アフリカ支部の誕生

P1010735_1.jpg


<ナレーション>それでは寸劇のコーナーです。
本日は「アフリカ支部の誕生」と題しましておおくりいたします。

時は昭和40年・西暦1965年10月アフリカは、赤道直下のナイジェリアであります。
日本から遠く離れたこの地において、広宣流布を我が使命と定め、必死でがんばっている一人の婦人・フジエ・ジェイムズさん-そして彼女に励ましの手紙を送り続けるロンドンのエイコ・リッチさん、この二人が、本日の寸劇の主人公であります。

<フジエ・ジェイムズ>フジエ・ジェイムズです。
女子部として活動しておりましたが、今は結婚して、ナイジェリアにいるんです。
ロンドンにいる、エイコ・リッチさんといつも連絡を取り合って、がんばっています。
今日も、エイコ・リッチさんからお手紙が来ました。どれどれ、、

<エイコ・リッチ>ロンドンのエイコ・リッチです。
『間もなく山本先生がヨーロッパを訪問されるそうです。
詳しい日程はわかりませんが、、』

<フジエ・ジェイムズ>まあ、どうしましょう、よし!なんとしても、山本先生にお会いしたい。
そしてナイジェリアのことを、ご報告したい。
よし、祈ろう!!

<ナレーション>こうして彼女は、真剣に祈り続けました。
すると10月の16日、夫が「休暇が取れたから、南アフリカに旅行に行こう」と言い出したではありませんか。

<フジエ・ジェイムズ>お願い!旅行に行くなら、パリに連れて行って。
山本先生がヨーロッパに来れば、パリに滞在するはずよ!

<ナレーション>夫は快く承諾したのであります。
10月19日、パリに着くと、すぐに川崎鋭治ヨーロッパ本部長に連絡をとったのであります。

<フジエ・ジェイムズ>山本先生がお見えになると聞いたのですが、もうこられましたか?

<川崎鋭治>山本先生は、ちょうど明日、到着されますよ。
間に合って本当に良かったですね。

<ナレーション>さてその翌日-すなわち昭和40年・西暦1965年10月20日ヨーロッパ事務所の開所式が行われたのであります。
事務所と言っても、二間の小さなアパート・ヨーロッパ本部長の川崎鋭治夫妻の自宅であります。
川崎のアパートは、代表メンバーで、あふれんばかりでありました。

<山本伸一>今日は、おめでとう。
小さくとも、欧州に事務所ができたということは、大きな大きな一歩です。
ヨーロッパは、昨年本部となって、大発展を遂げ、446世帯に倍増したという報告を受けております。
これからも、互いに“ 負けるものか” という心意気で、大前進していってください。

<川崎鋭治>先生、アフリカから、駆けつけてきた人がいます。
フジエ・ジェイムズさんです。

<山本伸一>どうも、遠いところ、ご苦労様です。
どうぞ、前にいらしてください。
、、、アフリカのどこからこられたんですか。

<フジエ・ジェイムズ>ナイジェリアのカズナというところです。

<山本伸一> ナイジェリアには、メンバーは、今、何人ぐらい、いるんですか。

<フジエ・ジェイムズ>はい、34人おります。
現地の人が30人で、技術指導に来ている人など、日本人は私を含めて4人です。

<山本伸一>そうですか。そんなにいるんですか、、、  
フジエ・ジェイムズさんの入会はいつですか

<フジエ・ジェイムズ>はい、昭和32年ですから8年前です。
お友達の勧めで入会しました。

<山本伸一>どのような、いきさつでアフリカに渡ったのですか。

<フジエ・ジェイムズ>はい、2年前に航空会社のマネージャーをしているイギリス人と結婚し、イギリスのバーミンガムで生活を始めました。
言葉もあまり通じない中、ロンドンに、エイコ・リッチさんというメンバーがいると聞いて、連絡を取り合いながら信心をしておりました。
ところが半年ほど過ぎたころ、突然、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになってしまったのです。

心細く、本当に不安でした。
そこで、川崎本部長に指導を受けることにしたのです。

<川崎鋭治>今は寂しい思いでいっぱいかもしれないが、仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。

