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ガーナ会館完成のお話_ロングバージョン

以前に掲載した、アフリカ・ガーナ会館完成のお話 の、ロングバージョンになります。

≪山本伸一≫ 南君。ガーナに行ってくれるんだね。
≪南忠雄≫ はい!頑張ります。
≪山本伸一≫ ガーナについては、何か知っているかい?
≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ガーナ ミルク チョコレート しか、思い浮かびません。

階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。21世紀はアフリカの世紀です。先生、ありがとうございました。


SBSH1319.jpg


≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、アフリカのガーナのお話をお送りいたします。

山本伸一.役です。
妻の峯子.役です。
聖教新聞ガーナ常駐特派員の南忠雄.です。役職はガーナ指導長です。
南の妻の役です。

そして私が、元気はつらつ・ガーナ青年部です、よろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は西暦1975年昭和50年1月26日。世界平和会議が開かれたのであります。世界51カ国・地域の代表158人がグアム島に集い、創価学会インターナショナル SGI が結成されたのであります。

≪山本伸一≫ ともかく地平線の彼方に、大聖人の仏法の太陽が、昇り始めました。
皆さんがたは、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。
私もそうします。


≪ナレーション≫ 山本伸一は、スピーチを終えると、各テーブルを回って参加者・一人一人を、ねぎらったのであります。アフリカのメンバーの席に来ると、ひとりの日本人青年に声をかけた。本日の寸劇の主人公・聖教新聞ガーナ常駐特派員・南忠雄(みなみただお)青年であります。

≪山本伸一≫ 南君、これからが正念場だよ。歯をく食いしばって頑張り抜くんだ。同じ一生ならば、アフリカの人々の幸福のために人生を捧げ、広宣流布のパイオニアとして名を残すことだ。
それが君の使命だ。崇高な使命に生きられるということが、どんなにすばらしいか、やがてしみじみとわかるときがくるよ。君がこれから、どうしていくのか、私はじっと見ているよ。

≪南忠雄≫ はい!頑張ります!

≪ナレーション≫ 南は、すっかり日焼けして黒くなった顔で、目を輝かせてうなずいたのであります。

≪ナレーション②≫ 南忠雄は神奈川県横須賀の出身。小学3年の時、父親が病死。
母が和裁の仕事で、5人の子供を育てたが生活は苦しかった。
彼が中学の時に母が入会、間もなく彼も信心を始めた。

一家に希望の光が、差したのであります。

南忠雄は働きながら定時制高校、そして夜間の大学に進み、学会活動にも励んだのであります。
学会活動の中で、民衆の幸福と世界の平和を実現することが、創価学会の目的であることを知ります。

そして民衆の幸福のために尽くそう、広宣流布に生き抜こう。との、思いを、強く、強く、抱くようになっていったのであります。

大学卒業後は、本部職員として採用され、聖教新聞の記者となった。
念願の職場であった。
しかし、あまりの多忙のため、体調を崩してしまったのであります。

≪南忠雄≫ 仕事をする上で大事なのは健康だ。よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。
体を鍛え、体力をつけよう。よし、毎朝、仕事の前に、ランニングをして、体を鍛えよう。

≪ナレーション②≫ そんな一途に努力する、南の姿を、山本伸一は、じっと見ていたのであります。
海外常駐特派員の募集があった時、南は勇んでガーナ行きを、希望したのでありました。


≪山本伸一≫ 南君。ガーナに行ってくれるんだね。

≪南忠雄≫ はい!頑張ります。

≪山本伸一≫ ガーナについては、何か知っているかい?

≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ガーナ ミルク チョコレート しか、思い浮かびません。

≪山本伸一≫ ガーナは公用語が英語だな。君は英語はできるのか?

≪南忠雄≫ (元気いっぱい)はい。ぜんぜん、できません。

≪山本伸一≫ かまわないよ。「当たって砕けろ」、の心意気で行きなさい。
活躍の舞台は広い。広宣流布の大きな希望をもって、人生を生き抜くことだよ。

≪山本伸一≫ これからは世界が大事になる。行ってくれるね。年が明けたら出発しなさい。

≪ナレーション≫ 南は、ガーナ広宣流布に胸を躍らせながら、さっそく妻に電話を入れたのであります。


≪南忠雄≫ 今度、ガーナに行くことになったよ。永 住 することに、なったんだ。

≪南忠雄≫の妻   エ・・イ・・ジ・・ユ・・ウ・・ ???
         あまりの驚きにもうセリフが続きません。

≪ナレーション≫ 山本伸一と妻の峯子は、結婚してまだ一年もたっていない南の妻を、夫婦で、激励したのであります。

≪山本伸一≫ 今度、ご主人にはガーナに行ってもらうことになりました。
       ご苦労をかけますが、一緒に行っていただけますか?

≪峯子≫ ご主人のためにもアフリカを、ガーナを、好きになってください。

≪南忠雄≫の妻   はい!大丈夫です。

≪山本伸一≫ 夫婦でアフリカに行って、広宣流布の道を開く、これは過去世からの約束なんです。
この世の使命です。

したがって、腹を決めて頑張ることが大事です。
ご主人がガーナで成功するもしないも、すべてあなたにかかっています。
それを忘れずに、強く、強く、生き抜いて、必ず人生の大勝利を打ち立ててください。

    遙(はる)かなる 君が燃え行く アフリカに われは命の 唱題おくらむ


≪ナレーション≫ 赤道に近いガーナは、ともかく、ともかく暑かったのであります。

≪南忠雄≫ ハルマッタンと呼ばれる乾燥した風が吹き、温度は40度を超えることもあるんです。
買い物をするにも、直射日光を浴びずに、最短距離で歩いていく工夫をしなければ大変です。

≪ナレーション≫ 国際電話も、なかなか、つながりません。

≪南忠雄≫ 新聞の原稿をエアメールで送っても、10日以上もかかる。
船便(ふなびん)だと1ヶ月半もかかってしまう。まいったなぁー。

≪ナレーション≫ 銀行での給料の受け取りもトラブル続きです。

≪南忠雄≫ どっかでミスがあって振り込まれていない。
銀行では、「来てません。」と言うだけで全然、調べてくれないんだ。まいったなぁー。

≪ナレーション≫ メンバーの家庭訪問に回ると、皆が、喜んで水を出してくれた。

≪南忠雄≫ 日本でお茶を出してくれるのと、同じだけど、生水だから、飲めば必ず腹をこわすんだ。
まいったなぁー。 いや、だめだ。 これではだめだ。
日本を基準に考えていては、ガーナの人々の気持ちはわからない。
「郷に入っては郷に従え」と言うじゃないか。
日本と比べて一喜一憂するのは、もう、やめよう。
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ しかし3ヶ月ほどしたころ、南は、マラリアで倒れてしまったのです。
熱は40度を超え、意識は朦朧(もうろう)となり、立ち上がることもできなかったのであります。

≪山本伸一≫ 南君は、大丈夫か。それから、どうなったんだ。まだ連絡は、取れないのか。
私は、戦争に行った兄たちから、マラリアの苦しさを聞いているんだ。
だから南君のことが、心配で、心配で仕方がないんだよ。

