スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「水滸会野外訓練」のお話



不思議なことを言うようだが、今夜はっきりと言っておこう。

今日から十年目に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。

私はそのとき、諸君に頼むことがある。

P1010510.jpg


≪ナレーション≫ 時は昭和29年1954年9月4日。
ここは、奥多摩の氷川キャンプ場。
男子部68名の水滸会のメンバーが、戸田先生を囲んでの、初めての野外訓練であります。

≪青年≫ 戸田先生は、青年時代どんなふうに勉強なさったか。それを教えてください。

≪戸田城聖1≫ 僕の勉強のことか。僕の体験からいって、勉強というものは、どんな境遇にいても、しようと思えばできるものだということを、まず言っておこう。
昔の小学校は高等科2年まであって、十四の歳に卒業した。それから小僧奉公(ほうこう)をした。朝は人より早く起きて、六時から七時まで勉強。それから仕事が始まるわけだが、昼間働くばかりでなく、夜も七時から十時まで働かされた。それで、また十時から十一時までが勉強の時間だ。

こんな状態が三年つづいて、十七のとき、準教員の資格試験を受けて通った。それで十八歳の六月に教員となり、夕張の小学校に勤めた。それから、正教員の資格試験を受けた。二回の試験あわせて、北海道で一番の成績で合格した。

十九の時に、ともかくいっさいを棄(す)てて東京に出た。
そして牧口先生の同級生の紹介状をもらって牧口先生を訪ねた。この同級生は、同級会で先生を見かけるだけで話もしたこともないという心細さであったが、それだけに私は緊張していた。

その折(おり)、私は、「教授法にかけては抜群で、絶対の自信がある。」と、大見得を切ってしまった。
すると牧口先生は、じっと私を見ていたが、「君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になる。」と言われた。

≪青年≫ これは、愉快だ。

≪戸田城聖2≫ 牧口先生が校長をしている学校に勤めさせてもらったわけだが、同時に夜間中学に、かよった。英語はこの時に、初めて習うという始末だった。それで電車のなかでも英語の勉強をつづけた。わからないところにぶつかると、その電車のなかにいる一高生や慶大生をつかまえて、平気で教えてもらった。

数学は好きだったので、予備校へよくかよった。といっても、授業料を払っていないので、つまりモグリだった。

難問題をかかえると、授業の終わるころを狙(ねら)って教室に入った。そして、どじょうヒゲの先生に質問する。人のいい親切な先生で、丁寧(ていねい)に教えてくれ、すっかり顔なじみになってしまった。どじょうヒゲ先生が、僕のことを最後まで、予備校の学生だと思い込んでいたことは、たしかだね。

≪青年≫ すごい。すごい。痛快(つうかい)だ!

≪戸田城聖2≫ このような方法で、三十一歳までに、あらゆることを学んだ。僕の勉強は、電車のなかや、人を待つあいだといった、わずかな時間を惜(お)しんでやった。枕元には、いつも本を、おいたことは言うまでもない。

諸君は、昼は仕事で夜は学会活動で、勉強する暇などないと思っているだろうが、それは本気で勉強する気がないからです。まわりがうるさいなどと愚痴をいっているうちは、まだ本気だとはいえない。境遇を嘆いたり、時間や金のないのを口実に怠けているうちに、黄金の青春時代は過ぎ去ってしまうのです。まず、境遇に勝つことだ。僕は今いった方法でやって目的を達した。

人生は勝負だよ。まず自分に勝てばよいのだ。諸君は諸君の身についた方法で勝てばよいのです。

≪ナレーション≫ 青年たちは、いつしか、静まりかえって、じっと耳を澄(す)ましていたのであります。

≪戸田城聖3≫ ところが、いざ独立して、事業を始めてみると、それまでやった学問が、なんの役にも立たないように思われてしかたがなかった。
僕がこの信心を始めたのは、一通りの勉強を終えた後のことです。

ところが、ここで不思議なことが起きた。
あれほど一生懸命に頭に入れた学問も、なんの役にも立たず死んでいると思っていたが、いま考えると、それが全部生きていたことだ。
この経験の中に、おそろしいまでの真実があった。つまり仏法を根本にすれば、すべてが生かされるということだ。
たしかに「活の法門」です。これは、信心によらなければできないことだ。思えば凄い、功徳だった。

