スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アフリカ支部の結成

 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。
遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。
 この小さな流れが、今やSGI・192ヵ国地域の大きな流れとなったことは、皆様ご存知のとおりです。


P1010735_1.jpg


≪ナレーション≫ ここは、アフリカ。赤道直下のナイジェリアであります。

 日本から遠く離れたこの地において、広宣流布を我が使命と定め、必死でがんばっている一人の婦人・フジエ・ジェイムズさん。本日の寸劇の主人公であります。

時は、昭和40年・西暦1965年10月20日。

ヨーロッパ事務所の開所式が行われたのであります。

事務所と言っても、二間の小さなアパート・ヨーロッパ本部長の川崎鋭治夫妻の自宅であります。

 川崎のアパートは、代表メンバーで、あふれんばかりでありました。

≪川崎鋭治≫ 先生、アフリカから、駆けつけてきたメンバーがいます。フジエ・ジェイムズさんです。

≪山本伸一≫ どうも、遠いところ、ご苦労様です。

どうぞ、前にいらしてください。アフリカのどこからこられたんですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ ナイジェリアのカズナというところです。

≪山本伸一≫  ナイジェリアには、メンバーは、今、何人ぐらい、いるんですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、34人おります。現地の人が30人で、日本人は私を含めて4人です。

≪山本伸一≫ そうですか。そんなにいるんですか。

 フジエ・ジェイムズさんの入会はいつですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、昭和32年ですから8年前です。お友達の勧めで入会しました。

≪山本伸一≫ どのような、いきさつでアフリカに渡ったのですか。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい、2年前に航空会社のマネージャーをしているイギリス人と結婚し、イギリスのバーミンガムで生活を始めました。

言葉もあまり通じない中、ロンドンの、エイコ・リッチさんと連絡を取り合いながら信心をしておりました。

 ところが突然、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになり、川崎本部長に指導を受けたのです。

≪川崎鋭治≫ 今は寂しい思いでいっぱいかもしれないが、仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。

 それは、久遠の昔に、自ら願い出て、日蓮大聖人と交わした約束なんです。確かに、気候、風土も、文化も違う土地で生活することは大変でしょう。

しかし、いよいよ、久遠のわが使命を果たす時がきたのだと考えることです。

 何があっても、負けてはいけません。辛いなと思ったときは、うんとお題目を唱えるんですよ。

≪フジエ・ジェイムズ≫ ナイジェリア行きは、私の使命なんだ。

よしがんばろう!アフリカ中に、幸福の種をまこう!と決意しました。

≪山本伸一≫ そうです。その決意が大切です。

ナイジェリアでの活動の様子を教えてください。

≪フジエ・ジェイムズ≫ はい。私の住んでいる街でビルといえるのは、三、四階建てのホテルや空港の建物ぐらいで、少し郊外に行けば、どこまでも、どこまでも赤土の大地が続いています。

 一番の驚きは、カメレオンです。木の上だけでなく、保護色にまぎれて車のうえにも、どこにでもいたりするんです。家の中にいる、トカゲ、そして熱病のマラリアにも、悩まされました。

 しかし、ここが我が使命の天地です。コンクリートの床に毛布を敷いて座り、一生懸命お題目を唱えました。

アフリカ地図を見ては、都市の名前を覚え、アフリカ全土に題目をしみこませる思いで、唱題しました。

やっと覚えた公用語の英語で、布教も始めましたが、信心する人は誰もいませんでした。

 そんな時 エイコ・リッチさんからお手紙がきました。

≪エイコ・リッチ≫ そちらに、紡績会社から技術指導で派遣されている、日本の壮年部のメンバーがいます。

≪フジエ・ジェイムズ≫ 私は大喜びで連絡をとり、会ってみました。

彼は現地の人たちに、お題目を教えていたんです。勇気100倍です。

 その人たちに仏法の素晴らしさを、英語で説明していきました。こうして信心を始める人が増えていったんです。

今では週に1回、土曜日の夜に、現地のメンバーの家で座談会を開いています。時には30人40人と集まり、部屋に入りきれない時もあるんです。

≪山本伸一≫ それは、素晴らしい。いよいよアフリカにも、使命の友が誕生したんですね。こんなに嬉しいことは、ありません。

 皆さん、アフリカに支部を結成しましょう。支部の名前は、アフリカ支部、支部長はジェイムズさんに、お願いしてはどうだろうか。

 21世紀はアフリカの時代になるでしょう。その未来を開き、創るために、がんばるんです。未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。

