創立記念日,11.18にまつわるお話

我いま仏の 旨をうけ
 妙法流布の 大願を
高くかかげて 独り立つ
 味方は少なし 敵多し

誰をか頼りに 闘わん
 丈夫の心 猛けれど
広き戦野は 風叫ぶ
 捨つるは己が 命のみ

捨つる命は 惜しまねど
 旗持つ若人 何処にか
富士の高嶺を 知らざるか
 競うて来たれ 速やかに


img030.jpg
創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その2
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。


≪ナレーションA≫それでは寸劇人間革命のコーナーです。

昭和5年1930年11月18日、初代会長牧口常三郎先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されました。

そうです。本日は創価学会の創立記念日・11.18のお話であります。

≪ナレーションB≫ 創価教育学会の活動が活発になった当時、座談会にも特高警察が同席して目を光らせる、軍国主義一色(いっしょく)の時代になったのであります。

「天照大神(てんしょうだいじん)の神札(かみふだ)」を拝(おが)まぬものは国賊(こくぞく)とされ、反戦思想の危険人物とされたのです。

しかし折伏、弘教の戦いは、神札を謗法払(ほうぼうばら)いして、着実に進められていったのであります。

≪ナレーションA≫ 昭和18年1943年6月27日、学会の幹部は日蓮正宗総本山大石寺に登山を命ぜられた。

≪本山僧侶≫ 時節がら、総本山においても、神札を、受けることにした。
全国の寺院に対しても、徹底する。

そこで、創価学会でも、神札を受けるように申しわたす。

≪牧口常三郎≫ 時(とき)の貫首(かんず)為(た)りと雖(いえど)も仏法に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)えば之(これ)を用(もち)う可(べ)からざる事(御書P1618)とあるではないか。

承服(しょうふく)いたしかねます。神札は、絶対に受けません。

いまだかつて創価学会は、総本山に、何ひとつご迷惑を、かけておらぬでは、ありませんか。

≪本山僧侶≫ いやいや、創価学会が謗法払いで、神札を焼いておるのは、日蓮正宗の指導によるものだと、警察に告訴状がでているのですぞ。

≪牧口常三郎≫ 神札は、絶対に受けません。

≪ナレーションA≫ 牧口会長は、こう言い切って、総本山を、後にしたのであります。

≪牧口常三郎≫ 私が嘆くのは、一宗(いっしゅう)が滅びることではない。
一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。宗祖日蓮大聖人の悲しみを私はひたすら恐れるのだ。

今こそ国家諫暁(かんぎょう)の秋(とき)ではないか。
宗門は、いったい、何を恐れているのだろう?

戸田君、君はどう考える?

≪戸田城聖≫ 先生、戸田は命をかけて戦います。
何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生の、お供をさせていただきます。

≪ナレーションB≫ 牧口は、一、二度うなずいて、はじめてニッコリと笑いかけた。
そして、この日から十日とたたぬうちに、二人は逮捕されたのである。

権力の弾圧に恐れをなした宗門は、あわてて創価学会の総本山への登山を禁止し、信徒除名処分としたのです。

日蓮正宗は、大聖人の仏法を唯一、守った牧口先生を切り捨てたのであります。

≪ナレーションA≫ 逮捕されてから一年四ヶ月。
昭和19年11月18日― 牧口会長は東京拘置所で逝去したのであった。

奇(く)しくも、創価教育学体系の出版から、ちょうど14年の歳月が、流れていたのです。

≪ナレーションB≫ それから一年、昭和20年1945年11月18日、牧口常三郎の一周忌が営まれることになった。

集まったのは、親族のほかに、わずかに二十数名の門下の弟子であった。

かつて三千名をかぞえた創価教育学会員は、今、牧口会長の一周忌法要というのに、これだけしか、集まることが、できなかったのであります。

≪戸田城聖≫ 忘れもしない今年一月八日、私は取り調べの判事(はんじ)から、突然「牧口は死んだよ」と聞かされたのであります。

私は独房(どくぼう)に帰って、ただ涙にかきくれました。
この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。

先生は、死して、獄門(ごくもん)を出られた。不肖(ふしょう)の弟子の私は、生きて獄門を出た。私がなにを、なさねば、ならぬかは、それは自明(じめい)の理であります。

