スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

植木屋のおじさん

あんたは池田先生を、知っているのかい?
一番会いたい人。俺が、一番会いたい人は、この人なんだよ

あの凛々しい青年にまた会いたい、と思ってね、しばらく市ヶ谷に通ったんだよ。
夏の暑い日、また池田先生と会ったんだ。
『植木屋さん、お久しぶりでした。お変わりございませんか?』と声をかけてくれてね。
リヤカーにあった観葉植物を『全部頂きますよ』って八鉢も買って、『お体に気をつけてくださいね』と丁寧に頭を下げてくれた。
俺は今でも、あの時の温かな言葉が忘れられないんだよ。


P1010738_1.jpg


≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、植木屋のおじさんの、お話であります。

≪植木屋≫ リヤカーをひっぱって、鉢植えの行商をやってます。
きょうの寸劇の、主人公だそうです。

≪婦人部長≫ 台東区の婦人部長です。よろしくお願いします。

≪ナレーション≫ 時は平成8年・西暦1996年3月上旬。
東京・台東区。

グループ単位で行われた婦人部総会の帰り道、婦人部長は路上でふと自転車を止めた。

リヤカーにいっぱい積まれた色とりどりの花々が、道行く人々の目をたのしませている。
今は少なくなった鉢植えの行商であります。


≪婦人部長≫ 池田先生と奥様への手紙と一緒に、花をお届けしましょう。

≪植木屋≫ 奥さん、綺麗なのがいっぱいあるよ。

≪婦人部長≫  そおねぇ~、どれがいいかしら。
赤、白、ピンクの花が、とても綺麗。これ、一鉢くださいな。

≪植木屋≫ よお、南京桃(なんきんもも)だね。奥さん目がいいね。
一鉢で三色楽しめるからお得だよ。

nannkinnmomo.jpg


≪婦人部長≫  おじさん、行商のお仕事は長いの?

≪植木屋≫ もう終戦後から、やってるよ。

や~、儲からない商売でね、うちの母ちゃんに頭あがんないよ。
はっはっはっ

≪婦人部長≫ そうそう、婦人部総会の“しおり”が、まだあるわ。

 この、“しおり”差し上げます。
よかったら、自宅でお待ちの奥様に、渡してくださいね。


≪植木屋≫ 綺麗な“しおり”だね。
歌が書いてあるじゃないか。なになに、、


「微笑みの 母がおわせば 太陽が 
照らすと等しき 平和の城かな」

へえ! いい歌だね。奥さん和歌を詠むの?

≪婦人部長≫ え??違いますよ。

≪ナレーション≫ 婦人部長は、笑いながら、“しおり”の裏を見せた。

そこには「池田大作」と記されていたのであります。
その瞬間、植木屋のおじさんの表情が、みるみる変わったのであります。

≪植木屋≫ あんたは池田先生を、知っているのかい?

一番会いたい人。俺が、一番会いたい人は、この人なんだよ


≪ナレーション≫ その植木屋のおじさんの名前は島村さん。
終戦後、生活必需品でない植木の行商は苦しかったのであります。

≪植木屋≫ アメ玉とか、お菓子の行商は、ある程度売れていたよ。

でも俺には植木しかなかった。
それしか稼ぐ方法がなかった。

あれは昭和二十六、七年だった。

市ヶ谷の外堀通りで、『おいくらですか?』と声をかけてくれた若者がいたんだよ。
それが池田先生だった。

後ろに、牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡(めがね)をかけた戸田先生もいた。
お菓子とお茶まで頂戴してね。