≪フジエ・ジェイムズ≫ アフリカ支部。アフリカ支部ですね。はい。がんばります。

≪山本伸一≫ 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

≪ナレーション≫ 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。

 この小さな流れが、今やSGI・192ヵ国地域の大きな流れとなったことは、皆様ご存知のとおりです。

 本日は、小説 新人間革命第十巻“新航路”の章から「アフリカ支部結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、おおくりいたしました。

 世界広布新時代開幕の年を、新たな決意で、出発しようではありませんか。

 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇の分量はおおよそ 20文字×130行 です。


以前に作成したものを短く作り直してみました。
その寸劇を読んでみたい方は、ここをクリック してください。



原稿印刷のために空白行の少ないテキストデータを準備しました。
是非ご活用ください。


関連記事
スポンサーサイト

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

今日の新聞から、太陽の励まし、少女の祈り

高山に行った時には、あなたは小学校の五年生だったね。よく覚えているよ。私はこれからも、ずっと、あなたを見守っていきます。

あな嬉し 花の広布の 君が舞い


img20130106.jpg



今日の聖教新聞に昭和42年8月15日の高山会館でのエピソードが紹介されています。
このお話は小説新人間革命第12巻「愛郷(あいきょう)」の章に紹介されています。

偶然ですが、このエピソードを「飛騨高山の丸山圭子ちゃんのお話」として、以前に掲載させていただきました。

その寸劇を読んでみたい方は、ここをクリック してください。

今回手直ししたもの(20文字×135行)を準備しましたので、是非ごらんください。


≪ナレーションA≫ 時は、昭和42年、西暦1967年8月15日。
山本伸一は岐阜の高山会館を訪問したのであります

≪山本伸一≫ 皆さんの手で、必ず飛騨に、『幸福の花園』を『人間協和の故郷』を築いていってください。

≪ナレーションA≫ その時、山本伸一のすぐ後ろで、歓喜に頬(ほお)を紅潮(こうちょう)させて懸命に唱題する、一人の少女がいたのです。

 本日の寸劇人間革命の主人公、丸山圭子(けいこ)ちゃんです。

≪丸山圭子≫ 私は、小さい時から、信心に励む両親の唱題の声を聞きながら育ちました。
そんな自分が、お題目を唱えるようになったのは、“いじめ”にあってからです。

≪女子部先輩≫ 山本伸一先生は、学会っ子は、“獅子の子”だっていわれているのよ。

“獅子の子”は、何があっても泣いたりしちゃいけないわ。圭子ちゃんも、絶対に負けないでがんばってね

≪ナレーションA≫ その励ましが、圭子ちゃんに希望を与えたのであります。

≪女子部先輩≫ 山本先生は、社会の平和と人びとの幸福のために、世界を駆け巡っていらっしゃるのよ。先生は、私にとって人生の師匠なのよ。

≪丸山圭子≫ どうすれば、山本先生にお会いすることが出来るんですか

≪女子部先輩≫ そうねー。祈りとして叶わざるはなしの御本尊なんだから、しっかりお題目を唱えれば、必ずお会いできるわよ。

≪ナレーションA≫ 以来、圭子ちゃんは、山本先生とお会いできますようにと、真剣に唱題を始めたのです。

 彼女の唱題が、ちょうど百五十万編になんなんとした時、両親の話から、8月15日に山本会長が高山に来ることを知ったのであります。

≪お母さん≫ だめよ。子供は参加できないことになっているの。あなたは、おうちで妹と留守番していてね。

≪ナレーションB≫ さて15日の当日であります。

≪丸山圭子≫ そうだ、会館に行く国道に立っていれば、先生の乗った車に会うことができるかもしれない。よーし、行ってみよう。

≪ナレーションB≫ 国道に出た。それから、もう少し、もう少しと、歩いていくと空き地に、大勢の人が集まっていたのです。

≪丸山圭子≫ 会合で見たことのある人がいっぱいいるわ。何だろう。

≪ナレーショB≫ 実は、高山会館に行くメンバーの待機場所だったのです。
