スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

自分の好みで勝手にランキングをつけてみたよ


猛暑が続いてますね。もう、しょうがない、などとあきらめず、頑張ろう!!

SBSH1310_1.jpg

『一番グレードがあると勝手に思っている寸劇』 学会歌「星落秋風五丈原」のお話
『一番人気のある寸劇』   3月16日のお話  厚田村のお話
『手軽に上演できる寸劇』      植木屋のおじさん  洋服屋のおじさん  8月14日のお話
『男子部に好評の寸劇』         創立記念日のお話    7月3日のお話
『婦人部のための寸劇』 田原坂 
『女子部のための寸劇』 三本杉のお話
『師弟の絆を学ぶ寸劇』 S25年山本伸一青年の闘い
『平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。』 シカゴのおばあちゃん
『古の奇しき縁に仕えしを人は変われどわれは変らじ  』 S25年山本伸一青年の闘い
『戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。』 戸田先生の出獄直後の闘い

関連記事
スポンサーサイト

テーマ: 管理者から | ジャンル: その他

青年部の結成(現役青年部出演のロングバージョン)

山本伸一は、この7月11日の夜。男子部の結成式において、戸田と彼との間にしか理解されぬ言葉
……きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会-会長が現れるであろう。……
という言葉を聞いたのであります。
今日は、この席から、次の会長たるべきかたに、ご挨拶申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる。
戸田はこう言って、深々と頭を下げたのであります。

SH530096.jpg


≪ナレーション≫ それでは、寸劇のコーナーです。
時は昭和25年西暦1950年の8月。戸田の経営する信用組合は、経営が悪化。
そして、ついに大蔵省から、業務停止命令が発動されます。
信用組合の責任者であった戸田は、創価学会の理事長を辞任。
多くの社員が、戸田の元を離れて行く中にあって、一人、山本伸一が、踏みとどまります。

山本伸一の懸命の努力によって、信用組合の問題は解決。
そして、戸田先生の会長就任へと大きく前進します。

翌年の昭和26年西暦1951年、5月3日、戸田城聖第2代会長の会長就任式。
それから2ヵ月後の7月11日が本日の寸劇の舞台であります。

外は激しい雨、バケツをひっくり返したようなとんでもない土砂降り(どしゃぶり)であります。
場所は西神田の学会本部の2階。

定刻の午後6時。男子部結成式の開会の宣言がなされたのであります。
集まった男子部は約180名。
そうです。本日の寸劇は、男子部、そして女子部の結成式で、あります。

≪男子部司会者≫ ただ今より男子青年部新部隊結成式を挙行いたします。

初めに関(せき)青年部長。

≪関久男・青年部長≫ 広宣流布の大業を完遂せんとする創価学会の前途の興廃を決するものは、実にわれら青年部、なかんずく男子青年部にあると、わたしは深く信ずるものであります。

今日よりは決意を新たにし、戸田先生のご期待に応えることを、ここに堅く誓うものであります。

≪男子部司会者≫ 新組織の発表。続いて決意発表。

≪ナレーション≫ 新たな組織として第一部隊から第四部隊までが、発表され、新しく任命された4人の部隊長が、それぞれ抱負と決意をまさに、絶叫したのであります。

≪男子部司会者≫ ここで、男子部3328部隊長より、とくべつに、挨拶があります。

(現役男子部) 男子部3328部隊-部隊長挨拶。 みなさんこんばんは。3328部隊とは、我が___支部の草創の男子部のことであります。(ここで一言、現役男子部)

≪男子部司会者≫ 来賓祝辞 清原理事 (婦人部)

≪清原カツ・理事≫ 男子部の結成にあたり、このように激しい雨が降るということは、一つの瑞相です。
すなわち、学会を背負う男子部の前途に、いかに難多きかを示すものであると、確信するものであります。

