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「広宣流布記念の日」3月16日の、お話

峰さん、あなたの来るのを六千人の青年が、前々から準備をして、待っているのですぞ!!
青年を騙すことになるではないか!!

済まないことをしました。戸田さんには、くれぐれもお詫びします。

私に詫びよと、いっているのではない!!詫びるのは、青年たちにだ!!

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豚汁のお話、車駕のお話、峰総理のお話、式典のお話の4部構成です。
分量はおおよそ20文字×300行です。



≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。

時は昭和33年、西暦1958年の3月、一日7000人、一ヶ月で20万人の大講堂落慶総登山の、まっ最中であります。

そこに、時の首相、峰直介(みねなおすけ)から、3月16日の日曜日に総本山に参詣したいとの、連絡が入ったのであります。
そうです。本日は、「広宣流布記念の日」3月16日の、お話であります。

≪戸田城聖≫ よい機会だ。この日に、青年部を登山させようじゃないか。
そして将来のために広宣流布の模擬試験、予行演習となる 式典をしようじゃないか。
伸一、僕はこの3月16日の式典を、広布の後継と責任を、君たちに託す儀式にしようと思っているのだよ。
この式典の全責任は君がもつのだ。思い通りに、力いっぱいやりたまえ。

≪山本伸一≫ はい、見事な後継の、誓いの集いに、いたします。

≪ナレーション≫ こうして、山本伸一を中心に、式典の準備は、直ちに進められていきました。
「3月16日に、急遽、青年部の登山がある」この連絡は、またたくまに、組織の隅々までいきわたったのであります。

そして師匠の戸田は、愛する弟子たちのために、すでに一つのアイデアを計画していたのであります。

≪蒲田支部≫ 私は蒲田支部の支部幹事です。
先生に、ご挨拶に来ました。「戸田先生、昨日の大講堂落慶法要まことに、おめでとうございます」

≪戸田城聖≫ おう、よく来た。待っていたのだ。
じつは、君に頼みたいことがあったのだよ。
じつは峰首相が、総本山に来ることになっている。
その時は、青年部を登山させ、総理を迎えようと思っているんだが、朝早くから、寒い中、青年たちが、腹をすかせて、やって来るに違いない。

 そこでだ、この青年たちに何か温かいものを食べさせてやりたい。
いろいろ考えてみたが、豚汁が、一番いいのではないかと思う。
湯気のたつ豚汁は体も温まるし、栄養にもなるからな。
一つ君が中心になって、この豚汁づくりをやってもらいたいのだ。できるだろうかね、、、、

≪蒲田支部≫ はぁ? はい、かしこまりました。
やらせていただきます。そうしますと、人数はいかほどになりますでしょうか。

≪戸田城聖≫ 5――6000人だろうな。

≪蒲田支部≫ ろ、ろ、ろ、6000人分の豚汁!!、
んんーー、、一人一合としても、、、、んんーー、、6石(こく)ですな、、役員も50人くらいは、、、

≪戸田城聖≫ いや、こうした作業は、少数精鋭でやった方がはかどるだろう、10人もいれば十分だ。
豚は2、3頭もあればいいだろう。
それで足りなければ、食べられるものなら何でもかんでも、入れればいいじゃないか、、は-は-は-は-は-
腹が減っては戦はできん。いかなる戦いでも、これが鉄則だよ。

≪蒲田支部≫ はい、かしこまりました。
役員は蒲田支部から十人。えーと、あーでもない。こーでもない。
かまどはドラム缶にディーゼルバーナーを取り付けたやつを四基、大がま四つ、小ビャクシ30、大ビャクシ2本、大しゃもじが1つ。
あーでもない。こーでもない、豚が3頭、にんじん10貫、ごぼう15貫、長ネギ15貫、ジャガイモ60貫、、野菜100貫、、、味噌は四斗だる一つ、、、

≪戸田城聖≫ 参加者には、「はし」と「わん」を持ってくるように徹底するのだ。
ただし、弁当は各自が持参するんだよ。
そこまで面倒は、みれんからな。は-は-は-は-は-は-

≪ナレーション≫ 一方、弟子の山本伸一は、師匠のために、ひとり、心を痛めていたのであります。
それは戸田の体の衰弱でありました。

≪山本伸一≫ 戸田先生の気迫は、決して変わることはない。
しかし歩行は、日を追って困難になってきている。
なんとしても、師匠の体の負担を少しでも、減らしたいものだ。
澤田君、頼みがあるんだ。

≪澤田良一≫  山本参謀室長、なんでしょうか。

≪山本伸一≫ 16日の式典の時に、車駕(しゃが)を用意して、そこに戸田先生に乗っていただいて、青年たちで、担ごうと思っているんだ。

≪澤田良一≫ わかりました。それでは、どのようなものを、作ればよろしいのでしょうか。

≪山本伸一≫ 戸田先生のお体の具合がとても、心配だ。
ともかく、戸田先生がお疲れにならないように、して欲しい。
一切は、澤田君に任せるから、よくよく、工夫して欲しい。
  (二人の会話ここまで)

≪澤田良一≫ これは、、真剣に、考えねば、、どうすればいいだろう、あーでもない、、こーでもない 
 そうだ車駕に、ひじかけいすをのせよう。
こうすれば戸田先生がゆったりとすわって、足を伸ばす事もできるぞ。
材料はヒノキだ。手すりを回せば、いいものができそうだ。
あーでもない  こーでもない  
 図面、図面、、よし、よし、鉛筆なめなめ、よしこれでいこう。

≪澤田良一≫ 参謀室長、車駕ができました。今、理境坊の中庭に運びました。

≪山本伸一≫ ありがとう。がっしりして立派にできたね。
これなら、戸田先生のお体に、負担をかけなくてすむ。澤田君、制作費は、

≪澤田良一≫ それが、じつは、四万円もかかって、しまいました。

≪山本伸一≫ それは、心配しなくていい。私が払う。

≪ナレーション≫ 伸一は財布をはたいて、自分ひとりで全額を支払ったのであります。
(当時は高卒初任給で1万円)
それから、伸一は、理境坊の2階に行って、戸田に、報告した。

≪山本伸一≫ 明日の式典で、先生にお乗りいただこうと、車駕を作りました。
御覧いただければと思います。

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≪戸田城聖≫ おう、、ん、、、、、、大きすぎる。
これでは戦闘の役にはたたぬ!

