スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話

私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。
もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

昭和26年・西暦1951年5月3日。戸田先生の会長推戴式のお話です。
SBSH1845.jpg



≪ナレーション≫それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話です。

時は昭和26年・西暦1951年は、5月3日。
定刻二時―― 粛然(しゅくぜん)とした場内に、司会の緊張した声がひびきわたったのであります。

≪司会者≫ ただ今より、創価学会第2代会長推戴式を、おこないます。推戴の辞!三島理事長

≪三島理事長≫ 創価学会再建いらい、ここに7年、『戸田会長推戴賛意署名簿』に署名した、3080名の同志の衷心(ちゅうしん)からなる歓喜と祈願(きがん)をこめて、ここに戸田城聖先生を第2代会長に推戴いたすものであります。

≪司会者≫ 会長講演 戸田城聖先生

≪戸田城聖≫ 故牧口常三郎初代会長は、昭和18年の春ごろから、『学会は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)しなければならぬ』と私どもを責めるようにいうのが口癖(くちぐせ)になっていました。
不肖(ふしょう)の弟子どもは、それがどんなことなのか、私はじめ、戸惑(とまど)うだけで、どうすることもできなかったのであります。

昭和20年7月―私は「われ地湧(じゆ)の菩薩である」との確信をいだいて、名誉の出獄をいたしました。
いらい、この自覚は、会員諸氏のなかに序々に浸透(しんとう)してまいったものの、ただ各人の自覚に属する問題にすぎず、いまだ学会自体の発迹顕本とは、おのずから異なるものであったのです。
しかるに、いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります。

すなわち外用(げゆう)の姿においては、我々は地湧の菩薩であるが、その信心においては日蓮大聖人の末弟子である。
三世十方の仏菩薩(ぶつぼさつ)の前であろうと、地獄のそこに暮らそうと、声高らかに七文字の法華経を読誦(どくじゅ)したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。
而(しこう)して、一切の邪宗教を破って、必ずや東洋へ、世界への広宣流布の使徒として、私どもは故会長の遺志をついで、大御本尊の御前(おんまえ)において死なんのみであります。
かくのごとく確信するにいたった以上、これこそ創価学会の発迹顕本でなくして何でありましょう。

≪ナレーション≫ 山本伸一は獅子吼(ししく)する戸田の姿を目(ま)のあたりにして、人知れず随喜(ずいき)の涙を流していたのであります。

≪山本伸一≫ だれも知らなくてもいい。蔭(かげ)で先生をお護(まも)りしてきた、この年月、きょうの日の来るのを、おれはどんなに待ちこがれてきたことか。
あのとうり先生は、元気に闊達(かったつ)自在(じざい)になられたではないか。
今のおれの喜びがどういうものか、だれも知らないであろう。知らなくていいのだ。

≪戸田城聖≫ 折伏をなすものは、慈悲の境涯にあり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢(かかん)に実践せんとするものであります。
私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます。

私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。

もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

≪司会者≫ 誰もが耳を疑いました。
んんん~~。もしかして、七万5千の、聞き間違いではなかろうか。
いやたしかに七十五万と聞こえた。
はたして、そのような大折伏がほんとうにできるのであろうか。

≪ナレーション≫ 七十五万世帯の折伏達成という確信はいささかの狂いもなかった。
しかし、当時の誰ひとり、それを信じることはできなかったのであります。

≪ナレーション≫ この日の夜。山本伸一は、日記に次のように記(しる)したのであります。

≪山本伸一≫

五月三日 木曜日 

第二代会長、戸田城聖先生の会長推戴式。
晴天、午後二時開始。
祝賀会終えて解散午後九時。

遂に戸田先生は会長となられる。
待ちに待った、我等門下生の願望であった。
生涯の歴史とならん、この日。

集まりし同志、約一千数百名か。--
進まん、法旗(ほうき)を高らかに。
広宣流布をめざして。二十億の民(たみ)ぞ待て、吾が学会の進軍に。--
新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。

講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛(いきさか)んなり。
吾人(ごじん)は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏(せんぱいしょし)の話を聞き入るなり。

