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「もう一つの5月3日」のお話を、上演してみました。

生活が苦しくても、進まなねばならぬ時が、あるかもしれない。
早く死んで、子供と取り残されるかもしれない。それでも、いいのですか。

結構です。


P1010736_1.jpg


このほど、座談会で 「もう一つの5月3日」 のお話を、上演してみました。
本日は、その一部始終の紹介であります。

≪座談会司会者≫ それでは、毎月好評の寸劇人間革命のコーナーです。

≪寸劇係長≫ 皆さんこんばんは。今日は、「もう一つの5月3日」というお話です。

戸田先生が登場します。戸田先生役は、壮年部の○○さんお願いします。

先ほどから、見知らぬ男子部が来ているな?誰だろう?と、思っている方もいると思います。山本伸一役は、その見知らぬ男子部からやってもらいます。

春木峯子さん役は女子部の○○さん。お母さんの明子役は、地区婦人部長にお願いします。
ナレーション役は、いつもの○○さん。慣れてるところでよろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は昭和27年、1952年の5月3日、戸田先生が、第2代会長に就任してから、ちょうど一年後の記念すべき日であります。

この日、一組の結婚式が営まれたのであります。

いったい誰の、どなたの、結婚式でありましょうか。

お話は、数年前に、さかのぼります。

なお、登場人物の年齢と、出演者の年齢に多少の無理が、ありますが、いつものことですので、よろしくお願いします。

(中略)

≪山本伸一≫ 生活が苦しくても、進まなねばならぬ時が、あるかもしれない。
早く死んで、子供と取り残されるかもしれない。それでも、いいのですか

≪峯子≫   結構です。

≪ナレーション≫ 峯子は、微笑みながら、答えてくれたのであります。

(中略)

≪峯子≫ 二人で話しました。生涯、戸田先生に師事すること。

創価学会から離れないこと。社会のために、プラスになることをすること。

人のために、尽くすことを、いとわないこと。

≪山本伸一≫ 前途には、想像を絶する苦難や、嵐が待ちうけているかも知しれません。

時には権力の弾圧も、あるかもしれません。

しかし若い私たち二人は、広宣流布という将来の夢を、ひたすら実現することに、焦点を置いています。

それは壮大な夢であり、私たちの人生の唯一の目的であり、それが、新しい二人の人生のすべてであります。

≪ナレーション≫ 時に、新郎、山本伸一24歳。新婦 峯子は、二十歳になったばかりでありました。
(アドリブ)ところで本日の、新郎と新婦は、いったい何歳でありましょうか?(大爆笑)

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


≪座談会司会者≫ ここで女子部○○さんより、ひとこと挨拶があります。

≪女子部○○さん≫ 皆さんこんばんは。
先ほどから、見知らぬ男子部ということで紹介してもらいましたが、このほど結婚することになりました、○○さんです。(大拍手)(大拍手)



生活が苦しくても、進まなねばならぬ時が、あるかもしれない。
早く死んで、子供と取り残されるかもしれない。それでも、いいのですか。

結構です


このセリフの部分は、「私の履歴書」からの引用です。

当時の山本伸一青年は、結核で体も弱かった。
医者から「30まで生きられない」と告げられたことも。

よく考えてみると、これは「プロポーズ」なんですね。





この寸劇人間革命(以前に掲載したもの (20行×170行)を全部、読んでみたい方は、ここをクリック してください




今回、すこし余計な部分を削って、すっきりした寸劇に作り直してみました。
分量はおおよそ 20文字×150行です。
印刷用に空白行の少ないテキストデータを掲載しますので、是非こちらを、ご活用ください。



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東京オリンピックのお話

伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴な笑みが、満面に広がったのであります。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

伸一はその笑顔に胸を打たれた。
心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。
バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。


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≪ナレーションA≫ 時は昭和39年、西暦1964年10月11日、早朝。