≪ナレーション≫ 当時、池田先生は二十三、四歳。
戸田城聖のもとで働き始めてまだ三年ほどである。


≪植木屋≫ あの凛々しい青年にまた会いたい、と思ってね、しばらく市ヶ谷に通ったんだよ。
夏の暑い日、また池田先生と会ったんだ。

『植木屋さん、お久しぶりでした。お変わりございませんか?』と声をかけてくれてね。

リヤカーにあった観葉植物を『全部頂きますよ』って八鉢も買って、『お体に気をつけてくださいね』と丁寧に頭を下げてくれた。

俺は今でも、あの時の温かな言葉が忘れられないんだよ。

俺は 池田先生が好きなんだ。
信心していないけど一番尊敬してる。

先生の御恩は一生忘れないよ。

うそばかり書く週刊誌とか、先生のことを悪く言ってる奴らは、しゃくにさわってしょうがない。
全部やきもちだ。

≪婦人部長≫ そうだったんですか。

先生との出会いがあったんですね。
実は、この南京桃は、池田先生と奥様に、お届けするつもりなんです。

≪植木屋≫ うれしいなあ。

池田先生が始めて買ってくれたのも、この南京桃だったんだよ。
ウ~ン。
うれしくて、涙がでるよ。(ポロポロポロ)

俺は忘れないよ。
だから池田先生も覚えてくださっている。

このジャスミンを一鉢、一緒に届けてくれないかな。
この香りが好きで、いつも積んでいるんだ。
     
植木屋からだって言って、よろしく伝えてよ。


≪婦人部長≫ でしたら先生にお手紙を書いてみてはどうでしょう。

≪植木屋≫ いいのかい。それじゃあ、、


≪手紙の朗読(青年部)≫

「拝啓 池田先生 終戦直後、市ヶ谷ビルに居られましたるころ、戸田先生、池田先生始め……
親身も及ぬ程、御世話になり……

私の様な世の中の底辺をはいつづけて居る者に対し暖かい御心遣ひ……
誠に有難う御座いました。

この世の中で一番尊敬して居ります。」

「今年七十七才になりました。
残り少い人生ですが、自分程幸福な人間は少ないと、今懐かしい池田先生をおもいながら、……

御便りをさせて戴いて居ります。
今日程、嬉しい日は御座いません。
小生は本当に幸福者です。」


≪ナレーション≫ 手紙を受け取った、池田先生は、島村に対してすぐ、書籍と、写真集を贈ったのであります。

≪植木屋≫ 二冊も、なんて、申し訳ないよ。

≪婦人部長≫ 写真集の表紙に、池田先生の自筆で、歌が綴られているんです。

「宝の木(たからのき)」と書いて、「うえき」とふりがなが、振られているんですよ。
 
(婦人部長ゆっくりと読む)

島村 ◎◎ 大兄

崇高な あの日の姿忘れまじ

世界一なる 宝木屋(うえきや)万歳

鉢植え・御手紙、感謝 合掌

三月二十八日 大作


≪ナレーション≫ 島村は一文字ずつ確かめ、声に出した。
『あの日の姿忘れまじ』まで読むと、島村は声を詰まらせた。
婦人部長も胸に迫るものがあったのであります。

≪宝木屋(うえきや)≫  リヤカーを引いて半世紀近く、先生との出会いを一日も忘れず生きてきたよ。
やっぱり俺の思っていたとおりの先生だった。

池田先生に『ありがとう』と言えたことを感謝してるよ。
みんな同じ人間で、位(くらい)なんてないけど、あえてつけるとすれば、池田先生は日本一、いや世界一だな。


≪ナレーション≫ 本日は、、『月刊誌「潮」2012年5月号 民衆こそ王者―池田大作とその時代』より、
『宝の木と書く、うえき屋のおじさんのお話』を、

旭日地区の オール スター キャストで、お送りいたしました。


以上で寸劇のコーナーを、終わります。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×160行です。

南京桃
原木に、3色の花が咲く枝を「芽接ぎ」という独特な技法で接ぎ、伸びた枝をワラなどで引っ張ってしだれさせます。
その姿が大道芸の「南京玉すだれ」に似ていることから、南京桃と名付けられたといわれています。