 十年先の、学会の前途(ぜんと)を、見定(みさだ)める青年ありとは、先生以外に、誰人(だれびと)も知らざるを思いながら。

≪司会者≫ 戸田は後日、この日を記念して幾人(いくにん)かの弟子に、当日の写真を贈っている。

伸一への写真の裏には、次のように記(しる)されてあった。

現在も 未来も共(とも)に 苦楽をば
   分けあう縁(えにし) 不思議なるかな 




≪ナレーション≫ 戸田会長の七十五万世帯の折伏達成という予言的確信が的中するには、わずか七年たらずの歳月で充分であったのであります。
昭和32年・西暦1957年12月、
学会の総世帯数が、七十六万五千を達成するにいたったこと。
そして三ヵ月後の翌年の四月二日に、戸田先生が逝去(せいきょ)されたことは、皆様ご存知の通りです。

≪ナレーション≫ そして、戸田会長の逝去から2年後に、山本伸一が第3代会長に就任。

昭和35年・西暦1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。

≪山本伸一≫
 
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!

≪ナレーション≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、「小説人間革命第5巻 烈日(れつじつ)の章」
 そして「若き日の日記」などより、
「戸田先生の会長推戴式」のお話、
そして5月3日「創価学会の日」のお話を、
黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


おまけに、写真を2枚。

05_ph01.jpg
(会長推戴式 5月3日 当日の写真)

IMG_3555_12.jpg
(写真裏面の歌)
(創価新報に載ったやつをデジカメして加工したやつです。)(スキャナ持ってないもんで)

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×160行です。


今回は、創価学会の原点である5月3日のお話でした。

日記のところは「若き日の日記(1)」聖教ワイド文庫P217からの引用です。

随筆人間革命など、多くの文献がありますが、
「人間革命第5巻烈日の章」からの引用のみを使った、寸劇です。

昭和26年・1951年5月3日のお話が主体でしたが、
昭和35年・1960年5月3日のお話を主体にした寸劇は、
またの機会に、こうご期待となります。


これからも よろしく お願いします。



印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。ご活用ください。

戸田先生の挨拶の部分を少し省略したもの(20文字×140行)も、準備しました。
座談会でやるには、こちらのほうがいいと思いますので、ご活用ください。


160行のもの

≪ナレーション≫それでは寸劇のコーナーです。
本日は、戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話です。
時は昭和26年・西暦1951年は、5月3日。定刻二時―― 粛然(しゅくぜん)とした場内に、司会の緊張した声がひびきわたったのであります。

≪司会者≫ ただ今より、創価学会第2代会長推戴式を、おこないます。推戴の辞!三島理事長
≪三島理事長≫ 創価学会再建いらい、ここに7年、『戸田会長推戴賛意署名簿』に署名した、3080名の同志の衷心(ちゅうしん)からなる歓喜と祈願(きがん)をこめて、ここに戸田城聖先生を第2代会長に推戴いたすものであります。
≪司会者≫ 会長講演 戸田城聖先生

≪戸田城聖≫ 故 牧口常三郎 初代会長は、昭和18年の春ごろから、『学会は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)しなければならぬ』と私どもを責めるようにいうのが口癖(くちぐせ)になっていました。
不肖(ふしょう)の弟子どもは、それがどんなことなのか、私はじめ、戸惑(とまど)うだけで、どうすることもできなかったのであります。
昭和20年7月―私は「われ地湧(じゆ)の菩薩である」との確信をいだいて、名誉の出獄をいたしました。いらい、この自覚は、会員諸氏のなかに序々に浸透(しんとう)してまいったものの、ただ各人の自覚に属する問題にすぎず、いまだ学会自体の発迹顕本とは、おのずから異なるものであったのです。
しかるに、いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります。
すなわち外用(げゆう)の姿においては、我々は地湧の菩薩であるが、その信心においては日蓮大聖人の末弟子である。
三世十方の仏菩薩(ぶつぼさつ)の前であろうと、地獄のそこに暮らそうと、声高らかに七文字の法華経を読誦(どくじゅ)したてまつり、胸にかけたる大御本尊を唯一の誇りとする。
而(しこう)して、一切の邪宗教を破って、必ずや東洋へ、世界への広宣流布の使徒として、私どもは故会長の遺志をついで、大御本尊の御前(おんまえ)において死なんのみであります。
かくのごとく確信するにいたった以上、これこそ創価学会の発迹顕本でなくして何でありましょう。