それは、久遠の昔に、自ら願い出て、日蓮大聖人と交わした約束なんです。

確かに、気候、風土も、文化も違う土地で生活することは大変でしょう。
しかし、いよいよ、久遠のわが使命を果たす時がきたのだと考えることです。
何があっても、負けてはいけません。
辛いなと思ったときは、うんとお題目を唱えるんですよ。

<フジエ・ジェイムズ>ナイジェリア行きは、私の使命なんだ。
よしがんばろう!
アフリカ中に、幸福の種をまこう!と決意しました。

<山本伸一>そうです。
その決意が大切です。
ナイジェリアでの活動の様子を教えてください。

<フジエ・ジェイムズ>
はい。
私の住んでいる街でビルといえるのは、三,四階建てのホテルや空港の建物ぐらいで、少し郊外に行けば、どこまでも、どこまでも赤土の大地が続いています。
一番の驚きは、カメレオンです。
木の上だけでなく、保護色にまぎれて車のうえにも、どこにでもいたりするんです。
家の中にいる、トカゲ、そして熱病のマラリアにも、悩まされました。

しかし、ここが我が使命の天地です。
コンクリートの床に毛布を敷いて座り、一生懸命お題目を唱えました。
アフリカ地図を見ては、都市の名前を覚え、アフリカ全土に題目をしみこませる思いで、唱題しました。
やっと覚えた公用語の英語で、布教も始めましたが、信心する人は誰もいませんでした。
そんな時 エイコ・リッチさんからお手紙がきました。

<エイコ・リッチ>そちらに、紡績会社から技術指導で派遣されている、日本人の壮年のメンバーがいます。

<フジエ・ジェイムズ>私は大喜びで連絡をとり、会ってみました。
彼は仕事を通して知り合った、現地の人たちに、お題目を教えていたんです。
わたしは、心強さを覚えました。

その人たちになぜ仏法が素晴らしいかを、英語で説明することにしたんです。
こうして信心を始める人が増えていったんです。
今では週に1回、土曜日の夜に、現地のメンバーの家で座談会を開いています。
時には30人40人と集まり、部屋に入りきれない時もあるんです。

<山本伸一>それは、素晴らしい。
いよいよアフリカにも、使命の友が誕生したんですね。
こんなに嬉しいことは、ありません。皆さん、アフリカに支部を結成しましょう。
支部の名前は、アフリカ支部、支部長はジェイムズさんに、お願いしてはどうだろうか。
21世紀はアフリカの時代になるでしょう。

その未来を開き、創るために、がんばるんです。
未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。

<フジエ・ジェイムズ>アフリカ支部、、アフリカ支部ですね。
はい。がんばります。

<川崎鋭治>先生、ロンドンの連絡責任者のエイコ・リッチさんです。

<山本伸一>初めてお会いしますが、あなたが、イギリスの中心になってがんばって下さっていることは、よく知っています。
イギリスの同志にも色紙と袱紗(ふくさ)をお土産に持ってきましたので、皆さんにお渡しください。

<エイコ・リッチ>ほんとうにありがとうございます。
イギリスのメンバーも大喜びするとおもいます。
2年前に連絡責任者になったころ、イギリスのメンバーは、わずか五世帯でした。

しかし、私には、広布に燃える心がありました。
希望がありました。
「千里の道も一歩から始まるのだ」と、自宅で座談会を開き、メンバーに毎日のように励ましの手紙を書き続けました。

生活は決して楽ではありませんでしたが、口紅一つ買うのも惜しんで活動費を捻出し、友の激励と布教に、イギリス中を駆け巡りました。

そして今では三十世帯を超える人たちが、信心に励むようになったことを、先生にご報告できるまでに、なりました。

<山本伸一>何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。

誤解や偏見による、非難もあったに違いない。
まさに忍耐の労作業です。

遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。

<山本伸一> (この指導は新人間革命十九巻・凱歌より)
私は世界のどこにいようが、皆さんの健康と幸福、人生の栄光を祈っております。
共に題目を唱え広宣流布に進む私たちは、どんなに遠く離れていようが心は一体です。
それが創価の師弟なんです。

<ナレーション>エイコ・リッチやフジエ・ジェイムズに限らず、アメリカでも、東南アジアでも日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。

世界広布を担ってきたのは、“ 衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。
しかもその多くは女性であったのであります。