≪男子部司会者≫ 会長講演、戸田会長先生。

≪ナレーション≫ いよいよ戸田が演壇に向かった。
激しい拍手が彼を迎えた。
期待する大号令を待っていたのであります。

ところが戸田が真っ先に淡々と言い出したのは、全然別のことだったのであります。

≪戸田城聖≫ きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会-会長が現れるであろう。

必ず、このなかにおられることを、私は信ずるのです。
そのかたに、心からお祝いを申し上げておきたいのであります。

≪男子部司会者≫ まったく意外な言葉に、私たちは思わず、緊張しました。
第三代会長が、このなかにいるという。
いったい誰のことなのであろうか。

--それは、この夜つどった、私たち男子部180名の考えを、はるかに、はるかに超えた問題だったのです。

≪ナレーション≫ 戸田は場内の中央に山本伸一班長を見かけると、ふと目をそらした。

その瞬間山本伸一は半年前のあの日のことを、とっさに思い出さずにはいられなかったのであります。


ここから半年前のお話を、お送りします。

≪山本伸一≫ それは、遠い昔のように思われますが、わずか半年あまりしか、たっていないのです。
あの日、それは今年の一月六日のことでした。


≪戸田城聖≫ 伸一、今日はよく聞いてもらいたいことがある。
私も最後の覚悟をしておかねばならぬときが来た。
検察当局にこちらから出頭しようかと思っている。
しかし、そうなると私の身柄はどうゆうことになるやも知れぬ。
あとのことを、いまここで明確にしておきたい。

≪ナレーション≫ 前の年の夏から始まった、信用組合の問題は、この時、最悪の事態に追い詰められていたのであります。


≪戸田城聖≫ 今大事なのはあとのことだ。
そこで、伸一君、私にもし万一のことがあったら、創価学会のことも、信用組合のことも、また新会社の大東商工のことも、いっさい君に任せるから、引き受けてくれまいか。

そして、できることなら、私の家族のこともだ。

伸一君、君にとんでもないお土産を残すと思うかも知れないが、私のこの世に生まれた使命は、また君の使命なんだよ。
わかっているね。
何が起こったとしても、しっかりするんだぞ。
私と君とが使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命(ごゆいめい)も達成する時が来るだろう。
誰がなんといおうと、強く、つよく、一緒に前へ進むのだ。

≪山本伸一≫ 先生、けっしてご心配なさらないでください。
私の一生は先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております。
この覚悟は、また将来にわたって永遠に変わることはありません。

*私がすべてやります。
先生は、お体をお休めください。
わたしが断じて苦境を打開します。
そして絶対に先生に、学会の会長になっていただきます!

≪戸田城聖≫ そうか。そうか。よろしく、頼みます。

≪ナレーション≫ 伸一のそれからの活動は、まったく人知れぬところで行われた。
まさしく奮迅(ふんじん)の苦闘の連続だったのであります。
しかし彼は、たじろぐことはなかった。
深い使命を、真に体得したもののつよさであろうか。

≪山本伸一≫は、当時の日記に、孤独な戦いを、次のように書きとめています。

≪山本伸一≫ 汝(なんじ)よ、汝は、いかにして そんなに苦しむのか。
汝よ、汝は、いかにして そんなに泣くのか。
汝よ、汝は、いかにして そんなに悩むのか。

苦しむがよい。若芽が、大地の殻を打ち破って のびゆくために。
泣くがよい。梅雨の、彼方の、太陽を仰ぎ見る日まで やむを得まい。
悩むがよい。暗い深夜を過ぎずして尊厳なる、曙の空を望むことはできないからだ。

≪ナレーション≫ ここから男子部結成式のお話に、戻ります。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、この7月11日の夜。
男子部の結成式において、戸田と彼との間にしか理解されぬ言葉……きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会-会長が現れるであろう。
……という言葉を聞いたのであります。

 戸田は安易には、その名前は口には出さなかった。
彼は伸一を甘やかさなかったのである。
……苦しんで強くなることが、いかに崇高なことであるかを知れ、といわんばかりであった。

 戸田会長の、話が続きます。

≪戸田城聖≫ 広宣流布は、私の絶対にやりとげなければならぬ使命であります。
青年部の諸君も、各自がその尊い地位にあることを、よくよく自覚してもらいたいのです。

常に青年が時代を動かし、新しい時代を創っているのです。

どうか、諸君の手で、この尊い大使命を必ず達成していただきたいのが、私の唯一の念願であります。

今日は、この席から、次の会長たるべきかたに、ご挨拶申し上げ、男子部隊の結成を心からお祝い申し上げる。

≪ナレーション≫ 戸田はこう言って、深々と頭を下げたのであります。


こうして男子部の結成式は終了した。

そして続いて7月19日は、女子青年部の部隊結成式であります。

≪女子部司会者≫ ただ今より 女子青年部 新部隊 結成式 を挙行(きょこう)いたします。

決意発表 初代女子部長 大島英子。

≪大島英子≫ 初代女子部長に任命になりました、大島英子です。

戸田会長先生のもとに、女子青年部の名を辱しめぬよう、全力で戦うことを誓うものであります。

≪女子部司会者≫ 次に、女子部さわやかタイム。

現役女子部 みなさんこんばんは。女子部さわやかタイムを行います。--------(現役女子部より)