≪ナレーション≫ 山本伸一は獅子吼(ししく)する戸田の姿を目(ま)のあたりにして、人知れず随喜(ずいき)の涙を流していたのであります。
≪山本伸一≫ だれも知らなくてもいい。蔭(かげ)で先生をお護(まも)りしてきた、この年月、きょうの日の来るのを、おれはどんなに待ちこがれてきたことか。あのとうり先生は、元気に闊達(かったつ)自在(じざい)になられたではないか。今のおれの喜びがどういうものか、だれも知らないであろう。知らなくていいのだ。
≪戸田城聖≫ 折伏をなすものは、慈悲の境涯にあり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢(かかん)に実践せんとするものであります。
私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます。
私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。
もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!

≪司会者≫ 誰もが耳を疑いました。
んんん~~。もしかして、七万5千の、聞き間違いではなかろうか。
いやたしかに七十五万と聞こえた。はたして、そのような大折伏がほんとうにできるのであろうか。
≪ナレーション≫ 七十五万世帯の折伏達成という確信はいささかの狂いもなかった。
しかし、当時の誰ひとり、それを信じることはできなかったのであります。
≪ナレーション≫ この日の夜。山本伸一は、日記に次のように記(しる)したのであります。
≪山本伸一≫
五月三日 木曜日 
第二代会長、戸田城聖先生の会長推戴式。
晴天、午後二時開始。祝賀会終えて解散午後九時。
遂に戸田先生は会長となられる。
待ちに待った、我等門下生の願望であった。
生涯の歴史とならん、この日。
集まりし同志、約一千数百名か。--
進まん、法旗(ほうき)を高らかに。
広宣流布をめざして。二十億の民(たみ)ぞ待て、吾が学会の進軍に。--
新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。
講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛(いきさか)んなり。
吾人(ごじん)は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏(せんぱいしょし)の話を聞き入るなり。
 十年先の、学会の前途(ぜんと)を、見定(みさだ)める青年ありとは、先生以外に、誰人(だれびと)も知らざるを思いながら。
≪司会者≫ 戸田は後日、この日を記念して幾人(いくにん)かの弟子に、当日の写真を贈っている。
伸一への写真の裏には、次のように記(しる)されてあった。

現在も 未来も共(とも)に 苦楽をば
  分けあう縁(えにし) 不思議なるかな 
≪ナレーション≫ 戸田会長の七十五万世帯の折伏達成という予言的確信が的中するには、わずか七年たらずの歳月で充分であったのであります。
昭和32年・西暦1957年12月、
学会の総世帯数が、七十六万五千を達成するにいたったこと。
そして三ヵ月後の翌年の四月二日に、戸田先生が逝去(せいきょ)されたことは、皆様ご存知の通りです。
≪ナレーション≫ そして、戸田会長の逝去から2年後に、山本伸一が第3代会長に就任。
昭和35年・西暦1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。
≪山本伸一≫ 
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!

≪ナレーション≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。
本日は、「小説人間革命第5巻 烈日(れつじつ)の章」 そして「若き日の日記」などより、
「戸田先生の会長推戴式」のお話、
そして5月3日「創価学会の日」のお話を、
黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。
以上で、寸劇のコーナーを終わります。