この小さな流れが、今やSGI・192カ国地域の大きな流れとなったことは、皆様、ご存知のとおりです。

本日は、小説 新人間革命第十巻“ 新航路”の章から「アフリカ支部結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、おおくりいたしました。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



長い寸劇を最後まで読んでいただきありがとうございます。

草創期の海外のメンバーの純粋な心が、自分の胸をうちました。
そんな気持ちを、寸劇の形で、表現しなおしてみました。

これからもよろしくお願いします。


この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×220行です。


印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。ぜひ御活用ください。




なお、このテキストデータ作成時に、多少の手直しをしました。 20131229



20文字×200行 多少手直ししたもの


《ナレーション》 時は昭和40年・西暦1965年10月。アフリカは、赤道直下のナイジェリアであります。
 日本から遠く離れたこの地において、広宣流布を我が使命と定め、必死でがんばっている一人の婦人・フジエ・ジェイムズさん。そして彼女に励ましの手紙を送り続けるロンドンのエイコ・リッチさん、この二人が、本日の寸劇の主人公であります。
《フジエ・ジェイムズ》 フジエ・ジェイムズです。
 ロンドンにいる、エイコ・リッチさんと連絡を取り合って、がんばっています。今日も、エイコ・リッチさんからお手紙が来ました。どれどれ、、
《エイコ・リッチ》 ロンドンのエイコ・リッチです。『間もなく山本先生がヨーロッパを訪問されるそうです。詳しい日程はわかりませんが、、、』
《フジエ・ジェイムズ》 まあ、どうしましょう、よし!なんとしても、山本先生にお会いしたい。そしてナイジェリアのことを、ご報告したい。
《ナレーション》 こうして彼女はパリに駆けつけたのであります。そして、すぐに川崎鋭治ヨーロッパ本部長に連絡をとったのです。
《川崎鋭治》 山本先生は、ちょうど明日、到着されますよ。間に合って本当に良かったですね。
《ナレーション》 さてその翌日-すなわち昭和40年・西暦1965年10月20日。ヨーロッパ事務所の開所式が行われたのであります。事務所と言っても、二間の小さなアパート・ヨーロッパ本部長の川崎鋭治夫妻の自宅であります。
 川崎のアパートは、代表メンバーで、あふれんばかりでありました。
《山本伸一》 今日は、おめでとう。
 小さくとも、欧州に事務所ができたということは、大きな大きな一歩です。ヨーロッパは、昨年本部となって、大発展を遂げ、446世帯に倍増したという報告を受けております。
 これからも、互いに“負けるものか”という心意気で、大前進していってください。
《川崎鋭治》 先生、アフリカから、駆けつけてきたメンバーがいます。フジエ・ジェイムズさんです。
《山本伸一》 どうも、遠いところ、ご苦労様です。どうぞ、前にいらしてください。アフリカのどこからこられたんですか。
《フジエ・ジェイムズ》 ナイジェリアのカズナというところです。
《山本伸一》  ナイジェリアには、メンバーは、今、何人ぐらい、いるんですか。
《フジエ・ジェイムズ》 はい、34人おります。現地の人が30人で、日本人は私を含めて4人です。
《山本伸一》 そうですか。そんなにいるんですか。
 フジエ・ジェイムズさんの入会はいつですか。
《フジエ・ジェイムズ》 はい、昭和32年ですから8年前です。お友達の勧めで入会しました。
《山本伸一》 どのような、いきさつでアフリカに渡ったのですか。
《フジエ・ジェイムズ》 はい、2年前に航空会社のマネージャーをしているイギリス人と結婚し、イギリスのバーミンガムで生活を始めました。言葉もあまり通じない中、ロンドンの、エイコ・リッチさんと連絡を取り合いながら信心をしておりました。
 ところが突然、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになり、川崎本部長に指導を受けることにしたのです。
《川崎鋭治》 今は寂しい思いでいっぱいかもしれないが、仏法の眼からみれば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命を果たすために、ナイジェリアへ行くということなんです。
 それは、久遠の昔に、自ら願い出て、日蓮大聖人と交わした約束なんです。確かに、気候、風土も、文化も違う土地で生活することは大変でしょう。しかし、いよいよ、久遠のわが使命を果たす時がきたのだと考えることです。