≪女子部司会者≫ 最後に、会長講演、戸田会長先生。

≪戸田城聖≫ 創価学会の女子部は、一人のこらず幸福になるんですよ。

これまでの女性の歴史というものは、一口にいえば、宿命に泣く女性の歴史といってよかった。
皆さんは、若くして妙法を持った女性です。

もはや宿命になく必要はない。そのためには、純粋な、強い信心に生涯を生きるという条件がなければ叶いません。
皆さんが、誰も彼も一人のこらず幸福になることを、戸田は念願しつつ、きょうの挨拶とします。
おめでとう。

≪ナレーション≫ こうして青年部が結成されたのであります。

**男女青年部の結成の意義は、単に青年層に属する人々を集めて組織したことにあるのではない。
戸田城聖の思想と行動を人生の指標とする、創価の後継者の出発であり、広宣流布を永遠ならしめる、令法久住(りょうぼうくじゅう)への流れが開かれたことに最大の意義がある。 

まさに、結成式は、師弟による広宣流布の共戦の出発という、歴史的な意義をとどめる儀式であったといえるのであります。


本日は、小説「人間革命」第5巻 随喜(ずいき)の章から、『青年部の結成式』を、旭日地区、壮年部、婦人部、男子部、女子部、の オールスターキャストでおおくりいたしました。

以上で、寸劇のコーナーを、終わります。



* 2007-01-06のスピーチ 
** 新人間革命.第22巻「新世紀」

最後まで読んでくださってありがとうございます。
現役青年部が、いきなり登場する、寸劇です。
悪乗りと思われた方には、お詫びします。
分量は、20文字×225行ほどです。

原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ご活用ください。

関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

超ロングバージョン「11.18 創立記念日」のお話

牧口先生の同窓生の紹介状をもらって牧口先生を訪ねた。
この同窓生は、同級会で先生を見かけるだけで話もしたことがないという心細さであったが、それだけに私は緊張していた。

その折、私は教授法にかけては抜群で、絶対の自信があると、大見得を切ってしまった。
すると牧口先生は、じっと私を見ていたが、君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になると言われた。  

人間革命 第8巻 明暗 より


寸劇の最後に「創価学会の歴史と確信」(戸田城聖著1951)の一部を収録しました。

P1010739_2.jpg


超ロングバージョンの創立記念日のお話です。

≪ナレーション≫ 皆さんこんばんは。それで寸劇のコーナーです。

本日は、「11.18 創立記念日」のお話であります。

私は戸田先生役です。 
なんと私が、牧口常三郎初代会長役です。よろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は大正9年、西暦1920年、2月。

青雲の志に燃える、戸田青年は、北海道厚田村の父と母に別れを告げ、東京を目指した。
彼の心には、大きな志が、赤々と熱く燃えさかっていたのであります。
しかし、上京した戸田青年を待っていたもの、それは苦闘の日々でありました。

≪戸田青年≫   大正9年4月11日  未だ、余は余の師匠を見ず、余の主(あるじ)を見ず。
しこうして、自己の思想の帰依(きえ)、未(いまだ)だ意(こころ)を得ず。 
自己の心中に、求むる所ありて、始めて社会に奮闘(ふんとう)すべきなり、奮闘し得(う)べきなり。 
頼り難(がた)きは人心。
独立なれ、自尊なれ。
運命も自己 自ら開拓せざれば、鍵 開きて 来たる可き筈(はず)はあらざるなり。 
恐るるな、人の嘲笑(ちょうしょう)、世間の罵倒(ばとう)、一度(ひとたび)立つ時は、天下を席捲(せっけん)する腕を持て。(当時の日記より)

≪ナレーション≫ 北海道出身の友人たちの人脈を通して、同じ北海道出身の牧口常三郎の存在を知ったのは、もう夏が近くなったころでした。

解説①(≪ナレーション≫) 牧口常三郎は、1871年新潟の荒浜に生まれた。
小学校卒業後、単身北海道に渡り、苦労して、北海道尋常師範学校(現・北海道教育大学)卒業。
同付属小学校などで教壇に立つかたわら、地理学の研究を続けた。
30歳の時に上京。32才の時「人生地理学」という本を発刊。
ベストセラーとなり、地理学学会に大きな波紋を呼んだ。