≪ナレーション≫ グアムでの世界平和会議で一年ぶりに南の顔を見た山本伸一は、包み込むような笑顔で語ったのであります。

≪山本伸一≫ 南君、マラリアには注意するんだよ。心配したんだよ。
ところで、アフリカの代表メンバーにも提案したんだが、どうだろう。
ガーナに会館を作ってはどうかね。アフリカで最初の会館だ。みんなで相談して、ぜひ実現してほしい。

≪南忠雄≫ アフリカで最初の会館。ガーナ会館。はい、希望が湧きます。必ず実現いたします。

≪ナレーション≫ こうしてガーナ会館の実現に向けての挑戦が、始まったのであります。


≪ガーナ青年部≫ はい、私は、元気はつらつ・ガーナ青年部です。
南指導長、売りにでている、会館にふさわしいような建物は、なかなか見つかりません。

≪南忠雄≫ いや、必ずある。これは先生との約束だ。

≪ガーナ青年部≫ 南指導長、基礎だけ造って工事が中止になっている物件を、見つけました。

≪南忠雄≫ よしこれなら、立派な会館ができるぞ。
この建物の設計は変更だな。しかし予算に余裕がないんだ。
鉄筋と電気工事は業者に頼むが、あとは、すべて自分たちで、作ろう。

≪ガーナ青年部≫ はい。作業は、土曜日と日曜日。
朝、現場にみんなで集まって勤行し、御書を拝読、学会歌を歌おう。

そして作業開始だ。ただし、作業は、午前中が勝負。昼過ぎは、暑すぎて働くことができないからだ。
よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ガーナ青年部②≫「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」

≪ナレーション≫ トラックの荷台に何時間も揺られて、駆けつけるメンバーもいたのであります。
皆、自分たちの手で、アフリカ初の会館を完成させるのだという誇りと使命に燃えていたのであります。
だれもが活気に満ち、喜びにあふれていた。

しかし、思わぬ障害が待ち受けていたのです。

≪ガーナ青年部≫ 大変だー。クーデターが起きました。

≪南忠雄≫ いまは危険だ。工事は少し様子を見てからにしよう。

≪ガーナ青年部≫ 今度は、鉄筋の値段が5倍になってしまいました。
セメントの値段も、めちゃくちゃ高くなってしまいました。マーケットには、商品がなにもありません。

≪南忠雄≫ ともかく何とかして、少しづつでも資材を集めよう。資材が集まるまで少し待とう。

≪ガーナ青年部≫ なんとしても、必ず幸福と平和の法城となる会館を建ててみせるぞ。
よーしやっとの思いで、資材も集まった。準備ができた。さあ工事再開だ。

≪ガーナ青年部②≫ 「♪♪私たちの会館を造ろうルンルン。♪♪広布の城。平和の城を。ルンルン♪♪」

≪ガーナ青年部≫ え?なんだいこの騒ぎは。え?また、クーデターが起きたんだって?
こんなんで、負けないぞ!! よーし、まげてたまっか・がんばるぞー。

≪ナレーション≫ こうした繰り返しの中で、ついに1983年の年末にガーナ会館が完成したのであります。
ガーナのメンバーの喜びがバクハツした。

1984年昭和59年の元日には、会館の落成を記念する新年勤行会が、晴れやかに挙行されました。
それはアフリカで最初の会館をと、決意してから実に9年後の、ことだったのであります。

≪南忠雄≫ ガーナ会館の敷地面積は2400平方メートル。建物は鉄筋コンクリート造り2階建て。
大ホールは400人を越える人びとを収容できます。
会議室、事務室、応接室などを備えた堂々たる会館です。
階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。
21世紀はアフリカの世紀です。先生、ありがとうございました。

≪ナレーション≫ さあいよいよ、私たちの○○文化会館の完成が近づいてまいりました。
全てに大勝利して、晴れやかに○○文化会館の完成を、迎えようでは有りませんか

本日は小説・新人間革命・第二十一巻・「SGI」の章から、「ガーナ会館の完成のお話」を、旭日地区のオール スター キャストで、お送りいたしました。

なお世界平和会議に集った、多くのメンバーの、エピソードは、またの寸劇のお楽しみであります。

以上で、寸劇のコーナーを終わります。




長い寸劇最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇の分量はおおよそ、20文字×250行になります。


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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

原水爆禁止宣言のお話

「原水爆禁止宣言」のお話です。
われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。
もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである。
核、あるいは原子爆弾の、実験禁止運動が今世界に起っているが、私はその奥にかくされているところの爪をもぎとりたいと思う。

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≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、創価学会の平和運動の原点である、「原水爆禁止宣言」のお話です。

時は昭和32年、西暦1957年9月8日、定刻午前9時。横浜は、三ツ沢陸上競技場であります。
観客席を埋めた五万の人々の見守る中、青年部東日本体育大会「若人の祭典」がいよいよ開会であります。

≪司会者≫ ただ今より、青年部東日本体育大会「若人の祭典」を開会いたします。選手宣誓。

≪選手宣誓≫ 宣誓、我々青年部・選手一同は、崇高(すうこう)なる学会精神と、旺盛なる団結力を発揮して、正々堂々と戦うことを誓います。

≪司会者≫ いよいよ競技の始まりであります。

とつぜんですが、ここで、クイズ大会を行います。

当時の体育大会の競技の名前には珍しいものが、あります。

たとえば「大法戦」。
この「大法戦」とは、騎馬戦ことなんですね。

まずは、やさしい問題です。「三障四魔競争」。
これは何でしょう? 答えは _____です。

続いて、男子部の「学会魂」。
これはちょっとむずかしい。
何でしょう? 答えは _____です。

最後に、女子部の「部員増加」。
これがわかれば、たいしたもんです。
何でしょう?答えは _____です。

それでは本題に戻りましょう。


≪ナレーション≫ すべての熱戦が終わった後、閉会式が行われ、いよいよ戸田先生の挨拶であります。

≪戸田城聖≫ 天竜(てんりゅう)も諸君らの熱誠に応えてか、昨日までの嵐はあとかたもなく、天気晴朗(せいろう)のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、又それにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。

さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。
あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、遺訓(いくん)すべき第一のものを、本日は発表いたします。

≪司会者≫ 思ってもいなかった、言葉に、私たちは驚きました。
「遺訓すべき第一のもの」との言葉に、何かを、感じたのです。
歓喜につつまれた「若人の祭典」の最後に、戸田が語ろうとする遺言とは何かを思い、私たちは固唾(かたず)をのんで、次の言葉を待ったのです。

会場の空気は一変していたのであります。


≪戸田城聖≫ 前々から申しているように、次の時代は青年によって担(にな)われるものである。
広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。
これは私たちが絶対にやらなければならぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。

いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継(つ)いで、全世界にこの意味を浸透(しんとう)させてもらいたいと思うのであります。

それは、核あるいは原子爆弾の、実験禁止運動が、いま世界に起っているが、私はその奥に隠されているところの爪(つめ)をもぎ取りたいと思う。

それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。

なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利を持っております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり怪物であります。

それを、この人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔ものであるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信ずるものであります。

願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明(せいめい)を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示にかえる次第であります。