 何があっても、負けてはいけません。辛いなと思ったときは、うんとお題目を唱えるんですよ。
《フジエ・ジェイムズ》 ナイジェリア行きは、私の使命なんだ。よしがんばろう!アフリカ中に、幸福の種をまこう!と決意しました。
《山本伸一》 そうです。その決意が大切です。ナイジェリアでの活動の様子を教えてください。
《フジエ・ジェイムズ》 はい。私の住んでいる街でビルといえるのは、三、四階建てのホテルや空港の建物ぐらいで、少し郊外に行けば、どこまでも、どこまでも赤土の大地が続いています。
 一番の驚きは、カメレオンです。木の上だけでなく、保護色にまぎれて車のうえにも、どこにでもいたりするんです。家の中にいる、トカゲ、そして熱病のマラリアにも、悩まされました。
 しかし、ここが我が使命の天地です。コンクリートの床に毛布を敷いて座り、一生懸命お題目を唱えました。アフリカ地図を見ては、都市の名前を覚え、アフリカ全土に題目をしみこませる思いで、唱題しました。やっと覚えた公用語の英語で、布教も始めましたが、信心する人は誰もいませんでした。
 そんな時 エイコ・リッチさんからお手紙がきました。
《エイコ・リッチ》 そちらに、紡績会社から技術指導で派遣されている、日本の壮年部のメンバーがいます。
《フジエ・ジェイムズ》 私は大喜びで連絡をとり、会ってみました。彼は現地の人たちに、お題目を教えていたんです。勇気100倍です。
 その人たちに仏法の素晴らしいさを、英語で説明していきました。こうして信心を始める人が増えていったんです。今では週に1回、土曜日の夜に、現地のメンバーの家で座談会を開いています。時には30人40人と集まり、部屋に入りきれない時もあるんです。
《山本伸一》 それは、素晴らしい。いよいよアフリカにも、使命の友が誕生したんですね。こんなに嬉しいことは、ありません。
 皆さん、アフリカに支部を結成しましょう。支部の名前は、アフリカ支部、支部長はジェイムズさんに、お願いしてはどうだろうか。
 21世紀はアフリカの時代になるでしょう。その未来を開き、創るために、がんばるんです。未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。
《フジエ・ジェイムズ》 アフリカ支部、、アフリカ支部ですね。はい。がんばります。
《川崎鋭治》 先生、ロンドンの連絡責任者のエイコ・リッチさんです。
《山本伸一》 初めてお会いしますが、あなたが、イギリスの中心になってがんばって下さっていることは、よく知っています。
 イギリスの同志にも色紙と袱紗(ふくさ)をお土産に持ってきましたので、皆さんにお渡しください。
《エイコ・リッチ》 ほんとうにありがとうございます。イギリスのメンバーも大喜びするとおもいます。2年前に連絡責任者になったころ、イギリスのメンバーは、わずか五世帯でした。
 しかし、私には、広布に燃える心がありました。希望がありました。「千里の道も一歩から始まるのだ」と、自宅で座談会を開き、メンバーに毎日のように励ましの手紙を書き続けました。
 生活は決して楽ではありませんでしたが、活動費を捻出し、友の激励と布教に、イギリス中を駆け巡りました。そして今では三十世帯を超える人たちが、信心に励むようになったことを、先生にご報告できるまでに、なりました。
《山本伸一》 何の後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、仏法を伝えてきたんですね。
 誤解や偏見による、非難もあったに違いない。まさに忍耐の労作業です。遠く異国の地にあって、広宣流布に生き抜こうとする、健気なる同志のあなたがたに、私は、仏を見る思いがしてならないのです。
《ナレーション》 エイコ・リッチさんやフジエ・ジェイムズさんに限らず、アメリカでも、東南アジアでも日蓮仏法を弘めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。
 世界広布を担ってきたのは、“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。しかもその多くは女性であったのであります。
 この小さな流れが、今やSGI・192ヵ国地域の大きな流れとなったことは、皆様ご存知のとおりです。
 本日は、小説 新人間革命第十巻“新航路”の章から「アフリカ支部結成」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストで、おおくりいたしました。
 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。



関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top