≪側近幹部≫ ほんとうに大きいですね。
これじゃあ、まるで角館の祭りの山車(だし)ですね。

≪澤田良一≫ しまったーーー、どうしようーー、あの形も大きさも、私が考えたものだ。
責任は私にあるのに、参謀室長ー(泣く)

≪山本伸一≫ 大丈夫だよ、澤田君。 
戸田先生は、かならず乗ってくださる。
弟子が真心をこめてつくったのだもの、、戸田先生は、こうした一つひとつの事柄を通して、私たちを真剣に訓練して下さっているんだよ。

ありがたいことじゃないか。
今のお叱りの言葉も、先生の御慈愛なんだ。
その先生が私たちの真心に、お応えくださらないわけがないじゃないか。
なにも、心配はいらないよ。

≪ナレーション≫  16日 午前3時過ぎから、青年たちを乗せた、バスが次々と到着した。
彼らを、待っていたのは、あの豚汁でありました。
その時初めて「はし」と「わん」を持ってくるようにと、徹底された、理由が、わかったのであります。
ことに、それが、戸田先生の心尽くしのご馳走であると知ると、師匠の真心に熱いものが、込み上げるのを、覚えたのであります。
 
午前9時半、峰首相の歓迎にための、すべての準備は整った。あとは首相一行の到着を待つばかりであります。しかし、、、

≪戸田城聖≫ もしもし、戸田ですが、どなたでしょうか

≪峰首相≫ 首相の、峰直介です。
実は戸田さん。
まことに申し訳ない。
家族と箱根まで来ておるのですが、エート、そうそう外交上の問題が発生しまして急遽、東京に戻らねばならなくなってしまったのですよ。

≪戸田城聖≫ なに!、なんですと!!

≪峰首相≫ まことに申し訳ないが、そんなわけで、私は、これから東京に引き返さなければならんのです。

≪戸田城聖≫ 峰さん、あなたの来るのを六千人の青年が、前々から準備をして、待っているのですぞ!!
青年を騙(だま)すことになるではないか!!

≪峰首相≫ 済まないことをしました。
戸田さんには、くれぐれもお詫びします。

≪戸田城聖≫ 私に詫びよと、いっているのではない!!
詫びるのは、青年たちにだ!!

≪峰首相≫ その通りです。戸田さんの方から、くれぐれも宜しくいってください。
私はいけないが、そのかわり家内と娘、それから婿で私の秘書を伺わせます。
どうかひとつ宜しくお願いいたします。

≪ナレーション≫ 戸田城聖と峰直介との交友が始まったのは、二、三年ほどまえのことであった。
もとより、二人は思想も信条も異なっていた。
しかし、これからの日本をどうするかという、建設の意気と気概は共通しており、互いに響きあうものがあった。

政治の世界にあって、権謀術数を駆使することを余儀なくされてきたであろう峰が、いかなる意図をもって、戸田と接触したかは知る由もない。
しかし戸田は一人の人間として、誠実をもって峰に対したのであります。

≪戸田城聖≫ 首相は参列しなくとも、今日は予定どおり堂々たる、式典を開催し、盛大に代理で来る家族を歓迎しようじゃないか。
この式典を広宣流布を記念する模擬的な儀式とすることには、いささかも変わりはない。
私は、今日参加した青年を、この戸田の後継者と思い、広宣流布のいっさいを託す式典にするつもりでいる。
首相がこないのだから、私が全力で、皆を激励したい。

≪ナレーション≫ 正午前、車が到着した。
峰首相の姿はなく、代理で訪れた首相夫人と娘、そして婿の河部幸太郎が降り立ったのであります。

そのころ、戸田城聖は、山本伸一に手を取られて、理境坊(りきょうぼう)の玄関に降り立った。
そこには、周囲を白い布で巻いた、車駕が、置かれていたのであります。

≪戸田城聖≫ 大きすぎて、実戦には向かぬ。戦いにならんぞ!!

≪山本伸一≫ 先生、よくわかりました。申し訳ございません。
しかし、この車駕は弟子が真心で作ったものです。どうかお乗りください。

≪ナレーション≫ 自らの命の燃え尽きんとするまで、戦いの極意と闘将の気迫を身をもって教え伝えようとする師匠の厳愛。
その師匠の体を気遣い、いたわろうとする、弟子の真心、、---- それは、師匠と弟子の、熱い生命のドラマでありました。

戸田は、伸一を見てにっこり、うなずくと、弟子たちに体を預け、車駕の中央に固定されたひじかけ椅子に座った。

車駕は静かに、ゆっくりと参道を進みはじめました。
車駕には山本伸一がぴったりと、付き添ったのであります。 

 戸田先生だ!  戸田先生だ!   青年たちの歓声が、潮騒のように広がっていった。
戸田は 青年たちに、心の中で静かに語りかけたのであります。

≪戸田城聖≫ みんな  みんな、よくやって来たな。 
私は君たちに会えて幸せだ。よく 育った。 ほんとうによく育ってくれた。
君たちとこうして会えるのも、これが最後だろう。
私がいなくなったあとは、君たちがやるのだ。広宣流布を頼むぞ!

≪ナレーション≫ 12時40分  式典は開会となった。
司会は、山本伸一であります。

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≪河部幸太郎≫ 義父(ちち)は、昨夜も、皆様方とお会いして祖国の再建について是非とも語り合いたいと申しておりましたが、実現できず、非常に残念でなりません。
義父の次の機会の参詣をお約束申しあげ、私たち一同のお詫びの言葉にかえさせていただく次第でございます。
ありがとうございました。

≪戸田城聖≫ 峰総理が「一日の法要には行けない」と言うから「そのあとはどうだ」と言ったら、「十六日なら行ける」というので、楽しみにしておったのです。
ところが、どうしてもということで東京に帰ることになった。これは仕方がないでしょう。

一国の総理といっても月給は安いものだ。
それでこき使われることは、ずいぶんこき使われるらしい。
大変な商売ですよ。
そうしたなかで、お嬢さんご夫妻と奥様をさしむけられた。
その誠意というものを、私は心から嬉しく思い、感謝しています。

私は峰先生が総理だから偉いと思った覚えはありません。
立場でなく、人間としてお付き合いしてきた。
これからもそうです。それが友人としての真心です。

妙法のもとには、皆、平等です。
そして、個人も、国家も、幸せと繁栄を得るには正法を根幹とする以外にない。
ゆえにわれわれには広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。
それを今日 私は君たち青年に託しておきたい。

未来は君たちに任せる。頼むぞ広宣流布を!! 

