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「雪の秋田指導」のお話

《ナレーション》それでは寸劇のコーナーです。

本日は、「雪の秋田指導」の、お話であります。

 時は昭和57年西暦1982年1月10日、いちめんの銀世界であります。

《池田先生》 *秋田では、あの「雪の進軍」の大闘争がある。
1982年1月。
毒蛇(どくじゃ)のごとき坊主の迫害に耐え、創価の正義を証明した友を励ますため、私は、白雪の秋田に飛んだ。
嵐に舞い、吹雪に胸を張って前進しゆく、わが同志との共戦譜は、今も私の胸に深く刻まれている。


《支部長》 もしもし、支部長です。
池田先生は、今日、秋田空港に到着されます。
国道を通られると、思いますが、絶対に、ぞろぞろ道路に、出たりしないように、連絡の徹底を、お願いします。
ど~も~

《地区部長》 はい支部長、分かりました。
(向き直って)もしもし、地区部長です。
時間は、わかりませんが、池田先生がもうすぐ通られます。
んだ、んだ。ではる、ではる。
んだ、んだ。みな、して。んだ、んだ。

《ナレーション》 こうして、道路わきには、学会員が、たくさん集まったのです。
皆が、きょろきょろしていると、車が近づいてきた。
小さなブレーキ音。
ドアが開き、降り立つ人がいる。「先生!!」皆が、歓声をあげた。

《池田先生》 さあ、私が来たからもう大丈夫だよ。さあ記念写真を撮ろう!!

《ナレーション》 聖教新聞の記者がカメラをかまえます。
しかし、カメラマンを振り向く人は誰もいません。
皆が先生を見て、涙を流していたのであります。

《カメラマン》 はい、私はカメラマンです。
はい、皆さん、カメラはこっちですよ。
(手をたたいて)パチパチ、はい、皆さんお願いですから、こっちを見てください。

《ナレーション》 こうして、雪の秋田指導は、『雪の街頭座談会』で、幕を開けたのであります。

しばらく行くと再び学会員が集まっています。
そのたびに車を止め、一人一人に声をかけ、記念のカメラを撮ったのであります。
ゴム長靴を、はいたカメラマンは、慣れない雪の道に、合計9回も、走り出たのであります。

《支部婦人部長》 もしもし、支部婦人部長です。
明日の日中、大事な会合があるそうです。
だれでも参加できるわけでは、ありませんからネ、よろしくお願いします。

《地区担》 はい婦人部長、分かりました。
(向き直って)もしもし、地区担です。
明日の日中、大事な会合があるそうです。
だれでも参加できるそうですから、みんなして、えぐんしべ。
んだ、んだ。んだ、んだ。

《池田先生》 **秋田指導の4日目の午前と午後、私は、魔僧(まそう)の最も激しい弾圧を忍(しの)んだ大曲・能代などの同志と、雪中の記念撮影を行った。
会館隣の沼田児童公園を使って、三千人の撮影会であった。

そこには、迫害の嵐を耐え抜いた魂の勝者の涙があった。
「私は戦い抜きました!」と、無名の英雄の笑顔があった。
  
君も征け 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け  
地よりか涌きたる 我なれば 我なれば   
この世ではたさん 使命あり
  
 
私たちは「人間革命の歌」を心の底から大合唱した。 
そして、五月晴れのような万歳の声が、千年の未来にも轟(とどろ)けと、秋田の空に鳴り響いた。

《ナレーション》 この日、この時、この場に集ったメンバーが、「吹雪(ふぶき)グループ」、そして「嵐舞(らんぶ)グループ」となったことは、皆様ご存知のとうりです。


IMG_3558_1.jpg

そしていよいよ、第一回県青年部総会が、開かれることになりました。

《池田先生》 特に青年期は、人の職業をうらやましく思うものだ。
都会にあこがれもしよう。
しかし、真実の幸福というものは、自分自身の中にあることを、仏法では教えている。
現在の職業や職場が不満足ならば、ときに価値的にかえることは自由であるが、結局は、それぞれの職場で、光輝く存在になっていただきたい。
そのなかで、信頼を勝ちとっていくところに、まことに地味であるが、広宣流布の一つの縮図があることを知らなければならない。

 青年の諸君は、とくに教学を身につけてほしい。
それぞれの社会にあって一流と言われる人は、かならずそれなりの、人の何倍もの苦労と研究をしている。
いま、諸君も、庶民の哲学者として、この大仏法を深く、行じ、学んでいくことが肝要であると思う。
これが、最高の人間としての道であり、結局は、社会の勝利者になることができるからだ。