戸田青年と会った当時は、台東区の西町尋常小学校の校長を勤めていたのであります。

牧口は、東京市(し) の教育界では、一風変わった存在であった。
一家言をなした彼の教育理論の実践は、識者の注目をあつめていたのである。

しかし、彼の教育観は、戦前、教育の金科玉条とされた教育勅語を「最低の道徳なり」と言い放つほど進みすぎていた。
そのため石頭な文部省の役人どもは、彼を白い目で見ていたのである。おろかな指導者たちは、この優れた先覚者を、迫害し続けたのであります。


≪ナレーション≫ 紹介状をたずさえ、戸田青年は、緊張して、牧口常三郎の自宅を訪ねた。

謹厳寡黙(きんげんかもく)な牧口は、鋭い眼で戸田青年をじっと見た。
そして北海道出身の青年と知って、快く迎えたのであります。
牧口は、戸田青年の経歴や意見を、静かに聴いていた。そのなかから、戸田青年の純粋な性格と、その意気を感じとったにちがいない。

≪牧口常三郎≫  履歴書をお持ちになったかな?

≪戸田青年≫   はい、持ってきました。

≪ナレーション≫ 詰襟服(つめえりふく)のボタンをはずした彼は、内ポケットから封筒に入れた履歴書を取りだした。
そしてこの時、戸田青年は思わず口ばしったのであります。

≪戸田青年≫   先生、私をぜひ採用してください。

≪ナレーション≫ 彼は初対面ながら、不思議に牧口に甘えることができた。

牧口は、ちょっと怪訝(けげん)な顔をした。
だが戸田青年は、真剣な表情で、重ねて言ったのであります。

≪戸田青年≫   私はどんな劣等生でも、必ず優等生にしてみせます。
先生、私を採用してくだされば、あとできっと、「いい奴を採用してよかった」、とお考えになるでしょう。

≪牧口常三郎≫  はっ、はっ、はっ、そうか、そうか、

≪戸田青年≫  (ちょっと照れるが、ここが大事。よし、もう一押しだ。)
先生、ぜひとも!ぜひとも!お願いします。

≪牧口常三郎≫  わかった、わかったよ。尽力しよう。
戸田君。君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になるだろう。

≪戸田青年≫   は、はい。

≪ナレーション≫ この日、それからの二人の話は、教育の実践と研究について、長時間にわたって熱心につづけられました。
そして就職の件は、二度と口にのぼることはなかったのであります。
この時、牧口常三郎49歳。戸田青年は20歳でありました。

≪ナレーション≫ こうして戸田青年は、牧口先生のはからいで、彼が校長を務める西松尋常小学校に代用教員となったのです。
やがて昭和3年1928年。牧口先生が日蓮正宗に入信し、戸田青年も入信します。
当時のいきさつを、いろいろやってますと、寸劇が、朝になってしまいますので、今回は、次のお話を急ぐことに、いたしましょう。

≪戸田城聖≫   牧口先生、先生の教育学を、後世のためにぜひ出版しましょう。

≪牧口常三郎≫  戸田君、本の出版にはお金がかかる。
まして小学校の校長の出した教育学なぞ売れんぞ。
おお赤字になるぞ。

≪戸田城聖≫   先生、けっしてご心配なさらないでください。
私の一生は、先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております。
私がすべてやります。

≪牧口常三郎≫  そうか。よろしく頼みます。

≪戸田城聖≫   先生の、教育学の目的は、一言で言えば、何でしょう?

≪牧口常三郎≫  それは、価値を創(つく)ることだ。

≪戸田城聖≫   それでは、先生の教育学を、創価――創価教育学と名付けましょう。


≪ナレーション≫ こうして、昭和5年1930年11月18日 牧口先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されます。
そしてこの日を、もって、創価学会の創立記念日となったことは、皆様ご存知のとおりです。


解説①(≪ナレーション≫)この「創価 教育学 体系 第一巻」に、社会学者の田辺寿利(たなべ すけとし)氏は、ファーブル昆虫記で有名なファーブルが、小学校の校長先生であったことを例にあげ、次のような、序文を寄せています。