創価学会は、宗教界の王者であります。

何も恐れるものなどない。
諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広布の誉れの法戦に、花の若武者として勇敢に戦い進んでもらいたい。

≪ナレーション≫ この「創価学会は、宗教界の王者であります」との宣言は、戸田先生の勝利宣言であったのであります。
戸田は青年たちを見つめながら心のなかで叫びました。

≪戸田城聖≫ ---牧口先生,広宣流布の万代の基盤を作り上げ,あとは,我が愛弟子に託しました。
妙法広布の松明が,東洋へ,世界へと、燃え広がる日も、もはや、遠くは、ございません。

≪山本伸一≫ ----  先生、青年の陣列がみごと、そろいました。
広宣流布は必ず、われら弟子の手でいたします!どうかご安心ください。

≪ナレーション≫ このお話は、戸田先生の逝去の、4月2日の、直前の出来事であり、そしてこの3月16日が、のちに、「広宣流布記念の日」となり、広宣流布を永遠不滅ならしめる、弟子たちの新たな誓いの日となった事は、皆様ご存知のとおりです。

本日は、小説「人間革命・第12巻」「後継」の章、から「3月16日のお話」を、黎明地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

ちなみに寸劇に登場する河部幸太郎(仮名)とは、安倍普三新首相のお父さんであります。
 
以上で寸劇のコーナーを、終わります。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

豚汁のお話 車駕のお話 峰総理のお話 式典のお話 の 4部構成になる、長いお話です。


この寸劇人間革命の分量はおおよそ 20文字×300行です。





原稿の印刷用に空白行を省略したテキストデータを準備しました。
是非、ご活用ください。


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テーマ: 二次創作:小説 | ジャンル: 小説・文学

アラブの快男児

人生には、挫折もあれば行き詰まりもある。そうした時に、何ものにも負けない強さをもち、それを堂々と乗り越えていけるかどうかに、幸・不幸の鍵がある。そこに、仏法を求めざるをえない理由があります。

負けてはいけません。人間には行き詰まりがあっても、仏法には行き詰まりはないのです。人間は使命をもって生まれてきています。あなたの使命は、日本とアラブを結ぶ、友情と文化の橋を架けることだと思います。

あなたにどこまで、その情熱があるかです。情熱は人間を触発し、伝播していくものです。自分と同じ心をもつ、人間の流れを作ることです。弱気なあなたの発言を聞いたら、奥さんが悲しみます。弱さは不誠実につながります。
あなたの担うべき役割は大きい。人間の心にヒューマニズムを育み、平和の道、文化の橋を架ける--それが仏法なんです。私も応援します。この限りある生涯を、ともに、人類の平和のために、未来のために捧げていこうではありませんか。

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≪ナレーション≫ 新世紀の大舞台は、世界である。そこには、戦火にあえぐ友がいる。悲嘆に暮れる母がいる。飢えに泣く子らもいる。泉が砂漠をオアシスに変えるように、人間の生命からわき出る慈悲と英知の泉をもって、この地球を平和の楽園へ、永遠の宝土(ほうど)へと転じゆくヒューマニズムの勝利を、我らは広宣流布と呼ぶのであります。

本日の寸劇人間革命は、“アラブの快男児”と題しましてお送りいたします。

時は、昭和37年・1962年1月29日、山本伸一は中東へ出発した。
訪問国は、イラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプト、パキスタン、そしてタイの7カ国であります。
この中東訪問を最も喜んでくれたのは、後に日本で最初の『アラブ語辞典』を執筆・編集し、発刊する河原崎寅蔵(かわらざきとらぞう)というアラブの研究者であった。

≪河原崎≫ 河原崎寅蔵です。今日の寸劇の主人公だそうです。戦前は、外務省に勤めていましたが、役人生活は体に合いません。
今は、石油会社で油田開発に携わるかたわら、東京外国語大学でアラビア語を教えています。
ところで、何でまた、会長さんは中東に行くんでしょうね。

≪ナレーション≫ 伸一は、出発の数日前に、河原崎と初めて会った。
河原崎寅蔵は、黒ぶちのメガネに口髭(くちひげ)をたくわえ、堂々たる体格をした“快男児”といった印象の、40代後半の壮年であった。

≪山本伸一≫ お忙しいところ、わざわざおいでいただいて申し訳ありません。

≪河原崎≫ いいえ、いいえ、とんでもございません。今回、山本先生がアラブにも足を運ばれると聞きまして、私は大変に嬉しく思っております。アラブは私の第二の故郷なんです。

ご存知のように、中東は“世界の火薬庫”といわれておりますが、その背景には、豊富な石油資源を持つアラブ諸国を巡る、東西両陣営の争奪と衝突があり、、……かくかくしかじか……つまり、今後のアラブの動向が、世界平和の鍵を握っているともいえます。
しかし、日本の官僚も、政治家も、経済人も、アラブを単に石油の取引の対象としてしか、考えておりません。石油の確保に影響がなければ、アラブで何が起ころうが、対岸の火事のような見方をしている。本当に残念なことです。

また、日本人はアラブのことについては、ほとんど何も理解していません。アジアの西にある中東と、東にある日本はもっと交流し、ともに互いの国のために、何ができるかを考えていくべきです。そこに、国境を超えた人間の連帯が生まれ、それが世界に広がれば、平和の下地が築かれていくというのが私の意見なのです。

≪山本伸一≫ 全く同感です。あなたのアラブを愛する心が、よくわかります。
私が今回、アラブを訪問するのも、そのためです。

平和といっても、決して特別なことではない。まず人間の心と心を結び合うことから始まります。それには、文化の交流が大切になります。私はアラブと日本の間に、平和と文化の交流の道を開いておきたいのです。
日本では、欧米の文化ばかりが、もてはやされますが、欧米だけが外国ではない。アラブにはアラブの文化があり、日本が学ぶべきことも、たくさんあるのではないか、と思います。

≪河原崎≫ そうなんです!! そうなんですよ!!  山本先生。

≪山本伸一≫ 実はさきほど、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)という研究機関の発足式をおこないました。
これは東洋を中心に、世界の文化や宗教、民族性などを研究して、人間の相互理解を図る糧とし、東洋、さらにには世界の平和に寄与していこうとするものなのです。

≪河原崎≫ その東洋学術研究所というのは、創価学会がおつくりになったのですか

≪山本伸一≫ そうです。学会が母体となって設立した学術研究所です。
人類の相互理解を図るためには、それぞれの国や民族の文化を研究し、理解することが不可欠ですから。

宗教の使命というのは、民衆のこうふくと世界の平和を実現することであり、それを本気になって考えているのが創価学会です。

≪河原崎≫ 山本先生、どうも私は創価学会について、誤解をしておったようです。
正直なところ、拝めば病気が治るなどといって、勧誘するだけの宗教ではないかという考えが、頭のどこかにありました。

だが、創価学会が平和といった課題に、本当に取り組もうとしているとは考えてもいませんでした。平和を口にする宗教者は多いが、そのために本気で行動する人は、あまりにも少なかったからです。