「ヤバイ」。

お母さんにみつからないように、そっと木陰(こかげ)に身を潜(ひそ)めていたのですが、、

≪男子部輸送班≫ こらこら、だめですよ。あなたも、ちゃんと列に入って、並んでいてください。

≪丸山圭子≫ はぁ、はい。わかりました。

≪ナレーションB≫ しばらくすると、待機していたメンバーは、高山会館に移動することになったのです。どうしようかと困っていると。

≪男子部輸送班≫ こらこら、だめですよ。あなたも、ちゃんと列を乱さずに、いっしょに歩いてください。

≪丸山圭子≫ はぁ、はい。わかりました。

≪ナレーション≫ こうして、圭子ちゃんは、いつの間にか、高山会館に着いたのです。

しばらく待機していると、部屋の中から、山本会長の声が聞こえてきます。


≪山本伸一≫ 外にもたくさん人があふれていますので、今この部屋にいる方は、外に出て、入れ替わっていただきたいんですが、よろしいでしょうか。

 さあ、どうぞ、中にお入りください。

≪ナレーションB≫ 圭子ちゃんは、後ろから押されて、また押されて、いつの間にか、最前列になっていた。

伸一の真後ろで勤行しながら、圭子ちゃんは信じられない気持ちだった。

≪丸山圭子≫ ご本尊様はすごい! 願いが本当に叶ってしまった!!

≪ナレーションB≫ 伸一は、勤行が終わり、皆の方を振り向くと、最前列にかしこまるようにして座っている圭子ちゃんに、声をかけたのであります。

≪山本伸一≫ 私の横にいらっしゃい!

≪ナレーションB≫ ところが、圭子ちゃんは緊張して、その言葉も耳に入りません。

婦人部の幹部が、話しかけ、手招きをしたので、あわてて立ち上がりました。

≪山本伸一≫ よく来たね。ありがとう。何年生?

≪丸山圭子≫ 五年生です。

≪山本伸一≫ そうか。お父さん、お母さんを大切に。また、しっかり、勉強するんだよ。

≪丸山圭子≫ はい!

≪山本伸一≫ さあ、お土産だよ。

≪ナレーションB≫ 伸一は、未来を担(にな)うのはこの子たちだと思うと、声をかけずには、いられなかったのです。

「いつの日か先生にお礼を」これが圭子ちゃんの次の願いに、なったのであります。

≪ナレーションA≫ お話の続きは、なんと、それから11年後の昭和53年西暦1978年7月であります。

 名古屋の中部文化会館で行われた幹部会で、圭子ちゃんの名前が呼ばれたのです。

壇上に立った圭子ちゃんに、伸一は懐かしそうに、語りかけたのであります。

≪山本伸一≫ 高山に行った時には、あなたは小学校の五年生だったね。

よく覚えているよ。

≪丸山圭子≫ 先生!あの時は本当にありがとうございました。

≪山本伸一≫ 今は、女子部の本部長さんだね。

しっかりがんばってね!
 私はこれからも、ずっと、あなたを見守っていきます。

≪ナレーションA≫ 伸一は、彼女の成長と幸福を、心から願ったのであります。

≪山本伸一≫  あな嬉し 花の広布の 君が舞い 

≪ナレーションA≫ 本日は小説新人間革命第12巻「愛郷(あいきょう)」の章などより、「飛騨高山の丸山圭子さんのお話」を、旭日地区のオール スター キャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


20130106の聖教新聞の記事の中から、勝手にいくつかの文章を借用しました。

もうちょっと上手にまとめたほうが、、と思われた方にはお詫びいたします。

原稿印刷用の空白行の少ないテキストデータを準備しました。(20文字×135行)是非、ご活用ください。



関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

『伝統の二月』のお話


二月は日蓮大聖人の御生誕の月であり、また二月十一日は、戸田先生の誕生日であります。

今日、私たちが、この信心に巡り合えたのは、大聖人様が御出現になったからであることは言うまでもありませんが、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげでもあります。

そして、皆さんは、それぞれ功徳を受け、幸せになられた。

その報恩感謝の思いで、この二月を戦いきり、見事な勝利の結果をもって、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか。