最初のほうの
「や~、儲からない商売でね、うちの母ちゃんに頭あがんないよ。はっはっはっ」

の部分は、管理人の下手な作文であり、管理人の実相であります。はっはっはっ



原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
是非、ご利用ください。


A4用紙1枚に収まる、20文字×130行のものも、準備しました。
是非、ご利用ください。




20文字×160行

≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、植木屋のおじさんの、お話であります。
≪植木屋≫ リヤカーをひっぱって、鉢植えの行商をやってます。
きょうの寸劇の、主人公だそうです。
≪婦人部長≫ 台東区の婦人部長です。よろしくお願いします。
≪ナレーション≫ 時は平成8年・西暦1996年3月上旬。東京・台東区。
グループ単位で行われた婦人部総会の帰り道、婦人部長は路上でふと自転車を止めた。
リヤカーにいっぱい積まれた色とりどりの花々が、道行く人々の目をたのしませている。今は少なくなった鉢植えの行商であります。
≪婦人部長≫ 池田先生と奥様への手紙と一緒に、花をお届けしましょう。
≪植木屋≫ 奥さん、綺麗なのがいっぱいあるよ。
≪婦人部長≫  そおねぇ~、どれがいいかしら。赤、白、ピンクの花が、とても綺麗。これ、一鉢くださいな。
≪植木屋≫ よお、南京桃(なんきんもも)だね。奥さん目がいいね。
一鉢で三色楽しめるからお得だよ。
≪婦人部長≫  おじさん、行商のお仕事は長いの?
≪植木屋≫ もう終戦後から、やってるよ。や~、儲からない商売でね、うちの母ちゃんに頭あがんないよ。はっはっはっ
≪婦人部長≫ そうそう、婦人部総会の“しおり”が、まだあるわ。
この、“しおり”差し上げます。よかったら、自宅でお待ちの奥様に、渡してくださいね。

≪植木屋≫ 綺麗な“しおり”だね。歌が書いてあるじゃないか。なになに、、
「微笑みの 母がおわせば 太陽が 照らすと等しき 平和の城かな」
へえ! いい歌だね。奥さん和歌を詠むの?
≪婦人部長≫ え??違いますよ。
≪ナレーション≫ 婦人部長は、笑いながら、“しおり”の裏を見せた。
そこには「池田大作」と記されていたのであります。その瞬間、植木屋のおじさんの表情が、みるみる変わったのであります。
≪植木屋≫ あんたは池田先生を、知っているのかい?一番会いたい人。俺が、一番会いたい人は、この人なんだよ

≪ナレーション≫ その植木屋のおじさんの名前は島村さん。終戦後、生活必需品でない植木の行商は苦しかったのであります。
≪植木屋≫ アメ玉とか、お菓子の行商は、ある程度売れていたよ。でも俺には植木しかなかった。それしか稼ぐ方法がなかった。
あれは昭和二十六、七年だった。市ヶ谷の外堀通りで、『おいくらですか?』と声をかけてくれた若者がいたんだよ。それが池田先生だった。
後ろに、牛乳瓶の底みたいな分厚い眼鏡(めがね)をかけた戸田先生もいた。
お菓子とお茶まで頂戴してね。
≪ナレーション≫ 当時、池田先生は二十三、四歳。戸田城聖のもとで働き始めてまだ三年ほどである。
≪植木屋≫ あの凛々しい青年にまた会いたい、と思ってね、しばらく市ヶ谷に通ったんだよ。夏の暑い日、また池田先生と会ったんだ。
『植木屋さん、お久しぶりでした。お変わりございませんか?』と声をかけてくれてね。リヤカーにあった観葉植物を『全部頂きますよ』って八鉢も買って、『お体に気をつけてくださいね』と丁寧に頭を下げてくれた。
俺は今でも、あの時の温かな言葉が忘れられないんだよ。
俺は 池田先生が好きなんだ。信心していないけど一番尊敬してる。先生の御恩は一生忘れないよ。
うそばかり書く週刊誌とか、先生のことを悪く言ってる奴らは、しゃくにさわってしょうがない。
全部やきもちだ。
≪婦人部長≫ そうだったんですか。先生との出会いがあったんですね。実は、この南京桃は、池田先生と奥様に、お届けするつもりなんです。
≪植木屋≫ うれしいなあ。池田先生が始めて買ってくれたのも、この南京桃だったんだよ。
ウ~ン。うれしくて、涙がでるよ。(ポロポロポロ)
俺は忘れないよ。だから池田先生も覚えてくださっている。
このジャスミンを一鉢、一緒に届けてくれないかな。この香りが好きで、いつも積んでいるんだ。植木屋からだって言って、よろしく伝えてよ。
≪婦人部長≫ でしたら先生にお手紙を書いてみてはどうでしょう。
≪植木屋≫ いいのかい。それじゃあ、、