しかし、今のお話を聞いて、敬服いたしました。実は今日も、家内から、山本先生がお会いしてくれるそうだから、ぜひ行くようにと言われ、家内の顔を立てるつもりで来たのです。

山本会長はアラブにも行かれるというし、妻がお世話になっている教団の会長さんに、一度くらいご挨拶をしておくことも、良いのではないかとおもいまして、、。

しかし、不遜でした。自分で確かめもしないで、偏見をもって学会を見ていたのです。申し訳ないことをしました。

≪山本伸一≫ 真実を知らなければ、誤解があるのも当然です。
では、河原崎さんは勤行をしたことも有りませんね。

≪河原崎≫ はぁ~、はい。名ばかりの会員なもので、、

≪山本伸一≫ 仏法は、すべての人間は、本来、尊極なる『仏』であり、皆が平等に、幸福になる権利があることを教えています。つまり、人類の平等を説くヒューマニズムの思想であり、平和の哲学です。
そして、その『仏』の慈悲と智慧と生命の力を湧現していく道を教えているのが仏法なんです。

人間には、それぞれ理想もあれば、信念もある。皆、それに向かって、必死に努力しています。
しかし、慈悲をもって人に接しようと思っても、その思いとは裏腹に、ともすれば、利己的な生き方に流されてしまうのが、人間ではないでしょうか。

また、人生には、挫折もあれば行き詰まりもある。
そうした時に、何ものにも負けない強さをもち、それを堂々と乗り越えていけるかどうかに、幸・不幸の鍵がある。
そこに、仏法を求めざるをえない理由があります。

≪河原崎≫ よくわかります。実は今、私も行き詰まりを感じているのです。
私は、自分の一生はアラブに捧げたいと、思ってまいりました。
しかし、どうも独り相撲だったようです。

日本人がアラブを理解するための文化事業や文化交流を提案しても、誰も見向きもしません。
壁はきわめて厚いのです。

結局、私は夢を描いていただけかもしれないと思うと、どうも弱気になってしまいます。

≪山本伸一≫ 河原崎さん。奥さんがあなたに信仰を勧めたとうかがっていますが、それはアラブにかけるご主人の夢を、なんとしても実現してもらいたいという一心からであったと思います。

奥さんは、あなたのアラブを思う一途な心を、何よりも大切にしているはずです。
あなたの最大の理解者であり、支持者であると思います。

河原崎さんは、かつて外務省を辞められたと聞きましたが、その時も、きっと奥さんは愚痴一つ言わず、あなたを支えてこられたのではないでしょうか。

≪河原崎≫ そうです。苦労をかけました。
体も弱いのに、文句一つ言わず、乏しい家計をやりくりして、じっと耐えてくれました。

≪山本伸一≫ 奥さんの願いは、アラブに貢献するという、あなたの夢を叶えることです。
負けてはいけません。人間には行き詰まりがあっても、仏法には行き詰まりはないのです。

人間は使命をもって生まれてきています。
あなたの使命は、日本とアラブを結ぶ、友情と文化の橋を架けることだと思います。
確かに、政治家でもない一民間人が、アラブのために出来ることは限られているかもしれない。
しかし、あなたが学生たちにアラビア語を教え、人びとにアラブの文化と心を伝えていくことで、未来の交流の大道が、必ず開かれていきます。

あなたにどこまで、その情熱があるかです。
情熱は人間を触発し、伝播(でんぱ)していくものです。
自分と同じ心をもつ、人間の流れを作ることです。

弱気なあなたの発言を聞いたら、奥さんが悲しみます。弱さは不誠実につながります。

あなたの担うべき役割は大きい。人間の心にヒューマニズムを育み、平和の道、文化の橋を架ける--それが仏法なんです。
私も応援します。
この限りある生涯を、ともに、人類の平和のために、未来のために捧げていこうではありませんか。

≪ナレーション≫ 河原崎は、目を潤ませながら、何度も、何度も頷くと、メガネを外して、涙を拭った。
それから、決意のこもった声で言った。

≪河原崎≫ 私は、今、『アラブ語辞典』を作ろうとしております。
日本にはまだ、『アラブ語辞典』さえないのです。
しかし、どの出版社も、商売にならんといって、見向きもしません。
ですから、自費出版になると思いますが、なんとしてもこの辞典を完成させ、山本先生にお届けします。

≪山本伸一≫ そうですか。ありがとうございます。
後世に光を放つ、尊い偉大な仕事です。
しかし、誰も関心を示さないかもしれません。
皆、目先の損得だけで動いているからです。
先駆者の仕事というのは、その時は、無視され、あるいは、批判され続けるものです。

≪河原崎≫ そう言っていただけると、勇気がわいてきます。

≪山本伸一≫ しかし、河原崎さんは不思議な方だ。おろらく、アラブ人よりもアラブ人らしい。
きっと、前世はアラブ人だったのでしょう。

≪河原崎≫ いや、私もそう思っていたのです。光栄ですな。はっはっはっ!!

≪ナレーション≫この日、河原崎は、家に帰ると、直ちに仏壇の前に座り、題目を三唱した。
そして、家族に宣言したのであります。

≪河原崎≫ 今日から俺も、信心するからな!

≪ナレーション≫ もともと一途な“アラブの快男児”は、その日を契機に、一騎当千の“広布の快男児”となっていったのであります。

本日は小説新人間革命第6巻『宝土(ほうど)』の章から、“アラブの快男児”と題しまして、旭日地区の、オールスターキャストでお送りいたしました。

なお、中東訪問のたくさんのエピソードにつきましては、またの寸劇に、こうご期待であります。
以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


最後まで、読んでいただき、ありがとうございます。
この、寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×230行です。

この寸劇は、3人(ナレーション一人と、対話をする二人)で演じられる、三人寸劇です。


公益財団法人 東洋哲学研究所のホームページ 東洋哲学研究所


印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ぜひご活用ください。

20文字×200行の、少し短いタイプの寸劇のテキストデータも準備しましたので、ご活用ください。
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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コスイギン首相との対談

私ども創価学会が推進しているのは、国家による政治次元の交流というより、民衆レベルでの、大河のように幅広い文化、教育交流です。

会長は仏法者として公明党を創立され、創価大学もつくられましたが、あなたの根本的なイデオロギーはなんですか。

それは、平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です。

山本会長の思想を、私は高く評価します。その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います。

SBSH1292.jpg
 2012年8月に公開したものを、短く作り直したものです。

≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。

時は昭和49年・西暦1974年9月8日。山本伸一は、モスクワ大学の招待を受け、ソ連に向かっていた。
ソ連は、初訪問であります。

しかしこのソ連訪問には、反対する人が、多かったのであります。

≪とある識者≫ 共産主義の国は、次第に行き詰まってきています。付き合っても決していいことはないでしょう。ソビエト訪問は、おやめになった方がよい。それにしても、どうして宗教否定の国・ソ連などに行こうと思われたのですか。