諸君のこれまでの勉強も、いましている勉強も、みんな立派に生きる時が必ず来る。だからスマホなんか、いじっていないで、青春時代には苦労しながら、時間を惜しんで、せっせと勉強しなさいというのです。
しかし、なんといっても根本に仏法があることこそ強いことはない。いま、僕は文科系の学問や、数学、物理などの自然科学なら、三ヵ月の余裕があれば、君たちが専門としているものでも、得意としているものでも、絶対に負けないぞ。
ひとつ勝負するか。はっ、はっ、はっ。

≪ナレーション≫ 戸田の数々の話は、いまさらのように青年たちの胸に、そのまま自然に吸収されていった。
夜は更けていった。キャンプ・ファイヤーは焔(ほのお)をチロチロとあげ、堆(うずたか)く燃えていた。
このとき、戸田は突然立ち上がって、話はじめたのであります。

≪戸田城聖3≫ 不思議なことを言うようだが、今夜はっきりと言っておこう。今日から十年目に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。

私はそのとき、諸君に頼むことがある。

≪青年≫ ……

≪戸田城聖3≫ 私は諸君を心から信頼している。広布の黎明のときに、もう一度、ここに集ってもらいたいのだ。
そのときまで、今ここにいる諸君は絶対に退転してはなりませんぞ。いいか!

≪青年≫ はい。断じていたしません。

≪ナレーション≫ 気迫のこもった返事であった。
思わず、一人の青年が学会歌を歌いだした。
歌は、たちまち合唱となっていった。
いつまでもいつまでも、学会歌は、続いたのであります。

本日は、小説人間革命第八巻「明暗」の章から、
「水滸会野外訓練」のお話を、青年教学2級試験受験予定者のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。



この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
戸田先生役の分量が多いので、3人で読めば、どうでしょうか。
この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×135行です。

