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アフリカ支部の誕生

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<ナレーション>それでは寸劇のコーナーです。
本日は「アフリカ支部の誕生」と題しましておおくりいたします。

時は昭和40年・西暦1965年10月アフリカは、赤道直下のナイジェリアであります。
日本から遠く離れたこの地において、広宣流布を我が使命と定め、必死でがんばっている一人の婦人・フジエ・ジェイムズさん-そして彼女に励ましの手紙を送り続けるロンドンのエイコ・リッチさん、この二人が、本日の寸劇の主人公であります。

<フジエ・ジェイムズ>フジエ・ジェイムズです。
女子部として活動しておりましたが、今は結婚して、ナイジェリアにいるんです。
ロンドンにいる、エイコ・リッチさんといつも連絡を取り合って、がんばっています。
今日も、エイコ・リッチさんからお手紙が来ました。どれどれ、、

<エイコ・リッチ>ロンドンのエイコ・リッチです。
『間もなく山本先生がヨーロッパを訪問されるそうです。
詳しい日程はわかりませんが、、』

<フジエ・ジェイムズ>まあ、どうしましょう、よし!なんとしても、山本先生にお会いしたい。
そしてナイジェリアのことを、ご報告したい。
よし、祈ろう!!

<ナレーション>こうして彼女は、真剣に祈り続けました。
すると10月の16日、夫が「休暇が取れたから、南アフリカに旅行に行こう」と言い出したではありませんか。

<フジエ・ジェイムズ>お願い!旅行に行くなら、パリに連れて行って。
山本先生がヨーロッパに来れば、パリに滞在するはずよ!

<ナレーション>夫は快く承諾したのであります。
10月19日、パリに着くと、すぐに川崎鋭治ヨーロッパ本部長に連絡をとったのであります。

<フジエ・ジェイムズ>山本先生がお見えになると聞いたのですが、もうこられましたか?

<川崎鋭治>山本先生は、ちょうど明日、到着されますよ。
間に合って本当に良かったですね。

<ナレーション>さてその翌日-すなわち昭和40年・西暦1965年10月20日ヨーロッパ事務所の開所式が行われたのであります。
事務所と言っても、二間の小さなアパート・ヨーロッパ本部長の川崎鋭治夫妻の自宅であります。
川崎のアパートは、代表メンバーで、あふれんばかりでありました。

<山本伸一>今日は、おめでとう。
小さくとも、欧州に事務所ができたということは、大きな大きな一歩です。
ヨーロッパは、昨年本部となって、大発展を遂げ、446世帯に倍増したという報告を受けております。
これからも、互いに“ 負けるものか” という心意気で、大前進していってください。

<川崎鋭治>先生、アフリカから、駆けつけてきた人がいます。
フジエ・ジェイムズさんです。

<山本伸一>どうも、遠いところ、ご苦労様です。
どうぞ、前にいらしてください。
、、、アフリカのどこからこられたんですか。

<フジエ・ジェイムズ>ナイジェリアのカズナというところです。

<山本伸一> ナイジェリアには、メンバーは、今、何人ぐらい、いるんですか。

<フジエ・ジェイムズ>はい、34人おります。
現地の人が30人で、技術指導に来ている人など、日本人は私を含めて4人です。

<山本伸一>そうですか。そんなにいるんですか、、、  
フジエ・ジェイムズさんの入会はいつですか

<フジエ・ジェイムズ>はい、昭和32年ですから8年前です。
お友達の勧めで入会しました。

<山本伸一>どのような、いきさつでアフリカに渡ったのですか。

<フジエ・ジェイムズ>はい、2年前に航空会社のマネージャーをしているイギリス人と結婚し、イギリスのバーミンガムで生活を始めました。
言葉もあまり通じない中、ロンドンに、エイコ・リッチさんというメンバーがいると聞いて、連絡を取り合いながら信心をしておりました。
ところが半年ほど過ぎたころ、突然、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになってしまったのです。

心細く、本当に不安でした。
そこで、川崎本部長に指導を受けることにしたのです。

<川崎鋭治>今は寂しい思いでいっぱいかもしれないが、仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。

それは、久遠の昔に、自ら願い出て、日蓮大聖人と交わした約束なんです。

確かに、気候、風土も、文化も違う土地で生活することは大変でしょう。
しかし、いよいよ、久遠のわが使命を果たす時がきたのだと考えることです。
何があっても、負けてはいけません。
辛いなと思ったときは、うんとお題目を唱えるんですよ。

<フジエ・ジェイムズ>ナイジェリア行きは、私の使命なんだ。
よしがんばろう!
アフリカ中に、幸福の種をまこう!と決意しました。

<山本伸一>そうです。
その決意が大切です。
ナイジェリアでの活動の様子を教えてください。

<フジエ・ジェイムズ>
はい。
私の住んでいる街でビルといえるのは、三,四階建てのホテルや空港の建物ぐらいで、少し郊外に行けば、どこまでも、どこまでも赤土の大地が続いています。
一番の驚きは、カメレオンです。
木の上だけでなく、保護色にまぎれて車のうえにも、どこにでもいたりするんです。
家の中にいる、トカゲ、そして熱病のマラリアにも、悩まされました。

しかし、ここが我が使命の天地です。
コンクリートの床に毛布を敷いて座り、一生懸命お題目を唱えました。
アフリカ地図を見ては、都市の名前を覚え、アフリカ全土に題目をしみこませる思いで、唱題しました。
やっと覚えた公用語の英語で、布教も始めましたが、信心する人は誰もいませんでした。
そんな時 エイコ・リッチさんからお手紙がきました。

<エイコ・リッチ>そちらに、紡績会社から技術指導で派遣されている、日本人の壮年のメンバーがいます。

<フジエ・ジェイムズ>私は大喜びで連絡をとり、会ってみました。
彼は仕事を通して知り合った、現地の人たちに、お題目を教えていたんです。
わたしは、心強さを覚えました。

その人たちになぜ仏法が素晴らしいかを、英語で説明することにしたんです。
こうして信心を始める人が増えていったんです。
今では週に1回、土曜日の夜に、現地のメンバーの家で座談会を開いています。
時には30人40人と集まり、部屋に入りきれない時もあるんです。

<山本伸一>それは、素晴らしい。
いよいよアフリカにも、使命の友が誕生したんですね。
こんなに嬉しいことは、ありません。皆さん、アフリカに支部を結成しましょう。
支部の名前は、アフリカ支部、支部長はジェイムズさんに、お願いしてはどうだろうか。
21世紀はアフリカの時代になるでしょう。

その未来を開き、創るために、がんばるんです。
未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。

<フジエ・ジェイムズ>アフリカ支部、、アフリカ支部ですね。
はい。がんばります。

<川崎鋭治>先生、ロンドンの連絡責任者のエイコ・リッチさんです。

<山本伸一>初めてお会いしますが、あなたが、イギリスの中心になってがんばって下さっていることは、よく知っています。
イギリスの同志にも色紙と袱紗(ふくさ)をお土産に持ってきましたので、皆さんにお渡しください。

<エイコ・リッチ>ほんとうにありがとうございます。
イギリスのメンバーも大喜びするとおもいます。
2年前に連絡責任者になったころ、イギリスのメンバーは、わずか五世帯でした。

しかし、私には、広布に燃える心がありました。
希望がありました。
「千里の道も一歩から始まるのだ」と、自宅で座談会を開き、メンバーに毎日のように励ましの手紙を書き続けました。

生活は決して楽ではありませんでしたが、口紅一つ買うのも惜しんで活動費を捻出し、友の激励と布教に、イギリス中を駆け巡りました。

そして今では三十世帯を超える人たちが、信心に励むようになったことを、先生にご報告できるまでに、なりました。

<山本伸一>何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

誤解や偏見による、非難もあったに違いない。
まさに忍耐の労作業です。

遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

<山本伸一> (この指導は新人間革命十九巻・凱歌より)
私は世界のどこにいようが、皆さんの健康と幸福、人生の栄光を祈っております。
共に題目を唱え広宣流布に進む私たちは、どんなに遠く離れていようが心は一体です。
それが創価の師弟なんです。

<ナレーション>エイコ・リッチやフジエ・ジェイムズに限らず、アメリカでも、東南アジアでも日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。

世界広布を担ってきたのは、“ 衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。
しかもその多くは女性であったのであります。

この小さな流れが、今やSGI・192カ国地域の大きな流れとなったことは、皆様、ご存知のとおりです。

本日は、小説 新人間革命第十巻“ 新航路”の章から「アフリカ支部結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、おおくりいたしました。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



長い寸劇を最後まで読んでいただきありがとうございます。

草創期の海外のメンバーの純粋な心が、自分の胸をうちました。
そんな気持ちを、寸劇の形で、表現しなおしてみました。

これからもよろしくお願いします。


この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×220行です。


印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。ぜひ御活用ください。



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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