話に聞いた地湧(じゆ)の菩薩は、どこにいるのでもない。

実にわれわれなのであります。

私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶものであります。
広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
先生―先生の真(しん)の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧(ささ)げ、先生のもとにまいります。

今日よりは、安らかにお休みになってください。

≪ナレーションB≫ 法要の帰り道、戸田は未来への決意を心に秘めて、自作の詩を一人、静かに歌ったのであります。

≪戸田城聖≫ (“同志の歌”ゆっくりと朗読)

我(われ)いま仏の 旨(むね)をうけ
 妙法流布(るふ)の 大願を
高くかかげて 独(ひと)り立つ
 味方は少なし 敵多し

誰(だれ)をか頼(たよ)りに 闘(たたか)わん
 丈夫(じょうぶ)の心 猛(たけ)けれど
広き戦野(せんや)は 風叫(さけ)ぶ
 捨(す)つるは己(おの)が 命のみ

捨つる命は 惜(お)しまねど
 旗(はた)持つ若人(わこうど) 何処(いずこ)にか
富士の高嶺(たかね)を 知らざるか
 競(きそ)うて来たれ 速(すみ)やかに

≪ナレーションA≫ 
本日は、小説「人間革命」第1巻「一人立つ」の章、などから、『創立記念日,11.18にまつわるお話』を、任用試験受験予定者のオール スター キャストで、お送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×130行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。
関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

戸田先生と山本伸一青年の、運命的な出会いのお話

いつまでも、十九.二十歳の娘でいたい、年は絶対にとりたくないと、いくら思ったって、あっという間に、ウメボシおばあさんになってしまう。
私は、病気は絶対にごめんだと言ったって、生身の体だもの、どうしようもない。
それから最後に、必ず死ぬということ。
これは厳しい。
ところが、日蓮大聖人は、この人生の難問題、すなわち生命の本質を、ものの見事に解決してくださっているのです。

img030.jpg
創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その3
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。

≪ナレーション≫ それでは、寸劇人間革命のコーナーです。
時は、昭和22年西暦1947年8月14日。
東京は墨田区・蒲田。
創価学会の理事長・戸田城聖先生を囲んでの座談会の真っ最中であります。

≪戸田城聖≫ 山本伸一君は、いくつになったね?

≪山本伸一≫ 十九歳です。

≪戸田城聖≫  そうか、もうすぐ二十歳(はたち)だね。僕は二十歳の時に東京に出てきた。
北海道からはじめて東京に出てきて、まるっきり、おのぼりさん。
ずいぶん参ったもんだよ。はっはっは~。 


≪山本伸一≫ 先生,教えていただきたいことが、あるのですが、

≪戸田城聖≫ 何かね、何でも聞いてあげるよ。

≪山本伸一≫ 先生、正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか?
考えれば考えるほど、わからなくなるのです。
≪戸田城聖≫ さあ、これは、難問中の難問だな。この質問に答えられる人は、いまの時代には誰もいないと思う。

しかし、僕には答えることができる。
なぜならば、僕は福運あって、日蓮大聖人の仏法を、いささかでも、身で読むことができたからです。

いつまでも、十九.二十歳の娘でいたい、年は絶対にとりたくないと、いくら思ったって、あっという間に、ウメボシおばあさんになってしまう。

私は、病気は絶対にごめんだと言ったって、生身(なまみ)の体だもの、どうしようもない。

それから最後に、必ず死ぬということ。
これは厳(きび)しい。

 ところが、日蓮大聖人は、この人生の難問題、すなわち生命の本質を、ものの見事に解決してくださっているのです。

しかも、だれでも、どんな人でも、必ずそのような解決の境涯(きょうがい)にいけるように、具体的に実践の仕方を、教えてくださっている。
これほどの大哲学が、いったいどこにありますか?

正しい人生とは何ぞや、と考えるのも良い。
しかし考える暇(ひま)に、大聖人の哲学を実践してごらんなさい。青年じゃありませんか。
必ずいつか、自然に自分が正しい人生を歩んでいることを、いやでも発見するでしょう。

≪山本伸一≫ もうひとつ、よろしいでしょうか。
本当の愛国者とは、どうゆう人でしょうか?