**「一(いち)小学校長たるファーブルは、昆虫研究のために黙々としてその一生をささげた。
学問の国フランスは、彼をフランスの誇りであるとし、親(した)しく文部大臣をして駕(が)を枉(ま)げしめ、フランスの名に於(お)いて懇篤(こんとく)なる感謝の意を表(ひょう)せしめた。

一(いち)小学校長たる、牧口常三郎氏は、あらゆる迫害あらゆる苦難と闘(たたか)いつつ、その貴重なる全生涯を費(ついや)して、ついに画期的なる『創価教育学』を完成した。

文化の国・日本は、如何(いか)なる方法によって、国の誇りなるこの偉大なる教育者を遇(ぐう)せんとするか。」


解説②(≪ナレーション≫)やがて日本は戦争への道を歩み始め、時代は軍国主義一色に、塗りつぶされたのであります。
座談会にも特高警察が同席し、牧口先生の「神札」を謗法とする発言などに、たいして「そこまで!止(や)め!弁士中止!中止だ!」と大声を上げるようにな、― そんな時代になったのであります。

「天照大神の神札」を拝まぬものは国賊とされ、反戦思想の持ち主と断定されたのです。
しかし、牧口門下の折伏、弘教の戦いは、「天照大神の神札」を謗法払いして、着実に進められていったのであります。

ところが、日蓮正宗・宗門は、臆病にも、権力の弾圧を恐れ、立正安国の日蓮大聖人の精神を、すっかり忘れさっていたのです。


≪ナレーション≫ 昭和18年1943年6月学会の幹部は総本山に登山を命ぜられた。

≪本山僧侶≫   エー私は、日蓮正宗総本山大石寺(たいせきじ)の偉い、ご僧侶です。
エー時節がら、総本山においても、神札を、一応、受けることにした。
エーこんどの教師指導会において、全国の寺院に対しても、徹底する予定である。
そこでだ、創価学会でも、神札を受けるように申しわたす。


≪牧口常三郎≫  承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません。
いまだかつて創価学会は、総本山に、何ひとつご迷惑を、かけておらぬでは、ありませんか。

≪本山僧侶≫   エー、いやいや、創価学会が謗法払いと、称して、神札を焼いておるのは、本山の指導によるものだと、警察に告訴状がでているのですぞ。

≪牧口常三郎≫  承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません。


≪ナレーション≫ 牧口会長は、こういいきって、総本山を、後にしたのであります。

≪牧口常三郎≫  私が嘆くのは、一宗が滅びることではない。
一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。

宗祖日蓮大聖人の悲しみを私はひたすら恐れるのだ。
今こそ国家諫暁の時ではないか。
宗門は、いったい、何を恐れているのだろう?戸田君、君はどう考える?

≪戸田城聖≫  先生、戸田は命をかけて戦います。
何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生の、お供をさせていただきます。

≪ナレーション≫ 牧口は、一、二度うなずいて、はじめてニッコリと笑いかけた。

そして、この日から一ヶ月たたぬうちに、二人は逮捕されたのである。

権力の弾圧に恐れをなした宗門は、創価学会に対して総本山への登山を禁止し、信徒除名処分とし、大聖人の仏法を唯一、守った牧口先生を切り捨てたのであります。


≪牧口常三郎≫  (獄中からの手紙を紹介します。)

昭和18年1943年10月23日

「独房で、思索が出来て、却(かえ)ってよい。
朝夕の勤行、外に特別の祈願をまじめに怠らない、お互いに信仰が第一です。
災難と云ふても、大聖人様の九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)です、とあきらめて益々(ますます)信仰を強める事です。
広大無辺の大利益に暮らす吾々に、斯(か)くの如き事は決してうらめません。
経文や御書にある通り、必ず『毒変じて薬となる』ことは今までの経験からも後で解ります。」

 *昭和19年1944年10月13日

「カントの哲学を精読している。
100年前及びその後、学者共が、望んでも手を着けない「価値論」を私が著し、しかも上は法華経の信仰に結びつけ、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。
これ故、三障四魔が粉起するのは当然で、経文通りです。」

≪ナレーション≫ これが牧口先生の絶筆となりました。

昭和19年1944年11月18日― 牧口会長は東京拘置所で逝去したのであった。

奇しくも、創価教育学体系の出版から、ちょうど14年の歳月が、流れていたのです。

**「軍国主義日本」は、この偉大なる教育者にして偉大なる仏法指導者を“国賊”として、「獄死」をもって遇したのだ。
それは未来永劫に消えぬ、日本国家の最大の汚点であろう。


≪ナレーション≫ それから一年、昭和20年1945年11月18日、牧口常三郎の一周忌が営まれることになった。

集まったのは、親族のほかに、わずかに二十数名の門下の弟子であった。
かつて三千名をかぞえた創価教育学会員は、いま牧口会長の一周忌法要というのに、これだけしか、集まることが、できなく、なってしまった。
それは、創価学会の再建が、いかに、困難であるかを、物語っていたのです。