アフリカ・ガーナ会館完成のお話 ショートバージョン


ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
皆さんがたは、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。

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ガーナ会館の完成。1975/1/26、SGI結成時の先生のスピーチ。などの、お話です。
ストーリーに関係ない部分を省略した、ショートバージョンになります



≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、アフリカのガーナのお話をお送りいたします。

山本伸一役です。よろしくお願いします。

聖教新聞ガーナ常駐特派員の南忠雄.です。役職はガーナ指導長です。

そして私が、元気はつらつ・ガーナ青年部です、よろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は西暦1975年昭和50年1月26日。
世界平和会議が開かれたのであります。
世界51カ国・地域の代表158人がグアム島に集い、創価学会インターナショナル SGI が結成されたのであります。

≪山本伸一≫ ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
皆さんがたは、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。
私もそうします。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、スピーチを終えると、各テーブルを回って参加者・一人一人を、ねぎらったのであります。
アフリカのメンバーの席に来ると、ひとりの日本人青年に声をかけた。

本日の寸劇の主人公・聖教新聞ガーナ常駐特派員・南忠雄(みなみただお)青年であります。

≪山本伸一≫ 南君、歯をく食いしばって頑張り抜くんだ。
同じ一生ならば、アフリカの人々の幸福のために人生を捧げ、広宣流布のパイオニアとして名を残すことだ。
それが君の使命だ。
崇高な使命に生きられるということが、どんなにすばらしいか、やがてしみじみとわかるときがくるよ。
君がこれから、どうしていくのか、私はじっと見ているよ。

≪南忠雄≫ はい!頑張ります!

≪ナレーション≫ 南は、すっかり日焼けして黒くなった顔で、目を輝かせてうなずいたのであります。

≪ナレーション≫ お話は、数年前に戻ります。
海外常駐特派員の募集があった時、南は勇んでガーナ行きを、希望したのでありました。

≪山本伸一≫ 南忠雄君。君は、ガーナに行ってくれるんだね。

≪南忠雄≫  はい!頑張ります。

≪山本伸一≫ ガーナについては、何か知っているかい?

≪南忠雄≫  (元気いっぱい)はい。ガーナ ミルク チョコレート しか、思い浮かびません。

≪山本伸一≫ ガーナは公用語が英語だな。君は英語はできるのか?

≪南忠雄≫  (元気いっぱい)はい。ぜんぜん、できません。

≪山本伸一≫ かまわないよ。
「当たって砕けろ」、の心意気で行きなさい。

活躍の舞台は広い。
広宣流布の大きな希望をもって、人生を生き抜くことだよ。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、結婚してまだ一年もたっていない南の妻を、激励したのであります。

≪山本伸一≫ 夫婦でアフリカに行って、広宣流布の道を開く-これは過去世からの約束なんです。
この世の使命です。

したがって、腹を決めて頑張ることが大事です。
ご主人がガーナで成功するもしないも、すべてあなたにかかっています。
それを忘れずに、強く、強く、生き抜いて、必ず人生の大勝利を打ち立ててください。

遙(はる)かなる 君が燃え行く アフリカに われは命の 唱題おくらむ


≪ナレーション≫ 赤道に近いガーナは、ともかく、ともかく暑かったのであります。

≪南忠雄≫    ハルマッタンと呼ばれる乾燥した風が吹き、温度は40度を超えることもあるんです。
買い物をするにも、直射日光を浴びずに、最短距離で歩いていく工夫をしなければ大変です。

≪ナレーション≫ 国際電話も、なかなか、つながりません。

≪南忠雄≫    新聞の原稿をエアメールで送っても、10日以上もかかる。
船便(ふなびん)だと1ヶ月半もかかってしまう。まいったなぁー。

≪ナレーション≫ メンバーの家庭訪問に回ると、皆が、喜んで水を出してくれた。

≪南忠雄≫    うれしいけれど、生水だから、飲めば必ずお腹をこわすんだ。まいったなぁー。
 いや、これではだめだ。
 日本を基準に考えていては、ガーナの人々の気持ちはわからない。
「郷に入っては郷に従え」と言うじゃないか。

日本と比べて一喜一憂するのは、もう、やめよう。
 よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ しかし3ヶ月ほどしたころ、南は、マラリアで倒れてしまったのです。
熱は40度を超え、意識は朦朧(もうろう)となり、立ち上がることもできなかったのであります。

≪山本伸一≫   南君は、大丈夫か。
それから、どうなったんだ。
まだ連絡は、取れないのか。

私は、戦争に行った兄たちから、マラリアの苦しさを聞いているんだ。
だから南君のことが、心配で、心配で仕方がないんだよ。


≪ナレーション≫ グアムでの世界平和会議で、ひさしぶりに南の顔を見た山本伸一は、包み込むような笑顔で語ったのであります。

≪山本伸一≫   南君、マラリアには注意するんだよ。
心配したんだよ。

ところで、アフリカの代表メンバーにも提案したんだが、どうだろう。ガーナに会館を作ってはどうかね。
アフリカで最初の会館だ。
みんなで相談して、ぜひ実現してほしい。

≪南忠雄≫    アフリカで最初の会館。ガーナ会館。
はい、希望が湧きます。必ず実現いたします。

≪ナレーション≫ こうしてガーナ会館の実現に向けての挑戦が、始まったのであります。


≪ガーナ青年部≫ はい、私は、元気はつらつ・ガーナ青年部です。
南指導長、基礎だけ造って、工事が中止になっている物件を、見つけました。

≪南忠雄≫    よしこれなら、立派な会館ができるぞ。
この建物の設計は変更だな。
しかし予算に余裕がないんだ。
鉄筋と電気工事は業者に頼むが、あとは、すべて自分たちで、作ろう。

≪ガーナ青年部≫ 作業は、午前中が勝負。
昼過ぎは、暑すぎて働くことができないからだ。
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ガーナ青年部≫「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」

≪ナレーション≫ トラックの荷台に何時間も揺られて、駆けつけるメンバーもいたのであります。
皆、自分たちの手で、アフリカ初の会館を完成させるのだという誇りと使命に燃えていたのであります。
だれもが活気に満ち、喜びにあふれていたのであります。

≪ガーナ青年部≫「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」


≪ナレーション≫ しかし、思わぬ障害が待ち受けていたのです。

≪ガーナ青年部≫ 大変だー。クーデターが起きました。
セメントの値段も、めちゃくちゃ高くなってしまいました。
マーケットには、商品がなにもありません。

≪南忠雄≫    ともかく、少しづつでも資材を集めよう。
準備ができたら、工事再開だ!

≪ガーナ青年部≫ なんとしても、必ず幸福と平和の法城となる会館を建ててみせるぞ。
よーし、やっと、資材も集まった。
準備ができた。
さあ工事再開だ。

≪ガーナ青年部≫ え?なんだいこの騒ぎは。
え?また、クーデターが起きたんだって?こんなんで、負けないぞ!! 
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ こうした繰り返しの中で、ついに1983年の年末にガーナ会館が完成したのであります。
ガーナのメンバーの喜びがバクハツした。
1984年昭和59年の元日には、会館の落成を記念する新年勤行会が、晴れやかに挙行されました。

それはアフリカで最初の会館をと、決意してから実に9年後,のことだったのであります。


≪南忠雄≫    ガーナ会館の敷地面積は2400平方メートル。
建物は鉄筋コンクリート造り2階建て。大ホールは400人を越える人びとを収容できます。
会議室、事務室、応接室などを備えた堂々たる会館です。
階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。
21世紀はアフリカの世紀です。
先生、ありがとうございました。

≪ナレーション≫ さあいよいよ、私たちの___文化会館が完成がしました。
晴れやかに、勝利の大前進を開始しようではありませんか。

 本日は小説・新人間革命・第二十一巻・「SGI」の章から、「ガーナ会館の完成」のお話を、旭日地区のオール スター キャストで、お送りいたしました。

以上で、寸劇のコーナーを終わります。 


最後まで読んでくださってありがとうございます。

新しい会館が、完成して、皆が大喜びです。
そんな気持ちを、少しでも表現したくて作ってみました。
これからもよろしくお願いします。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×210行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひ、ご活用ください。



                   

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

シカゴのおばあちゃん

ロンドンオリンピックよかったですね。皆さんすごい。感動しました。
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≪ナレーション・A≫それでは寸劇のコーナーです。
はじめに小説新人間革命の冒頭の部分を朗読してもらいます。

