人間革命第五巻・“歓喜”の章より、「友人との語らい・森ヶ崎海岸」と題しまして、旭日地区合唱団の、オールスターキャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。



最後まで、この寸劇人間革命を読んでいただいてありがとうございます。

寸劇が終わったら、皆さんで、合唱されてはいかがでしょうか。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×100行です。

印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご活用ください。


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

学会歌・『厚田村』にまつわるお話

北海凍る 厚田村 吹雪果てなく 貧しくも
海辺に銀の家ありき これぞ栄えあるわが古城

春夏詩情の 厚田川 鰊の波は 日本海
松前藩主の 拓きしか 断崖屏風と 漁村庭

少年動かず 月明かり 伝記と歴史の 書を読みて
紅顔可憐に 涙あり 正義の心の 鼓動楽

痛まし針の白髪に 不正に勝てとアッシ織る
母の祈りに鳳雛も 虹を求めて天子舞

暖炉に語りし父もまた 網をつくろい笑顔皺
権威の風に丈夫は 征けと一言父子の譜

厚田の故郷忘れじと 北風つつみて美少年
無名の地より世のために 長途の旅や馬上行


P1010495_2.jpg


≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。

本日は「学会歌・『厚田村』にまつわるお話」であります。

時は大正9年西暦1920年2月。
夕張は、真谷地(まやち)の尋常小学校を、突然、退職して、両親の住む、厚田村に立ち寄った、二十歳の戸田青年であります。

≪戸田青年≫ 東京に行くことにしましたので、ご挨拶にまいりました。

≪父・甚七≫ 学校の方はどうしたのだ。

≪戸田青年≫ 辞めてまいりました。東京で人生を賭けたいと思います。どうか、お許しを。

≪父・甚七≫ お前の人生だ。好きなようにするがよい。
それで、出発はいつなんだ。

≪戸田青年≫ 明日にでも、発ちたいと思っています。

≪父・甚七≫ 身を寄せる先はあるのか。

≪戸田青年≫ これといったところは、ありません。

≪父・甚七≫ はっはっはっ、おまえらしいな。
ちょっとまて。これだ。何もないが、戸田家の家宝だ。持っていけ。

≪ナレーション≫ 父は、柳行李(やなぎごうり)の中から一振りの日本刀を取り出したのでした。
刀はずっしりと重かったのであります。

≪父・甚七≫ 征(ゆ)け!! 勇気をもってな

≪ナレーション≫ 翌朝、母は徹夜で縫(ぬ)い上げたアッシをわが子に手渡したのであります。

≪母・すえ≫ さあ、このアッシをもって征(い)きなさい。さあ、着てみなさい。

≪戸田青年≫ これは、暖かい、すばらしい。ありがとう、母さん。

≪母・すえ≫ 征っておいで、(涙) 元気で、(涙) 体には気をつけて、(涙)(泣く)

≪戸田青年≫ 父さんは勇気を、僕にくれました。
母さんは愛を、僕にくれました。
これで何があっても大丈夫です。僕は負けません。


≪ナレーション≫ 時は、ながれて昭和29年、西暦1954年8月。戸田城聖は山本伸一を伴って生まれ故郷厚田村に、数日間、滞在したのであります。

≪戸田城聖≫ 伸一君、これが私のふるさとの海だよ。
この厚田の海と、厳しい自然が、僕を育ててくれたんだ。

伸一君、僕は、日本の広宣流布の磐石(ばんじゃく)な礎(いしずえ)を作る。
君は世界の広宣流布の道を開くんだ!

この海の向こうには、大陸が広がっている。
世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。
いまだ戦火におびえる子供たちもいる。
東洋に、そして世界に、妙法の灯(ひ)をともしていくんだ。
この私に代わって。

≪ナレーション≫ その師匠の言葉は、強く、強く、弟子の胸を、うったのです。

翌日の早朝、一人、厚田港の防波堤を歩く、山本伸一の姿があったのであります。


≪山本伸一≫ この村から、社会、国家の行く末を憂い、東京にでて、今、広宣流布をなしとげようとしている。

なんと偉大な、人生なのか!
道をふさぐ吹雪も、あの断崖も、山も、海も、戸田先生を封じこめることはできなかったのだ。

ウーン、詩心が、わいてきたぞ。
サラサラ サラサラ
「厚田村」 「恩師の故郷に憶う」
サラサラ サラサラ

北海凍る 厚田村 吹雪果てなく 貧しくも
海辺に銀の家ありき これぞ栄えあるわが古城

春夏詩情の 厚田川 鰊の波は 日本海
松前藩主の 拓きしか 断崖屏風と 漁村庭

少年動かず 月明かり 伝記と歴史の 書を読みて
紅顔可憐に 涙あり 正義の心の 鼓動楽

痛まし針の白髪に 不正に勝てとアッシ織る
母の祈りに鳳雛も 虹を求めて天子舞

暖炉に語りし父もまた 網をつくろい笑顔皺
権威の風に丈夫は 征けと一言父子の譜

厚田の故郷忘れじと 北風つつみて美少年
無名の地より世のために 長途の旅や馬上行


先生!東洋広布は、伸一がいたします。
世界広布の金の橋を、かならず架(か)けます!!