P1010759_2.jpg

≪ナレーションA≫ 試練の冬を勝ち越えて、戸田先生が第2代会長に就任されたのは、、昭和26年(1951)の5月3日であった。

 その晴れの日、戸田先生は、生涯の願業として、75万世帯の本尊流布を大宣言なされのであります。

 だが、折伏は難事中の難事である。

なかなか、思うようには成果があがらないのが、現実であったのであります。


 ≪山本伸一≫ このままでは、戸田先生の宣言は虚妄(こもう)になってしまう。


≪ナレーションA≫ 山本伸一は悩んだ。

しかし、戸田の会社を軌道に乗せるために、全力を投入しなければならない日々が続いていた。

そうしたなかで、戸田から、蒲田の支部幹事として活動の指揮をとるよう、支持されたのであります。


≪ナレーションB≫ 「二月闘争」の発火点。それは、第一線のリーダーが集った緊急組長会であった。
                      (1952年1月下旬)

山本伸一は、寒風を突いて参加してくれた130人の同志と心一つに誓い合ったのであります。


≪山本伸一≫ 二月は日蓮大聖人の御生誕の月であり、また二月十一日は、戸田先生の誕生日であります。

今日、私たちが、この信心に巡り合えたのは、大聖人様が御出現になったからであることは言うまでもありませんが、戸田先生が広宣流布に一人立たれたおかげでもあります。

そして、皆さんは、それぞれ功徳を受け、幸せになられた。

 その報恩感謝の思いで、この二月を戦いきり、見事な勝利の結果をもって、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか。


≪ナレーションB≫ 当時、どんなに頑張っても1支部で「月に100世帯」ほどの折伏が限界だと、皆が思い込んでいた。

 しかし山本伸一は、、「組で2世帯」という折伏目標を掲げた。

 そして、具体的に、

「祈りから始めよう」

「近隣を大切にしよう」

「体験を語ろう」、と呼びかけたのであります。


≪ナレーションB≫ 池田先生は次のように語っています。


≪山本伸一≫ ともあれ、「何としても、戸田先生に喜んでもらいたい」と私の心に、皆が共に燃え立ってくれた。


「誰か」ではない。「自分」がやるのだ!

「いつか」ではない。「今」やるのだ!

「不可能」ではない。「可能」にするのだ!


 自然のうちに、一人ひとりの心が戸田先生の大願と合致して、「師弟」の命のギアが深く噛み合った。

 師と共に広宣流布することを自ら願って出現したのが、地涌の菩薩だ。学会員は皆、偉大な菩薩である。

 ひとたび使命を自覚するならば、必ず第一級の広布の闘士として、本領を発揮できないわけがない。

 破れぬ壁など、断じてないのである。

 当時の蒲田の支部幹部では、私が一番若かった。

人を集めて偉ぶって指導しても、誰が信用するか。

自分が足を運び、顔を合わせ、寒風の中を一緒に歩く以外にない。

 1回の座談会、一軒の個人指導、一通の激励の手紙……すべてが私の主戦場と思って真剣に取り組んだ。

 これまで周囲に信心の話などしたことがないという人も、まだ信心が浅くて何も語れないと尻込(しりご)みしていた人も、矢も盾(たて)もたまらぬ息吹の中で、勇気の一歩を踏み出してくれた。


≪ナレーションB≫  蒲田の友は寒風に胸を張り、喜び勇んで、活動を開始した。そして、この月、蒲田支部は、二百一世帯という未曾有(みぞう)の折伏を成し遂げたのである。

“やればできる!”

誰もが大歓喜のなかにそう実感した。

蒲田支部の壮挙(そうきょ)は、触発の波動となって全国に広がり、これが七十五万世帯達成への突破口となった。

この蒲田での山本伸一の戦いが、折伏の飛躍を遂げる「伝統の二月」の淵源(えんげん)となっていったのであります。


≪ナレーションA≫ 「二月闘争」では、東京はもちろん、多摩川を隔てた神奈川にも、広宣の炎は燃え上がり、中部、山梨、千葉へ、そして雪の東北・秋田にも拡大しました事は、皆様ご存知のとおりであります。


 本日は、新人間革命第3巻「平和の光」そして、随筆 我らの勝利の大道「新時代の二月闘争」より、『伝統の二月』のお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。


以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。 
 


寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。


この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×110行です。


今回の寸劇人間革命の内容は、ほとんど、『随筆 我らの勝利の大道 No.67 (2012.2.7/8付 聖教新聞)』からの引用文をあちこち貼り付けたものです。
省略・引用の仕方が、ちょっと??と、思われた方には お詫びいたします。


原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。

是非、ご活用ください。


関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。