140行のみじかいもの

≪ナレーション≫ それでは寸劇人間革命のコーナーです。
本日は、戸田先生の会長推戴(すいたい)式のお話であります。
時は昭和26年・西暦1951年、5月3日。定刻二時―― 粛然(しゅくぜん)とした場内に、司会の緊張した声がひびきわたったのであります。
≪司会者≫ ただ今より、創価学会第2代会長推戴式(すいたいしき)を、おこないます。
推戴の辞!三島理事長
≪三島理事長≫ 創価学会再建いらい、ここに7年、『戸田会長推戴(すいたい)賛意(さんい)署名簿』に署名した、3080名の同志の衷心(ちゅうしん)からなる歓喜と祈願(きがん)をこめて、ここに戸田城聖先生を第2代会長に推戴いたすものであります。
≪司会者≫ 会長講演 戸田城聖先生
≪戸田城聖≫ 故 牧口常三郎 初代会長は、昭和18年の春ごろから、『学会は発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)しなければならぬ』と私どもを責めるようにいうのが口癖(くちぐせ)になっていました。
不肖(ふしょう)の弟子どもは、それがどんなことなのか、私はじめ、戸惑(とまど)うだけで、どうすることもできなかったのであります。
しかるに、いまやっと学会総体に、偉大な自覚が生じ、偉大な確信のもとに活動を開始するにいたったのであります。これこそ創価学会の発迹顕本でなくして何でありましょう。
≪ナレーション≫ 山本伸一は獅子吼(ししく)する戸田の姿を目(ま)のあたりにして、人知れず随喜(ずいき)の涙を流していたのであります。
≪山本伸一≫ だれも知らなくてもいい。蔭(かげ)で先生をお護(まも)りしてきた、この年月、きょうの日の来るのを、おれはどんなに待ちこがれてきたことか。
あのとおり先生は、元気に闊達(かったつ)自在(じざい)になられたではないか。
≪戸田城聖≫ 折伏をなすものは、慈悲の境涯にあり、仏にかわって仏の事を行ずるのであることを、夢にも忘れてはなりませんぞ。
この一念に立って、私は、いよいよ大折伏を果敢(かかん)に実践せんとするものであります。
私の自覚にまかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます。
私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。
もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。
遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい!
よろしいか!
≪司会者≫ 誰もが耳を疑いました。
んんん~~。もしかして、七万5千の、聞き間違いではなかろうか。
いやたしかに七十五万と聞こえた。はたして、そのような大折伏がほんとうにできるのであろうか。
≪ナレーション≫ 七十五万世帯の折伏達成という確信はいささかの狂いもなかった。
しかし、当時の誰ひとり、それを信じることはできなかったのであります。
≪ナレーション≫ この日の夜。山本伸一は、日記に次のように記(しる)したのであります。
≪山本伸一≫  五月三日 木曜日 
第二代会長、戸田城聖先生の会長推戴式。
晴天、午後二時開始。
祝賀会終えて解散午後九時。
遂に戸田先生は会長となられる。
待ちに待った、我等門下生の願望であった。
生涯の歴史とならん、この日。
集まりし同志、約一千数百名か。--
進まん、法旗(ほうき)を高らかに。
広宣流布をめざして。二十億の民(たみ)ぞ待て、吾が学会の進軍に。--
新組織の発表に、幹部の顔は、晴ればれなり。
講演に、決意に、確信発表に、皆元気に、やらんかなの意気盛(いきさか)んなり。
吾人(ごじん)は、一人、集会の中央に、静かに、先生の、先輩諸氏(せんぱいしょし)の話を聞き入るなり。
 十年先の、学会の前途(ぜんと)を、見定(みさだ)める青年ありとは、先生以外に、誰人(だれびと)も知らざるを思いながら。
≪司会者≫ 戸田は後日、この日を記念して幾人(いくにん)かの弟子に、当日の写真を贈っている。
山本伸一への写真の裏には、次のように記(しる)されてあったのであります。

現在も 未来も共(とも)に 苦楽をば
  分けあう縁(えにし) 不思議なるかな 

≪ナレーション≫ 戸田会長の七十五万世帯の折伏達成という予言的確信が的中するには、わずか七年たらずの歳月で充分であったのであります。
昭和32年・西暦1957年12月、学会の総世帯数が、七十六万五千を達成するにいたったこと。
そして三ヵ月後の翌年の四月二日に、戸田先生が逝去(せいきょ)されたことは、皆様ご存知のとおりです。
≪ナレーション≫ そして、戸田会長の逝去から2年後に、山本伸一が第3代会長に就任。
昭和35年・西暦1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。
≪山本伸一≫ 
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!
≪ナレーション≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。
本日は、「小説人間革命第5巻 烈日(れつじつ)の章」 そして「若き日の日記」などより、「戸田先生の会長推戴式」のお話、そして5月3日「創価学会の日」のお話を、
黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。
以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。


関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

  • 2012/08/25 (Sat) 11:05
    No title

    戸田先生ならよく存じております。

    俊樹 #- | URL | 編集

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。