原稿印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。

さらに、内容の少し詳しい、20文字×200行のテキストも準備しました。

ぜひ、勉強会の休憩時間に、ご活用ください。





ブログで公開した 20文字×135行

≪ナレーション≫ 時は昭和29年1954年9月4日。
ここは、奥多摩の氷川キャンプ場。
男子部68名の水滸会のメンバーが、戸田先生を囲んでの、初めての野外訓練であります。
≪青年≫ 戸田先生は、青年時代どんなふうに勉強なさったか。それを教えてください。
≪戸田城聖1≫ 僕の勉強のことか。僕の体験からいって、勉強というものは、どんな境遇にいても、しようと思えばできるものだということを、まず言っておこう。
昔の小学校は高等科2年まであって、十四の歳に卒業した。それから小僧奉公(ほうこう)をした。朝は人より早く起きて、六時から七時まで勉強。それから仕事が始まるわけだが、昼間働くばかりでなく、夜も七時から十時まで働かされた。それで、また十時から十一時までが勉強の時間だ。
こんな状態が三年つづいて、十七のとき、準教員の資格試験を受けて通った。それで十八歳の六月に教員となり、夕張の小学校に勤めた。それから、正教員の資格試験を受けた。二回の試験あわせて、北海道で一番の成績で合格した。
十九の時に、ともかくいっさいを棄(す)てて東京に出た。
そして牧口先生の同級生の紹介状をもらって牧口先生を訪ねた。この同級生は、同級会で先生を見かけるだけで話もしたこともないという心細さであったが、それだけに私は緊張していた。
その折(おり)、私は、「教授法にかけては抜群で、絶対の自信がある。」と、大見得を切ってしまった。
すると牧口先生は、じっと私を見ていたが、「君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になる。」と言われた。
≪青年≫ これは、愉快だ。
≪戸田城聖2≫ 牧口先生が校長をしている学校に勤めさせてもらったわけだが、同時に夜間中学に、かよった。英語はこの時に、初めて習うという始末だった。それで電車のなかでも英語の勉強をつづけた。わからないところにぶつかると、その電車のなかにいる一高生や慶大生をつかまえて、平気で教えてもらった。
数学は好きだったので、予備校へよくかよった。といっても、授業料を払っていないので、つまりモグリだった。
難問題をかかえると、授業の終わるころを狙(ねら)って教室に入った。そして、どじょうヒゲの先生に質問する。人のいい親切な先生で、丁寧(ていねい)に教えてくれ、すっかり顔なじみになってしまった。どじょうヒゲ先生が、僕のことを最後まで、予備校の学生だと思い込んでいたことは、たしかだね。
≪青年≫ すごい。すごい。痛快(つうかい)だ!
≪戸田城聖2≫ このような方法で、三十一歳までに、あらゆることを学んだ。僕の勉強は、電車のなかや、人を待つあいだといった、わずかな時間を惜(お)しんでやった。枕元には、いつも本を、おいたことは言うまでもない。
諸君は、昼は仕事で夜は学会活動で、勉強する暇などないと思っているだろうが、それは本気で勉強する気がないからです。まわりがうるさいなどと愚痴をいっているうちは、まだ本気だとはいえない。境遇を嘆いたり、時間や金のないのを口実に怠けているうちに、黄金の青春時代は過ぎ去ってしまうのです。まず、境遇に勝つことだ。僕は今いった方法でやって目的を達した。
人生は勝負だよ。まず自分に勝てばよいのだ。諸君は諸君の身についた方法で勝てばよいのです。
≪ナレーション≫ 青年たちは、いつしか、静まりかえって、じっと耳を澄(す)ましていたのであります。
≪戸田城聖3≫ ところが、いざ独立して、事業を始めてみると、それまでやった学問が、なんの役にも立たないように思われてしかたがなかった。
僕がこの信心を始めたのは、一通りの勉強を終えた後のことです。
ところが、ここで不思議なことが起きた。
あれほど一生懸命に頭に入れた学問も、なんの役にも立たず死んでいると思っていたが、いま考えると、それが全部生きていたことだ。
この経験の中に、おそろしいまでの真実があった。つまり仏法を根本にすれば、すべてが生かされるということだ。
たしかに活の法門です。これは、信心によらなければできないことだ。思えば凄い、功徳だった。
諸君のこれまでの勉強も、いましている勉強も、みんな立派に生きる時が必ず来る。だからスマホなんかより、青春時代には苦労しながら、時間を惜しんで、せっせと勉強しなさいというのです。
しかし、なんといっても根本に仏法があることこそ強いことはない。いま、僕は文科系の学問や、数学、物理などの自然科学なら、三ヵ月の余裕があれば、君たちが専門としているものでも、得意としているものでも、絶対に負けないぞ。
ひとつ勝負するか。はっ、はっ、はっ。
≪ナレーション≫ 戸田の数々の話は、いまさらのように青年たちの胸に、そのまま自然に吸収されていった。
夜は更けていった。キャンプ・ファイヤーは焔(ほのお)をチロチロとあげ、堆(うずたか)く燃えていた。
このとき、戸田は突然立ち上がって、話はじめたのであります。
≪戸田城聖3≫ 不思議なことを言うようだが、今夜はっきりと言っておこう。今日から十年目に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。
私はそのとき、諸君に頼むことがある。
≪青年≫ ……
≪戸田城聖3≫ 私は諸君を心から信頼している。広布の黎明のときに、もう一度、ここに集ってもらいたいのだ。
そのときまで、今ここにいる諸君は絶対に退転してはなりませんぞ。いいか!
≪青年≫ はい。断じていたしません。
≪ナレーション≫ 気迫のこもった返事であった。
思わず、一人の青年が学会歌を歌いだした。
歌は、たちまち合唱となっていった。
いつまでもいつまでも、学会歌は、続いたのであります。
本日は、小説人間革命第八巻「明暗」の章から、
「水滸会野外訓練」のお話を、青年教学2級試験受験予定者のオールスターキャストでお送りいたしました。
以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。