≪青年部朗読≫

小説 新 人間革命 第一巻 旭日の章

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

1960年(昭和35年)10月2日。
山本伸一、32歳。

彼は今、胸中に平和への誓いの火を燃やしながら、世界へと旅立とうとしていた。
それは、創価学会第3代会長に就任してから、わずか五ヶ月後のことであった。

(中略)
 訪問の目的は、各地に誕生し始めた会員の激励、指導である。
山本伸一の訪問地は、アメリカのハワイのホノルルを振り出しに、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、トロント、ニューヨーク、ワシントン、サンパウロ、ロサンゼルスの3ヵ国9都市である
帰国は、10月の25日の予定であった。

≪ナレーション・A≫本日は、たくさんのエピソードの中から、「シカゴのおばあちゃん」と題しましてお送りいたします。
 初めての海外訪問の9日目、シカゴでの小さなエピソードであります。

≪ナレーション・B≫ 正木永安(まさきながやす)の運転する車は、シカゴの郊外を走っていたのです。辺りには、のどかな田園風景が広がっていたのであります。

≪山本伸一≫ 正木君、この辺の農家の人たちの暮らしについて、いろいろ聞いてみたいね。

≪正木永安≫  そうですね。おや、向こうの農家の前に、若いご婦人が立ってますね。
あの人に、いろいろ聞いてみましょう。

≪ナレーション・B≫ 正木永安が車を止めた。伸一は車を降りると、笑顔で婦人にあいさつした。

≪山本伸一≫ ハロー! こんにちは。シカゴの農家の暮らしについて、ちょっとお聞きしたいのですが。

≪農家のお嫁さん≫ え?ええ、いいですよ

≪正木永安≫ こちらは、日本から来た創価学会の会長の山本伸一先生です。創価学会は世界の平和と人々の幸福を実現しようとしている仏法の団体です。

≪ナレーション・B≫ 正木は、こう言って伸一を紹介した。彼女は、快く正木の質問に答えて、シカゴの農家の生活や作物、また、家族の歴史まで語ってくれた。一家は、ドイツから移住して来たという。
その話し声を聞いて、家の中から、おばあちゃんが外に出てきた。年齢は70歳ぐらいであろうか。

≪おばあちゃん≫ おやおや、お客様かい。
         ハロー、アイム、グラッド、トゥー、シィーユー!

≪農家のお嫁さん≫ ウチのおばあちゃんです。今日は、おばあちゃんの誕生日なんですよ。

≪山本伸一≫ そうですか。おめでとうございます。
心からお祝い申し上げます。どうか、いつまでも、いついつまでも長生きしてください。
おばちゃんが、元気でいることほど、ご家族の皆さんにとって嬉しいことはありません。
それは一家の幸せにつながります。

また、ご家族は、おばあちゃんを誰よりも大切にしてください。
その心が家族の愛情を強くし、一家が末永く繁栄していく源泉になります。
幸せは、決して遠くにあるのではなく、家庭のなかにあります。

≪ナレーション・B≫ 正木が伸一の話を通訳して伝えた。
おばあちゃんは見知らぬ日本人の祝福に、嬉しそうに笑みを浮かべたのであります。

≪山本伸一≫ それじゃあ、みんなでおばあちゃんの誕生日を祝って、バースディーソングを歌おう

(地区の全員で歌う)
♪ ハッピー・バースディー・トゥー・ユー……
♪ ハッピー・バースディー・トゥー・ユー……♪
♪ ハッピー・バースディー・ディア・おばあちゃん
♪ ハッピー・バースディー・トゥー・ユー……♪

≪ナレーション・B≫ 歌声は、田園の空に広がっていった。
ほのぼのとした交歓のひと時となった。
歌声の輪のなかで、おばあちゃんは目を潤(うる)ませた。

バースディーソングの合唱が終わると、伸一は、インスタントカメラで記念撮影をして、その写真をおばあちゃんに送った。
彼女は感無量の面持ちで言った。

≪おばあちゃん≫ ありがとう。面識もない方たちなのに、こうして祝っていただけるなんて。
今日は私の人生で一番嬉(うれ)しい日になりました。

 ≪山本伸一≫ おばあちゃん、まだまだこれからも、楽しい思い出をたくさん作ってください。
体は年をとり、顔に皺(しわ)が刻まれていっても、心まで皺が刻まれるとは限りません。
自分の気持ち次第で、心はいつまでも青春でいられます。

おばあちゃんも、いつも若々しい心で、青春の人生を生きてください。
そして、百歳まで生き抜(ぬ)いてください。
約束しましょう。

≪おばあちゃん≫ 多分、私はそんなに生きられないと思いますよ。
でも、あなたの言うように、いつまでも青春の心で生きていきましょう。
本当にありがとう。

≪ナレーション・B≫ 最後は、言葉にならなかった。
それから彼女は両手を広げると、伸一を抱きしめた。
初めての、束(つか)の間の出会いである。
しかし、その一瞬の間に、心の弦(げん)と弦とは共鳴し合い、美しい友情の調べとなった。

人と人との触れ合いの深さは、必ずしも、歳月の長さによって決まるものではない。
人格の奏(かな)でるヒューマニズムの調べが、心の共鳴をもたらし、人間の絆と友情を育むのである。

 おばあちゃんは車で立ち去る一行を、いつまでも手を振って見送ったのであります。

≪ナレーション・A≫ 山本伸一は、常に人との出会いを大切にしてきた。
相手が会員であるなしに関係なく、一つ一つの出会いに心を注ぎ、希望の苗を植え、友情の葉を茂(しげ)らせ、新たな価値を創造していった。
それが「縁起(えんぎ)」という人間の融合(ゆうごう)の原理を知る、仏法者のまことの生き方といえるからであります。

 新天地アメリカに、幸福の種子を幾重(いくえ)にも蒔(ま)きながら、山本伸一の平和旅は続いた。
彼の行くところ、希望の光が注ぎ、楽しき歓喜の波が広がったのであります。

 本日は新人間革命第1巻『錦秋(きんしゅう)』の章から、「シカゴのおばあちゃん」のお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

初めての海外訪問のたくさんのエピソードにつきましては、またの寸劇にこうご期待であります。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



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ガーナ会館完成のお話_ロングバージョン

以前に掲載した、アフリカ・ガーナ会館完成のお話 の、ロングバージョンになります。

≪山本伸一≫ 南君。ガーナに行ってくれるんだね。
≪南忠雄≫ はい!頑張ります。
≪山本伸一≫ ガーナについては、何か知っているかい?
≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ガーナ ミルク チョコレート しか、思い浮かびません。

階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。21世紀はアフリカの世紀です。先生、ありがとうございました。


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≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、アフリカのガーナのお話をお送りいたします。

山本伸一.役です。
妻の峯子.役です。
聖教新聞ガーナ常駐特派員の南忠雄.です。役職はガーナ指導長です。
南の妻の役です。

そして私が、元気はつらつ・ガーナ青年部です、よろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は西暦1975年昭和50年1月26日。世界平和会議が開かれたのであります。世界51カ国・地域の代表158人がグアム島に集い、創価学会インターナショナル SGI が結成されたのであります。

≪山本伸一≫ ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
皆さんがたは、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。
私もそうします。


≪ナレーション≫ 山本伸一は、スピーチを終えると、各テーブルを回って参加者・一人一人を、ねぎらったのであります。アフリカのメンバーの席に来ると、ひとりの日本人青年に声をかけた。本日の寸劇の主人公・聖教新聞ガーナ常駐特派員・南忠雄(みなみただお)青年であります。

≪山本伸一≫ 南君、これからが正念場だよ。歯をく食いしばって頑張り抜くんだ。同じ一生ならば、アフリカの人々の幸福のために人生を捧げ、広宣流布のパイオニアとして名を残すことだ。
それが君の使命だ。崇高な使命に生きられるということが、どんなにすばらしいか、やがてしみじみとわかるときがくるよ。君がこれから、どうしていくのか、私はじっと見ているよ。

≪南忠雄≫ はい!頑張ります!

≪ナレーション≫ 南は、すっかり日焼けして黒くなった顔で、目を輝かせてうなずいたのであります。

≪ナレーション②≫ 南忠雄は神奈川県横須賀の出身。小学3年の時、父親が病死。
母が和裁の仕事で、5人の子供を育てたが生活は苦しかった。
彼が中学の時に母が入会、間もなく彼も信心を始めた。

一家に希望の光が、差したのであります。

南忠雄は働きながら定時制高校、そして夜間の大学に進み、学会活動にも励んだのであります。
学会活動の中で、民衆の幸福と世界の平和を実現することが、創価学会の目的であることを知ります。

そして民衆の幸福のために尽くそう、広宣流布に生き抜こう。との、思いを、強く、強く、抱くようになっていったのであります。

大学卒業後は、本部職員として採用され、聖教新聞の記者となった。
念願の職場であった。
しかし、あまりの多忙のため、体調を崩してしまったのであります。

≪南忠雄≫ 仕事をする上で大事なのは健康だ。よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。
体を鍛え、体力をつけよう。よし、毎朝、仕事の前に、ランニングをして、体を鍛えよう。

≪ナレーション②≫ そんな一途に努力する、南の姿を、山本伸一は、じっと見ていたのであります。
海外常駐特派員の募集があった時、南は勇んでガーナ行きを、希望したのでありました。


≪山本伸一≫ 南君。ガーナに行ってくれるんだね。

≪南忠雄≫ はい!頑張ります。

≪山本伸一≫ ガーナについては、何か知っているかい?

≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ガーナ ミルク チョコレート しか、思い浮かびません。

≪山本伸一≫ ガーナは公用語が英語だな。君は英語はできるのか?

≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ぜんぜん、できません。

≪山本伸一≫ かまわないよ。「当たって砕けろ」、の心意気で行きなさい。
活躍の舞台は広い。広宣流布の大きな希望をもって、人生を生き抜くことだよ。

≪山本伸一≫ これからは世界が大事になる。行ってくれるね。年が明けたら出発しなさい。

≪ナレーション≫ 南は、ガーナ広宣流布に胸を躍らせながら、さっそく妻に電話を入れたのであります。


≪南忠雄≫ 今度、ガーナに行くことになったよ。永 住 することに、なったんだ。

≪南忠雄≫の妻   エ・・イ・・ジ・・ユ・・ウ・・ ???
         あまりの驚きにもうセリフが続きません。

≪ナレーション≫ 山本伸一と妻の峯子は、結婚してまだ一年もたっていない南の妻を、夫婦で、激励したのであります。

≪山本伸一≫ 今度、ご主人にはガーナに行ってもらうことになりました。
       ご苦労をかけますが、一緒に行っていただけますか?

≪峯子≫ ご主人のためにもアフリカを、ガーナを、好きになってください。

≪南忠雄≫の妻   はい!大丈夫です。

≪山本伸一≫ 夫婦でアフリカに行って、広宣流布の道を開く、これは過去世からの約束なんです。
この世の使命です。

したがって、腹を決めて頑張ることが大事です。
ご主人がガーナで成功するもしないも、すべてあなたにかかっています。
それを忘れずに、強く、強く、生き抜いて、必ず人生の大勝利を打ち立ててください。

    遙(はる)かなる 君が燃え行く アフリカに われは命の 唱題おくらむ


≪ナレーション≫ 赤道に近いガーナは、ともかく、ともかく暑かったのであります。

≪南忠雄≫ ハルマッタンと呼ばれる乾燥した風が吹き、温度は40度を超えることもあるんです。
買い物をするにも、直射日光を浴びずに、最短距離で歩いていく工夫をしなければ大変です。

≪ナレーション≫ 国際電話も、なかなか、つながりません。

≪南忠雄≫ 新聞の原稿をエアメールで送っても、10日以上もかかる。
船便(ふなびん)だと1ヶ月半もかかってしまう。まいったなぁー。

≪ナレーション≫ 銀行での給料の受け取りもトラブル続きです。

≪南忠雄≫ どっかでミスがあって振り込まれていない。
銀行では、「来てません。」と言うだけで全然、調べてくれないんだ。まいったなぁー。

≪ナレーション≫ メンバーの家庭訪問に回ると、皆が、喜んで水を出してくれた。

≪南忠雄≫ 日本でお茶を出してくれるのと、同じだけど、生水だから、飲めば必ず腹をこわすんだ。
まいったなぁー。 いや、だめだ。 これではだめだ。
日本を基準に考えていては、ガーナの人々の気持ちはわからない。
「郷に入っては郷に従え」と言うじゃないか。
日本と比べて一喜一憂するのは、もう、やめよう。
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ しかし3ヶ月ほどしたころ、南は、マラリアで倒れてしまったのです。
熱は40度を超え、意識は朦朧(もうろう)となり、立ち上がることもできなかったのであります。

≪山本伸一≫ 南君は、大丈夫か。それから、どうなったんだ。まだ連絡は、取れないのか。
私は、戦争に行った兄たちから、マラリアの苦しさを聞いているんだ。
だから南君のことが、心配で、心配で仕方がないんだよ。

≪ナレーション≫ グアムでの世界平和会議で一年ぶりに南の顔を見た山本伸一は、包み込むような笑顔で語ったのであります。

≪山本伸一≫ 南君、マラリアには注意するんだよ。心配したんだよ。
ところで、アフリカの代表メンバーにも提案したんだが、どうだろう。
ガーナに会館を作ってはどうかね。アフリカで最初の会館だ。みんなで相談して、ぜひ実現してほしい。

≪南忠雄≫ アフリカで最初の会館。ガーナ会館。はい、希望が湧きます。必ず実現いたします。

≪ナレーション≫ こうしてガーナ会館の実現に向けての挑戦が、始まったのであります。


≪ガーナ青年部≫ はい、私は、元気はつらつ・ガーナ青年部です。
南指導長、売りにでている、会館にふさわしいような建物は、なかなか見つかりません。

≪南忠雄≫ いや、必ずある。これは先生との約束だ。

≪ガーナ青年部≫ 南指導長、基礎だけ造って工事が中止になっている物件を、見つけました。

≪南忠雄≫ よしこれなら、立派な会館ができるぞ。
この建物の設計は変更だな。しかし予算に余裕がないんだ。
鉄筋と電気工事は業者に頼むが、あとは、すべて自分たちで、作ろう。

≪ガーナ青年部≫ はい。作業は、土曜日と日曜日。
朝、現場にみんなで集まって勤行し、御書を拝読、学会歌を歌おう。

そして作業開始だ。ただし、作業は、午前中が勝負。昼過ぎは、暑すぎて働くことができないからだ。
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ガーナ青年部②≫「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」

≪ナレーション≫ トラックの荷台に何時間も揺られて、駆けつけるメンバーもいたのであります。
皆、自分たちの手で、アフリカ初の会館を完成させるのだという誇りと使命に燃えていたのであります。
だれもが活気に満ち、喜びにあふれていた。

しかし、思わぬ障害が待ち受けていたのです。

≪ガーナ青年部≫ 大変だー。クーデターが起きました。

≪南忠雄≫ いまは危険だ。工事は少し様子を見てからにしよう。

≪ガーナ青年部≫ 今度は、鉄筋の値段が5倍になってしまいました。
セメントの値段も、めちゃくちゃ高くなってしまいました。マーケットには、商品がなにもありません。

≪南忠雄≫ ともかく何とかして、少しづつでも資材を集めよう。資材が集まるまで少し待とう。

≪ガーナ青年部≫ なんとしても、必ず幸福と平和の法城となる会館を建ててみせるぞ。
よーしやっとの思いで、資材も集まった。準備ができた。さあ工事再開だ。

≪ガーナ青年部②≫ 「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」

≪ガーナ青年部≫ え?なんだいこの騒ぎは。え?また、クーデターが起きたんだって?
こんなんで、負けないぞ!! よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ こうした繰り返しの中で、ついに1983年の年末にガーナ会館が完成したのであります。
ガーナのメンバーの喜びがバクハツした。

1984年昭和59年の元日には、会館の落成を記念する新年勤行会が、晴れやかに挙行されました。
それはアフリカで最初の会館をと、決意してから実に9年後の、ことだったのであります。

≪南忠雄≫ ガーナ会館の敷地面積は2400平方メートル。建物は鉄筋コンクリート造り2階建て。
大ホールは400人を越える人びとを収容できます。
会議室、事務室、応接室などを備えた堂々たる会館です。
階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。
21世紀はアフリカの世紀です。先生、ありがとうございました。

≪ナレーション≫ さあいよいよ、私たちの○○文化会館の完成が近づいてまいりました。
全てに大勝利して、晴れやかに○○文化会館の完成を、迎えようでは有りませんか

本日は小説・新人間革命・第二十一巻・「SGI」の章から、「ガーナ会館の完成のお話」を、旭日地区のオール スター キャストで、お送りいたしました。

なお世界平和会議に集った、多くのメンバーの、エピソードは、またの寸劇のお楽しみであります。

以上で、寸劇のコーナーを終わります。




長い寸劇最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇の分量はおおよそ、20文字×250行になります。


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

カナダ広布の黎明

広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。
カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

種(たね)を蒔(ま)かなければ、芽は出ない。
ゆえに、未来のために、今日も対話の種子を蒔くのだ。
今の行動の中にのみ、明日の実(みの)りがあるのであります。

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

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≪ナレーション≫それでは寸劇のコーナーです。
はじめに 小説 新 人間革命の冒頭の部分を朗読してもらいます。