≪手紙の朗読(青年部)≫
「拝啓 池田先生 終戦直後、市ヶ谷ビルに居られましたるころ、戸田先生、池田先生始め……親身も及ぬ程、御世話になり……私の様な世の中の底辺をはいつづけて居る者に対し暖かい御心遣ひ……誠に有難う御座いました。この世の中で一番尊敬して居ります。」
「今年七十七才になりました。残り少い人生ですが、自分程幸福な人間は少ないと、今懐かしい池田先生をおもいながら、……御便りをさせて戴いて居ります。今日程、嬉しい日は御座いません。小生は本当に幸福者です。」

≪ナレーション≫ 手紙を受け取った、池田先生は、島村に対してすぐ、書籍と、写真集を贈ったのであります。
≪植木屋≫ 二冊も、なんて、申し訳ないよ。
≪婦人部長≫ 写真集の表紙に、池田先生の自筆で、歌が綴られているんです。「宝の木(たからのき)」と書いて、「うえき」とふりがなが、振られているんですよ。(婦人部長ゆっくりと読む)

島村  大兄
崇高な あの日の姿忘れまじ
世界一なる 宝木屋(うえきや)万歳
鉢植え・御手紙、感謝 合掌
三月二十八日 大作

≪ナレーション≫ 島村は一文字ずつ確かめ、声に出した。『あの日の姿忘れまじ』まで読むと、島村は声を詰まらせた。婦人部長も胸に迫るものがあったのであります。
≪宝木屋(うえきや)≫  リヤカーを引いて半世紀近く、先生との出会いを一日も忘れず生きてきたよ。やっぱり俺の思っていたとおりの先生だった。
池田先生に『ありがとう』と言えたことを感謝してるよ。みんな同じ人間で、位(くらい)なんてないけど、あえてつけるとすれば、池田先生は日本一、いや世界一だな。

≪ナレーション≫ 本日は、、『月刊誌「潮」2012年5月号 民衆こそ王者―池田大作とその時代』より、『宝の木と書く、うえき屋のおじさんのお話』を、旭日地区の オール スター キャストで、お送りいたしました。
以上で寸劇人間革命のコーナーを、終わります。