少し詳しい、20文字×200行



≪ナレーション≫ 時は昭和29年1954年9月4日。ここは、奥多摩の氷川キャンプ場。
68名の水滸会のメンバーが、戸田先生を囲んでの、初めての野外訓練であります。
≪山本伸一≫ こんどの水滸会の野外訓練は、戸田先生の発案であり、我々弟子に対し、自然のふところの中で浩然(こうぜん)の気を十分に養ってほしいというのが、先生のお心であります。
それで先生は、今日は何でも聞いてあげようと、おっしゃっている。
訊きたいことのある人は、質問してください。
≪青年≫ 先生は、青年時代どんなふうに勉強なさったか。それを教えてください。
≪戸田城聖≫ 僕の勉強のことか。僕の体験からいって、勉強というものは、どんな境遇にいても、しようと思えばできるものだということを、まず言っておこう。
小学校の時には、いろんな本を読んだが、鰊とりなどもずいぶん手伝った。図画と書き方が丙(へい)で、あとは全部甲(こう)だった。
昔の小学校は高等科2年まであって、十四の歳に卒業した。今の中学2年です。それから小僧奉公をした。すると急に勉強したくなって、まあ、二宮尊徳を真似て、仕事をしながら勉強したわけだ。朝は人より早く起きて、六時から七時まで勉強。それから仕事が始まるわけだが、昼間働くばかりでなく、夜も七時から十時まで働かされた。それで、また十時から十一時までが勉強の時間だ。
こんな状態が三年つづいて、十七のとき、準教員の資格試験を受けて通った。それで十八歳の六月に教員となり、夕張の小学校に勤めた。月給は十五円。八月、正教員の資格試験を受けたが、数学などは百点でよかったが、悪い科目もあって落ちた。そこでまた十月に受験した。こんどは数学が六十点だったが、前のとあわせて。北海道で一番の成績で合格した。
十九の時に、ともかくいっさいを棄てて東京に出た。牧口先生の同級生の紹介状をもらって牧口先生を訪ねた。
この同級生は、同級会で先生を見かけるだけで話もしたこともないという心細さであったが、それだけに私は緊張していた。
その折、私は教授法にかけては抜群で、絶対の自信があると、大見得を切ってしまった。
すると牧口先生は、じっと私を見ていたが、「君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になる。」と言われた。
≪青年≫ これは、愉快だ。
≪戸田城聖≫ 牧口先生が校長をしている学校に勤めさせてもらったわけだが、同時に夜間中学に通った。英語はこの時に、初めて習うという始末だった。それで電車のなかでも英語の勉強をつづけた。わからないところにぶつかると、その電車のなかにいる一高生や慶大生をつかまえて、平気で教えてもらった。
数学は好きだったので、研数学館という予備校へよくかよった。といっても、授業料を払っていないので、つまりモグリだった。
難問題をかかえると、授業の終わるころを狙って教室に入った。そして、どじょうヒゲの先生に質問する。人のいい親切な先生で、丁寧に教えてくれ、すっかり顔なじみになってしまった。どじょうヒゲ先生が、僕のことを最後まで、予備校の学生だと思い込んでいたことは、たしかだね。
≪青年≫ すごい。すごい。痛快だ!
≪戸田城聖≫ 牧口先生が学校を急に逐われたとき、僕はすぐに先生の家に駆けつけた。僕は無茶な当局に憤慨したな。それで僕も、先生と行動をともにして学校をやめたのだが、それからしばらくして、時習学館を経営するようになった。二十四歳のときだ。
ようやく時間の余裕もできたので、中央大学にかよった。
このような方法で、三十一歳までに、あらゆることを学んだ。僕の勉強は、電車のなかや人を待つあいだや、乗り物を待つあいだ、また授業の休み時間といった、わずかな時間を惜しんでやった。枕元には、いつも本をおいたことは言うまでもない。こうして勉強した法律、経済、数学、物理、化学などの各参考書は、畳半畳に山と積むほどになった。事業を始めるとき、これを売り払ったが、当時の金で七十円だったことを憶えている。
出版のほうの仕事がはじまったときには、あらゆる小説という小説を、せっせと読んだ。
商売上、いろいろな作家とつきあったが、新進の連中にさまざまな知恵をかしたことは数限りない。だから今でも連中は、僕に会うと、とても懐かしがるし、彼らとは親しくつきあっているよ。