 諸君が思うと、思わざるとにかかわらず、諸君は、池田門下生であります。

《ナレーション》 この時、この場に集ったメンバーが、「2001年・第一期会」となりました。

そして、今、青年部が、新たに「2030年・第一期会」を発足させたことは、皆様ご存知のとうりです。


青年部解説朗読 
池田先生は、長編詩「みちのくの幸の光彩」で、次のように綴(つづ)っています。


それは忘れえぬ 決してわすれることのできぬ
私の胸中の歴史の一コマであった

昭和五十七年一月十日――
空港から会館への車中の道は大雪
秋田の銀世界を行く私の目に
寒風の中 笑(え)みをたたえながら
肩を寄せあって立つ
路傍(ろぼう)の一群の人たちが飛びこんできた

壮年がいる 婦人がいる 白髪の人もみえた
つぶらな瞳(ひとみ)の王子 王女もいた
“うちの人たちだ” 私は急いで車を降りた
磁石(じしゃく)と磁石が引きあうように
その輪の一員となった

喜びでいっぱいの顔 顔 顔
一人一人と固い握手(あくしゅ)をした
共に記念のカメラに納(おさ)まった

行く先々の あの街角(まちかど)にも この辻々(つじつじ)にも
十余年ぶりの 私との再会を待っていて下さった
三々五々 集(つど)い来た
あなたたちの輝く瞳が待っていた
雪の中 九度に及んだ あの感動の街頭座談会

私は嬉しかった 心で泣いた
あなたたちの誠実の熱き心は
いかなる厳寒も寒風も冷(さ)ますことを得ず
その表情は 輝く銀世界よりも
まばゆくきらめいていた

ああ―――
その喜びは 人間のみが知る歓喜
猛吹雪(ふぶき)の厳寒に
耐(た)え抜いた者のみが知る
春の微笑(ほほえみ)のかちどき
法衣の権威に身を包み
“正信”を騙(かた)った魔の軍勢に
見事に まことに見事に勝利した
晴れやかな顔(かんばせ)

日本海の雄たる秋田の
懐(なつ)かしくも健気(けなげ)なる同志との
忘れえぬあの出会いの数々よ―――

喜びの波紋(はもん)は
一波万波と県下に広がる
能代 大曲 角館から
三千の友が集(つど)いし自由勤行会
雪舞う戸外(こがい)での かちどきの歓声
皆で合唱せし「人間革命の歌」

わが友が真心で作りし“かまくら”に
心遊ばせし ひとときは 我が少年の日に夢みし
北国の詩情あふるる おとぎの世界
私の胸ふかく 三世に生き続けるにちがいない
金と銀との五泊六日よ


《ナレーション》 本日は「雪の秋田指導」のお話を、随筆 人間革命、長編詩「みちのくの幸の光彩」、そして「うわさばなし」などを、もとに、旭日地区の オール スター キャストでお送りいたしました。


以上で、寸劇のコーナーを終わります。


*随筆 桜の城 「東北が健在なら 日本は 健在」 1999/2/24 
**随筆 新人間革命「21世紀の宗教革命の雄・秋田」1999/8/17 
長編詩「懐かしい東北の友に贈る みちのくの幸の光彩」1988/3/6 
池田大作の軌跡ⅡP126 


寸劇を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回は、ローカルな話題となりました。
これからもよろしくお願いします。


この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×200行です。



「随筆 新.人間革命 243 雪の秋田指導20年」を掲載しています。

そして、このブログの一番最後のところに、印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ぜひご活用ください。








随筆 新・人間革命 243 雪の秋田指導20年
 2002年1月13日

〝冬は必ず春″を我らが実証


 私が若き日に読み、暗誦した一詩を綴っておきたい。  これは、ドイツの有名な詩人ヘッセが、困難な時代に雄々しく立ち向かう友人たちのために謳った詩といわれる。

 「この時い時期にも、いとしい友よ、私のことばをいれよ。
 人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
 私はけっして人生をののしるまい。

 日の輝きと暴風雨とは
 同じ空の違った表情に過ぎない。
 運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
 好ましい糧として役立てよう」(高橋健二訳)