≪戸田城聖≫ それは簡単だ、乃木大将も愛国者、吉田松陰だって愛国者でしょう。

しかし本当の愛国者があるとすれば、この妙法を実践する、私たち創価学会員こそが真実の愛国者です。

その理由は、日蓮大聖人の仏法を実践する、私たち学会員こそが、一人の人間を救いきり、真実の幸福な社会を築くことが、できるから、なのです。

それだけの力が、大聖人の仏法、南無妙法蓮華経には、たしかにあるのです。

≪山本伸一≫ その南無妙法蓮華経とは、どうゆうことなんでしょうか?

≪戸田城聖≫ 一言にしていえば、人間や草木(そうもく)にいたるまでの一切の宇宙の現象は、みな妙法蓮華経の活動なのです。

難(むずか)しく言えば、法本尊(ほうほんぞん)即(そく)人本尊(にんほんぞん)で、人法一箇(にんぽういっか)のこの御本尊様こそ南無妙法蓮華経の実体といえるのです。

話せといわれれば、いくらでも話してあげたいが、山本君も少し勉強して、任用試験に合格してからに、しようじゃないか。

≪山本伸一≫ 先生ありがとうございました。
いま感謝の気持ちを詩にたくして、詠(よ)ませていただきたいと思います。

旅びとよ
いずこより来(きた)り
いずこへ往(ゆ)かんとするか
月は沈(しず)みぬ
日いまだ昇(のぼ)らず
夜明けの前の混沌(カオス)に
光もとめて
われ進みゆく
心の暗雲をはらわんと
嵐に動かぬ大樹(たいじゅ)を求めて
われ地より湧(わ)き出(い)でんとするか

≪ナレーション≫ こうして山本伸一青年は、入信の決意をし、8月24日に入会したのであります。

本日は、小説「人間革命」第2巻・地湧(じゆ)の章から、『戸田先生と山本伸一青年の、運命的な出会いのお話』を、任用試験受験予定者の、オールスターキャストでお送りいたしました。

戸田先生47歳。そして山本伸一青年とは、池田先生のことでありますことは、皆様ご存知の通りです。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×110行です。


印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。


関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

山本伸一 22歳の闘い

異体は同心となり、一つの偉大な生命に溶けて、久遠からの、実在の、姿を、現したのであります。

≪戸田城聖≫ 伸、仏法は勝負だ。男らしく命のある限り、戦いきってみようよ。
生命は永遠だ。その証拠が、必ずなにかの形で今世に現れるだろう。

≪山本伸一≫ 仏法真実ならば、因果の理法、これまた、厳(きび)しく、あらねばならぬ。
十年後の学会を見よ。二十年後の学会を見よ。そして、わが存在も!

img030.jpg
創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その4
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。



≪ナレーションA≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。

本日は、『山本伸一22歳の闘い』と題しまして、お送りいたします。

時は昭和25年、西暦1950年8月24日。

戸田は、自分の事業の失敗によって学会に迷惑をかけてはならぬとの思いから、理事長を辞任したのであります。

≪山本伸一≫ 先生、今度、三島さんが理事長になると、私の師匠は三島さんになるんでしょうか?

≪戸田城聖≫ いや、それは違う!
苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、このぼくだよ。


≪ナレーションA≫ それは、ちょうど伸一の入会満3年の記念日であった。伸一は誓った。

≪山本伸一≫ 未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、この師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする。

≪ナレーションB≫ 新しく手掛(てが)けた事業も難航(なんこう)を極(きわ)めた。
給料も遅配(ちはい)が続いた。夜間大学に通うことも断念(だんねん)せざるをえなかった。
伸一ただ一人だけが、怒濤(どとう)に身をさらすがごとき苦闘(くとう)が始まったのである。

伸一は、必死に、戸田を守り、支えた。胸を病(や)む彼は、熱にさいなまれ、時に血さえ吐(は)きながらも、走りぬいた。

彼は、死を覚悟していたのである。
戸田に一身(いっしん)を捧(ささ)げ、師とともに、偉大なる広宣流布の法戦(ほうせん)を進め、戸田が生きているうちに、広布に散りゆこうと心に決めていた。

そうしなければ、後世にまことの弟子の模範(もはん)を残すことも、現代における真実の大聖人門下の鑑(かがみ)をつくることもできないと考えていたのである

≪戸田城聖≫ 伸一、お前は死のうとしている。
俺に、命をくれようとしている。
それは困る。お前は生き抜け。断じて生き抜け!
俺の命と、交換するんだ!