≪山本伸一≫ そこに、人間がいるからです。人間に会いに私は行くのです。共産主義の国であろうが、資本主義の国であろうが、そこにいるのは、平和を願う、同じ人間ではないですか。
ですから私は、その人間の心と心に橋を架(か)け、結ぶために行くんです。それが平和への、最も確かな道であるというのが私の信念です。
 
何のために、ソ連に行くのか。それは、なんとしても第三次世界大戦を食い止めたいからです。だから中国に続いて、ソ連に行き、それから、アメリカにも行きます。
日蓮大聖人のお使いとして、生命の尊厳と平和の哲学を携(たずさ)えて、世界平和の幕を開くために行くんです。

≪ナレーション≫ 本日は、たくさんのエピソードの中から、コスイギン首相との会見のお話をお送りいたします。

≪ナレーション≫ 訪ソ最終日の9月17日、午前10時。伸一が、クレムリンの会場に入ると、コスイギン首相の姿があった。
鋭い眼光、額に刻まれた皺、固く結ばれた口元。
首相の顔には、ソ連の重責を担ってきた意志の強さが漂っていた。

≪山本伸一≫ 私は、今回の訪問で、貴国について、よく勉強させていただきました。
貴国が世界の緊張緩和を願い、懸命に努力されていることもよくわかりました。
心より賞賛いたします。

しかし、その貴国の姿勢は、残念ながら日本には伝わっておりません。
率直に申し上げれば、日本人は、ロシア文学やロシア民謡には親しんでいても、ソ連には親近感をもっておりません。
どこか“怖い国”という印象を持っております。

本当に貴国が自分たちの真実を伝え、多くの日本人の理解を得ようと思うならば、『親ソ派』と称される政治家や、限られた団体とだけ交流するのではなく、幅広い交流が必要になります。

また政治や経済の分野だけでは、真の友好はありえません。文化の交流こそ、最も大切になってきます。

≪コスイギン首相≫ なるほど。賛成です。山本会長のご意見をもとに、今後の対応を検討させていただきます。

≪ナレーション≫ 人の話に耳を傾け、受け入れようとするコスイギン首相の真摯な態度に、伸一は度量の大きさを感じた。“話ができる人だ”と思った。

≪山本伸一≫ 私ども創価学会は仏法者の団体であり、宗教的信念に立って、世界の平和をめざしております。
私は公明党を創立しましたが、創価学会と公明党とは、財政、人事面も分離し、それぞれ独自性をもって運営しています。
したがって、公明党のことには、私はタッチしておりませんし、政治の問題は、公明党にまかせてあります。
私ども創価学会が推進しているのは、国家による政治次元の交流というより、民衆レベルでの、大河のように幅広い文化、教育交流です。

≪コスイギン首相≫ 会長は仏法者として公明党を創立され、創価大学もつくられましたが、あなたの根本的なイデオロギーはなんですか。

≪山本伸一≫ それは、平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です。

≪コスイギン首相≫ 山本会長の思想を、私は高く評価します。その思想を、私たちソ連も、実現すべきであると思います。

今、会長は『平和主義』と言われましたが、私たちソ連は、平和を大切にし、戦争を起こさないことを、一切の大前提にしています。

≪山本伸一≫ それは、大変にすばらしいことです。絶対に戦争は避けなければなりません。私はレニングラードへ行きピスカリョフ墓地を訪問しました。第2次世界大戦でソ連が払った多大な犠牲を、生命に焼き付けてまいりました。

今回の訪ソでは、貴国の人民も、指導者も、平和を熱願(ねつがん)していることを痛感いたしました。

ソ連の人々は、あまりにも過酷な体験をしました。こんなことを、2度と許してはなりません。

ソ連の人びとと同様に、中国の人びとも、平和を熱願しております。中国の首脳は、自分たちから他国を攻めることは絶対にないと言明しておりました。
しかし、ソ連が攻めてくるのではないかと、防空壕まで掘って攻撃に備えています。
中国はソ連の出方を見ています。

率直にお伺(うかが)いしますが、ソ連は中国を攻めますか。

≪コスイギン首相≫ いいえ、ソ連は中国を攻撃するつもりはありません。アジアの集団安全保障のうえでも、中国を孤立化させようとは考えていません。

≪山本伸一≫ そうですか。それをそのまま、中国の首脳部に伝えてもいいですか

≪コスイギン首相≫ どうぞ、ソ連は中国を攻めないと、伝えてくださって結構です。

≪山本伸一≫ それでしたら、ソ連は中国と、仲良くすればいいではないですか。


≪ナレーション≫ 首相は、一瞬、答えに困った顔をしたが、すぐに笑顔(えがお)を浮かべた。
心と心の共鳴が笑顔の花を咲かせた。
伸一は、この会談に確かな手ごたえを感じたのであります。

≪ナレーション≫ 首相は、帰宅後家族に、伸一との会見ついてこう語ったのです。

≪コスイギン首相≫ 今日は非凡で、非情に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできて嬉しかった。

≪ナレーション≫ 一(いち)民間人である山本伸一の手によって、歴史の歯車は、音を立てて回転し始めようとしていた。 日ソの新たな友好の道が開かれただけでなく、中ソの対立の溝(みぞ)にも、一つの橋が架けられようとしていたのである。

未来を開け! 開墾(かいこん)の鍬(くわ)を振るえ! 勇敢(ゆうかん)に、恐れなく、命のある限り。

こう伸一は、自らに言い聞かせていたのであります。


≪ナレーション≫ 
本日は、新人間革命第20巻『懸け橋(かけはし)』の章から、第一次ソビエト訪問のお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で 寸劇人間革命のコーナーを、終わります。





最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×150行です。


以前に作成したものに、コワレンコ氏との対話もありました。
分量は20文字×250行ほどでした。

その寸劇を読んでみたい方は、ここをクリック してください。



実際に寸劇をやるためには、原稿の印刷が必要です。
空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご利用ください。


A4用紙1枚に収まる分量、20文字×110行のものも準備しました。
こちらも是非、ご活用ください。

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戸田先生の闘病

先生、ご無理をなさればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください。

そんなことができるか!
……そうじゃないか。仏のお使いとして一度、決めたことがやめられるか。
俺は、死んでも行くぞ。
伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ。

……伸一、死んでも俺を、広島に行かせてくれ。
死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。
死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう。
あとは、すべて御仏意あるのみではないか。