201102 002
                          小説人間革命第12巻の挿絵より

≪ナレーション≫ ちょっと難しくなりますが、池田先生は、この宣言を次のように説明しています。

2009/9/8 核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を 戸田第二代会長生誕110周年記念提言

≪青年部朗読≫

私が重要と考える宣言の柱は、
①「政治指導者の意識変革」
②「核兵器禁止の明確なビジョン」
③「人間の安全保障のグローバルな確立」の三点です。


①「政治指導者の意識変革」

第一の柱は「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。」と述べ、核保有の奥底にある国家のエゴイズムを厳(きび)しく指弾(しだん)し、指導者の意識変革を強く促(うなが)した点です。

「サタン」や「怪物」といった表現は、いささか唐突(とうとつ)で奇異(きい)な印象を与えるかも知れませんが、核抑止論(かくよくしろん)の底流には、自国の優位や安全のために人類を犠牲にすることも辞(じ)さない、常軌(じょうき)を逸(いっ)した非情(ひじょう)の論理が脈打(みゃくう)っていることを人々にわかりやすく伝えるとともに、指導者に内省(ないせい)を求めることに主眼(しゅがん)がありました。

②「核兵器禁止の明確なビジョン」

第2の柱は、「もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである。」と述べ、いかなる理由があろうと、いかなる国であろうと、核兵器の使用は絶対に許されないと明言した点です。

生命尊厳の思想を根幹(こんかん)に据(す)える仏法者として死刑に強く反対していた師が、あえて極刑(きょっけい)を求めるかのような表現をもちいたのは、核使用を正当化しようとする論理に明確な楔(くさび)を打ち、その根を断(た)つためでした。

③「人間の安全保障のグローバルな確立」

第三の柱は、「核、あるいは原子爆弾の、実験禁止運動が今世界に起っているが、私はその奥にかくされているところの爪をもぎとりたいと思う。」と述べ、核実験への抗議もさることながら、多くの民衆の犠牲の上で成り立つ安全保障思想の根絶(こんぜつ)を図(はか)らない限り、本質的な解決はありえないことを、指摘した点です。

ひとたび核攻撃の応酬(おうしゅう)が始まれば、他国の国民にとどまらず、自国の大半の国民も犠牲をまぬがれないことは明らかです。そうした事実に目をつぶって、いくら「国家の安全保障」を声高に叫んでも、本来守るべき国民を捨象(しゃしょう)した“抜け殻(ぬけがら)”でしかありません。


≪ナレーション≫ 山本伸一は、戸田城聖の原水爆禁止宣言を、打ち震(ふる)える思いで聞いていた。
彼は、この師の遺訓を、かならず果(は)たさなければならないと、自らに言い聞かせた。

そして、戸田の思想を、いかにして全世界浸透(しんとう)させていくかを、彼はこのときから、真剣に模索(もさく)しはじめたのである。
伸一の胸には数々の構想が広がっていった。

しかし、彼は逸(はや)る心を抑えた。
それが、今日の創価学会の広範な平和運動として結実していくには、まだ、ながい歳月を待たねばならなかったのであります。

この日、昭和32年西暦1952年9月8日は、山本伸一が不当逮捕された入獄の日・7月3日から2ヵ月後、そして戸田先生逝去のおよそ7ヶ月前のお話であります。

本日は、小説人間革命第12巻『宣言』の章から、創価学会の平和運動の原点である、「原水爆禁止宣言」のお話を、旭日地区のオールスターキャストで、お送りいたしました。

以上で寸劇のコーナーを、終わります。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ちょっと寸劇になっていないような感じですが、よろしくお願いします。
この寸劇の分量は、おおよそ 20文字×180行です。
クイズのやり取りで、時間が、かかります。



Sannsyoushima is Syougaibutu.
Gakkaidamashii is Boutaoshi.
Buinnzouka is Tunahiki.

 
原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
後半のところの、むずかしい解説を省略したものです。
分量はおおよそ、20文字×130行です。
    
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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

飛騨高山の小学5年生・丸山圭子ちゃんのお話

高山に行った時には、あなたは小学校の五年生だったね。よく覚えているよ。
私はこれからも、ずっと、あなたを見守っていきます。

山本伸一先生は、学会っ子は、“獅子の子”だっていわれているのよ。
“獅子の子”は、何があっても泣いたりしちゃいけないわ。
圭子ちゃんも、絶対に負けないでがんばってね

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≪ナレーションA≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は、「飛騨高山の小学5年生・丸山圭子ちゃんのお話」と題しまして、お送りいたします。

 時は、昭和42年、西暦1967年8月15日。
山本伸一は岐阜の高山会館を訪問したのであります。
高山会館は人で埋まり、路上にまでメンバーがあふれていたのであります。

≪山本伸一≫ お世話になります。
飛騨(ひだ)は、美しい、いいところだね。
さあ、飛騨の夜明けを開きましょう。

≪ナレーションA≫ 多くのメンバーが集まっていたため、何度も入れ替えをして、勤行会が行われたのです。
その時、山本伸一のすぐ後ろで、歓喜に頬(ほお)を紅潮(こうちょう)させて懸命に唱題する、一人の未来部員がいたのです。
本日の寸劇の主人公、丸山圭子(けいこ)ちゃんであります。

≪丸山圭子≫ 丸山圭子、小学5年生の役をやります。よろしくお願いします。

 私は、小さい時から、信心に励む両親の唱題の声を聞きながら育ちました。
そんな自分が、お題目を唱えるようになったのは、“いじめ”にあってからです。

≪ナレーションB≫ 圭子ちゃんは、棚の上から落ちてきた植木鉢が左手の中指にぶつかって、怪我をしてから、指が不自由になりました。
小学校に入ると、周りの子供たちから好奇(こうき)の目で見られ、毎日、心ない言葉をあびせられ続け、仲間はずれにもされたのです。

そんな圭子ちゃんを、両親は、こう言って励ましたのであります。

≪お母さん≫ 人を差別したり、いじめたりする子は、心の貧しい子なのよ。
しっかり、お題目を唱えなさい。
そうすれば、そんなことで挫(くじ)けない、強い子になれるわよ。

≪ナレーションB≫ 女子部の先輩も激励を重ねたのであります。

≪女子部先輩≫ 山本伸一先生は、学会っ子は、“獅子の子”だっていわれているのよ。
“獅子の子”は、何があっても泣いたりしちゃいけないわ。
圭子ちゃんも、絶対に負けないでがんばってね

≪ナレーションB≫ その励ましが、圭子ちゃんに希望を与えたのです。
圭子ちゃんは真剣に祈った。すると、勇気がわいてくるのを感じた。
もう泣くまいと思った。
唱題を続けるなかで、次第に明るさを取り戻していった。
授業中も、進んで手をあげるようになった。

左手の中指が不自由であることは、やがて、何の苦にもならなくなったのであります。

≪女子部先輩≫ 山本先生は、社会の平和と人びとの幸福のために、世界を駆け巡っていらっしゃるのよ。
先生は、私にとって人生の師匠なのよ。

≪丸山圭子≫ どうすれば、山本先生にお会いすることが出来るんですか。

≪女子部先輩≫ そうねー。『祈りとして叶わざるはなし』の御本尊なんだから、しっかりお題目を唱えれば、必ずお会いできるわよ。

≪ナレーションB≫ 以来、圭子ちゃんは、山本先生とお会いできますようにと、真剣に唱題を始めたのです。
そして、数日前、両親の話から、8月15日に山本会長が高山に来ることを知ったのであります。

≪丸山圭子≫ ねえ、私もその会合に行ってもいい?