≪ナレーションB≫ 深い感動が、山下伸一を包んだ。
深夜、一人の青年の感涙(かんるい)は、一首の歌に結晶したのであります。

≪山本伸一≫古の 奇しき縁に 仕えしを 人は変われど われは変らじ

いにしえの くしき えにしに つかえしを ひとは かわれど われは かわらじ

≪ナレーションB≫ あくる朝、伸一は和歌を綺麗(きれい)に清書して戸田に手渡したのであります。


≪戸田城聖≫ よし! 僕も歌をあげよう。返し歌だ。

幾たびか 戦の庭に 起てる身の  捨てず持つは 君が太刀ぞよ

いくたびか いくさの にわに たてる みの すてず たもつは きみが たちぞよ

これをあげよう、いや まてまて、もう一首あるんだ。 

色は褪せ 力は抜けし 吾が王者  死すとも残すは 君が冠

いろは あせ ちからは ぬけし わが おうじゃ しすとも のこすは きみが かんむり

≪山本伸一≫ 先生 ありがとうございます。
この私が、はたして先生の太刀(たち)なのであろうか。
この私が先生の冠(かんむり)に値(あたい)するのだろうか。

先生は私の何から、なにまでも、解(わ)かっていてくださるのだ。

≪ナレーションB≫ 伸一は眉(まゆ)をあげた。
戸田の深い慈愛は、この時、伸一の生命を永遠に貫(つらぬ)いたのである。

異体は同心となり、一つの偉大な生命に溶けて、久遠(くおん)からの、実在の姿を、現(あらわ)したのであります。

≪戸田城聖≫ 伸、仏法は勝負だ。男らしく命のある限り、戦いきってみようよ。
生命は永遠だ。その証拠が、必ずなにかの形で今世に現れるだろう。

≪山本伸一≫ 仏法真実ならば、因果の理法、これまた、厳(きび)しく、あらねばならぬ。
十年後の学会を見よ。二十年後の学会を見よ。
そして、わが存在も!

≪ナレーションB≫ 時に昭和25年1950年の晩秋(ばんしゅう)。山本伸一青年、22歳であります。
山本伸一は、一日一万遍の唱題を発心し、そして実行しつつ、すべての苦難に耐えたのであります。

 やがてすべての問題は、山本伸一の奮闘(ふんとう)により解決。

そして、いよいよ、戸田城聖第2代会長推戴(すいたい)式への前進が、始まったのです。

 当時、誰一人として、気づかなかった、戸田先生と山本伸一青年の、師弟不二の絆の中にこそ、創価学会の永遠普遍の原点があることは、皆様ご存知のとおりであります。

≪ナレーションA≫ 本日は、小説人間革命第4巻「怒濤 どとう」の章、「秋霜 しゅうそう」の章、さらに小説人間革命第12巻「新・黎明 れいめい」の章などから、『山本伸一22歳の闘いのお話』を、任用試験受験予定者のオールスターキャストで、お送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×120行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。

関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

「5月3日創価学会の日」のお話

若輩では、ございますが、
本日より、戸田門下生を、代表して、
化儀の、広宣流布を、めざし、
一歩前進への、指揮を、とらさせていただきます!


img030.jpg
創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その5
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。



≪ナレーションA≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。本日は、5月3日のお話であります。

時は昭和26年1951年5月3日。定刻二時― 粛然(しゅくぜん)とした場内に、司会の緊張した声がひびきわたったのであります。

≪司会者≫ ただ今より、創価学会第2代会長推戴式(すいたいしき)を、おこないます。
会長講演 戸田城聖先生

≪戸田城聖≫ 故 牧口常三郎 初代会長は、昭和18年の春ごろから、『学会は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)しなければならぬ』と私どもを責(せ)めるようにいうのが口癖(くちぐせ)になっていました。
不肖(ふしょう)の弟子どもは、それがどんなことなのか、私はじめ、戸惑(とまど)うだけで、どうすることもできなかったのであります。