諸君は、昼は務めで、夜は学会活動で、勉強する暇などないと思っているだろうが、それは本気で勉強する気がないからです。もし本気だったら、毎日二時間もあれば、どんな勉強でもできるはずだ。その二時間がないと言うだろうが、電車にのっている時間だって利用できないことはない。まわりがうるさいなどと愚痴をいっているうちは、まだ本気だとはいえない。境遇を嘆いたり、時間や金のないのを口実に怠けているうちに、黄金の青春時代は過ぎ去ってしまうのです。まず、境遇に勝つことだ。僕は今いった方法でやって目的を達した。人生は勝負だよ。まず自分に勝てばよいのだ。諸君は諸君の身についた方法で勝てばよいのです。
≪ナレーション≫ 青年たちは、いつしか静まりかえって、じっと耳を澄ましていたのであります。
≪戸田城聖≫ ところが、さて事業にはいってみると、それまでやった学問がなんの役にも立たないように思われてしかたがなかった。
僕がこの信心を始めたのは、一通りの勉強を終えた後のことです。
ところが、ここで不思議なことが起きた。
あれほど一生懸命に頭に入れた学問も、なんの役にも立たず死んでいると思っていたが、いま考えると、それが全部生きていたことだ。
この経験の中に、おそろしいまでの真実があった。つまり仏法を根本にすれば、すべてが生かされるということだ。
たしかに活の法門です。
いろいろ学問した人が、その学問を死なせたまま一生を送ってしまうのは、世間にはざらにあることだが、僕の場合、死んだと思いこんでいたものが、いつか全部生きて役に立っていた。これは、信心によらなければできないことだ。思えば凄い功徳だった。
諸君のこれまでの勉強も、いましている勉強も、みんな立派に生きる時が必ず来る。だから青春時代には苦労しながら、時間を惜しんで、せっせと勉強しなさいというのです。
しかし、なんといっても根本に仏法があることこそ強いことはない。いま、僕は文科系の学問や数学、物理などの自然科学なら、三ヵ月の余裕があれば、君たちが専門としているものでも、得意としているものでも、絶対に負けないぞ。
ひとつ勝負するか。はっ、はっ、はっ。
どんな学問でも、僕にはその学問の根本がすぐわかる。だから勉強さえすれば、すぐマスターして誰にも負けないだけの自身がある。
だが、機械だけはダメだな。目が悪いからね。
≪ナレーション≫ 戸田の話は、誰に対しても率直で、無駄がない。聴くものの耳には、素直にはいった。
素直に入ったものは、青年たちの心を動かしていく。彼らは、どんなことでもいい、身につく勉強なら寸暇を惜しむまいと思ったのであります。
夜は更けていった。
戸田の数々の懇ろな話は、いまさらのように青年たちの胸に、そのまま自然に吸収されていった。
キャンプ・ファイヤーは焔をチロチロとあげ、炭火の熾きのようなかたまりとなって、堆く燃えていた。
このとき、戸田は突然立ち上がって、話はじめたのであります。
≪戸田城聖≫ 不思議なことを言うようだが、今夜はっきりと言っておこう。今日から十年目に、みんなそろって、またここへ集まろうではないか。
私はそのとき、諸君に頼むことがある。

広宣流布は、いまやっと緒についたところです。
今は事なきようではあるけれども、このままですむはずはない。三類の強敵の嵐の起こることは必定だ。これからいよいよ襲いかかってくるだろう。しかし断じて負けるわけにはいかないのだ。なぜならば、敗戦日本の救済も、世界の恒久平和の実現も、帰するところは、日蓮大聖人の生命哲学による以外に途はないからです。このことを知悉しているのは、われわれだけだ。われわれ以外には誰人も知らない。
諸君は、これを確信して、自己を研鑽し、大いに勉強に励んでもらいたい。私は諸君を心から信頼してる。広布の黎明のときに、もう一度、ここに集ってもらいたいのだ。そのときまで、今ここにいる諸君は絶対に退転してはなりませんぞ。いいか!
≪青年たち≫ はい。断じていたしません。
≪ナレーション≫ 気迫のこもった返事であった。
思わず、一人の青年が学会歌を歌いだした。
歌は、たちまち合唱となっていった。
いつまでもいつまでも、学会歌は、続いたのであります。
本日は、人間革命第八巻「明暗」の章から、
「水滸会野外訓練」のお話を、黎明地区のオールスターキャストでお送りいたしました。
以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。
関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。