≪お母さん≫ だめよ。子供は参加できないことになっているの。
あなたは、おうちで妹と留守番していてね。

≪ナレーションB≫ さて15日の当日であります。

≪丸山圭子≫ そうだ、会館に行く国道に立っていれば、先生の乗った車を見ることができるかもしれない。
よーし、行ってみよう。

≪ナレーションB≫ 30分ほどで、ようやく国道に出た。
それから、もう少し、もう少しと、歩いていくと空き地に、大勢の人が集まっていた。

≪丸山圭子≫ 会合で見たことのある人がいっぱいいるわ。何だろう。

≪ナレーションB≫ 実は、高山会館に行くメンバーの待機場所だったのです。
「ヤバイ」。お母さんにみつからないように、そっと木陰(こかげ)に身を潜(ひそ)めていたのですが、、

≪男子部輸送班≫ こらこら、だめですよ。
あなたも、ちゃんと列に入って、並んでいてください。

≪丸山圭子≫ は、はい。わかりました。

≪ナレーションB≫ しばらくすると、待機していたメンバーは、高山会館に移動することになったのです。
「子供は参加できないことになっている」との、お母さんの言葉を思い出して、どうしようかと困っていると、、

≪男子部輸送班≫ こらこら、だめですよ。
あなたも、ちゃんと列を乱さずに、いっしょに歩いてください。

≪丸山圭子≫ は、はい。わかりました。

≪ナレーションB≫ こうして、圭子ちゃんは、いつの間にか、高山会館に着いたのです。
しばらく庭で待機していると、部屋の中から、山本会長の声が聞こえてきます。

≪山本伸一≫ どうか、もっともっと強い信心にたって、もっともっと大きな功徳を受けてください。
今度私が来る時には、女性はすばらしい着物を着て、男性は超高級の背広を着て、ピカピカの新車に乗って、『こんなに幸せになれました』と言って、駆けつけていただきたい。

今日は、外にもたくさん人があふれていますので、今、この部屋にいる方は、外に出て、入れ替わっていただきたいんですが、よろしいでしょうか。

では、大変に申し訳ありませんが、静かに立ち上がってください。

≪ナレーションB≫ 会館の中にいたメンバーが退場すると、伸一は縁側まで出て、外にいた人たちに、手招きして言った。

≪山本伸一≫ さあ、どうぞ、中にお入りください。

≪ナレーションB≫ 圭子ちゃんは、後ろから押されて、押されて、また押されて、いつの間にか、最前列になっていた。
伸一の真後ろで勤行しながら、圭子ちゃんは信じられない気持ちだった。

≪丸山圭子≫ 御本尊様はすごい! 願いが本当に叶ってしまった!!

≪ナレーションB≫ 伸一は、勤行が終わり、皆の方を振り向くと、最前列にかしこまるようにして座っている圭子ちゃんに、声をかけたのであります。

≪山本伸一≫ 私の横にいらっしゃい!

≪ナレーションB≫ ところが、圭子ちゃんは緊張して、その言葉も耳に入りません。
婦人部の幹部が、話しかけ、手招きをしたので、あわてて立ち上がりました。

≪山本伸一≫ よく来たね。ありがとう。何年生?

≪丸山圭子≫ 五年生です。

≪山本伸一≫ そうか。お父さん、お母さんを大切に。また、しっかり、勉強するんだよ。

≪丸山圭子≫ はい!

≪山本伸一≫ さあ、お土産だよ。

≪ナレーションB≫ 伸一は、未来を担(にな)うのはこの子たちだと思うと、声をかけずには、いられなかったのであります。
彼は記念として少女に何か贈りたいと思ったが、あいにく何も用意していなかったので、宝前に供えられていた菓子を、渡したのでした。

束の間の出会いであったが、山本伸一の励ましは、丸山圭子という一少女の幼い胸に、使命の光を注いだ。
彼女は山本会長の期待を感じ、“頑張ろう。勉強にも挑戦しよう”と、心に誓いながら、家路を急いだのであります。

≪ナレーションA≫ お話の続きは、なんと、それから11年後の昭和53年西暦1978年7月であります。

名古屋の中部文化会館で行われた記念の幹部会で、圭子ちゃんの名前が呼ばれたのです。
壇上に立った圭子ちゃんに、伸一は懐かしそうに、語りかけたのであります。

≪山本伸一≫ 高山に行った時には、あなたは小学校の五年生だったね。よく覚えているよ。
私はこれからも、ずっと、あなたを見守っていきます。

≪ナレーションA≫ 山本伸一は、飛騨の地に植えた種子が、花開いたような喜びを覚えたのです。
すぐに句を認(したた)め、彼女に贈ったのであります。

≪山本伸一≫ 

あな嬉し 花の広布の 君が舞い 
  
あな嬉し 花の広布の 君が舞い 



≪ナレーションA≫ 山本伸一は、彼女の幸福を、心から願った。
自分に負けないで、生涯、広布の道に邁進(まいしん)してほしいと思った。
皆のために、黙々と、謙虚に、誠実に働き、誰からも信頼されるリーダーに育ってほしかったのであります。

本日は小説新人間革命第12巻「愛郷(あいきょう)」の章より、
「飛騨高山の丸山圭子さんのお話」を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇のコーナーを終わります。



最後まで読んでいただきありがとうございます。

未来部のメンバーに参加してもらう寸劇として作ってみました。

この寸劇の分量は、おおよそ、20文字×190行です。 

ナレーションA と ナレーションB があります。
ナレーションの部分が多くなってしまったためです。
両方をひとりでやっても大丈夫です。


原作にある以下の部分は省略しました。
いじりすぎだ、と思われる方には、お詫び申し上げます。


 山本伸一は、飛騨の人びとが、長い間、いかに苦悩の辛酸をなめてきたかをよく知っていた。また、飛騨の同志が、大変な環境のなかで、郷土の人びとの幸福を願い、いかに黙々と奮闘し続けて来たかも、よくわかっていた。
だからこそ、その同志を、命の限り、励ましたかった。その胸中に、勇気と希望の火をともしたかったのであります。伸一は、飛騨の安穏と繁栄を祈り念じて、緑深き山々に題目を染み込ませる思いで、車中、懸命に唱題を重ねたのであります。

そして、数日前、支部長 、支部婦人部長をしている両親の語らいから、8月15日に山本会長が高山に来ることを知ったのである。彼女の唱題は、ちょうど百五十万編になんなんとしていたのであります。

皆さんの手で、必ず飛騨に、『幸福の花園』を、『人間協和の故郷』を築いていってください。
私は、皆さんのことは、永遠に忘れません。
飛騨には、なかなか来ることは出来ませんが、皆さんのご健康とご長寿を、また、ご一家と飛騨の地域の繁栄を祈っております。お題目を送り続けます。お元気で!