あなたは信じないかもしれないが、人間の一念によって、病だって克服することができるんです。
まあ、見ていなさい。
3月の総本山の記念式典は、かならず私が指揮を執る。
それが私の最後の使命なんです。
あなたには、この戸田が、身をもって仏法の不可思議なことを教えましょう。

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≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、「戸田先生の闘病」と題しましてお送りいたします。昭和32年1957年11月のお話であります。

戸田は、わが身を顧みることなく、広宣流布に挺身してきた。戦時中の獄中生活でボロボロになった体を十分に癒す暇さえなく、学会の再建に着手し、無理に無理を重ねて、激動の時代を一気に駆け抜けてきたといってよい。

しかし、人々の多くは、彼が病に侵されていることに気づかなかった。

山本伸一は、戸田城聖の体調が、来る日も来る日も気がかりでならなかったのであります。

戸田は、11月20日に広島へ出発することになっていた。
しかし伸一は、戸田の深い疲労を思うと広島行きは一命にもかかわりかねないと、感じたのであります。

≪山本伸一≫ -明日の広島行きは、お止めしなければない。

≪ナレーション≫ めっきりやつれ、弱っている戸田を間近に見て、伸一の心は激しく痛んだ。
伸一は、床に座り、深々と頭を下げた。

≪山本伸一≫ 先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください。

≪戸田城聖≫ ……それはできぬ。行く。行かねばならんのだ。

≪山本伸一≫ 先生、ご無理をなさればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください。

≪戸田城聖≫ そんなことができるか!

≪ナレーション≫ 戸田は声を張り上げて立ち上がり、伸一を睨(にら)みすえた。

≪戸田城聖≫ そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして一度、決めたことがやめられるか。

俺は、死んでも行くぞ。伸一、それがまことの信心ではないか。何を勘違いしているのだ。

四千人の同志が待っている。
……伸一、死んでも俺を、広島に行かせてくれ。

死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。
死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう。
あとは、すべて御仏意あるのみではないか。

≪ナレーション≫ 戸田は生死を賭けていたのである。そうわかった時、伸一は号泣したい思いにかられたのであります。

一夜明けて、いよいよ広島行の二十日になった。
 戸田は、「さァ、行くか」といって立ち上がろうとして、ガクッと、膝(ひざ)から崩れるように倒れた。

 戸田は何度も何度も必死に、起き上がろうとした。妻の幾枝も彼の腕をとったが、それでも立ち上がることができなかった。

全身の極度な衰弱が、すでに彼の歩行を困難にしていたのである。

≪戸田城聖≫ だめか……

≪ナレーション≫ 眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せ、無念そうにこうつぶやくと、観念したように眼を閉じた。

主治医の矢部医師そして、消化器内科の権威であるN大医学部助教授の木田利治医師による、診察がはじまった。

診察をしてみると、腹水が認められ、黄疸(おうだん)を併発し、全身の衰弱が著しかった。
肝硬変症の疑いがあり、しかも、かなり重篤(じゅうとく)な状態にあることがわかったのである。

木田医師は入院を勧めたが、戸田はそれを硬く拒んだ。入院してしまえば広布の指揮は執れないと考えたからである。
 
絶対安静とされ、厳密な食事療法、それに新陳代謝の改善、肝臓庇護、解毒、肝細胞の再生修復のための薬物投与が行われた。
戸田は、彼の広布の行路を閉ざす病魔と戦っていたのであります。

≪二見医師≫ 学会員で医師の二見です。戸田先生のお見舞いに来ました。
戸田先生、お体の具合はいかがですか。

≪戸田城聖≫ 二見君、いまは75万世帯が達成されようという時だ。魔が競い起こるのは当然のことなのだよ。しかし、魔の中でも、こんどの病魔は小邪鬼の部類だ。これぐらいの魔に負けていたのでは広宣流布はとてもできんよ

≪二見医師≫ 先生、あまりお話になりますとお体にさわります。お見舞いの方との面会も、極力さし控えていただきたいと思います。ご病気を克服するうえで、いまがいちばん大切な時でございますから

≪戸田城聖≫ そう深刻な顔をするな。私は、命を延ばす方法を知っているから大丈夫だよ。1月の初登山には行くつもりでいるんだからな。

≪二見医師≫ エッ!。一月の初登山ですか。
ウーン??
木田先生からは、早くても4か月から半年の徹底的な治療と静養が必要だと、伺っています。いくらなんでも、ウーン……

≪ナレーション≫ 1月には登山するという戸田の言葉は、あまりにも性急であるといえた。
しかし、二見は、戸田の確信にあふれた言い方に言葉を失ったのであります。

≪木田医師≫ 木田医師です。
肝硬変症で腹水が出た場合は、自然消滅の可能性は極めて低いのです。それが12月10日ごろには、ほとんど自然消滅した。
これは驚異的な好転です。
正直なところ、奇跡であるとさえ思っています。
(向き直って)
戸田先生、数値もだいぶ正常値に近づいております。このまま静養を、お続けください。

≪戸田城聖≫ そうか。それは、ありがたい。
ところで、食欲がなかったにもかかわらず、お腹が張るのはどうしてですか。

≪木田医師≫ 食欲がなかったのは、肝臓の機能が十分に働いていないために、臓器に様々な影響を与え、消化器系全体の機能が障害されているからです。
また、腹水が溜まるのが肝硬変の症状のひとつですが、その圧迫によってお腹が張り、さらに、食欲も低下します。

≪戸田城聖≫ 肝硬変を治す、絶対確実な治療法というのはあるんですか

≪木田医師≫ 絶対確実という治療法は、現在のところありません。今は安静にし、食事療法をしておりますが、この病気は、患者自身の自然治癒力をどう助けるかが、大事なポイントといえます。

≪戸田城聖≫ そうすると、患者の生命力が決め手ということになりますな。

≪木田医師≫ 生命力? ……そう言ってもよいと思います。

≪戸田城聖≫ 生命力の問題となれば、私には絶対の確信がある。まァ、命を少し延ばすぐらいのことは、私にとっては造作のないことですよ。

≪木田医師≫ はァ? 

≪戸田城聖≫ 更賜寿命(きょうし じゅみょう)といってね、すでに定まっている人間の寿命をも延ばすことが出来るのが仏法の力なんです。

≪木田医師≫ はァ?ウーン。はい?

