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ポイント学習・観心本尊抄(原文)

教学試験1級学習用のテキストデータです。
重要ポイントをまとめてみました。
学習の参考にどうぞ。
(誤入力 あったら訂正します)



重要ポイント学習

如来滅後五五百歳始観心本尊抄

第1章 『摩訶止観』第5巻の文.p7

摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり
「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云

第4章 一念三千は有情と非常にわたる.p14

問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、
答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、
不審して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、

答えて曰く此の事難信難解なり   観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり

第5章 観心の意味.p18

問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、
答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり

第7章 難信難解を示す.p24

問うて曰く自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ之を見ず如何が之を信ぜん、
答えて曰く法華経法師品に云く「難信難解」宝塔品に云く「六難九易」等云云

夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等之を扶けて諌暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り
五千席を去り人天移さる況や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。

第8章 自身の心に具わる六道.p26

今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、
答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、
瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。

第9章 自身の心に具わる三乗.p29

問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、
答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、
所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、
但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、
法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」
涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、
末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。

第10章 凡夫の心に具わる仏界.p32

問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。

答えて曰く   十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、
既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん
尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。

第11章 教主に関して尋ねる.p36

問うて曰く教主釈尊は 此れより堅固に之を秘す 三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、

此等は皆我が一念の十界か己身の三千か、仏説為りと雖も之を信ず可からず。

第15章 教主に関する難問に答える.p52

但し初の大難を遮せば無量義経に云く「譬えば国王と夫人と新たに王子を生ぜん若は一日若は二日若は七日に至り若は一月若は二月若は七月に至り若は一歳若は二歳若は七歳に至り復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ諸の大王の子以て伴侶と為らん、王及び夫人の愛心偏に重くして常に与共に語らん所以は何ん稚小なるを以ての故にと云うが如く、善男子是の持経者も亦復是くの如し、

諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず若し菩薩是の経を聞くことを得て若しは一句若しは一偈若しは一転若しは二転若しは十若しは百若しは千若しは万若しは億万恒河沙・無量無数転せば復真理の極を体すること能わずと雖も、乃至已に一切の四衆八部に宗仰せられ諸の大菩薩を以て眷属と為し乃至常に諸仏に護念せられ慈愛偏に覆われん新学なるを以ての故なり」等云云

而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日・天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す、
然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。

第16章 受持即観心を明かす.p58

問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。
答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、

私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、
四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、
「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、
宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、

寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、
経に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、

地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、例せば大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属・武内の大臣は神功皇后の棟梁・仁徳王子の臣下なるが如し、上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり、

妙楽大師云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云。

第17章 権教・法華経迹門の国土.p68

夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間・華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり
能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。

第18章 本門の国土.p69

今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり
迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。

第19章 本門の本尊を明かす.p71

此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、

其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、

是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、

正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す

此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。

第20章 末法に出現する本尊を尋ねる.p74

問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、
此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

第21章 一代三段・十巻三段を示す.p75

答えて曰く法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経なり
始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり
無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり
涅槃経等は流通分なり、

正宗十巻の中に於て亦序正流通有り
無量義経並に序品は序分なり、
方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、
分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。

第22章 迹門熟益三段を示す.p78

又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、
無量義経と序品は序分なり
方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、
法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、

第23章 本門脱益三段を示す.p81

又本門十四品の一経に序正流通有り
涌出品の半品を序分と為し
寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す
其の余は流通分なり、

一念三千殆んど竹膜を隔つ、

第24章 文底下種三段の序分・正宗分を明かす.p83

又本門に於て序正流通有り
過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり

一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く、

其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり、爾前迹門の円教尚仏因に非ず何に況や大日経等の諸小乗経をや

何に況や華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや、
与えて之を論ずれば前三教を出でず
奪つて之を云えば蔵通に同ず、
設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり、
譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し、此等は且く之を閣く

第25章 法華経で成仏する対象の中心.p86

迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す、再往之を勘うれば凡夫・正像末を以て正と為す正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す、