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カナダ広布の黎明

広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。
カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

種(たね)を蒔(ま)かなければ、芽は出ない。
ゆえに、未来のために、今日も対話の種子を蒔くのだ。
今の行動の中にのみ、明日の実(みの)りがあるのであります。

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

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≪ナレーション≫それでは寸劇のコーナーです。
はじめに 小説 新 人間革命の冒頭の部分を朗読してもらいます。

≪青年部朗読≫

小説 新 人間革命 第一巻 旭日の章

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。

1960年(昭和35年)10月2日。

山本伸一、32歳。

彼は今、胸中(きょうちゅう)に平和への誓いの火を燃やしながら、世界へと旅立とうとしていた。
それは、創価学会第3代会長に就任してから、わずか五ヶ月後のことであった。(中略)

 訪問の目的は、各地に誕生し始めた会員の激励、指導である。
山本伸一の訪問地は、アメリカのハワイのホノルルを振り出しに、サンフランシスコ、シアトル、シカゴ、トロント、ニューヨーク、ワシントン、サンパウロ、ロサンゼルスの3ヵ国9都市である。
帰国は、10月の25日の予定であった。

≪ナレーション≫ 本日は、たくさんのエピソードの中から、「カナダ広布の黎明」と題しましてお送りいたします。
 
初めての海外訪問の10日目、カナダ・トロント空港でのエピソードであります。

≪ナレーション≫ カナダ訪問の主な目的は、大客殿の建築資材の購入などであった。
正午近く、一行はトロント空港に、到着した。カナダだけに、さすがに空気は冷たかったのであります。

レンタカーを借りにいった同行メンバーを、ロビーで待っていると、少し離れたところから、じっとこちらを見ている、若い東洋人の婦人がいたのであります。


≪同行幹部≫① おや、あの女性は、日本人みたいですね。

≪同行幹部≫② カナダにはまだ学会員はいないはずですよ。

≪ナレーション≫ 緑色のコートを着て、頭にスカーフを巻いた、目の大きな女性であります。


≪同行幹部≫① おや、こっちに歩いてきますよ。

≪同行幹部≫② もしかすれば、婦人部じゃないですか。

≪泉谷照子≫ あのー。創価学会の方でしょうか。

≪同行幹部≫① はい、そうです。あなたも学会員ですか。
≪同行幹部≫② すごい。カナダにも学会員がいたんだ。

≪泉谷照子≫ (きっぱりと)いいえ、違います。私は、学会員では、ございません。

≪同行幹部≫①② わー、がっかり。

≪泉谷照子≫ 私の母が日本で学会に入っておりまして、母からお迎えに行くように言われてまいりました。

≪山本伸一≫ そうですか。わざわざお迎えいただき、ありがとうございます。
私が会長の山本伸一です。あなたのお名前は?

≪泉谷照子≫ はい、泉谷照子(いずみやてるこ)と申します。

≪山本伸一≫ それで、お母さんはどこの支部の方ですか。

≪泉谷照子≫ 確か蒲田支部と聞いていました。

≪山本伸一≫ 私たちのことを気遣(きづか)って、娘さんに迎えに行くように伝えてくるなんて、お母さんの人柄(ひとがら)がしのばれます。
深く感謝いたします。ところで、あなたは、どういう経緯(けいい)でカナダに来られたのですか。

≪泉谷照子≫ はい、主人が商社に勤めておりまして、こちらに転勤になりましたものですから、、。
トロントには、半年前にまいりました。

≪ナレーション≫ 泉谷は、伸一の質問に、明るく、にこやかに答えたのであります。

彼女の母親は、結婚してカナダに渡った娘のことが気がかりで、手紙で入会を勧めていたのであります。
しかし、罰や功徳といった話が迷信めいた時代遅れなものに思えたのです。

毎回、送られてくる聖教新聞も、目を通す気にはなれなかったのであります。
その日の朝も、母からエアメールが届いたのです。

≪泉谷照子≫ どれどれ、なになに、、『山本会長の一行が、11日カナダを訪れます。山本先生は、世界的な指導者になられる方です。ぜひ空港でお迎えしてください。』

うーーん。どうしよう。困ったわ。
もしも、折伏などされたら、たまったものではないわ。だけどせっかくの母のお願いだし、、
うーーん、、困ったわ、、、、

≪ナレーション≫ 結局、行かなければ、親不孝になるような思いにかられて、空港にやってきたのであります。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、泉谷の家庭の様子などを尋ねながら、人生にとって、なぜ信仰が大切かを述べ、仏法とは生命の法則であることを語っていった。
そこには、無理に入会を迫る強引さも、居丈高(いたけだか)な態度もなかった。
彼女は、これまで自分が学会に対していだいていた印象は、どこか違っていたように思えたのであります。

≪山本伸一≫ もし、何かあったらお題目を唱えることです。

≪ナレーション≫ 彼女は、その言葉を抵抗なく聞くことが出来たのであります。
まもなく、同行メンバーが、レンタカーを借りて帰ってきたので、皆で一緒に記念の写真を撮った。

≪山本伸一≫ 空港までは、どうやって来たのですか。

≪泉谷照子≫ タクシーでまいりました。

≪山本伸一≫ では、この車で自宅までお送りしましょう。

≪泉谷照子≫ いいえ、タクシーで帰りますから結構です。

≪同行幹部≫① これを入れて、あれも入れて、よいしょ、よいしょ、。
ウーン。先生、もう車は、満杯ですよ。

≪山本伸一≫ しばらく待ってください。なんとかしますから。

≪同行幹部≫② よいしょ、よいしょ、あーでもない。こーでもない。ウーン、やっぱり、車は、満杯です。

≪泉谷照子≫ 私のことなら、ご心配いただかなくても大丈夫です。どうぞ、ご出発なさってください。

≪山本伸一≫ すまないね。申し訳ないね。
これが、私たちの滞在するホテルです。
もし、聞きたいことでもあれば、訪ねてください。
また、日本に帰ったらお母さんに、娘さんはお元気であったとお伝えします。

≪ナレーション≫ 泉谷は、一行の乗った車が見えなくなるまで、手を振っていたのであります。
 彼女は、山本会長という人間からあふれ出る、誠実さや思いやり、確信、そして道理にかなった指導から、母が一心(いっしん)に励(はげ)んできた信仰の世界の真実を、初めて垣間見(かいまみ)た気がしたのであります。

伸一との出会いの一年七ヵ月後、泉谷は、自(みずか)ら入会したのであります。


≪ナレーション≫ 時は流れて、1964年(昭和39年)の11月。
夫の仕事の関係で一時帰国していた泉谷は、学会本部に山本伸一を訪ねたのであります。

山本会長は、自分のことなど、当然忘れているはずだ思っていたのです。しかし、、

≪山本伸一≫ トロントでは本当にお世話になり、ありがとうございました。

≪ナレーション≫ また伸一は、泉谷が信心を始めたことを心から喜び、こう語ったのです。

≪山本伸一≫ 広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。

≪泉谷照子≫ はい、頑張ります!