≪ナレーション≫ 北海の小さな漁村から、青年が一人立って偉大なる人生に挑戦する姿をうたったこの詩は、そのまま、若き日の山本伸一の決意であり、その決意が、この歌とともに多くの青年に受け継がれていますことは、皆様ご存知のとおりであります。

本日は、小説「人間革命・第12巻」「涼風(りょうふう)」の章から、「学会歌・『厚田村』にまつわるお話」を旭日地区合唱団のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを、終わります。





この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命は、合唱に先立って『厚田村』の解説のために上演することを想定して作ってみました。

創立8周年を迎えた創価学園で、創立者を迎えての祝賀会のおりに、この詩に曲を付けて披露されたのが、『学会歌・厚田村』であります。(1976年4月8日)

この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×100行です。


厚田村のお話は、以前にも作っています。


一回目に作った、20文字×210行の寸劇はこちらをクリック。
厚田村のお話

あーでもないこーでもないと作り直した2回目の、20文字×165行の寸劇は、こちらをクリック。
厚田村のお話


印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。ご活用ください。

img_atutamura_uta.jpg

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

学会歌_霧の川中島

人馬声なく草も伏す    川中島に霧ふかし

聞こゆるものはさい川の  岸辺を洗うせせらぎぞ


雲か颱風か秋半ば     暁やぶる ときの声

まなじりさきてただ一騎  馬蹄にくだく武田勢


車がかりの奇襲戦     無念や逃す敵の将

川中島に今もなお     その名ぞ残す決戦譜

img360.jpg

≪寸劇係長≫ 本日の寸劇人間革命は、霧の川中島という学会歌のお話です。

うちのばあちゃんが持ってる、学会歌の本にも、載ってるんですね。

有名な川中島の戦いのときに、上杉謙信が「俺がこの手で、信玄を討つ。越後を守るために。」と、一人で敵陣に攻め入ります。

しかし、あと一歩のところで、とうとう信玄を逃してしまう。
無念であった。勝機を逸したのであります。

その、心情を、戸田先生の心情とかさねて、歌ったのが、山本伸一だったのです。


≪ナレーションA≫
それは、あっと息をのむ光景でした。

「夕張炭労事件」、続く「大阪事件」―。

出獄の日から、一ヶ月後。

山本伸一は、戸田城聖とともに夕張支部結成大会に臨んだのであります。

昭和32年1957年8月20日。

夕張支部結成大会終了後、祝賀会での、お話であります。


≪戸田城聖≫ 伸一、歌を、歌いなさい。

≪山本伸一≫ はい。

≪ナレーションA≫ 伸一は、さっと、立ち上がると、会場内の手拍子を制(せい)し、張りのある爽(さわ)やかな声で、歌いはじめたのであります。

≪山本伸一≫

人馬(じんば)声なく草も伏(ふ)す

川中島に霧ふかし

聞こゆるものは さい川の

岸辺(きしべ)を洗う せせらぎぞ


≪ナレーションB≫ 聞きなれぬ歌であった。

胸を打つ音律(おんりつ)であった。

うかれた、宴(うたげ)の雰囲気(ふんいき)は、一変したのであります。


≪山本伸一≫

人馬(じんば)声なく草も伏(ふ)す

川中島に霧ふかし

聞こゆるものは さい川の

岸辺(きしべ)を洗う せせらぎぞ


雲か颱風(はやて)か秋半ば

暁(あかつき)やぶる ときの声

まなじりさきて ただ一騎(いっき)

馬蹄(ばてい)に くだく武田勢(たけだぜい)


車がかりの奇襲戦(きしゅうせん)

無念や逃(のが)す敵の将(しょう)

川中島に今もなお

その名ぞ残す決戦譜(けっせんふ)