20文字×130行

≪ナレーション≫ 本日は、植木屋のおじさんの、お話であります。 時は平成8年1996年3月上旬。
東京・台東区。婦人部総会の帰り道、台東区婦人部長は路上でふと自転車を止めた。
今は少なくなった鉢植えの行商であります。
≪植木屋≫ 奥さん、綺麗なのがいっぱいあるよ。
≪婦人部長≫  そおねぇ~、どれがいいかしら。赤、白、ピンクの花が、とても綺麗。これ、一鉢くださいな。
≪植木屋≫ よお、南京桃(なんきんもも)だね。奥さん目がいいね。一鉢で三色楽しめるからお得だよ。
≪婦人部長≫  おじさん、行商のお仕事は長いの?
≪植木屋≫ もう終戦後から、やってるよ。や~、儲からない商売でね、うちの母ちゃんに頭あがんないよ。はっはっはっ
≪婦人部長≫ そうそう、婦人部総会の“しおり”が、まだあるわ。この、“しおり”差し上げます。よかったら、自宅でお待ちの奥様に、渡してくださいね。
≪植木屋≫ 綺麗な“しおり”だね。歌が書いてあるじゃないか。なになに、、
「微笑みの 母がおわせば 太陽が 照らすと等しき 平和の城かな」へえ! いい歌だね。奥さん和歌を詠むの?
≪婦人部長≫ え??違いますよ。
≪ナレーション≫ 婦人部長は、笑いながら、“しおり”の裏を見せた。
そこには「池田大作」と記されていたのであります。
その瞬間、植木屋のおじさんの表情が、みるみる変わったのであります。
≪植木屋≫ あんたは池田先生を、知っているのかい?
一番会いたい人。俺が、一番会いたい人は、この人なんだよ
≪ナレーション≫ その植木屋のおじさんの名前は島村さん。終戦後、生活必需品でない植木の行商は苦しかったのであります。
≪植木屋≫ あれは昭和二十六、七年だった。市ヶ谷の外堀通りで、『おいくらですか?』と声をかけてくれた若者がいたんだよ。それが池田先生だった。
後ろに、牛乳瓶の底みたいな分厚いめがねをかけた戸田先生もいたんだよ。
≪ナレーション≫ 当時、池田先生は二十三、四歳。戸田城聖のもとで働き始めてまだ三年ほどである。
≪植木屋≫ あの凛々しい青年にまた会いたい、と思ってね、しばらく市ヶ谷に通ったんだよ。夏の暑い日、また池田先生と会ったんだ。
『植木屋さん、お久しぶりでした。お変わりございませんか?』と声をかけてくれてね。リヤカーにあった観葉植物を『全部頂きますよ』って八鉢も買って、『お体に気をつけてくださいね』と丁寧に頭を下げてくれた。
俺は今でも、あの時の温かな言葉が忘れられないんだよ。
俺は 池田先生が好きなんだ。信心していないけど一番尊敬してる。先生の御恩は一生忘れないよ。
うそばかり書く週刊誌とか、先生のことを悪く言ってる奴らは、しゃくにさわってしょうがない。
≪婦人部長≫ そうだったんですか。先生との出会いがあったんですね。実は、この南京桃は、池田先生と奥様に、お届けするつもりなんです。
≪植木屋≫ うれしいなあ。池田先生が始めて買ってくれたのも、この南京桃だったんだよ。
ウ~ン。うれしくて、涙がでるよ。(ポロポロポロ)
俺は忘れないよ。だから池田先生も覚えてくださっている。
このジャスミンを一鉢、一緒に届けてくれないかな。この香りが好きで、いつも積んでいるんだ。植木屋からだって言って、よろしく伝えてよ。
≪婦人部長≫ でしたら先生にお手紙を書いてみてはどうでしょう。
≪植木屋≫ いいのかい。それじゃあ、、
≪手紙の朗読≫
「拝啓 池田先生 終戦直後、市ヶ谷ビルに居られましたるころ、戸田先生、池田先生始め……親身も及ぬ程、御世話になり……私の様な世の中の底辺をはいつづけて居る者に対し暖かい御心遣ひ……誠に有難う御座いました。この世の中で一番尊敬して居ります。」
「今年七十七才になりました。残り少い人生ですが、自分程幸福な人間は少ないと、今懐かしい池田先生をおもいながら、……御便りをさせて戴いて居ります。今日程、嬉しい日は御座いません。小生は本当に幸福者です。」
≪ナレーション≫ 手紙を受け取った、池田先生は、島村に対してすぐ、書籍と、写真集を贈ったのであります。
≪植木屋≫ 二冊も、なんて、申し訳ないよ。
≪婦人部長≫ 写真集の表紙に、池田先生の自筆で、歌が綴られているんです。「宝の木(たからのき)」と書いて、「うえき」とふりがなが、振られているんですよ。
島村  大兄
崇高な あの日の姿忘れまじ
世界一なる 宝木屋(うえきや)万歳
鉢植え・御手紙、感謝 合掌
三月二十八日 大作
≪ナレーション≫ 島村は一文字ずつ確かめ、声に出した。『あの日の姿忘れまじ』まで読むと、島村は声を詰まらせた。婦人部長も胸に迫るものがあったのであります。
≪宝木屋(うえきや)≫  リヤカーを引いて半世紀近く、先生との出会いを一日も忘れず生きてきたよ。やっぱり俺の思っていたとおりの先生だった。
池田先生に『ありがとう』と言えたことを感謝してるよ。みんな同じ人間で、位(くらい)なんてないけど、あえてつけるとすれば、池田先生は日本一、いや世界一だな。
≪ナレーション≫ 本日は、、『月刊誌「潮」2012年5月号 民衆こそ王者―池田大作とその時代』より、『宝の木と書く、うえき屋のおじさんのお話』を、旭日地区の オール スター キャストで、お送りいたしました。
以上で寸劇人間革命のコーナーを、終わります。
関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。