問うて曰く其の証如何ん、
答えて曰く法師品に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」宝塔品に云く「法をして久住せしむ乃至来れる所の化仏当に此の意を知るべし」等、勧持安楽等之を見る可し迹門是くの如し、

本門を以て之を論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、

再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、

在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。

第26章 本門序分の文を引く.p91

問うて曰く其の証文如何、
答えて云く涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩   『当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし、』爾の時に仏・諸の菩薩摩訶薩衆に告げ給わく『止ね善男子・汝等が此の経を護持せんことを須いじ』」等云云、

而るに須臾の間に仏語相違して過八恒沙の此の土の弘経を制止し給う進退惟れ谷まり凡智に及ばず、
天台智者大師前三後三の六釈を作つて之を会し給えり、
所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず
末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う、
又迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる故なり、

第27章 本門正宗分の文を引く
①寿量品は滅後のための法門.p95

又弥勒菩薩疑請して云く経に云く「   願くは為に解説して我等が疑を除き給え及び未来世の諸の善男子此の事を聞き已つて亦疑を生ぜじ」等云云、
文の意は寿量の法門は滅後の為に之を請ずるなり、
寿量品に云く「   『是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差じと憂うること勿れ、』
是の教を作し已つて復た他国に至つて使を遣わして還つて告ぐ」等云云、

第27章 本門正宗分の文を引く
②流通の人と法を明かす.p99

問うて曰く此の経文の遣使還告は如何、
答えて曰く四依なり   四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し

今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや。

第28章 本門の流通分の文を引く
①別付嘱の文を引く.p101

経に曰く「   要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」等云云、
天台云く「爾時仏告上行より下は第三結要付属なり」云云、

第29章 地涌の菩薩が出現する時は悪世末法
①地涌の菩薩が出現する時を明かす.p108

疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、
答えて曰く爾らず、
驚いて云く法華経並びに本門は仏の滅後を以て本と為して先ず地涌に之を授与す何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや、
答えて云く宣べず、
重ねて問うて云く如何、
答う之を宣べず、
又重ねて問う如何、
答えて曰く之を宣ぶれば一切世間の諸人・威音王仏の末法の如く又我が弟子の中にも粗之を説かば皆誹謗を為す可し黙止せんのみ、
求めて云く説かずんば汝慳貪に堕せん、
答えて曰く進退惟れ谷れり試みに粗之を説かん、法師品に云く「況んや滅度の後をや」寿量品に云く「今留めて此に在く」分別功徳品に云く「悪世末法の時」薬王品に云く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」
已前の明鏡を以て仏意を推知するに仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末の人の為なり、又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり、
然れども病者に於いてと云うは滅後法華経誹謗の者を指すなり、「今留在此」とは「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり。

第29章 地涌の菩薩が出現する時は悪世末法
③四菩薩の振る舞い.p114

今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸天其の国を棄て之を守護せず、

此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益」とは是なり、

我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、

是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の初に出で給わざる可きか、

当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。

第30章 仏の予言を明かす
①地涌の菩薩出現の予言.p118

問うて曰く仏の記文は云何
答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、
天台大師記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、
伝教大師日本にして末法の始を記して云く「代を語れば像の終り末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」

第30章 仏の予言を明かす
②本門の本尊の建立を明かす.p120

此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、
此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し
月支震旦に未だ此の本尊有さず、日本国の上宮・四天王寺を建立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す、聖武天皇・東大寺を建立す、華厳経の教主なり、未だ法華経の実義を顕さず、伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して本門の四菩薩を顕わさず、所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、
此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。

第30章 仏の予言を明かす
③地涌の菩薩出現の先兆を明かす.p123

此れを以て之を惟うに正像に無き大地震・大彗星等出来す、
此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず偏に四大菩薩を出現せしむ可き先兆なるか、
天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」等云云、
妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、
天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか。

第31章 総結.p125

一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、
四大菩薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。

文永十年太歳癸酉卯月二十五日 日蓮之を註す



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