≪戸田城聖≫ 私は寒い独房(どくぼう)のなかで、いつも御本尊様に祈っておりました。
―― 私はまだ若い。先生は74歳でいらせられる。
どうか、罪は私一身に集まって、先生は一日も早く帰られますように、と。
 ところが、忘れもしない今年一月八日、私は取り調べの判事から、突然「牧口は死んだよ」と聞かされたのであります。
私は独房に帰って、ただ涙にかきくれました。
この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。

先生は、死して、獄門を出られた。
不肖(ふしょう)の弟子の私は、生きて獄門を出た。
私がなにを、なさねばならぬかは、それは自明(じめい)の理であります。

―― 話に聞いた地湧の菩薩は、どこにいるのでもない。
じつにわれわれなのであります。

わたしは、この自覚に立って、いまはっきりと叫ぶものであります。

―― 広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
地下にねむる先生、もうしわけございませんでした。
先生、先生の真(まこと)の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧げ、先生のもとにまいります。
きょうよりは、やすらかにお休みになってください。

≪ナレーション≫ この日は、戸田城聖が広宣流布の第一声を放った、歴史的一日となったのであります。


本日は、小説「人間革命」第1巻「一人立つ」の章、さらに小説「人間革命」第2巻「地湧」の章、などから、「牧口先生と戸田先生」そして「11.18 創立記念日」のお話を、 旭日地区、のオール スター キャスト で、お送りいたしました。


本日は、テーマを、かなり、欲張りすぎて、書き残しが、たくさんございます。

それらは、またの寸劇に、こう、ご期待、であります。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


*人間革命第1巻「歯車」

**新人間革命第12巻「栄光」



長い寸劇人間革命を、最後まで読んでくださってありがとうございます。


冒頭の戸田青年の日記の部分。
牧口会長の経歴を紹介する部分。
ファーブルの話。
獄中書簡の2つのうち、最初のほう。

これらは、省略しても、寸劇が成り立ちます。

この寸劇の分量はおおよそ 20文字×270行です。

これからもよろしくお願いいたします。



原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ご活用ください。

最後に「創価学会の歴史と確信」(戸田城聖著1951)の一部を収録しました。
寸劇の内容を説明する際の参考にしてください。





関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

「洋服屋のおじさん」山口闘争のエピソードより

本日、芳書頂戴し、びっくりいたしました。
さぞ苦しいことでしょう。
自ら作った罪業は、当然、今世に済ますのが道理です。
今の病苦も、実は、護法の功徳力により、軽くすんでいることを自覚すべきです。
一点の濁りなく、しっかり御本尊様を抱きしめて、人間革命と宿命打開をされますことを胸奥より祈っております。
長いながい人生です。
声高らかに題目をあげ、苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらいて、必ず、必ず、来る春を待つことです。
何事も勉強と思って、悠々と闘病生活されたしです。
成仏の出来得る大法を受持して、なんで病魔に負けることがありましょうや。
大兄の元気な身体と顔を楽しみに。


P1010808_2.jpg

≪ナレーション≫ 皆さんこんばんは。それでは寸劇人間革命のコーナーです。

時は昭和31年・西暦1956年10月であります。
 本日は、あの有名な「山口闘争」のエピソードの中から、「洋服屋のおじさん」のお話を、お送りいたします。

≪増田一三≫ 私が、洋服屋のおじさん、つまり、洋服店を営んでいる増田一三(ますだいちぞう)です。
今日の寸劇の主人公なんだそうです。

リューマチの痛みで、ほれごらんのとおり、右腕を石膏(せっこう)で固めているんです。
信心すれば治ると聴かされて信心をはじめたわけですがネ。ブツブツ。
山本さんという、一番上のほうの幹部が旅館で指導会をやるというので、聞きに来ました。

≪山本伸一≫ 私は元来、子供のころから病弱で、やせて顔色も悪かった。胸も病んでいました。
そんな体で、東京の街を大八車を引きながら働かなければならないこともありました。
しかし、入信して指導どうりにやってきたおかげで、いまではこの通り元気いっぱいです。

