スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

学会歌「嗚呼 黎明は近づけり」のお話

最後に歌詞を収録しています。

P1010491_1.jpg

≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。

本日は、学会歌「嗚呼(ああ)黎明(れいめい)は近づけり」に、まつわるお話であります。

池田先生の役です、よろしくお願いします。

学生部員の役です。よろしくおねがいします。

≪ナレーション≫ 時は昭和43年西暦1968年7月24日午後7時30分。
大阪大学と神戸大学の代表が大阪・関西本部新館に集(つど)ったのであります。

会長は、一人一人と視線を交わしながら、語っていった。

≪池田会長≫ 悩むことは、青年の青年たる所以(ゆえん)なんです。
そこに題目さえあげていけば、妙法がちゃんと決めてくれるんだ。
その悩みは自然の中に変毒為薬されていく。

誰人(だれびと)たりとも経ていく道程(どうてい)です。
自分の今の課題には、忍耐強く頑張っていきなさい。


≪ナレーション≫ 60数人の会合であったが、池田会長の語らいは、一対一だった。
アッと言う間に終了の時間を、迎えようとしていたのであります。

≪池田会長≫ では、またお会いしましょう。

≪学生部員≫ (大きい声で)先生!阪大(はんだい)の歌を聴いてください。

≪池田会長≫ いいね、よし!

(演技指導 池田先生は瞬時に返事をする。間があっては、ダメ)

≪ナレーション≫ 学生部のメンバーがスックと立ち上がり、この日のために練習してきた歌が始まった。
「嗚呼 黎明は近づけり」の歌で、あったのであります。

♪♪CD再生 「嗚呼 黎明は近づけり」 青年部代表合唱♪♪(約2分30秒)

≪池田会長≫ ウ~ン、いい歌だなあ。僕も覚えたい。これはいい歌だ。
青年部で歌っていきたいね。

≪学生部員≫ 合唱したメンバーは、喜びと笑顔が広がったのです。

≪池田会長≫ 一番だけ、座ったままでいいから、歌ってもらえないかい。
いい歌だ。じゃあ三番!
もう一回最初から、いい歌だね。頼むよ!

こりゃあ、創価高校の寮歌も、いい歌をつくらなきゃならないな。

≪学生部員≫ 先生が、喜んでくださったことが、うれしくてなりませんでした。
私たちが歌い終わると、先生は、歌詞の意味を、仏法の視点から語ってくださいました。
皆が、顔(かお)を輝かせて聞き耳を立てました。

≪池田会長≫ 『嗚呼黎明は近づけり』――これは、広宣流布だよ。

『立てよ我が友 自由の子』――我が友・これは同志。
自由の子は、地湧の菩薩という意味になるんじゃないか。
“わが学生部よ、わが同志よ、わが青年部よ、そして地湧の子よ”というふうに

『帝陵山下(ていりょうさんか)』つまり帝塚山(てづかやま)は、大阪の象徴(しょうちょう)の一つだね。
この歌詞は、大阪を中心として、全世界の青年部を指導していきなさいということだね。
大阪が本当の『熱血児』ということだ。

『侃諤(かんがく)の弁(べん)』つまり、遠慮なく意見を言い合い、議論が白熱すること
―これは哲学、教学だよ

『哲人の声 消えんとす』今までの哲人はもう意味がない。
ゆえに、新しい哲学をもって黎明の広宣流布にむかわなくてなならない。
こういう意味にもとれるでしょう。

『君が愁いに 我は泣き 我が喜びに 君は舞う』
――これは同志愛の極致(きょくち)じゃないか!!
 
いい歌だ。私も覚えよう。帰りの電車で覚えよう。


≪ナレーション≫ お話の続きは、昭和56年西暦1981年11月2日であります。


随筆 新人間革命 の、朗読をおねがいします。(青年部朗読)


昭和54年(1979年)あの卑劣(ひれつ)な宗門問題の渦中(かちゅう)に、私は会長を辞任した。

しかし、役職を辞めても、広宣流布の使命が終わるはずはない。
私は、我が師の遺言(ゆいごん)を思い起こしながら「断じて勝って見せる!」と、ただ一人、堅固(けんご)に、胸深く誓っていた。

―(中略)― 

その日は、激しい雨が降っていた。
しかし、立川と西多摩の合同総会に集った友は、八王子の創価大学の体育館を埋めて、熱く燃えていた。
この日、私は「仏法は勝負である。断じて我らは勝たねばならぬ。」と全生命で訴えた。

「我々には、なすべき行軍(こうぐん)、交(まじ)えるべき戦い、挑(いど)むべき苦難がある。
強固な一念が、我々に勝利をもたらすであろう」とは、ある大英雄の叫びである。