そうです。

あの東京オリンピック開会式の翌日であります。

場所は、なんと、東ヨーロッパのチェコスロバキアの首都プラハのバーツラフ広場であります。

山本伸一が、ふと建物の壁を見ると、そこには、東京オリンピックのポスターが張ってあったのであります。

≪ナレーションB≫ しばらく、その前にたたずんでいると、背後に人の気配がした。

振り向くと、長身の青年が立っていた。25、6歳であろうか。

黙って、無表情に、伸一を見ていた。

しかし伸一が、微笑みを浮かべ、会釈をすると、青年の目にかすかに光が差した。

伸一は、オリンピック記念の百円銀貨がポケットに何枚かあったことを思い出し、青年に贈ろうと、
その一枚を差し出したのであります。


≪山本伸一≫ 硬い表情の青年だな。

そうだ、待てよ。

記念の100円銀貨があったはずだ。
はい、これは私からのプレゼントですよ。

≪プラハの青年≫ なんだ?
この変な東洋人は。
にやにやして気色わるいな。

え?何だよ、何だよ。
なにこれ?

何のコインだろう?
100?

どれどれ。
どれどれ。

オーッ!

これはオリンピックのコインじゃないか。

そうか、わかったぞ。
この東洋人は東京から来た、日本人なんだ。

このコインはいくらするんだろう?
えーと、ペラペラ。

こまった。言葉がつうじない!

tkyo_04.jpg

≪ナレーションB≫ そして、青年は、ポケットから財布を出すと、何か話しはじめた。

どうやら、この硬貨の代金を聞いているようであった。

伸一は、まず、自分の胸を指さして、それから、その指を、青年の胸に向けて言った。

≪山本伸一≫ これは、私からあなたへのプレゼントですよ!

≪プラハの青年≫ もらっていいの?

≪ナレーションB≫ 不思議そうな青年の顔は、そう語っていた。

伸一はにっこりと、頷(うなず)いたのであります。


≪プラハの青年≫ え!本当に!ありがとう。

それにしても、何てやさしそうな、きれいな目をしているんだろう。

≪ナレーションB≫ 伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴(じゅんぼく)な笑みが、満面に広がったのであります。

≪プラハの青年≫ うれしな。うれしいな。

世の中にこんな人がいるなんて。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

≪ナレーションB≫ 伸一はその笑顔に胸を打たれた。

心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


池田先生は2005年2月、「随筆人間人間世紀の光(69)」の中で次のように綴っています。

≪随筆朗読≫ 私が、東欧に第一歩を印したのは、もう40年も前の1964年の10月である。
 アジア、欧州を回るなか、チェコスロバキア(当時)の首都プラハに立った。

 私は、世界広布の決意を、一生の信念として固く抱いていた。

 しかし当時は、学会の幹部まで嘲笑(あざわら)っていた。いわんや、多くのマスコミも知識階層も、皆、笑っていたようである。

 初めての共産圏。正直に言って、雰囲気は、決して明るいものではなかった。

 しかし、社会体制が異なっても、住むのは同じ人間である。心を開いて語り合えば、必ず共感が生まれてくるはずだ。

 それが、私の行動の信条であったのだ。世界広布の歴史を残す、私の深い決意の断行であったのである。 私は、行く先々で、市民と触れ合い、語りあった。

 プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。

バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。

≪ナレーションA≫ 人間主義の鼓動が高まる1992年の1月、チェコスロバキアとポーランドに、旧東欧で最初のSGI支部が誕生したことは皆様ご存知のとおりです。

 本日は、小説・新人間革命第9巻・「光彩(こうさい)」の章より、「東京オリンピックのお話を」、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。


プラハの青年のセリフの多くは、管理人の作文です。
ただし「法華経の知恵、第4巻、P150」にある、次の表現を借用いたしました。
「世の中にこんな人がいるなんて」「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」

 この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×105行です。

原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひ、ご活用ください。



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