≪ナレーション≫ とっさに、彼女は、そう答えていた。
これが、泉谷が、カナダ広布の大使命に立ち上がった瞬間だったのであります。
そして、彼女の奮闘(ふんとう)が始まったのです。

≪ナレーション≫ 時は流れて、1967年(昭和42年)5月18日。
ニューヨーク会館での勤行会に、泉谷は、一段と成長した姿で、トロントから車で10時間以上もかけてやってきたのです。

≪泉谷照子≫ 先生、今日はメンバー3人と一緒にまいりました。カナダも着実にメンバーが増えています。

≪山本伸一≫ そうですか。あなたがそうして奮闘されていることが、私にとって最大の喜びです。

≪ナレーション≫ 山本伸一は、健闘(けんとう)を讃(たた)え、固い握手(あくしゅ)を交わした。

7年前に植えた励(はげ)ましの種子が、今、見事に結実(けつじつ)したのだ。

種(たね)を蒔(ま)かなければ、芽は出ない。
ゆえに、未来のために、今日も対話の種子を蒔くのだ。
今の行動の中にのみ、明日の実(みの)りがあるのであります。

本日は、
小説新 人間革命 第1巻 錦秋(きんしゅう)の章、
さらに新 人間革命 第12巻 新緑(しんりょく)章から
「カナダ広布の黎明のお話」と題しまして、
旭日地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で 寸劇のコーナーを終わります。


寸劇を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇は、婦人部用に作ってみました。

婦人部の皆様、これからもよろしくお願いします。

この寸劇の分量は、おおよそ 20文字 × 200行 です。

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センテンスで探す寸劇人間革命

有名なセンテンス、重要なセンテンス、などで、いろんな寸劇人間革命を探してみよう。

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『正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか?    さあ、これは、難問中の難問だな。この質問に答えられる人は、いまの時代には誰もいないと思う。しかし、僕には答えることができる。』 8月14日のお話

『旅びとよ いずこより来り いずこへ往かんとするか   嵐に動かぬ大樹を求めて  われ地より 湧き出でんとするか』 8月14日のお話



『百年河清を俟つ…か。君も“さじ”を投げたいのかね。戸田は断じて“さじ”を投げません!』 二十歳の山本伸一青年

『革命は死なり。われらの死は、妙法への帰命なり。 若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲学を抱きて戦え。われ、弱冠二十にして、最高の 栄光ある 青春の 生きゆく 道を 知る。       がんばるか。  はい。おねがいいたします。  山本伸一は、間髪をいれず答えた。一瞬の気合であった。決定的な瞬間である。時はすでに熟していたのであります。こうして、山本伸一は、戸田の経営する日本正学館に少年雑誌「冒険少年」の編集者として勤務することになったのであります。』 二十歳の山本伸一青年



『僕には、天に叫び、地に悲しむ、孔明の痛烈(つうれつ)な声が聞こえてきてならないのだ』 星落秋風五丈原
『孔明には、挫折も許されるかもしれないが、私には、挫折はゆるされぬ』 星落秋風五丈原

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『皆さん、彼は私が右腕とも左腕とも頼む人物で、山本伸一君といいます。』 厚田村のお話
『今日は先生の故郷に、会長就任のご報告に、まいりました。』 厚田村のお話

『僕は、日本の広宣流布の磐石な礎を作る。君は世界の広宣流布の道を開くんだ! この海の向こうには、大陸が広がっている。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火におびえる子供たちもいる。東洋に、そして世界に、妙法の灯をともしていくんだ。』 厚田村のお話


『創価学会でも、神札を受けるように申しわたす。』 11月18日のお話
『承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません。いまだかつて創価学会は、総本山に、何ひとつご迷惑を、かけておらぬでは、ありませんか。』 11月18日のお話
『私はまだ若い。先生は74歳でいらせられる。どうか、罪は私一身に集まって、先生は一日も早く帰られますように、』 11月18日のお話
『広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。地下にねむる先生、もうしわけございませんでした。』 11月18日のお話

『私はどんな劣等生でも、必ず優等生にしてみせます。先生、私を採用してくだされば、あとできっと、「いい奴を採用してよかった」、とお考えになるでしょう。  戸田君。君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になるだろう。』 11月18日のお話

『先生の、教育学の目的は、一言で言えば、何でしょう?それは、価値を創(つく)ることだ。それでは、先生の教育学を、創価―創価教育学と名付けましょう。』 11月18日のお話


『参加者には、「はし」と「わん」を持ってくるように徹底するのだ。ただし、弁当は各自が持参するんだよ。そこまで面倒は、みれんからな。は-は-は-は-は-は-』 3月16日のお話

『広宣流布の模擬試験、予行演習となる 式典をしようじゃないか。この式典の全責任は君がもつのだ。思い通りに、力いっぱいやりたまえ。』 3月16日のお話

『大きすぎて、実践には向かぬ。戦いにならんぞ!!』 3月16日のお話

『峰さん、あなたの来るのを六千人の青年が、前々から準備をして、待っているのですぞ!青年を騙すことになるではないか。 済まないことをしました。戸田さんには、くれぐれもお詫びします。
私に詫びよと、いっているのではない!詫びるのは、青年たちにだ!!』 3月16日のお話

『創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広布の誉れの法戦に、花の若武者として勇敢に戦い進んでもらいたい。』 3月16日のお話


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『トインビー大学の 最優等生であるあなたは、必ず将来、世界中の大学から名誉称号を贈られるでしょう。』 トインビー対談

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『あんたは池田先生を、知っているのかい?俺が、一番会いたい人は、この人なんだよ』 植木屋のおじさん

『日本一の女性になりなさい。必ずなれるのだよ。』 「三本杉」のお話


『さあ、私が来たからもう大丈夫だよ』 雪の秋田指導 
『諸君が思うと、思わざるとにかかわらず、諸君は、池田門下生であります。』 雪の秋田指導 
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『21世紀はアフリカの時代になるでしょう。』 アフリカ支部誕生
『遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。』 アフリカ支部誕生
『仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。』 アフリカ支部誕生


『今日は、素晴らしい、一世一代の話を、持ってきたぞ。山本伸一君との縁談だ。    伸一君を私に、くださらんか』 もう一つの5月3日


『その傷ついて帰った、我が子を匿って、傷を癒してやる。そして、立派に大きく育てて、天下を取るために、ふたたび世に、送り出そうとする。その母の心境が、この歌だと考えてみてはどうかね。婦人部のみんなも、子供を立派に育てて、広宣流布の庭に、送り出すんだよ。』 田原坂


『夫婦でアフリカに行って、広宣流布の道を開く-これは過去世からの約束なんです。この世の使命です。』 ガーナ会館完成のお話
『自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔(ま)いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。』 ガーナ会館完成のお話
『階段の一段、一段に、柱の一本、一本に、メンバーの真心が、汗と涙が、そして広宣流布への誓いが込められています。』 ガーナ会館完成のお話


『明日は札幌で、明後日は夕張で、それぞれ炭鉱労働組合の問題で、非常に大事な会合があるのです。』 7月3日入獄の日
『夜明けが来た、日本の夜明けが来た!そう、わが同志にお伝えください。』 7月3日入獄の日

