スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大衆とともに



私は、『獅子が我が子を千尋の谷に突き落とす』がごとき思いで、諸君を政治の世界に送り出すのである。

しかし、だれ一人として、這い上がってくることはできぬであろう。


SBSH0241_02.jpg





≪ナレーションA≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は「大衆とともに」と題しましてお送りいたします。

≪ナレーションB≫ 時は昭和30年1955年2月。
学会本部2階の広間であります。

全国から選ばれた、文化部員の任命式が行われたのであります。

戸田城聖は、まだ海のものとも、山のものともわからない文化部員を前にして、その出立(しゅったつ)を激励したのであります。

≪戸田城聖≫ いよいよ時が来たのです。諸君は妙法を胸に抱きしめた文化部員であることを、いつ、いかなる所にあっても、忘れてはなりません。民衆のなかに生き、民衆のために闘(たたか)い、民衆のなかに死んでいってほしいと私は願う。

名聞名利(みょうもんみょうり)を捨て去った真の政治家の出現を、現代の人類社会は渇望(かつぼう)しているのだ。諸君こそ、やがて、この要望に応えうる人材だと、私は諸君を信頼している。

立派に闘いなさい。
私はどんなにしても応援しよう。今後どうなろうとも、わが学会の文化部員として、生涯、誇らかに生きぬいていきなさい。
ともかく、われわれの期待を断じて裏切るな!

≪ナレーションB≫そして、思わぬ厳しい指導がなされたのです。

≪戸田城聖≫ ここに集った、54名の文化部員は、皆、私の、愛弟子(まなでし)である。

私は、『獅子が我が子を千尋(せんじん)の谷に突き落とす』がごとき思いで、諸君を政治の世界に送り出すのである。

しかし、だれ一人として、這(は)い上がってくることはできぬであろう。

≪ナレーションB≫ 戸田は、滂沱(ぼうだ)とだがれる涙を、ぬぐおうともしなかったのであります。
新しい分野に巣立つ54名の新部員は、緊張した面持ちで戸田の言葉を聞いていた。

それは激励とも思われたが、また新しい門出への惜別(せきべつ)の言葉とも響いた。
征(ゆ)き、断じて還ることを、拳(こぶし)を握りしめて心に誓ったのであります。

 「大衆とともに、」--それは公明党の、偉大なる精神であります。
この精神を訴えたのは、山本伸一であった。

≪ナレーションA≫ 昭和37年1962年9月13日。
公明政治連盟の第1回全国大会に出席した山本伸一は、大衆の真実の友たるべき、公明政治連盟の政治家の在り方を、次のように語ったのであります。

≪山本伸一≫ 最後の最後まで、生涯、政治家として、そして指導者として、大衆に直結していってもらいたい。

偉(えら)くなったからといって、大衆から遊離(ゆうり)して、孤立(こりつ)したり、また組織の上にあぐらをかいたりするような政治化には、絶対に、なっていただきたくないのであります。

大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに入りきって、大衆のなかに死んでいっていただきたい。

どうか、公政連(こうせいれん)の同志の皆さん方だけは、全民衆のための、大衆のなかの政治家として、一生を貫き通していただきたいと、切望するものであります。

≪ナレーションA≫そしてこの「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆のなかに死んでいく」との言葉が、公明党の偉大なる立党精神となっていますことは、皆様ご存知のとおりであります。

本日は、小説人間革命第9巻「展開」の章、さらに、小説新人間革命第9巻「衆望」の章などから、「大衆とともに」と題しまして、公明党の立党精神のお話を、旭日地区の オールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




最後まで読んでいただきありがとうございます。

以前に掲載したものを、短く作り直したものです。
エピソードを省略してみました。

その寸劇人間革命(エピソードが入ったもの)を読んでみたい方は、ここをクリック してください


この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×80行です。


原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
是非、座談会でご活用ください。

taisyuu_S_1.jpg
関連記事
スポンサーサイト

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。