そして、どうしようもない宿命を嘆いていたひとりの青年が、こうして人のために汗を流せる境涯になったのです。
真実の宗教というものを、皆さんはご存じない。
私は皆さんに、お教えしたいだけなのです。

≪増田一三≫ この信心で本当に病気が治るかどうか聞きたいんですよ。
肺病は直るかも知れないが、私のリューマチは、大変ですよ。
治ると確約してもらわないと、信心なんかやってられないよ。ブツブツ。

≪ナレーション≫ 疑い深い増田に、伸一はきっぱりといったのであります。

≪山本伸一≫ 病気はかならず治ります。
もし信心して治らなかったら、私は嘘をついたことになります。

≪増田一三≫ うーーん。ブツブツ。

≪ナレーション≫ こうまで確信にあふれる激励をうけては、さすがに疑い深い増田も、信心に励むことを、誓わないわけには、いかなかったのであります。

≪ナレーション≫ 約一ヵ月の後、11月の山口闘争がはじまったとき、増田は山本伸一を追いかけて、防府(ほうふ)市の旅館にやってきた。
伸一は、彼を見るなり、労(いたわ)るように訊(き)いたのであります。

≪山本伸一≫ 山口の増田さん、その後、ご病気はどうですか。

≪増田一三≫ まだ、治りません。

≪山本伸一≫ この前よりずいぶん顔色がよくなりましたね。

≪増田一三≫ ホオーー。信心すれば人相がよくなるとは始めて聞いた。
それじゃあ、信心と人相と、どういう関係があるのですか?

≪ナレーション≫ 天邪鬼(あまのじゃく)な増田は伸一に楯(たて)ついた。
伸一は憮然(ぶぜん)としたが、疑い深い増田のために、さらに激励するのだった。

後日(ごじつ)、リューマチは序々に、よくなっていったが、あるとき高額な洋服生地(きじ)をぬすまれてしまった。
彼は信仰しても碌(ろく)なことがないと思い、上京して学会本部に、山本伸一をたずねたのであります。。

≪増田一三≫ 山口から、はるばる文句をいいに東京まで来ました。
これまで信心してきましたが、碌(ろく)なことがなく、さっぱり気が晴れません。

≪山本伸一≫ あなたの心中はお察ししますが、まず、大事なことは疑わずに信心をやりきることです。

過去の罪業が出ているのです。どんなことがあっても退転だけはしてはいけません。
困ったことが起きたら、すぐにでも相談にいらっしゃい。

≪増田一三≫ そこまで言ってもらえれば、安心して信心できますよ。でもねーブツブツ。

≪ナレーション≫ しばらくすると、また盗難にあった。
信心すればするほどひどい目にあう、と腹を立てた増田は、またまた、わざわざ上京して山本伸一に訴えたのであります。

≪ナレーション≫ しかし、山本伸一は、このときばかりは厳(きび)しい口調(くちょう)で叱(しか)ったのであります。

≪山本伸一≫ (大きい声で)あなたのように疑い深い人は、ありません。
わたしに楯(たて)つくことはけっこうです。
しかし、ご本尊様にはもっと素直になっていただきたい!!

≪増田一三≫ は!はい!
ウーン 顔面蒼白(がんめんそうはく)です。

≪ナレーション≫ いつもと違って、きつい叱咤(しった)をうけた増田は、はじめて驚いた。
全身から、力が抜けていくような衝撃(しょうげき)であります。
しかし、伸一は厳(きび)しくもやさしかったのです。

≪山本伸一≫ 心配しなくていい。頑張りなさい。私がついているから大丈夫です。

≪ナレーション≫ こうして彼の信心は、はじめて軌道に乗った。
すべての問題は、日ならずして解決したのであります。

ところが、数年すぎた昭和36年にいたって、あのリューマチが再発(さいはつ)した。
増田は今度は文句でなく、報告かたがた指導を伸一に仰(あお)いだ。

36年といえば、山本伸一が会長に就任(しゅうにん)した翌年のことである。
彼は、激務の渦中(かちゅう)にあったが、かつての山口の友を忘れなかった。
早速一書を認(したた)めて書き送ったのであります。