 新世紀の第二年が、晴れ晴れと開幕した。  私たちは、これまでにもまして、「一人」を大切にし、励まし、勇気づけ、根気強く育て上げていくことだ。 一人の人間革命が、どれほど偉大な力を掃出させるものか。一人ももれなく、人生の勝利と幸福に浴し、「衆生所遊楽」の見事なる幸福の拡大を体験しゆく一年であっていただきたい。

 人生は、弱気では決して勝てない。勇気ある信心が勝利なのだ。執念が勇気ある信心を涌出する。  ゆえに、強盛な信心こそ、尽きることなき智慧と福徳の源泉となるのだ。 学会がここまで発展したのは、なぜか。  それは、学会員が、いかなる人生の苦悩や苦境にも、絶対にあきらめず、乗り越えてきたからである。

 そして、逆境のなかで苦闘している人びとのもとへ、真っ先に駆けつけ、勇敢に励まし続けてきたからである。  この精神がある限り、学会は永遠に昇りゆく太陽のごとく、無数の人間の威光勢力を輝かせていけるのだ。

 「黎明の年」と銘打った昭和三十四年の年頭、ただ一人の総務であった私は、厳寒の北海道へ向かった。  「幹部が率先して、一番、困難なところへ行くのだ」と宣言し、小樽から旭川、夕張、札幌へと、白銀の大地を駆け巡ったのである。初めての旭川は、氷点下約一〇度の寒さだった。しかし、地元の方々は、特別寒くはないという。普段から、どれほど酷寒のなかで戦っておられることか!

 さらに、翌年、第三代会長に就任した直後の七月には、沖縄へ飛んだ。  酷暑を心配して、反対意見もあったが、私の決意は動じなかった。  わが同志の労苦は、最も大変な時に現地へ行かなくてはわからないからだ。 これが、指導者の第一条件である。

 昭和五十七年が明けて間もない、寒い一月十日、私は、秋田へ走った。  今年は、その「雪の秋田指導」から二十周年である。  当時、秋田は、九州の大分とともに、〝正信″を騙った、狂気のごとき極悪坊主どもの迫害をくぐり抜けてきていた。

 十二月に大分を訪問した私は、次は、なんとしても秋田に行きたかった。  「春にすれば」という周囲の声もあったが、戦いは時を逃してはならない。 常に先手、先手で突破口を開いていくことだ。  思えば、前回の訪問は、いわゆる「昭和四十七年七月豪雨」で、秋田県内に大きな被害が出た直後であった。

 私は山形まで来ていたが、地元での検討の結果、秋田で予定されていた記念撮影は中止になった。  その時、私は決断した。  「それならば、救援に行こう! 秋田の友が、かわいそうだ。できる限りのことをして、一日も早く立ち上がれるよう、みんなでお見舞いの真心を尽くそう」 秋田へ駆けつけた私は、救援活動の指揮をとり、大切な同志の激励に汗を流した。

 それから十年ぶりの訪問である。  私は、愛する秋田に必ず福徳爛漫の春を呼ぶのだと深く決心していた。  秋田の友も同じ心であった。空港から秋田文化会館に向かう道々、あちらでも、こちらでも、健気な同志が代表して迎えてくださった。 そのたびに車を降りては、忘れ得ぬ〝雪の街頭座談会″となったのである。

 秋田では、昭和五十二、三年ごろから、陰険な坊主らの策動が始まった。  なかでも大曲や能代の同志の悔しさは、いかばかりであったか。  坊主たちは、冷酷に言い放った。

 ――学会員の家の葬儀には行かない、故人は地獄へ堕ちる、戒名はつけない、嫌なら檀徒になれ、等々。  旧習の深い地域で、無理解の飛礫(つぶて)に耐えて、供養の限りを尽くしてきた同志を、背後から斬りつける、あまりにも卑怯、卑劣な仕打ちであった。

 しかし、秋田の友は戦った。  「汝は逆運に、決してたじろぐことなかれ、むしろ運命打ちこえて、より大胆に進むべし」(ローマの詩人ウェルギリウス、泉井久之助訳) 秋田の無名の英雄たちは、この詩句のごとく、雄々しく勇戦し、創価の大城を守り抜いたのだ。婦人も、壮年も、頼もしき青年たちも!  この人に会おう、あの方々に会おうと動くうちに、直接お目にかかった同志は、六日間で一万人近くに上った。

 文化会館に隣接する公園で、「大秋田の英雄ここにあり!」と、吹雪に胸張るがごとく行った、二度の記念撮影も、本当に忘れ得ぬ思い出となった。  大曲の友も、能代の友も、真白き雪の降り注ぐなか、歓喜の渦となって、皆で勝鬨と万歳をあげた。