≪戸田城聖≫ 寿命を延ばすということを、医学的にはどう考えますかね。

≪木田医師≫ 老化という観点から見ますと、動脈硬化などが死を早めることにつながりますから、それらを予防することが寿命を延ばす道ではないかと思います。

≪戸田城聖≫ たしかに医学的には、予防ということが大事になるでしょうが、ふだんから、かなり健康に気をつかってきた人が予期せぬ病気や事故で、突然、早死にしてしまうこともある。

いわば宿命ですな。それをも転換していく方途を教えているのが仏法です。人間の一念の転換によって、自分の宿命のみならず、環境をも変えていく力が、まことの信仰なんですよ。

≪ナレーション≫ 戸田はそれから、来年3月に、総本山大石寺に大講堂が落成し、そこで記念の式典を行うことを述べた。そして、自分はそれまでに病気を治して、元気な姿で出席し、一か月にわたって総本山に滞在すると言い出した。

≪木田医師≫ はァ、3月ですか……。ちょっと、いくらなんでも、そんなに早くは、、、

≪ナレーション≫ このところ驚異的な回復ぶりを示しているとはいえ、重篤な肝硬変症である。木田は、医師としての経験から、まだまだながい静養が必要であると考えていた。
しかし、戸田は、確信に満ちた口調で言ったのであります。

≪戸田城聖≫ あなたは信じないかもしれないが、人間の一念によって、病だって克服することができるんです。まあ、見ていなさい。

3月の総本山の記念式典は、かならず私が指揮を執る。それが私の最後の使命なんです。あなたには、この戸田が、身をもって仏法の不可思議なことを教えましょう。

≪ナレーション≫ 戸田城聖の病状は、日を追って回復に向かっていった。
 この短時月での回復は、医師たちの予測をはるかに超えるものであり、奇跡的な回復ぶりといってよかった。医師たちは、ほっと安堵の息をつくとともに、戸田の生命力の強さに驚嘆せざるをえなかったのであります。

戸田城聖は、聖教新聞に『私の闘病80日』と題する手記を寄せたのであります。

≪戸田城聖≫ 「昭和26年、会長就任以来、まさに7年、振り返って考えるに、そのとき『75万世帯の折伏をなしえなければ私の墓は建てるな。骨は品川の沖に捨てよ』と弟子たちに命じたのであった。しかるに、大御本尊の御威光盛んにして、32年度にもうすでに75万世帯を突破し、比叡山の像法の講堂焼落をしり目に、法華本門の大講堂落慶を目の前にみるにいたった。

 愚人の名誉このうえなきものとしては、私はよろこぶとともに、三障四魔の出来かならずあるべしと、思わざるをえなかった。

はたせるかな、昨年の4月以来、これが病魔、死魔として、いくたびか、わが身に襲いかかった。
『きたな』と思ったので、東奔西走しつつ闘病生活に入ったが、俄然、11月20日、重大な病床となり、ついに立つあたわざる状態にいたった。

 どの医者も、もうだめだという表情である。しかし、いまだ広宣流布への途上にもついておらず、建築でいうならば、ようやく地ならしができた程度にすぎない。土台も、また柱もと考えていけば、この生命は、いま、みすみす捨てられないようである。

医者は『半年で事務がとれれば、上等な経過をたどったことになる』という。
私は医者に言った。『あなたは、医者としての最善の手を尽くして下さい。
私も少少、生命哲学を学ぶもの、生命を延ばすことは少々知っているはずであるから、私も最善を尽くす。よろしく頼む』と。

 心のなかでは、『この最悪な闘病は1か月、正月には初登山をし、3月の大講堂落慶総登山には、自ら総本山にいて、その総指揮をとる』と決めていたのである。

事実、正月には初登山を行い、総本山で、5日間を過ごした。
そして、幸いにも下山後、1月7日の医師の診断により、重症を警告されていた肝臓病の症状が、まったくなくなったことが明らかになったのである。

 昔、旅人が一里塚、一里塚と追うて旅をしたごとく、私も7年、7年と、七里塚を越えては、広宣流布の道へ進もうと思う。」

≪ナレーション≫ 肝硬変症からの危機を脱し、ひとまず病魔を乗り越えた戸田は、快気祝いを行うことを思いついた。
彼が病床に臥している間、懸命に頑張ってくれた首脳幹部を招いて、その労をねぎらいたかったのである。
戸田は、その日を、彼の58歳の誕生日にあたる2月11日とした。

その日、戸田は、和服姿のくつろいだ装(よそお)いで部屋に入ってくるなり、「よお~!」と、一同に呼びかけたのであります。

≪戸田城聖≫  私の闘病中は諸君らには、大変苦労をかけた。その間の学会の運営は、なんらの支障もなく、ここにあらためて御礼申し上げたい。

私は会長就任以来7年になるが人生を振り返ってみると、7年ごとに難にあっていることになる。

昭和18年の弾圧による投獄、昭和25年の事業の問題、そして今回の病気です。
しかし今度の病気も打ち破ることができた。
かくなるうえは、もう7年、また会長として頑張るつもりだからひとつよろしく頼みます。

 ≪ナレーション≫ 障魔の嵐は戸田という広宣流布の指導者を狙って、激しく吹き荒れていたといってよい。
彼は、それらを、ものの見事に跳ねのけ、いま高らかに凱歌の曲を奏でたのである。

厳しい冬は終わり、まばゆい陽光の春が、いよいよ訪れようとしていたのであります。

この2月11日が、3月16日の儀式の33日前、そして逝去の4月2日の、50日前でありますことは、皆様ご存知のとおりであります。

本日は、人間革命第12巻「憂愁」の章、さらに「後継」の章より、「戸田先生の闘病」と題しまして、黎明地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



長い寸劇人間革命を、最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×280行です。

長い寸劇ですので、短く(20文字×140行)作りなおしてみました。
その寸劇人間革命を読んでみたい方は、ここをクリック してください


実際に座談会で上演するためには、原稿の印刷が必要です。
空白行の少ない、テキストデータを準備しましたので、ご活用ください。

原作をかなりいじった作文になっています。
いじりすぎだ、と思われた方には、お詫び申し上げます。

寸劇のテキストデータの後に、人間革命12巻からの「私の闘病80日」の引用を載せました。
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人生の並木道

そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。
やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。

立派な娘さんです。これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。
 事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。
そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。
 私は、山本先生と約束したのだ!。それが、父親の口癖となったのであります。


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≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は『人生の並木道』と題しましてお送りいたします。

時は昭和33年1958年8月16日、長野県は諏訪でのお話であります。

≪山本伸一≫ 山本伸一です。当時は、学会でただ一人の、「総務」という役職だったそうです。

≪竹本君子≫ 竹本君子です。女子部の組長(現在の地区リーダー)をしています。東京の先輩幹部から、手紙が来ました。どれどれ、

≪先輩幹部≫ 山本総務が諏訪市民会館で行われる文京支部の方面大会に出席されます。山本総務は、事実上学会のすべての責任を担っている人です。山本総務が諏訪を訪れる機会は、これからも滅多にないと思いますので、是非、自分の部員さんに会ってもらうようにしたらどうでしょうか。