≪青年部朗読≫

小説 新 人間革命 第一巻 旭日の章

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

1960年(昭和35年)10月2日。

山本伸一、32歳。

彼は今、胸中(きょうちゅう)に平和への誓いの火を燃やしながら、世界へと旅立とうとしていた。
それは、創価学会第3代会長に就任してから、わずか五ヶ月後のことであった。(中略)

 訪問の目的は、各地に誕生し始めた会員の激励、指導である。
山本伸一の訪問地は、アメリカのハワイのホノルルを振り出しに、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、トロント、ニューヨーク、ワシントン、サンパウロ、ロサンゼルスの3ヵ国9都市である。
帰国は、10月の25日の予定であった。

≪ナレーション≫ 本日は、たくさんのエピソードの中から、「カナダ広布の黎明」と題しましてお送りいたします。
 
初めての海外訪問の10日目、カナダ・トロント空港でのエピソードであります。

≪ナレーション≫ カナダ訪問の主な目的は、大客殿の建築資材の購入などであった。
正午近く、一行はトロント空港に、到着した。カナダだけに、さすがに空気は冷たかったのであります。

レンタカーを借りにいった同行メンバーを、ロビーで待っていると、少し離れたところから、じっとこちらを見ている、若い東洋人の婦人がいたのであります。


≪同行幹部≫① おや、あの女性は、日本人みたいですね。

≪同行幹部≫② カナダにはまだ学会員はいないはずですよ。

≪ナレーション≫ 緑色のコートを着て、頭にスカーフを巻いた、目の大きな女性であります。


≪同行幹部≫① おや、こっちに歩いてきますよ。

≪同行幹部≫② もしかすれば、婦人部じゃないですか。

≪泉谷照子≫ あのー。創価学会の方でしょうか。

≪同行幹部≫① はい、そうです。あなたも学会員ですか。
≪同行幹部≫② すごい。カナダにも学会員がいたんだ。

≪泉谷照子≫ (きっぱりと)いいえ、違います。私は、学会員では、ございません。

≪同行幹部≫①② わー、がっかり。

≪泉谷照子≫ 私の母が日本で学会に入っておりまして、母からお迎えに行くように言われてまいりました。

≪山本伸一≫ そうですか。わざわざお迎えいただき、ありがとうございます。
私が会長の山本伸一です。あなたのお名前は?

≪泉谷照子≫ はい、泉谷照子(いずみやてるこ)と申します。

≪山本伸一≫ それで、お母さんはどこの支部の方ですか。

≪泉谷照子≫ 確か蒲田支部と聞いていました。

≪山本伸一≫ 私たちのことを気遣(きづか)って、娘さんに迎えに行くように伝えてくるなんて、お母さんの人柄(ひとがら)がしのばれます。
深く感謝いたします。ところで、あなたは、どういう経緯(けいい)でカナダに来られたのですか。

≪泉谷照子≫ はい、主人が商社に勤めておりまして、こちらに転勤になりましたものですから、、。
トロントには、半年前にまいりました。

≪ナレーション≫ 泉谷は、伸一の質問に、明るく、にこやかに答えたのであります。

彼女の母親は、結婚してカナダに渡った娘のことが気がかりで、手紙で入会を勧めていたのであります。
しかし、罰や功徳といった話が迷信めいた時代遅れなものに思えたのです。

毎回、送られてくる聖教新聞も、目を通す気にはなれなかったのであります。
その日の朝も、母からエアメールが届いたのです。

≪泉谷照子≫ どれどれ、なになに、、『山本会長の一行が、11日カナダを訪れます。山本先生は、世界的な指導者になられる方です。ぜひ空港でお迎えしてください。』

うーーん。どうしよう。困ったわ。
もしも、折伏などされたら、たまったものではないわ。だけどせっかくの母のお願いだし、、
うーーん、、困ったわ、、、、

≪ナレーション≫ 結局、行かなければ、親不孝になるような思いにかられて、空港にやってきたのであります。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、泉谷の家庭の様子などを尋ねながら、人生にとって、なぜ信仰が大切かを述べ、仏法とは生命の法則であることを語っていった。
そこには、無理に入会を迫る強引さも、居丈高(いたけだか)な態度もなかった。
彼女は、これまで自分が学会に対していだいていた印象は、どこか違っていたように思えたのであります。

≪山本伸一≫ もし、何かあったらお題目を唱えることです。

≪ナレーション≫ 彼女は、その言葉を抵抗なく聞くことが出来たのであります。
まもなく、同行メンバーが、レンタカーを借りて帰ってきたので、皆で一緒に記念の写真を撮った。

≪山本伸一≫ 空港までは、どうやって来たのですか。

≪泉谷照子≫ タクシーでまいりました。

≪山本伸一≫ では、この車で自宅までお送りしましょう。

≪泉谷照子≫ いいえ、タクシーで帰りますから結構です。

≪同行幹部≫① これを入れて、あれも入れて、よいしょ、よいしょ、。
ウーン。先生、もう車は、満杯ですよ。

≪山本伸一≫ しばらく待ってください。なんとかしますから。

≪同行幹部≫② よいしょ、よいしょ、あーでもない。こーでもない。ウーン、やっぱり、車は、満杯です。

≪泉谷照子≫ 私のことなら、ご心配いただかなくても大丈夫です。どうぞ、ご出発なさってください。

≪山本伸一≫ すまないね。申し訳ないね。
これが、私たちの滞在するホテルです。
もし、聞きたいことでもあれば、訪ねてください。
また、日本に帰ったらお母さんに、娘さんはお元気であったとお伝えします。

≪ナレーション≫ 泉谷は、一行の乗った車が見えなくなるまで、手を振っていたのであります。
 彼女は、山本会長という人間からあふれ出る、誠実さや思いやり、確信、そして道理にかなった指導から、母が一心(いっしん)に励(はげ)んできた信仰の世界の真実を、初めて垣間見(かいまみ)た気がしたのであります。

伸一との出会いの一年七ヵ月後、泉谷は、自(みずか)ら入会したのであります。


≪ナレーション≫ 時は流れて、1964年(昭和39年)の11月。
夫の仕事の関係で一時帰国していた泉谷は、学会本部に山本伸一を訪ねたのであります。

山本会長は、自分のことなど、当然忘れているはずだ思っていたのです。しかし、、

≪山本伸一≫ トロントでは本当にお世話になり、ありがとうございました。

≪ナレーション≫ また伸一は、泉谷が信心を始めたことを心から喜び、こう語ったのです。

≪山本伸一≫ 広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

≪泉谷照子≫ はい、頑張ります!

≪ナレーション≫ とっさに、彼女は、そう答えていた。
これが、泉谷が、カナダ広布の大使命に立ち上がった瞬間だったのであります。
そして、彼女の奮闘(ふんとう)が始まったのです。

≪ナレーション≫ 時は流れて、1967年(昭和42年)5月18日。
ニューヨーク会館での勤行会に、泉谷は、一段と成長した姿で、トロントから車で10時間以上もかけてやってきたのです。

≪泉谷照子≫ 先生、今日はメンバー3人と一緒にまいりました。カナダも着実にメンバーが増えています。

≪山本伸一≫ そうですか。あなたがそうして奮闘されていることが、私にとって最大の喜びです。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、健闘(けんとう)を讃(たた)え、固い握手(あくしゅ)を交わした。

7年前に植えた励(はげ)ましの種子が、今、見事に結実(けつじつ)したのだ。

種(たね)を蒔(ま)かなければ、芽は出ない。
ゆえに、未来のために、今日も対話の種子を蒔くのだ。
今の行動の中にのみ、明日の実(みの)りがあるのであります。

本日は、
小説新 人間革命 第1巻 錦秋(きんしゅう)の章、
さらに新 人間革命 第12巻 新緑(しんりょく)章から
「カナダ広布の黎明のお話」と題しまして、
旭日地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で 寸劇のコーナーを終わります。


寸劇を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇は、婦人部用に作ってみました。

婦人部の皆様、これからもよろしくお願いします。

この寸劇の分量は、おおよそ 20文字 × 200行 です。

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

世界広布新時代のお話_カナダ広布の黎明

トロントでは本当にお世話になり、ありがとうございました。
広宣流布のために生き抜くことほど、崇高で、幸福な、充実した人生はありません。
カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

はい、頑張ります!