 今でも、あの人の笑顔、あの人の真剣な顔(かんばせ)が胸に浮かぶ。あの友らがご健康で、ご長寿で、喜びの広宣流布の道を、朗らかに歩んでおられることを祈る昨今である。 
「冬は必ず春となる」とは、大自然の流転であり、大仏法の法理だ。

 五十年前、わが師・戸田先生が悲願とされた七十五万世帯への突破口を開いた、歴史に残る蒲田支部の「二月闘争」。  この薄田支部に所属していた秋田の同志も、弘教「二百一世帯」の広宣の拡大に呼応し、勇敢に折伏に奮い立ってくれた。 「仏縁」の拡大が、広宣流布の拡大である。

 雪の秋田指導の折、私は、広布の土台たる、強い支部の建設を訴えた。 「支部に、勇気ある同志が何百人と賑やかに集うようになれば、一千万の連帯が必ず築ける。そうなれば、広布の基盤は、盤石のなかの盤石である」と。

 さあ! 新しき前進のこの年も、変わらずにわが大道を歩みながら、多くの人と会い、多くの友と会おう。  また多くの人と語り、多くの友と語ろう。 この快活な人間と人間との「対話」の大波が、「人間主義の世紀」であり、「創価の世紀」である、と謳い上げよう!








印刷用に空白行の少ないテキストデータ



《ナレーション》それでは寸劇のコーナーです。本日は、「雪の秋田指導」の、お話であります。
 時は昭和57年西暦1982年1月10日、いちめんの銀世界であります。
《池田先生》*秋田では、あの「雪の進軍」の大闘争がある。
1982年1月。
毒蛇(どくじゃ)のごとき坊主の迫害に耐え、創価の正義を証明した友を励ますため、私は、白雪の秋田に飛んだ。
嵐に舞い、吹雪に胸を張って前進しゆく、わが同志との共戦譜は、今も私の胸に深く刻まれている。
《支部長》もしもし、支部長です。
池田先生は、今日、秋田空港に到着されます。
国道を通られると、思いますが、絶対に、ぞろぞろ道路に、出たりしないように、連絡の徹底を、お願いします。ど~も~
《地区部長》はい支部長、分かりました。
(向き直って)もしもし、地区部長です。
時間は、わかりませんが、池田先生がもうすぐ通られます。
んだ、んだ。ではる、ではる。
んだ、んだ。みな、して。んだ、んだ。
《ナレーション》 こうして、道路わきには、学会員が、たくさん集まったのです。
皆が、きょろきょろしていると、車が近づいてきた。
小さなブレーキ音。
ドアが開き、降り立つ人がいる。「先生!!」皆が、歓声をあげた。
《池田先生》 さあ、私が来たからもう大丈夫だよ。さあ記念写真を撮ろう!!
《ナレーション》 聖教新聞の記者がカメラをかまえます。
しかし、カメラマンを振り向く人は誰もいません。
皆が先生を見て、涙を流していたのであります。
《カメラマン》 はい、私はカメラマンです。
はい、皆さん、カメラはこっちですよ。
(手をたたいて)パチパチ、はい、皆さんお願いですから、こっちを見てください。
《ナレーション》 こうして、雪の秋田指導は、『雪の街頭座談会』で、幕を開けたのであります。
 しばらく行くと再び学会員が集まっています。そのたびに車を止め、一人一人に声をかけ、記念のカメラを撮ったのであります。
ゴム長靴を、はいたカメラマンは、慣れない雪の道に、合計9回も、走り出たのであります。
《支部婦人部長》 もしもし、支部婦人部長です。
 明日の日中、大事な会合があるそうです。だれでも参加できるわけでは、ありませんからネ、よろしくお願いします。
《地区担》はい婦人部長、分かりました。
(向き直って)もしもし、地区担です。
明日の日中、大事な会合があるそうです。
だれでも参加できるそうですから、みんなして、えぐんしべ。
んだ、んだ。んだ、んだ。
《池田先生》 **秋田指導の4日目の午前と午後、私は、魔僧(まそう)の最も激しい弾圧を忍(しの)んだ大曲・能代などの同志と、雪中の記念撮影を行った。
会館隣の沼田児童公園を使って、三千人の撮影会であった。
 そこには、迫害の嵐を耐え抜いた魂の勝者の涙があった。
「私は戦い抜きました!」と、無名の英雄の笑顔があった。
 