『伸一、もしも、おまえが死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな。』 7月3日入獄の日
『裁判長に真実をわかってもらえれば、それでいいじゃないか。』 7月3日入獄の日

『出獄と 入獄の日に 師弟あり   七月の 三日忘れじ 富士仰ぐ』 7月3日入獄の日


『君が愁いに 我は泣き 我が喜びに 君は舞う―これは同志愛の極致じゃないか』 嗚呼 黎明は近づけり
『私は嬉しかった。本当に嬉しかった。私が再び広宣流布の雄渾の指揮をとる日を待っていてくれたのだ。』 嗚呼 黎明は近づけり


『戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。だが、その戦争はまだ、続いていた。』 戸田先生の出獄直後の闘い
『僕は、やっぱり末法の法華経の行者の一人だよ。』 戸田先生の出獄直後の闘い
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『法華経のために牢屋にぶちこまれて、まる2年間、死ぬ苦しみでたたかった、その功徳なんだよ。』 戸田先生の出獄直後の闘い


『きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや次の創価学会-会長が現れるであろう。』 青年部の結成
『私にもし万一のことがあったら、創価学会のことも、いっさい君に任せるから、引き受けてくれまいか。』 青年部の結成

『創価学会の女子部は、一人のこらず幸福になるんですよ。』 青年部の結成
『そのためには、純粋な、強い信心に生涯を生きるという条件がなければ叶いません。』 青年部の結成
『私がすべてやります。わたしが断じて苦境を打開します。そして絶対に先生に、学会の会長になっていただきます』 青年部の結成


『先生、今度、三島さんが理事長になると、私の師匠は三島さんになるんでしょうか?』 S25年山本伸一青年の闘い
『いや、それは違う!苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、このぼくだよ。』 S25年山本伸一青年の闘い
『伸一、お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!俺の命と、交換するんだ!』 S25年山本伸一青年の闘い

『古の奇しき縁に仕えしを人は変われどわれは変らじ  幾たびか戦の庭に起てる身の捨てず持つは君が太刀ぞよ  色は褪せ 力は抜けし吾が王者死すとも残すは君が冠』 S25年山本伸一青年の闘い

『異体は同心となり、一つの偉大な生命に溶けて、久遠からの、実在の、姿を、現したのである。』 S25年山本伸一青年の闘い


『長いながい人生です。声高らかに題目をあげ、苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらいて、必ず、必ず、来る春を待つことです。』 洋服屋のおじさん
『私は元来、子供のころから病弱で、やせて顔色も悪かった。胸も病んでいました。そんな体で、東京の街を大八車を引きながら働かなければならないこともありました。』 洋服屋のおじさん


『われには われのみの使命がある君にも 君でなければ 出来ない使命がある』 青年の譜
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『 それは、平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です。』 ソビエト訪問_コスイギン首相
『率直にお伺いしますが、ソ連は中国を攻めますか。いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。』 ソビエト訪問_コスイギン首相


『平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。』 シカゴのおばあちゃん
『おばあちゃん、まだまだこれからも、楽しい思い出をたくさん作ってください。体は年をとり、顔に皺(しわ)が刻まれていっても、心まで皺が刻まれるとは限りません。自分の気持ち次第で、心はいつまでも青春でいられます。』 シカゴのおばあちゃん


『私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。 もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。 遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!よろしいか!』 戸田先生会長推戴式

『若輩ではございますが、本日より戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への、指揮を、とらさせていただきます!』 戸田先生会長推戴式
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『われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。』 『原水爆禁止宣言』のお話
『もし原水爆をいずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきである』 『原水爆禁止宣言』のお話
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『核、あるいは原子爆弾の、実験禁止運動が今世界に起っているが、私はその奥にかくされているところの爪をもぎとりたいと思う』 『原水爆禁止宣言』のお話


『今度私が来る時には、女性はすばらしい着物を着て、男性は超高級の背広を着て、ピカピカの新車に乗って、『こんなに幸せになれました』と言って、駆けつけていただきたい。』 飛騨高山の圭子ちゃんのお話
『高山に行った時には、あなたは小学校の五年生だったね。よく覚えているよ。私はこれからも、ずっと、あなたを見守っていきます。』 飛騨高山の圭子ちゃんのお話
『山本伸一先生は、学会っ子は、“獅子の子”だっていわれているのよ。“獅子の子”は、何があっても泣いたりしちゃいけないわ。圭子ちゃんも、絶対に負けないでがんばってね』 飛騨高山の圭子ちゃんのお話


『おや、あの女性は、日本人みたいですね。カナダにはまだ学会員はいないはずですよ。おや、こっちに歩いてきますよ。もしかすれば、婦人部じゃないですか。   あのー。創価学会の方でしょうか。』 カナダ広布の黎明

『広宣流布のために生き抜くことほど、崇高(すうこう)で、幸福な、充実した人生はありません。カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ』 カナダ広布の黎明



『先生、どうか私の原稿を見てください。これは大変なものだ…。ところで、君はどのようにして、これほどの学問をしたのですか
先生の、教育学は、何が目的ですか? 価値を創造できる人間を育成すること。つまり、価値を創(つく)ることだ 』 11月18日のお話

『諸君は妙法を胸に抱きしめた文化部員であることを、いつ、いかなる所にあっても、忘れてはなりません。民衆のなかに生き、民衆のために闘い、民衆のなかに死んでいってほしいと私は願う。偉くなったからといって、大衆から遊離して、孤立したり、また組織の上にあぐらをかいたりするような政治家には、絶対に、なっていただきたくないのであります。大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに入りきって、大衆のなかに死んでいっていただきたい。』 大衆とともに
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『百年河清を俟つか。君も匙を投げたいのかね。戸田は断じて匙を投げません。』 入会一年の山本伸一青年

『革命は死なり。われらの死は、妙法への帰命なり。真の大死こそ、祖国と世界を救う大柱石とならん。若人よ、大慈悲を抱きて進め。若人よ、大哲学を抱きて戦え。われ、弱冠二十にして、最高の 栄光ある 青春の 生きゆく 道を 知る。』 入会一年の山本伸一青年


『政治の世界にあって、権謀術数を駆使することを余儀なくされてきたであろう峰が、いかなる意図をもって、戸田と接触したかは知る由もない。 しかし戸田は一人の人間として、誠実をもって峰に対したのであります。』 3月16日のお話

『 峰総理が「一日の法要には行けない」と言うから「そのあとはどうだ」と言ったら、「十六日なら行ける」というので、楽しみにしておったのです。ところが、どうしてもということで東京に帰ることになった。これは仕方がないでしょう。 お嬢さんご夫妻と奥様をさしむけられた。その誠意というものを、私は心から嬉しく思い、感謝しています。』 3月16日のお話


『負けてはいけません。人間には行き詰まりがあっても、仏法には行き詰まりはないのです。人間は使命をもって生まれてきています。あなたの使命は、日本とアラブを結ぶ、友情と文化の橋を架けることだと思います。あなたにどこまで、その情熱があるかです。情熱は人間を触発し、伝播していくものです。自分と同じ心をもつ、人間の流れを作ることです。あなたの担うべき役割は大きい。人間の心にヒューマニズムを育み、平和の道、文化の橋を架ける-それが仏法なんです。私も応援します。この限りある生涯を、ともに、人類の平和のために、未来のために捧げていこうではありませんか。』 アラブの快男子