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≪ナレーションA≫ 平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

1960年(昭和35年)10月2日。山本伸一、32歳。

彼は今、胸中(きょうちゅう)に平和への誓いの火を燃やしながら、世界へと旅立とうとしていた。それは、創価学会第3代会長に就任してから、わずか五ヶ月後のことであったのであります。


≪ナレーションB≫ 初めての海外訪問の10日目、カナダ・トロント空港でのエピソードであります。
カナダにはまだ学会員はいないとの事であった。
ところが、一人の若い女性が、空港に、一行を迎えに来ていたのであります。

≪泉谷照子≫ あのー。創価学会の方でしょうか。

≪山本伸一≫ はい、そうです。あなたは学会員ですか。

≪泉谷照子≫ いいえ、違います。私は、学会員では、ございません。私の母が日本で学会に入っておりまして、母からお迎えに行くように言われてまいりました。

≪山本伸一≫ そうですか。わざわざお迎えいただき、ありがとうございます。
私が会長の山本伸一です。あなたのお名前は?

≪泉谷照子≫ はい、泉谷照子(いずみやてるこ)と申します。

≪山本伸一≫ それで、お母さんはどこの支部の方ですか。

≪泉谷照子≫ 確か蒲田支部と聞いていました。

≪山本伸一≫ 私たちのことを気遣(きづか)って、娘さんに迎えに行くように伝えてくるなんて、お母さんの人柄(ひとがら)がしのばれます。深く感謝いたします。

≪ナレーションB≫ 泉谷は、伸一の質問に、明るく、にこやかに答えたのであります。
彼女の母親は、結婚してカナダに渡った娘のことが気がかりで、手紙で入会を勧(すす)めていたのであります。

しかし、毎回、送られてくる聖教新聞も、目を通す気にはなれなかったのであります。
 山本伸一は、泉谷の家庭の様子などを尋ねながら、人生にとって、なぜ信仰が大切かを述べ、仏法とは生命の法則であることを語っていった。

そこには、無理に入会を迫(せま)る強引(ごういん)な態度もなかった。
彼女は、これまで自分が学会に対して、いだいていた印象とは、どこか違っていたように思えたのであります。

≪山本伸一≫ もし、何かあったらお題目を唱えることです。
 これが、私たちの滞在(たいざい)するホテルです。もし、聞きたいことでもあれば、訪ねてください。また、日本に帰ったらお母さんに、娘さんはお元気であったとお伝えします。

≪ナレーションB≫ 彼女は、山本会長という人間からあふれ出る、誠実さや思いやり、確信、そして道理にかなった指導から、母が一心(いっしん)に励(はげ)んできた信仰の世界の真実を、初めて垣間見(かいま み)た気がしたのであります。
伸一との出会いの一年七ヵ月後、泉谷は、自(みずか)ら入会したのであります。


≪ナレーションC≫ * 時は流れて、1964年(昭和39年)11月。一時帰国していた泉谷は、学会本部に山本伸一を訪ねたのであります。
山本会長は、自分のことなど当然とっくに忘れているはずだ思っていたのです。しかし、

≪山本伸一≫ トロントでは本当にお世話になり、ありがとうございました。広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。
カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

≪泉谷照子≫ はい、頑張ります!

≪ナレーションC≫ とっさに、彼女は、そう答えていた。
これが、泉谷が、カナダ広布の大使命に立ち上がった瞬間だったのであります。そして、彼女の奮闘(ふんとう)が始まったのです。


≪ナレーションD≫ * 時は流れて、1967年(昭和42年)5月。ニューヨーク会館での勤行会に、泉谷は、一段と成長した姿で、トロントから車で10時間以上もかけてやってきたのです。

≪泉谷照子≫ 先生、今日はメンバー3人と一緒にまいりました。カナダも着実にメンバーが増えています。

≪山本伸一≫ そうですか。あなたがそうして奮闘されていることが、私にとって最大の喜びです。

≪ナレーションD≫ 山本伸一は、健闘(けんとう)を讃(たた)え、固い握手(あくしゅ)を交わした。
7年前に植えた励(はげ)ましの種子(しゅし)が、今、見事に結実(けつじつ)したのであります。


≪ナレーションA≫ ** 1975年(昭和50年)1月26日。
世界51カ国・地域の代表158人がグアム島に集い、創価学会インターナショナル・SGI が結成されたのであります。

≪山本伸一≫ ともかく地平線の彼方(かなた)に、大聖人の仏法の太陽が、昇(のぼ)り始めました。
皆さんがたは、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。

≪ナレーションA≫ 本日は小説・新人間革命・第1巻・「錦秋(きんしゅう)」の章などから、「世界広布新時代のお話」を、旭日地区のオールスターキャストで、お送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




この寸劇人間革命を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。以前に作成したものを、作り直してみました。
その寸劇を読んでみたい方は、ここをクリック してください。

* 小説新人間革命・第12巻・「新緑(しんりょく)」の章
** 第21巻・「SGI」の章




この寸劇人間革命の分量はおおよそ20文字×130行です。

印刷・原稿作成用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。ぜひご活用ください。




偶然ですが、大白蓮華の2014年1月号の13ページから17ページにかけて、このお話が紹介されています。



一時帰国された際に、座談会に出席。その時のもようが紹介された聖教新聞を読んだ池田先生が、学会本部に招待。

小説『新・人間革命』では紹介されていない、お話も掲載されています。

「本当に、本当にお世話になり、ありがとうございました」

「あの時に、おなかにいた子だね。かわいいね」

「ご主人に信心を押しつけたりしないように。いい妻、いい母になってください身をもって、信心を教えてあげてください」



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アフリカ支部の結成

 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。
遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。
 この小さな流れが、今やSGI・192ヵ国地域の大きな流れとなったことは、皆様ご存知のとおりです。


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≪ナレーション≫ ここは、アフリカ。赤道直下のナイジェリアであります。

 日本から遠く離れたこの地において、広宣流布を我が使命と定め、必死でがんばっている一人の婦人・フジエ・ジェイムズさん。本日の寸劇の主人公であります。

時は、昭和40年・西暦1965年10月20日。

ヨーロッパ事務所の開所式が行われたのであります。

事務所と言っても、二間の小さなアパート・ヨーロッパ本部長の川崎鋭治夫妻の自宅であります。

 川崎のアパートは、代表メンバーで、あふれんばかりでありました。

≪川崎鋭治≫ 先生、アフリカから、駆けつけてきたメンバーがいます。フジエ・ジェイムズさんです。

≪山本伸一≫ どうも、遠いところ、ご苦労様です。

どうぞ、前にいらしてください。アフリカのどこからこられたんですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ ナイジェリアのカズナというところです。

≪山本伸一≫  ナイジェリアには、メンバーは、今、何人ぐらい、いるんですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、34人おります。現地の人が30人で、日本人は私を含めて4人です。

≪山本伸一≫ そうですか。そんなにいるんですか。

 フジエ・ジェイムズさんの入会はいつですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、昭和32年ですから8年前です。お友達の勧めで入会しました。

≪山本伸一≫ どのような、いきさつでアフリカに渡ったのですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、2年前に航空会社のマネージャーをしているイギリス人と結婚し、イギリスのバーミンガムで生活を始めました。

言葉もあまり通じない中、ロンドンの、エイコ・リッチさんと連絡を取り合いながら信心をしておりました。

 ところが突然、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになり、川崎本部長に指導を受けたのです。

≪川崎鋭治≫ 今は寂しい思いでいっぱいかもしれないが、仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。

 それは、久遠の昔に、自ら願い出て、日蓮大聖人と交わした約束なんです。確かに、気候、風土も、文化も違う土地で生活することは大変でしょう。

しかし、いよいよ、久遠のわが使命を果たす時がきたのだと考えることです。

 何があっても、負けてはいけません。辛いなと思ったときは、うんとお題目を唱えるんですよ。

≪フジエ・ジェイムズ≫ ナイジェリア行きは、私の使命なんだ。

よしがんばろう!アフリカ中に、幸福の種をまこう!と決意しました。

≪山本伸一≫ そうです。その決意が大切です。

ナイジェリアでの活動の様子を教えてください。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい。私の住んでいる街でビルといえるのは、三、四階建てのホテルや空港の建物ぐらいで、少し郊外に行けば、どこまでも、どこまでも赤土の大地が続いています。

 一番の驚きは、カメレオンです。木の上だけでなく、保護色にまぎれて車のうえにも、どこにでもいたりするんです。家の中にいる、トカゲ、そして熱病のマラリアにも、悩まされました。