≪山本伸一≫

本日、芳書(ほうしょ)頂戴(ちょうだい)し、びっくりいたしました。
さぞ苦しいことでしょう。
自ら作った罪業は、当然、今世に済ますのが道理です。

今の病苦も、実は、護法(ごほう)の功徳力(くどくりき)により、軽くすんでいることを自覚すべきです。
一点の濁(にご)りなく、しっかり御本尊様を抱きしめて、人間革命と宿命打開をされますことを胸奥(きょうおう)より祈っております。

長いながい人生です。
声高らかに題目をあげ、苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらいて、必ず、必ず、来(きた)る春を待つことです。

何事も勉強と思って、悠々(ゆうゆうう)と闘病(とうびょう)生活されたしです。
成仏の出来(でき)得(う)る大法を受持して、なんで病魔に負けることがありましょうや。

大兄(たいけい)の元気な身体(からだ)と顔を楽しみに。

3月22日夜10時30分   山本伸一

≪ナレーション≫ この手紙を読み終わった増田は、滂沱(ぼうだ)と流れ落ちる涙をどうしようもなかった。

≪増田一三≫ なんという慈愛!文句をいって迷惑ばかりかけたわたしのような者に、なんという恩愛(おんあい)だろう。私は間違っていた!

生涯、先生の下で広布のためになすべきことをして死んで往(ゆ)こう。

≪ナレーション≫ この増田一三さんが、新人間革命第25巻「共戦」の章に元気な姿で、再び登場したことは皆様ご存知のとおりです。

本日は、小説人間革命第11巻「転機」の章から、洋服屋のおじさん・増田一三さんのお話を、旭日地区のオール スター キャストで、お送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
寸劇の分量はおおよそ、20文字×180行です。

この寸劇のメインは、山本伸一の「お手紙」です。
この「お手紙」にたどり着くための導入が、寸劇になっています。


原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
是非ご活用ください。



関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

長編詩『青年の譜』のお話

さらに青年よ 君たちよ!

今世紀を段階にして
二十一世紀の彼の山を目ざしゆこう
美事に逞しく登攀し
新しき世紀の展開の
幕を再び開くのだ

青年よ!
生き抜くのだ
断じて 生き抜くのだ

絢爛とした 総体革命の主体者として
決然 歴史に勝利するのだ

午前八時の
青年の太陽(かれ)は 今日も昇りゆく!
青年の鼓動にあわせて昇りゆく!

P1010736_1.jpg

≪ナレーション≫ 本日の寸劇人間革命は、長編詩 「青年の譜」のお話であります。

時は昭和51年西暦1976年1月。
学生部の先輩が、薄いブルーの表紙の、小冊子を持ってきたのです。
その小冊子のタイトルには、「青年の譜」と記されていたのであります。

≪先輩≫ われには われのみの使命がある

       君にも 君でなければ 出来ない使命がある


このフレーズは前から知ってたけど、この詩にこんな深い意味があるとは知らなかったよ。
ちょっと読んでみるよ

青年の譜

天空に雲ありて
風吹けど
太陽は 今日も昇る
午前八時の青年の太陽(かれ)は
無限の迫力を秘めて
浸透(しんとう)しつつ 正確に進む


幕は落ちた 第二の十年
線上より 広く面上にうつり
高く聳(そび)えゆく
二十一世紀の結実の文化の作業をするのだ
それは 君達の踏む檜(ひのき)舞台!
誇り高き 初登場だ!

われには われのみの使命がある
君にも
君でなければ 出来ない使命がある

青春の躍動せる力なくして
老いたる世代に 何ができるか
未完成より 完成への構築の坂
青春の歌
文化の曲
革新の銅鑼(どら)を 鳴らしながら
勇壮に 雨に打たれて働こう


鉄は冷たい 烈風(れっぷう)もある
鉄は重たい 汗も出る

だが 労苦と使命の中にのみ
人生の価値(たから)は生まれ
壮麗(そうれい)なる結晶の曲が響きわたる



≪後輩≫先輩、いい詩じゃないですか。すごい!

≪先輩≫実はね、この詩の暗唱運動が始まったんだよ。

≪後輩≫ゲ。丸暗記ですか!

≪先輩≫そうだ。いっしょに頑張ろう!!

≪ナレーション≫ 東京の学会本部では、学生部全国幹部会が開かれています。
壇上に登場した、原田稔学生部長が、先駆を切って、青年の譜の暗唱を行ったのであります。

野崎勲男子部長の見守るなか、原田稔学生部長は、はりのある声で朗々と「青年の譜」の暗唱を始めたのであります。

関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。