そして私は、最後に「新しい希望の歌を、歌おう!一緒に歌おう!」と指揮をとった。
その曲は、「嗚呼 黎明は近づけり」であった。

(朗読する)…君(きみ)が愁(うれ)いに 我は泣き 我(わ)が喜びに 君は舞う
若き我らが 頬(ほお)に湧(わ)く その紅(くれない)の 血の響き

―(中略)―

声高らかな歌が始まると、皆の胸の思いが一つにとけ合って、大会場に巨大な感情がうねり始めた。
皆の顔(かんばせ)に決意がみなぎっていた。
断固として戦う決意であった。

私は嬉(うれ)しかった。
本当に嬉しかった。
私が再び広宣流布の雄渾(ゆうこん)の指揮をとる日を待っていてくれたのだ。

当時、全く、本格的な地方指導に行かぬ私のことを、多くの同志が心配していた。

宗門の権威(けんい)が、私を動かせぬように、してきたことを、皆、知っていた。

その卑劣さに、怒りに、もえていた。

その鉄鎖(てっさ)を切った私が、獅子のごとく関西から四国へと飛び込(こ)んでいったのは、この一週間後のことであった。


≪ナレーション≫ 
それは「雪の秋田指導」の2ヶ月前。
先生の指揮は、嫉妬(しっと)や讒言(ざんげん)による迫害を吹き飛ばす、*反転攻勢 開始の舞(まい)だったのであります。

さあ、もう一度「嗚呼黎明は近づけり」の歌を、全員で歌いましょう。

♪♪CD再生 「嗚呼 黎明は近づけり」全員で合唱♪♪拍手!!(約2分30秒)

≪ナレーション≫ 本日は学会歌「嗚呼 黎明は近づけり」のお話を,
___支部 青年部の オール スター キャストで、お送りいたしました。


以上で寸劇のコーナーを終わります。
 
             

大白蓮華 2012年1月号

随筆 新人間革命 地湧の使命第二東京平和と文化の連帯人華にひかりあれ 創立の月と学会精神


*反転攻勢 1974年の会長勇退後、先生が再び、広布の指揮を、執り始めたこと。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
いつもの寸劇とは、パターンが異なるタイプです。

大白蓮華2012年1月号の内容を、自分で勝手にいじって作りました。
下手な作文申し訳ありません。

分量は、おおよそ20文字×140行です。

YouTubeにこの歌がありました
「嗚呼黎明は近づけり」の歌を聴いてみよう



嗚呼黎明は近づけり

旧制大阪高等学校全寮歌
            作詞 沼間昌教

嗚呼 黎明は近づけり
嗚呼 黎明は近づけり
起てよ我が友 自由の子
帝陵(てりょう)山下の 熱血児(ねっけつじ)
侃諤(かんがく)の弁 地をはらい
哲人の声 消えんとす


嗚呼 暁鐘(ぎょうしょう)は 鳴り響く
嗚呼 暁鐘は 鳴り響く
三州の野に 殷々(いんいんと)と
強き響きを 伝えつつ
旧殿堂の 奥深く
眠れる魂(たま)を 醒(さ)ますべく


それ青春の 三春秋
交(かたみ)に友と 呼びかわし
君が愁(うれい)いに 我は泣き
我が喜びに 君は舞う
若き我等が 頬(ほお)に湧(わ)く
その紅(くれない)の 血の響き
その紅の 血の響き


れいめい【黎明】
あけがた。よあけ。
また、新しい時代や新しい文化・芸術の運動などが始まることのたとえ.

ていりょう【帝陵】 
天子の墓。御陵。

かんかん‐がくがく【侃侃諤諤】 
(「諤」はありのままに正しく言う意)遠慮なく直言すること。
大いに議論すること。
また、そのさま。侃諤。

ぎょうしょう【暁鐘】 
夜明けを知らせる鐘の音。あけ方のかね。

さんしゅう【三州】 
三河国(愛知県東部)の別称。

いんいん【殷殷】 
音が大きく鳴り響くようす。
雷、鐘、車、大砲などの音が重々しく響くさまにいう。

しゅんじゅう【春秋】
 年月。歳月。星霜(せいそう)。


関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

  • 2016/01/17 (Sun) 20:41
    Re: 訂正・その他ご連絡

    山本大樹様

    寸劇を読んでいただきありがとうございます。

    歌詞の意味の説明ありがとうございます。

    『 三州』三河国の意味ではなく、摂州・河州・泉州の三州という意味です。併せて現在の大阪府ぐらいの範囲です。

    『黎明』あけがた・よあけで間違いないですが、正確には太陽の出る直前の濃紫の空となります。
    先生の詩で言えば「夜明け前の混沌」の事です。太陽が出れば暁や「暁鐘(=夜明けを告げる鐘)」となります。

    『帝陵』帝陵と区切れば間違いではありませんが、ここは「帝陵山(=帝塚山)」と読む。

    さらに、この曲のエピソードが、まだあることも、教えていただきました。
    大変参考になります。
    これからも、よろしくお願いいたします。

    土星人 #- | URL | 編集

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。