 しかし、ここが我が使命の天地です。コンクリートの床に毛布を敷いて座り、一生懸命お題目を唱えました。

アフリカ地図を見ては、都市の名前を覚え、アフリカ全土に題目をしみこませる思いで、唱題しました。

やっと覚えた公用語の英語で、布教も始めましたが、信心する人は誰もいませんでした。

 そんな時 エイコ・リッチさんからお手紙がきました。

≪エイコ・リッチ≫ そちらに、紡績会社から技術指導で派遣されている、日本の壮年部のメンバーがいます。

≪フジエ・ジェイムズ≫ 私は大喜びで連絡をとり、会ってみました。

彼は現地の人たちに、お題目を教えていたんです。勇気100倍です。

 その人たちに仏法の素晴らしさを、英語で説明していきました。こうして信心を始める人が増えていったんです。

今では週に1回、土曜日の夜に、現地のメンバーの家で座談会を開いています。時には30人40人と集まり、部屋に入りきれない時もあるんです。

≪山本伸一≫ それは、素晴らしい。いよいよアフリカにも、使命の友が誕生したんですね。こんなに嬉しいことは、ありません。

 皆さん、アフリカに支部を結成しましょう。支部の名前は、アフリカ支部、支部長はジェイムズさんに、お願いしてはどうだろうか。

 21世紀はアフリカの時代になるでしょう。その未来を開き、創るために、がんばるんです。未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。

≪フジエ・ジェイムズ≫ アフリカ支部。アフリカ支部ですね。はい。がんばります。

≪山本伸一≫ 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

≪ナレーション≫ 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。

 この小さな流れが、今やSGI・192ヵ国地域の大きな流れとなったことは、皆様ご存知のとおりです。

 本日は、小説 新人間革命第十巻“新航路”の章から「アフリカ支部結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、おおくりいたしました。

 世界広布新時代開幕の年を、新たな決意で、出発しようではありませんか。

 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇の分量はおおよそ 20文字×130行 です。


以前に作成したものを短く作り直してみました。
その寸劇を読んでみたい方は、ここをクリック してください。



原稿印刷のために空白行の少ないテキストデータを準備しました。
是非ご活用ください。


テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

東京オリンピックのお話

伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴な笑みが、満面に広がったのであります。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

伸一はその笑顔に胸を打たれた。
心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。
バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。


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≪ナレーションA≫ 時は昭和39年、西暦1964年10月11日、早朝。

そうです。

あの東京オリンピック開会式の翌日であります。

場所は、なんと、東ヨーロッパのチェコスロバキアの首都プラハのバーツラフ広場であります。

山本伸一が、ふと建物の壁を見ると、そこには、東京オリンピックのポスターが張ってあったのであります。

≪ナレーションB≫ しばらく、その前にたたずんでいると、背後に人の気配がした。

振り向くと、長身の青年が立っていた。25、6歳であろうか。

黙って、無表情に、伸一を見ていた。

しかし伸一が、微笑みを浮かべ、会釈をすると、青年の目にかすかに光が差した。

伸一は、オリンピック記念の百円銀貨がポケットに何枚かあったことを思い出し、青年に贈ろうと、
その一枚を差し出したのであります。


≪山本伸一≫ 硬い表情の青年だな。

そうだ、待てよ。

記念の100円銀貨があったはずだ。
はい、これは私からのプレゼントですよ。

≪プラハの青年≫ なんだ?
この変な東洋人は。
にやにやして気色わるいな。

え?何だよ、何だよ。
なにこれ?

何のコインだろう?
100?

どれどれ。
どれどれ。

オーッ!

これはオリンピックのコインじゃないか。

そうか、わかったぞ。
この東洋人は東京から来た、日本人なんだ。

このコインはいくらするんだろう?
えーと、ペラペラ。

こまった。言葉がつうじない!

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≪ナレーションB≫ そして、青年は、ポケットから財布を出すと、何か話しはじめた。

どうやら、この硬貨の代金を聞いているようであった。

伸一は、まず、自分の胸を指さして、それから、その指を、青年の胸に向けて言った。

≪山本伸一≫ これは、私からあなたへのプレゼントですよ!

≪プラハの青年≫ もらっていいの?

≪ナレーションB≫ 不思議そうな青年の顔は、そう語っていた。

伸一はにっこりと、頷(うなず)いたのであります。


≪プラハの青年≫ え!本当に!ありがとう。

それにしても、何てやさしそうな、きれいな目をしているんだろう。

≪ナレーションB≫ 伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴(じゅんぼく)な笑みが、満面に広がったのであります。

≪プラハの青年≫ うれしな。うれしいな。

世の中にこんな人がいるなんて。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

≪ナレーションB≫ 伸一はその笑顔に胸を打たれた。

心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


池田先生は2005年2月、「随筆人間人間世紀の光(69)」の中で次のように綴っています。

≪随筆朗読≫ 私が、東欧に第一歩を印したのは、もう40年も前の1964年の10月である。
 アジア、欧州を回るなか、チェコスロバキア(当時)の首都プラハに立った。

 私は、世界広布の決意を、一生の信念として固く抱いていた。

 しかし当時は、学会の幹部まで嘲笑(あざわら)っていた。いわんや、多くのマスコミも知識階層も、皆、笑っていたようである。

 初めての共産圏。正直に言って、雰囲気は、決して明るいものではなかった。

 しかし、社会体制が異なっても、住むのは同じ人間である。心を開いて語り合えば、必ず共感が生まれてくるはずだ。

 それが、私の行動の信条であったのだ。世界広布の歴史を残す、私の深い決意の断行であったのである。 私は、行く先々で、市民と触れ合い、語りあった。

 プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。

バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。

≪ナレーションA≫ 人間主義の鼓動が高まる1992年の1月、チェコスロバキアとポーランドに、旧東欧で最初のSGI支部が誕生したことは皆様ご存知のとおりです。

 本日は、小説・新人間革命第9巻・「光彩(こうさい)」の章より、「東京オリンピックのお話を」、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。


プラハの青年のセリフの多くは、管理人の作文です。
ただし「法華経の知恵、第4巻、P150」にある、次の表現を借用いたしました。
「世の中にこんな人がいるなんて」「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」

 この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×105行です。

原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひ、ご活用ください。



テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

ブラジル初訪問前夜


ブラジルの訪問は、今回の旅の大きな目的だったではないですか。

そのためにやって来たのに、途中でやめることなどできない。

戸田先生が戦いの途中で引き返したことが一度でもありましたか!

私は戸田先生の弟子です。

行く。絶対に行く。

もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!


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≪ナレーションA≫ ノックの音がした。

≪山本伸一≫ やあ、十条さんか。買い物はすんだの?

≪十条 潔(きよし)≫ はい、行ってまいりました。デパートですが、以外に日本製が多いのにおどろきました。

≪ナレーションA≫ 時は、昭和35年、1960年10月17日。初めての海外指導が始まって、2週間。
いよいよ明日は、ニューヨークを発って、ブラジルのサンパウロに向かう日であります。しかし……

≪十条 潔≫ 先生……。誠に申し上げにくいことなのですが……

≪山本伸一≫ 何かあったの?

≪十条 潔≫ じつは、明日のブラジル行きのことで、お話にまいりました。
結論から申し上げますと、先生にはこのままアメリカにお残りいただいて、私どもだけでまいりたいと思います。
先生が、著(いちじる)しく体調を崩(くず)しておられることは、誰の目にも明らかです。

ここで無理をなされば、それこそ、大変なことになってしまいます。もしも先生がお倒れにでもなったら、学会は柱を失ってしまいます。
差し出がましく、僭越(せんえつ)であることは、十分にわかっております。

しかし、先生には、どうか、お休みになっていただきたいのです。それが同行している、みんなの気持ちでもあります。

≪ナレーションA≫ 十条は勢い込(こ)んで一気に語り、哀願(あいがん)するような目で伸一を見た。

≪山本伸一≫ 十条さん、ありがとう……。

≪ナレーションA≫ 伸一もまた、十条を見すえた。その目には決意の炎が燃えていた。
そして、伸一は、強い語調(ごちょう)で語ったのであります。

≪山本伸一≫ しかし、私は行きます。私を待っている同志がいる。みんなが待っているのに、やめることなど断じてできない。
ブラジルの訪問は、今回の旅の大きな目的だったではないですか。

そのためにやって来たのに、途中でやめることなどできない。
戸田先生が戦いの途中で引き返したことが一度でもありましたか!私は戸田先生の弟子です。

行く。絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!

≪ナレーションB≫ 伸一の心の中には、戸田の逝去(せいきょ)の五ヶ月前のことが、まざまざと蘇(よみがえ)った。
それは恩師が病(やまい)に倒れる前日であった。
その日、広島に赴(おもむ)こうとする戸田を、叱責(しっせき)を覚悟で止(と)めようとしたのです。

≪山本伸一≫ 明日の広島行きは、お止めしなければならない。

≪ナレーションB≫ ソファーに横になり、めっきりやつれ、弱っている戸田を間近に見て、伸一の心は激しく痛んだ。
伸一は、床(ゆか)に座り、深々と頭を下げた。

≪山本伸一≫ 先生、広島行きは、この際、中止なさってください。
お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください。

≪ナレーションB≫ 必死であった。なんとしても止めねばならないという気迫(きはく)が、伸一の全身からほとばしっていた。
戸田は身を起こし、じっと伸一を見た。

≪戸田城聖≫ ……それはできぬ。行く。行かねばならんのだ。

≪山本伸一≫ 先生、ご無理をなさればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください。

≪戸田城聖≫ そんなことができるか!