『会長は仏法者として公明党を創立され、創価大学もつくられましたが、あなたの根本的なイデオロギーはなんですか。 それは、平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。 その根底は人間主義です。』 コスイギン首相との対談


『先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください。 ……それはできぬ。行く。行かねばならんのだ。 先生、ご無理をなさればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください。 そんなことができるか! そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。 俺は、死んでも行くぞ。伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ。』 戸田先生の闘病


『そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。   やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。』 人生の並木道



『大丈夫だよ、澤田君。 戸田先生は、かならず乗ってくださる。弟子が真心をこめてつくったのだもの、戸田先生は、こうした一つひとつの事柄を通して、私たちを真剣に訓練して下さっているんだよ。』 3月16日のお話

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『首相は参列しなくとも、この式典を広宣流布を記念する模擬的な儀式とすることには、いささかも変わりはない。私は、今日参加した青年を、この戸田の後継者と思い、広宣流布のいっさいを託す式典にするつもりでいる。首相がこないのだから、私が全力で、皆を激励したい。』 3月16日のお話


『創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広布の誉れの法戦に、花の若武者として勇敢に戦い進んでもらいたい。』 3月16日のお話


『そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。いいか、伸一。 一歩も退いてはならんぞ。 追撃の手をゆるめるな!』 所化頭事件


『伸一、昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ。待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界へ。広宣流布の旅に……。伸一、世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ。』 戸田先生の最後の指導


『 いい歌だ。東北も明るくなったね。もう一度! この歌を、東北だけでなく、日本国中で歌っていきたいと思うが、どうだろうか。この歌は、全国の同志が歌っていくのだから「新世紀の歌」としてはどうだろうか。』 新世紀の歌


『山本伸一は、友と語り合った、青春の日々を思い起こした。  それは、彼が十九歳の時のことであった。 やがて友人は、自分の悩みを打ち明けるようになった。  貧しい暮らし、複雑な家庭環境、人間への不信、失恋の痛手、友人は、時には涙を流しながら、自分の心境を語ることもあったのであります。  それは、月の美しい夜であった。  森ヶ崎の海岸で、いかに生きるべきか語り合っているうちに、友人は意を決したように言ったのであります。』 『森ヶ崎海岸』


『この厚田の海と、厳しい自然が、僕を育ててくれたんだ。伸一君、僕は、日本の広宣流布の磐石(ばんじゃく)な礎(いしずえ)を作る。君は世界の広宣流布の道を開くんだ!この海の向こうには、大陸が広がっている。世界は広い。そこには苦悩にあえぐ民衆がいる。いまだ戦火におびえる子供たちもいる。東洋に、そして世界に、妙法の灯(ひ)をともしていくんだ。この私に代わって。』 学会歌・『厚田村』


『いかにしても勝たねばならない。そして未来のこうした戦いが勝利に通ずる道を、開くことができる。所詮、勝利する以外に途はない。御書をひもとけば、不可能を可能にすることも、戦いの要諦は必ずしも数にあるのではなく、少数でも固い団結にあることも、信心の無量であることも明確にして鋭く教えているではないか。日蓮大聖人の仏法が真実であるならば、末法今時の一信徒の自分自身にも、それが証明できないはずがない。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」とあるではないか。』 大阪の戦い


『あんた、なんでそうお経ばっかりあげはるのや、なんかええことでも、おますのかいな?   ええこと、おますとも。だれでもみんな倖(しあわ)せになれる信心は、世界中でこれしかおまへんのや。   そりゃ、ほんまかいな?』 昭和31年5月・大阪の戦い

『歓喜のあまり各拠点から関西本部に報告に駆け込む幹部たちで、本部は夜になるとあふれた。狭い廊下や階段は、これらの人たちが慌ただしく行きかい、笑顔と笑顔がかちあった。三階の仏間からは力強い唱題が絶えない。関西本部の建物が、まるで激戦中の戦艦のように、ゆれたのであります。』 昭和31年5月・大阪の戦い


『心配なのは君の体だ、……絶対に死ぬな。死んではならんぞ。伸一、もしも、もしも、おまえが死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな。    勝負は、裁判だ。裁判長は、必ずわかるはずだ。裁判長に真実をわかってもらえれば、それでいいじゃないか。    戸田は、伸一をはじめ幹部たちに「かき氷」を取り寄せて振る舞った。冷たい氷を口にしたとき、伸一には、その真心が痛いほどしみたのであります。』 7月17日・かき氷のお話
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『先生の、教育学は、何が目的ですか?   価値を創造できる人間を育成すること。つまり、価値を創ることだ。 それでは先生、先生の教育学を、創価 ― 創価教育学と名付けましょう』 11.18創立記念日


『我いま仏の 旨をうけ 妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ 味方は少なし 敵多し   誰をか頼りに 闘わん 丈夫の心 猛けれど 広き戦野は 風叫ぶ 捨つるは己が 命のみ   捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか 富士の高嶺を 知らざるか 競うて来たれ 速やかに』 創立記念日、11.18にまつわるお話


『難しく言えば、法本尊即人本尊で、人法一箇のこの御本尊様こそ南無妙法蓮華経の実体といえるのです。  話せといわれれば、いくらでも話してあげたいが、山本君も少し勉強して、任用試験に合格してからに、しようじゃないか。』 戸田先生と山本伸一青年の、運命的な出会いのお話

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『彼は、死を覚悟していたのである。そうしなければ、後世にまことの弟子の模範を残すことも、現代における真実の大聖人門下の鑑をつくることもできないと考えていたのである。  伸一、お前は死のうとしている。俺に、命をくれようとしている。それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!俺の命と、交換するんだ!』 山本伸一22歳の闘いのお話


『新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛んなり。  吾人は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏の話を聞き入るなり。十年先の、学会の前途を、見定める青年ありとは、先生以外に、誰人も知らざるを思いながら。』 5月3日創価学会の日のお話
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『戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処にならないとも、限らないのだ…。しかし…、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。追撃の手をゆるめるな!』 戸田先生の最後の指導


『大阪府警に出頭した伸一は、この7月3日の夕刻、身に覚えのない公職選挙法違反の容疑で、不当逮捕された。7月3日といえば、12年前の、昭和20年、軍部政府の弾圧によって投獄されていた戸田城聖が、中野の豊玉刑務所を、出獄した日である。』 7月3日のお話


『大きすぎて、実戦には向かぬ。戦いにならんぞ!!  先生、よくわかりました。申し訳ございません。しかし、この車駕は弟子が真心で作ったものです。どうかお乗りください。』 3月16日・広宣流布記念の日のお話
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『 トロントでは本当にお世話になり、ありがとうございました。広宣流布のために生き抜くことほど、崇高で、幸福な、充実した人生はありません。カナダの広宣流布をよろしくお願いしますよ。  はい、頑張ります!    とっさに、彼女は、そう答えていた。  これが、泉谷が、カナダ広布の大使命に立ち上がった瞬間だったのであります。』 カナダ広布の黎明


『 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。 遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。    世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。』 アフリカ支部の結成

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