しかるに、いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります。

これこそ創価学会の発迹顕本でなくして何でありましょう。
折伏をなすものは、慈悲の境涯にあり、仏にかわって仏の事(じ)を行(ぎょう)ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。

この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢(かかん)に実践せんとするものであります。

私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます。

私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。

もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。

遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

≪司会者≫ 誰もが耳を疑いました。
んんん~~。もしかして、7万5千の、聞き間違いではなかろうか。

いやたしかに七十五万と聞こえた。はたして、そのような大折伏がほんとうにできるのであろうか。

≪ナレーションB≫ 七十五万世帯の折伏達成という確信はいささかの狂いもなかった。
しかし、当時の誰ひとり、それを信じることはできなかったのであります。

この日の夜。山本伸一は、日記に次のように記(しる)したのであります。


≪山本伸一≫  五月三日 木曜日 
第二代会長、戸田城聖先生の会長推戴式。
晴天、午後二時開始。祝賀会終えて解散午後九時。

遂に戸田先生は会長となられる。
待ちに待った、我等門下生の願望であった。

生涯の歴史とならん、この日。
集まりし同志、約一千数百名か。--

進まん、法旗(ほうき)を高らかに。
広宣流布をめざして。二十億の民(たみ)ぞ待て、吾が学会の進軍に。

新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。
講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛(いきさか)んなり。

吾人(ごじん)は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏(せんぱいしょし)の話を聞き入るなり。

十年先の、学会の前途(ぜんと)を、見定(みさだ)める青年ありとは、先生以外に、誰人(だれびと)も知らざるを思いながら。

≪ナレーションA≫ 戸田会長の七十五万世帯の折伏達成という予言的確信が的中するには、わずか七年たらずの歳月で充分であったのであります。

昭和32年1957年12月、
学会の総世帯数が、七十六万五千を達成するにいたったこと。

そして三ヵ月後の翌年の四月二日に、戸田先生が逝去(せいきょ)されたことは、皆様ご存知のとおりです。

≪ナレーションB≫ そして、戸田会長の逝去から2年後に、山本伸一が第3代会長に就任。

昭和35年1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。

≪山本伸一≫ 
若輩(じゃくはい)では、ございますが、

本日より、戸田門下生を、代表して、

化儀(けぎ)の、広宣流布を、めざし、

一歩前進への、

指揮を、とらさせていただきます!

IMG_560503_2.jpg


≪ナレーションA≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、「小説人間革命第5巻 烈日 れつじつ」の章、 そして「若き日の日記」などより、「5月3日創価学会の日」のお話を、任用試験受験予定者の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。




この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×110行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。


関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

戸田先生の最後の指導のお話

戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処にならないとも、限らないのだ…。
しかし…、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。
そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。
いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。
追撃の手をゆるめるな!


img030.jpg
創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その6
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。



≪ナレーション1≫ 本日の、寸劇人間革命は、「戸田先生の最後の指導」と題しましてお送りいたします。
 時は、昭和33年1958年3月は下旬のお話。そうです。「広宣流布記念の日」3月16日の前後のお話であります。

≪ナレーション2≫ この慶祝(けいしゅく)登山の最中に酔っ払っては、警備をしている青年部に絡(から)んだ所化頭(しょけがしら)がいたのであります。
「お前たち学会は、アルバイトで大石寺にきているのだろう」

またある時は、酔っ払ったまま、会合に押しかけた。
「俺に講義させろ!俺が代わって指導してやる!」

お小僧(こぞう)さんに届けられた、お菓子も、気にくわない。
「信者から物をもらって喜ぶやつが、どこにいる。感謝なんかしなくてよい!」

学会の青年部は、これらの暴言(ぼうげん)なども、僧俗和合(そうぞくわごう)のために、ひたすらじっと耐えていたのであります。

≪ナレーション1≫ ある朝、あの所化頭が、大きな鈴(りん)をお小僧さんの頭からかぶせて、鈴棒(りんぼう)で思いっきり叩(たた)くという、信じられない虐待をしていたのです。