≪ナレーションB≫ 戸田は声を張り上げて立ち上がり、伸一を睨(にら)みすえた。

≪戸田城聖≫ そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。
俺は、死んでも行くぞ。伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違(かんちが)いしているのだ!

四千人の同志が待っている。……伸一、死んでも俺を、広島に行かせてくれ。
死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創(つく)ろう。あとは、すべて御仏意(ごぶっち)あるのみではないか。

≪ナレーションB≫ その烈々(れつれつ)たる師の声は、今も伸一の耳に響いていた。
そして、それは、そのまま、不二の弟子・伸一の決意であったのです。

≪ナレーションA≫ 十条はゴクリと唾(つば)を飲み込んだ。彼は更に説得しようとしたが、何も言えなかった。
伸一の決定(けつじょう)した胸の内を聞いた十条は、もうこれ以上、伸一に語る言葉はないことを知った。そして、熱い感動が込み上げるのを覚えたのであります。

≪十条 潔≫ 山本先生! ……よくわかりました。申し訳ございませんでした。ただただ、どこまでも先生のお供(とも)をさせていただきます。

≪山本伸一≫ うん。行こうよ、海のはてまで。戸田先生に代わって世界広布の旅へ。

≪ナレーションA≫ 雲を突き抜け、ジェット機は力強く、大空へ上昇していった。
眼科には雲海(うんかい)が広がり、銀翼(ぎんよく)が、まばゆく太陽に映えていた。
それは、苦悩を突き抜け、悠々(ゆうゆう)と、勝利と歓喜の広布の大空を進み行(ゆ)く、正義の大鷲(おおわし)の姿を思わせた。
山本伸一の心は、軽やかに、まだ見ぬ新天地ブラジルを駆(か)け巡(めぐ)っていたのです。

本日は、小説新人間革命第1巻、「慈光(じこう)」の章などより、「ブラジル初訪問前夜」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、お送りいたしました。
以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命では、回想シーンが挿入されています。
その部分のナレーションを、≪ナレーションB≫で、おこなっています。
昭和32年11月の回想シーン(小説人間革命第12巻『憂愁』)と、昭和35年10月のシーンとで、山本伸一役を2人で分けて読めば、より判りやすい寸劇人間革命になると思います。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×125行です。
原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
たのしく有意義な座談会に、ぜひ、御活用ください。

分量を 20文字×100行にしたショート版も準備しました。


ところで、冒頭の一言。『ノックの音がした。』
SF作家・星新一のショートショートからの借用です。 


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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

ハワイ地区の結成のお話し


あなたを地区部長に任命したのは私です。

あなたが敗れれば、私が敗れたことです。

責任は、すべて私が取ります。

力の限り、存分に戦ってください。


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≪山本伸一≫ さあ、ハワイの広宣流布と皆様方のご一家の繁栄と幸せを祈念して、一緒に勤行をしましょう。

≪ナレーションA≫ 時は、昭和35年、1960年10月2日。初めての海外指導の一日目。ハワイのホノルルで開かれた、海外最初の座談会であります。
山本伸一は、がっちりとした体格で、柔和な目をした、三十半(なか)ばと思われる男性に話しかけた。

≪山本伸一≫ 朝から思っていたんですが、あなたはプロレスの力道山にそっくりですね。名前は、なんとおっしゃるんですか?

≪ヒロト・ヒラタ≫ はい、ヒロト・ヒラタです。

≪山本伸一≫ そう。その名前より、力道山の方が覚えやすいね。これから“リキさん”と呼んでいいですか

≪ヒロト・ヒラタ≫ は?はい。

≪山本伸一≫ 奥さんはいらっしゃるの?

≪ヒロト・ヒラタ≫ はい。奥さん。日本の。仙台にいます。後でハワイにきます。

≪山本伸一≫ 奥さんは学会の役職は持っていますか

≪ヒロト・ヒラタ≫ 地区担です。

≪山本伸一≫ そうですか。リキさんは何か役職には、ついていましたか。

≪ヒロト・ヒラタ≫ 日本で組長になりました。

≪ナレーションB≫ リキさんは、日系二世である。ハワイで暮らしていたリキさん親子は、真珠湾攻撃の後、すぐにアメリカ本土の抑留所(よくりゅうしょ)に収容(しゅうよう)。やがて日本との捕虜交換。そして、召集令状が届く。

ハワイ生まれのリキさんは、うまく日本語が話せない。軍隊では何かにつけて目の敵(かたき)にされた。
緊張すると、つい、英語が出てしまう。「敵国語を使うな!」
敬語が正しくつかえない。「その日本語は何だ!俺様をバカにするのか!」
顔の形が変わるほど殴(なぐ)られた。

日本は、両親の祖国である。しかしアメリカは、リキさんの祖国である。戦争が人間を引き裂(さ)き、更に彼の心をズタズタに引き裂いたのです。

≪山本伸一≫ 今日、私はこのハワイに地区を結成したいと思っていますが、皆さん、いかがですか!
ハワイは世界の広宣流布の大事な要衝(ようしょう)の地です。また今回、世界への平和旅の第一歩が印(しる)された、広布の歴史に永遠の輝きを放つ場所となります。
ですから、未来のためにも、あえて、ここに地区を作っておきたいのです。

≪ナレーションA≫ 一瞬。誰もがキョトンとしていた。そして、歓声があがった。

≪山本伸一≫ 地区部長は、リキさんにやってもらおうと思いますが、いかがでしょうか。

≪ヒロト・ヒラタ≫ 私が地区部長ですか。私は信心のことはよくわからない……

≪山本伸一≫ そうです。あなたに地区部長をお願いします。今は何もわからなくても、これから一つ一つ覚えていけばいいんです。まず、何よりも、この地区の人たちを幸せにするんだという、強い一念をもつことです。また、みんなの相談相手になり、どうすれば全員の力が引き出せるのかを考えてください。

これからは、あなたが真剣に祈り、動いた分だけ、ハワイは発展します。また、それが全部あなたの功徳と福運に変わります。
力道山といえば、世界一強いレスラーです。リキさんも負けないで、世界一強い、立派な地区をつくってください。

≪ヒロト・ヒラタ≫ はい。がんばります。

≪ナレーションA≫ 座談会終了後も友との語らいが続いた。特に、地区部長になったリキさんには、深夜まで時間を割(さ)いて、指導にあたったのであります。

≪山本伸一≫ リキさん。社会的な信頼をえるために、まず大切なのは、仕事で成功することです。それがいっさいの基盤になる。そのために、人一倍、努力するのはとうぜんです。
そして、題目を唱え抜いて、智恵をはたらかせていくんです。

広宣流布をわが人生の目的とし、そのために実証を示そうと、仕事の成功を祈る時に、おのずから勝利の道、福運の道が開かれていきます。

≪ナレーションA≫ リキさんは瞳(ひとみ)を、輝かせ、真剣に耳を傾けていた。

≪山本伸一≫ これからの人生は、地区部長として、私とともに、みんなの幸せのために生きてください。

社会の人は、自分や家族の幸せを考えて生きるだけで精いっぱいです。その中で自ら多くの悩みを抱(かか)えながら、友のため、法のため、広布のために生きることは、確かに大変なことといえます。しかし、実は、みんなのために悩み、祈り、戦っていること自体が、既に自分の境涯を乗り越え、偉大なる人間革命の突破口を開いている証拠(しょうこ)なんです。

また、組織というのは、中心者の一念で、どのようにも変わっていきます。常にみんなのために戦うリーダーには、人は付いてきます。しかし、目的が自分の名聞名利(みょうもんみょうり)であれば、いつか人びとはその本質を見抜き、付いてこなくなります。

≪ナレーションA≫ リキさんには、乾(かわ)いた砂が水を吸い込むような、純粋な求道の息吹(いぶき)があった。
伸一は、彼の手を握(にぎ)りながら言った。

≪山本伸一≫ あなたを地区部長に任命したのは私です。
あなたが敗(やぶ)れれば、私が敗れたことです。責任は、すべて私が取ります。力の限り、存分に戦ってください。

≪ヒロト・ヒラタ≫ はい!戦います。

≪ナレーションA≫ リキさんは伸一の手を固く握り返した。月明かりの中で二人の目と目が光ったのであります。

 本日は、小説・新人間革命第一巻「旭日」の章より、「ハワイ地区の結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。
 以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでくださってありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×130行です。

頑張れ地区部長シリーズとして作成しました。

原稿印刷のために、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
たのしく有意義な座談会にぜひ御活用ください。

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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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