≪ナレーションB≫ 歌は「霧の川中島」。

上杉謙信(うえすぎけんしん)がたった一騎、敵陣(てきじん)の真っ只(ただ)中へ乗り込んだ、戦(いくさ)の歌であります。


≪戸田城聖≫ 伸、もう一度だ。

≪ナレーションB≫ 伸一は、いっそう力強く、真剣な表情で歌いだした。


≪山本伸一≫

雲か颱風か秋半ば

暁やぶる ときの声

まなじりさきてただ一騎

馬蹄に くだく武田勢


≪ナレーションB≫ 「まなじり さきて ただ一騎」の一節に、伸一の満身(まんしん)の力がこもった。皆は胸を衝(つ)かれた。

それは、広布に一人立った戸田城聖の姿でもあり、夕張の伸一の戦いでもあった。


≪山本伸一≫

車がかりの奇襲戦

無念や逃す敵の将

川中島に今もなお

その名ぞ残す決戦譜


≪ナレーションB≫ 伸一が、万感の思いを託(たく)すように、「無念や逃す敵の将」と歌った時、戸田の頬(ほお)に、また涙が流れた。

彼は、それを拭(ぬぐ)おうともしなかった。


≪戸田城聖≫ もう一度!

≪ナレーションB≫ 夕張の同志は、峻厳(しゅんげん)な師弟の姿を目(ま)の当たりにしたのであります。


≪戸田城聖≫ これは、夕張の歌です。君たちに、この歌の心がわかるか?

・・・ ・・・

炭労は卑怯(ひきょう)だ!!

戸田がいないのをいいことに、私の大事な弟子をいじめる。私が来ると、出てこようともしない。

どんないいがかりでも、戸田にいってくればよいのだ。私は、絶対に逃げ隠れはせぬ。

会員は私の大切な命だ。

天下の創価学会に理不尽(りふじん)な妨害行為をするとは何事か。


≪ナレーションB≫ 戸田は、仏子をいじめる炭労の横暴に、我慢がならなかった。

罪もない学会員に不当な圧迫を加え、「学会の撲滅」を叫び、「学会との対決」を打ち出した。

彼は、若き闘将(とうしょう)・山本伸一を派遣(はけん)したが、突進する伸一の馬蹄(ばてい)の音を聞くや、炭労は逃げた。

 戸田は討ち逃してしまった悔(くや)しさに、涙したのであります。


≪ナレーションA≫ この「霧の川中島」は、池田先生が「北海道の歌と決めて歌っていきなさい」と提案し、歌い継がれてきましたことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、小説人間革命第12巻・涼風(りょうふう)の章より、「学会歌・霧の川中島」のお話を、黎明地区のオールスターキャストで、お送りいたしました。


以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


≪寸劇係長≫ この歌は、誰も知らないだろうと思って、この寸劇人間革命を作ったんですが、実は知ってる人が、いたんです。

≪小学生の時から女子部だった、という副婦人部長の○○子さん≫
私、この歌知ってます。女子部のときに、よく歌ったものです。
当時は、コピーも無いし、CDもカセットも無い時代でしょ。

先輩の歌うのを一生懸命聞いて、全部暗記しました。
こんなに、深い意義があるなんて知らなかったけど、先輩が指揮するのに合わせて歌ったわ。

≪寸劇係長≫ どうでしょう。ここで、歌っていただけないでしょうか。

≪小学生の時から女子部だった、という副婦人部長の○○子さん≫
え! はい。
それじゃあ、歌ってみます。

♪♪ 人馬 声なく 草も伏す ♪♪   川中島に 霧ふかし  ♪♪

♪♪ 聞こゆるものは さい川の ♪♪  岸辺を洗う せせらぎぞ  ♪♪


♪♪ 雲か 颱風か 秋半ば ♪♪    暁やぶる ときの声  ♪♪

♪♪ まなじりさきて ただ一騎 ♪♪  馬蹄にくだく 武田勢  ♪♪


♪♪ 車 がかりの 奇襲戦 ♪♪    無念や逃す 敵の将  ♪♪

♪♪ 川中島に 今もなお ♪♪     その名ぞ残す 決戦譜  ♪♪

≪拍手≫≪拍手≫≪大拍手≫

≪婦人部S子さん≫ うー~ん。しびれるうー~。じ~んときたあー~。





この寸劇人間革命を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

メロディーを歌う必要は無いと思います。歌詞の部分を、朗読するだけで充分だと思います。

歌詞のところは、はっきりと、ゆっくと朗読します。

この寸劇人間革命は、文章(原稿)を見ないで、耳で聞くだけを、想定しています。そのため、同じ歌詞を、わざわざ2回も繰り返し読み上げることにしました。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×105行です。

原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひ、ご活用ください。

また、女子部・嵐山春子さんのお話を追加したもの。20文字×125行のバージョンも準備しました。
こちらもぜひご活用ください。



テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。