 君も征け 我も征く 吹雪に胸はり いざや征け  
 地よりか涌きたる 我なれば 我なれば  この世ではたさん 使命あり
 
 私たちは「人間革命の歌」を心の底から大合唱した。そして、五月晴れのような万歳の声が、千年の未来にも轟(とどろ)けと、秋田の空に鳴り響いた。
《ナレーション》 この日、この時、この場に集ったメンバーが、「吹雪(ふぶき)グループ」、そして「嵐舞(らんぶ)グループ」となったことは、皆様ご存知のとうりです。
 そしていよいよ、第一回県青年部総会が、開かれることになりました。
《池田先生》特に青年期は、人の職業をうらやましく思うものだ。都会にあこがれもしよう。しかし、真実の幸福というものは、自分自身の中にあることを、仏法では教えている。現在の職業や職場が不満足ならば、ときに価値的にかえることは自由であるが、結局は、それぞれの職場で、光輝く存在になっていただきたい。そのなかで、信頼を勝ちとっていくところに、まことに地味であるが、広宣流布の一つの縮図があることを知らなければならない。
 青年の諸君は、とくに教学を身につけてほしい。それぞれの社会にあって一流と言われる人は、かならずそれなりの、人の何倍もの苦労と研究をしている。いま、諸君も、庶民の哲学者として、この大仏法を深く、行じ、学んでいくことが肝要であると思う。これが、最高の人間としての道であり、結局は、社会の勝利者になることができるからだ。
 諸君が思うと、思わざるとにかかわらず、諸君は、池田門下生であります。
《ナレーション》 この時、この場に集ったメンバーが、「2001年・第一期会」となりました。
そして、今、青年部が、新たに「2030年・第一期会」を発足させたことは、皆様ご存知のとうりです。

《青年部解説朗読》 池田先生は、長編詩「みちのくの幸の光彩」で、次のように綴(つづ)っています。

 それは忘れえぬ 決してわすれることのできぬ
私の胸中の歴史の一コマであった

昭和五十七年一月十日――
空港から会館への車中の道は大雪
秋田の銀世界を行く私の目に
寒風の中 笑(え)みをたたえながら
肩を寄せあって立つ
路傍(ろぼう)の一群の人たちが飛びこんできた

壮年がいる 婦人がいる 白髪の人もみえた
つぶらな瞳(ひとみ)の王子 王女もいた
“うちの人たちだ” 私は急いで車を降りた
磁石(じしゃく)と磁石が引きあうように
その輪の一員となった

喜びでいっぱいの顔 顔 顔
一人一人と固い握手(あくしゅ)をした
共に記念のカメラに納(おさ)まった

行く先々の あの街角(まちかど)にも この辻々(つじつじ)にも
十余年ぶりの 私との再会を待っていて下さった
三々五々 集(つど)い来た
あなたたちの輝く瞳が待っていた
雪の中九度に及んだ あの感動の街頭座談会
私は嬉しかった 心で泣いた
あなたたちの誠実の熱き心は
いかなる厳寒も寒風も冷(さ)ますことを得ず
その表情は 輝く銀世界よりも
まばゆくきらめいていた

ああ―――
その喜びは 人間のみが知る歓喜
猛吹雪(ふぶき)の厳寒に
耐(た)え抜いた者のみが知る
春の微笑(ほほえみ)のかちどき
法衣の権威に身を包み
“正信”を騙(かた)った魔の軍勢に
見事に まことに見事に勝利した
晴れやかな顔(かんばせ)

日本海の雄たる秋田の
懐(なつ)かしくも健気(けなげ)なる同志との
忘れえぬあの出会いの数々よ―――

喜びの波紋(はもん)は
一波万波と県下に広がる
能代 大曲 角館から
三千の友が集(つど)いし自由勤行会
雪舞う戸外(こがい)での かちどきの歓声
皆で合唱せし「人間革命の歌」

わが友が真心で作りし“かまくら”に
心遊ばせし ひとときは 我が少年の日に夢みし
北国の詩情あふるる おとぎの世界
私の胸ふかく 三世に生き続けるにちがいない
金と銀との五泊六日よ

《ナレーション》 本日は「雪の秋田指導」のお話を、随筆 人間革命、長編詩「みちのくの幸の光彩」、そして「うわさばなし」などを、もとに、旭日地区の オール スター キャストでお送りいたしました。以上で、寸劇のコーナーを終わります。



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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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