驚いた整理役員の青年は、山本伸一にその模様(もよう)を伝えたのであります。

≪山本伸一≫ また、そんなことがあったのか。

≪青年部≫ それだけじゃありません。
16日に戸田先生を車駕(しゃが)にお乗せしたことについても、あの所化頭は「総本山では乗りものは禁止されているのに、いい気になって、なんだ。」と罵(ののし)っています。

もう、ガマンできません。黙っているわけにはいきません。

≪ナレーション1≫ 伸一は宗門の理事に事情を話して、所化頭の謝罪・反省を求めたのであります。

≪山本伸一≫ いいですか。このたびの大講堂の落成は、日蓮正宗の七百年の歴史に輝く、晴れの壮挙(そうきょ)なのです。

そのさなかに、僧侶が毎日、朝から酒を飲んでいるようなことがあってよいのですか。
お小僧さんに対する、暴力、暴言は、私どもとしても見過ごすわけにはいきません。是非おやめください。

また、あなたは日頃から戸田先生や学会の青年部員に反感をいだき悪口を言っていると聞きましたが、そういうことも、おやめいただきたいのです。もし、ご意見や批判があるのならばお伺(うかが)いしますので、私に言ってください……

≪ナレーション1≫ 伸一は忍耐強く、噛(か)んで含めるように所化頭の非をただした。真心をつくしての説得であった。

やがて「すいません……」という声が、かすかに聞こえたのであります。

≪ナレーション2≫ 三月二十九日の朝、山本伸一は、登山会の進行状況を戸田城聖に報告したのであります。

≪山本伸一≫ すべて順調に進んでおります。
ただ、あまりに非道な僧侶がおりまして、私どもで反省を促(うなが)す意味から抗議をいたしました。

≪ナレーション2≫ 戸田は軽く眼を閉じて伸一の報告を聞いていたが、聞き終わると、さも残念そうな表情で語りはじめた。

≪戸田城聖≫ 情けないことだな…。これは、小さい事のようだが、…宗門の腐敗、堕落という、じつに大きな問題をはらんでいるのだ。

残念なことだが…広宣流布を口にしながらも、多くの僧侶が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。
 戦時中も、宗門は、保身のために法を曲げ、大聖人の御遺命(ごゆいめい)を破り、軍部政府に迎合(げいごう)した。

…そして、牧口先生と私が逮捕されるや、かかわりを恐れて、学会を登山停止したのだ。…そのなかで、厳然(げんぜん)と、大聖人の仏法の命脈(めいみゃく)を保ったのが、牧口先生であり、創価学会なのだ。

…だから、大聖人の御精神は、ほんとうの、信仰は、創価学会にしかない。もし、学会から離れるならば……大聖人の正義(しょうぎ)を踏みにじった、謗法(ほうぼう)の寺でしかなくなってしまう。

…学会は、宗門が、壊滅(かいめつ)の危機に瀕(ひん)しているのを、信心の赤誠(せきせい)をもって、お助けしてきた。…しかし私が、信心のあり方を厳しく言うものだから、眼のうえのタンコブのように思っている者もいる。

でも、…私が生きているうちは、正面きって、とやかくいう者はおるまい。
だが、私がいなくなれば…あとは、何をするか、わかったものではないぞ。

≪ナレーション2≫ 戸田は肩で大きく息をしながら話し続けた。
その言葉は、息苦しさのためか、しばしば途絶えたが、ただならぬ気迫にあふれていたのであります。

≪戸田城聖≫ 衣(ころも)の権威(けんい)で、学会を奴隷(どれい)のように意のままに操(あやつ)り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。

戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶(げんきょう)となり、天魔(てんま)の住処(すみか)にならないとも、限らないのだ…。

しかし…、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。

 そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。

いいか、伸一。一歩も退(しりぞ)いてはならんぞ。
追撃(ついげき)の手をゆるめるな!

≪ナレーション2≫ それは、炎のような言葉であった。瞬間、戸田の眼が燃え輝いた。
そして、これが、彼の最後の指導であり、愛弟子(まなでし)への遺言となったのであります。

≪ナレーション1≫ このお話が、戸田先生の逝去(せいきょ)の4月2日の直前の出来事でありましたことは、皆様ご存知のとおりであります。

 本日は、小説人間革命第12巻「寂光」の章などより、「戸田先生の最後の指導」と題しまして、任用試験受験予定者の、オールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×140行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。

関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

Page top