≪ナレーション≫ 彼女は喜び勇んで、6人のメンバーを連れて参加したのです。メンバーのなかには、小児マヒの後遺症で体の不自由な人や、結核に苦しむ人もいた。
皆、生活も決して楽ではなかったし、家族の中で、たった一人で信心している人がほとんどだったのであります。

市民会館での山本総務の指導を聞くと歓喜が込み上げてきた。そして、なんとしても山本総務に、メンバーと会ってもらおうとの思いが、つのったのであります。
会合が終わって、大急ぎ控え室に駆けつけました。しかし、、

≪会場役員≫ 山本総務は、近くの旅館で予定されている、幹部の指導会へ行ってしまいましたよ。

≪竹本君子≫ どうしよう。みんなの家族の事情を考えると、もし列車に乗り遅れ、今日のうちに帰れなければ、大変なことになってしまう。
でも、このチャンスを逃せば、みんなが山本総務と会える機会はないかもしれない。
ウーン…よし、がんばって、みんなで指導会の会場に行きましょう。

≪ナレーション≫ 旅館の二階は、たくさんの人が、階段まであふれていたのであります。
山本伸一が参加者の質問に答え、次の質問を受けようとした時、姿は見えなかったが、人垣の後ろから、女性の叫ぶような声がしたのであります。
その声には、どこか必死な響きがあったのであります。

≪竹本君子≫ 山本先生!!

≪山本伸一≫ どうしましたか?

≪竹本君子≫ 私の組の部員さんに会ってください。

≪山本伸一≫ お会いしましょう。連れていらっしゃい。みんな道を開けてあげて!

≪ナレーション≫ 人をかき分けて、体の不自由な友をかばいながら、竹本は伸一の前にやってきたのであります。

≪山本伸一≫ よく来たね。みんなどこから来たの?

≪竹本君子≫ 伊那市から、七人でまいりました。

≪山本伸一≫ あなたが女子部の組長さんだね

≪竹本君子≫ はい!

≪山本伸一≫ それじゃあ、あなたから、みんなを紹介してください。

≪竹本君子≫ はい!私は、組長の竹本君子です。そして、ここにいるのが私の妹の達枝と申します。その隣にいるのが……

≪ナレーション≫ (少し間をおいて)
 彼女はこう言うと声を詰まらせた。目には涙があふれていた。自分が責任をもつ同志を伸一に会わせたい一心で、ここまで来たのだ。それが実現できたと思うと嬉しくて仕方なかったのであります。

≪山本伸一≫ 組長さんが泣いてしまったんでは、しょうがないな……。
あとの人は自己紹介だね。

≪ナレーション≫ ところが、皆同じように喜びに震え、声にならなかったのであります。

≪山本伸一≫ そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。

≪ナレーション≫ 伸一は、優しく竹本君子を見つめながら言ったのであります。

≪山本伸一≫ そうだ!あの歌を歌ってあげよう。『人生の並木路』だよ

(音響係りさん、準備はいいかな)

地区の皆さんで合唱

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い ふたりして
故郷を捨てた 甲斐(かい)がない

遠いさびしい 日暮れの路(みち)で
泣いて叱った 兄さんの
涙の声を 忘れたか

雪もふれふれ 夜路(よみち)の果ても
やがてかがやく あけぼのに
わが世のはるは きっと来る

生きてゆこうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路

≪山本伸一≫ じゃあ、今度は『赤とんぼ』だ

夕やけ こやけの 赤とんぼ
負われて みたのは いつの日か

山の畑の くわの実を
小かごに つんだは まぼろしか

十五で ねえやは 嫁に行き
お里の たよりも たえはてた

ゆうやけ こやけの 赤とんぼ
止まっているよ さおのさき

≪ナレーション≫ 伸一の提案で、数曲の歌が、次々と歌われたのであります。
同志を思う心が織り成す、ほのぼのとした調べが、乙女たちの胸に、希望を燃え上がらせたのであります。

≪山本伸一≫ やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。
ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。
それじゃあ、遅くなるといけないから、早くお帰りなさい。気をつけて……

≪ナレーション≫ 会場をあとにした竹本たちは、天にも昇るような気持ちだった。
彼女たちは、車中、互いに手を取り合い、人生の希望を語り合いながら帰路に着いたのであります。

≪ナレーション≫ 時は流れて、2年後の昭和35年1960年11月10日、会長就任後、初の海外歴訪の旅を終えた直後であります。
この日は、松本支部の結成式が行われたのであります。

山本伸一は、諏訪に自分を尋ねてきた竹本君子が、松本支部の女子部の中心者に育っていたことが嬉しくてならなかったのであります。

≪山本伸一≫ 竹本君子さん、よくがんばったね。
家族の、皆さんお元気ですか。

≪竹本君子≫ はい。父が一年ほど前に信心を始めたのですが、まだ勤行もしておりません。
実は、事業に失敗して、家族と別居しているんです。

≪山本伸一≫ そうか……。大変なんだね。
今度、お父さんとお会いしましょう。
大切な娘さんを、お預かりしているんだもの。

≪竹本君子≫ 本当ですか!お願いいたします。

≪ナレーション≫ 人材を育むには、本人だけでなく、その人の環境も考慮し、さまざまな応援をしていくことが大切である。
またそれが指導者の責務でもあります。

翌日、松本駅には、父親を連れた竹本君子の姿があった。
伸一は、丁重にあいさつをしたのであります。

≪山本伸一≫ いつも、お世話になっております。
私が会長の山本です。
これから、長野支部の結成のために、長野まで行く予定になっているんです。
お父さん。長野までご一緒いかがですか。切符はありますから。

≪ナレーション≫ 車中は伸一と竹本の父親との語らいの場となった。

≪山本伸一≫ 立派な娘さんです。
これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。

≪お父さん≫ は、はい。ゴクリ。
ふつつかな、娘ですが、よろしくお願いします。

≪山本伸一≫ お父さん、事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。
信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。
焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。

≪ナレーション≫ 竹本の父親は、この日を契機に勤行を始めた。そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。

≪お父さん≫ 私は、山本先生と約束したのだ!

≪ナレーション≫ それが、父親の口癖となったのであります。

本日は、新人間革命第2巻『勇舞』の章から、
『人生の並木道』と題しまして、女子部の大先輩・竹本君子さんのお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
女子部の皆さんが主役の寸劇をと思って作ってみました。
地区の座談会では、いつも皆さんで歌を歌っていますので、寸劇の中でもすぐに合唱できるんです。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×200行です。

この寸劇人間革命を、実際に座談会で上演するには、原稿印刷が必要です。
印刷しやすいように、空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご活用ください。

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