スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『11.18』のお話 創価教育学会の発足 ショート版

先生どうか私の原稿を見てください。
そういって牧口が差し出した原稿は2000枚近く、厚さにして六寸(約18センチ)もあった。
これは大変なものだ…。ところで、君はどのようにして、これほどの学問をしたのですか

先生の、教育学は、何が目的ですか? 
価値を創造できる人間を育成すること。つまり、価値を創(つく)ることだ。
それでは先生、先生の教育学を、創価教育学と名付けましょう。

P1010480_01.jpg
以前に掲載した『11.18 のお話 創価教育学会の発足 ショートバージョン』を、少し、書き直ししたものです。

≪ナレーションA≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は、牧口先生と戸田先生、そして創価教育学会 創立の、お話であります。

≪ナレーションB≫ 牧口常三郎は、明治4年1871年新潟の荒浜村に生まれた。
小学校卒業後、単身北海道に渡り、苦学して、北海道尋常(じんじょう)師範学校(現・北海道教育大学)卒業。
同付属小学校などで教壇に立つかたわら、地理学の研究を続けたのであります。
明治34年1901年、上京。牧口常三郎、30歳であります。
そして、著名な地理学者の、門をたたいたのであります。

≪牧口常三郎≫ 先生、どうか私の原稿を見てください。

≪ナレーションB≫ そういって牧口が差し出した原稿は2000枚近く、厚さにして六寸(約18センチ)もあった。

≪著名な地理学者≫ これは大変なものだ…。
ところで、君はどのようにして、これほどの学問をしたのですか。

できるだけの援助をしましょう。
ところで、この書の題名は、なんですか。

≪牧口常三郎≫ はい、「人生地理学」と、したいと思っています。

≪ナレーションB≫ こうして、明治36年1903年10月、遂(つい)に牧口の悲願が実って、最初の著作「人生地理学」が出版されたのであります。
執筆(しっぴつ)を始めてから、ちょうど10年目のことであります。

この書は、ベストセラーとなり、地理学 学会に大きな波紋(はもん)を呼んだのであります。

≪ナレーションA≫ 時は流れて、大正9年、西暦1920年2月。
青雲の志(こころざし)に燃える、戸田青年は、北海道厚田村の父と母に別れを告げ、東京を目指した。

彼の心には、大きな志が、赤々と熱く燃えさかっていたのであります。
しかし、上京した戸田青年を待っていたもの、それは苦闘(くとう)の日々でありました。
やがて友人を通して、同じ北海道出身の牧口常三郎の存在を知ったのであります。

当時、牧口は、台東区の西町尋常小学校の校長を勤めていたのであります。

≪ナレーションB≫ 紹介状をたずさえ、戸田青年は、緊張して、牧口常三郎の自宅を訪ねた。
季節はもう夏であります。
牧口は、鋭い眼で戸田青年をじっと見た。
そして北海道出身の青年と知って、快く迎えたのであります。

≪牧口常三郎≫  履歴書をお持ちになったかな?

≪戸田青年≫  はい、持ってきました。
(すごい人だ。でも、やさしそうだ。よし、思い切っていこう。ゴクリ。)
 先生、私をぜひ採用してください。
私はどんな劣等生でも、必ず優等生にしてみせます。
先生、私を採用してくだされば、あとできっと、「いい奴を採用してよかった」、とお考えになるでしょう。

≪牧口常三郎≫  はっ、はっ、はっ。そうか、そうか。

≪戸田青年≫(ちょっと照れるが、ここが大事。よし、もう一押しだ。)

先生、ぜひとも、ぜひとも、お願いいたします。

≪牧口常三郎≫  わかった、わかった。尽力しよう。

戸田君。君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になるだろう。

≪戸田青年≫ は、はい。

≪ナレーションB≫ この時、牧口常三郎は49歳。戸田青年は20歳でありました。

こうして戸田青年は、牧口先生のはからいで、彼が校長を務める西松尋常小学校に代用教員となったのです。

≪ナレーションA≫ やがて昭和3年1928年。牧口先生が日蓮正宗に入信し、戸田青年も入信します。
当時のいきさつを、いろいろやってますと、寸劇が、朝になってしまいますので、今回は、次のお話を急ぐことに、いたしましょう。

≪ナレーションB≫ 時は、昭和4年1929年2月。
牧口は、戸田の自宅を、新しい教育学説の発表と名称について語るために、訪れたのであります。
夜は、しんしんと更(ふ)け、二人は火鉢(ひばち)をかこみながら、熱っぽく語り合ったのであります。

≪戸田青年≫ 牧口先生。先生の教育学を、後世のためにぜひ出版しましょう。やりましょう。

≪牧口常三郎≫ 戸田君、本の出版には、金がかかるよ。

≪戸田青年≫  私には、たくさんはありませんけれども、あるだけ、全部投げ出しましょう。けっしてご心配なさらないでください。
先生。先生の、教育学は、何が目的ですか?

≪牧口常三郎≫ 価値を創造することだ。

≪戸田青年≫ それでは先生、先生の教育学を、創価―創価教育と決めましょう。

≪ナレーションB≫ “価値創造”を略して「創価」とした戸田の進言を、牧口は大変気に入って採用したのであります。

こうして、昭和5年1930年11月18日 牧口先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されます。
そして、この日を、もって、創価学会の創立記念日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

≪ナレーションA≫  本日は、小説「人間革命」第2巻「地湧」(じゆ)の章、さらに新人間革命第12巻「栄光」の章などから、『牧口先生と戸田先生』、そして『11.18創立記念日』のお話を、旭日地区のオール スター キャストでお送りいたしました。

戸田青年と、牧口初代会長、この2人の偉人は、創価教育学会を、どのように発展させていくのでありましょうか。

それらは、またの寸劇に、こう、ご期待、であります。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



この寸劇の分量は約20文字×130行です。


(参考資料)

「創価学会思想シリーズ18 大村浩二・舘野允男 共著 S51.8.15.聖教新聞社刊」より 以下の部分を、引用、参考にしました。 

P33 上京して一年後、明治35年の春には、「日本風景論」の著者・志賀重たか の門を叩いた。この時、志賀は牧口を一目見て気に入ってしまった。学問を愛するひたむきな青年の学究姿勢に触れて心を動かされたに違いない。
「先生、どうか私の原稿を見てください。」
そういって牧口が差し出した原稿は2000枚近く、厚さにして六寸(約18センチ)もあった。
「これは大変なものだ…。ところで、君はどのようにして、これほどの学問をしたのですか。」
志賀は、無名の学究が衣食の窮乏に耐えてこつこつと研究をつみあげてきたことを察して、その意気を壮とし、できるだけの援助をすることを約した。

P72  牧口は、戸田の自宅を、新しい教育学説の発表と名称について語るために、訪れた。昭和4年2月の寒い日であった。
夜は、しんしんと更け、夜の12時近かった。二人は火鉢をかこみながら、熱っぽく語り合った。
戸田は「先生の、教育学は、何が目的ですか」と質問すると、牧口は、眼を炯々と輝かせ、おもむろに、「価値を創造できる人間を育成することだ」と答えた。
「では先生、創価教育学ときめましょう。」と戸田は言った。
“価値創造”を略して「創価」とした戸田の進言を、牧口は大変気に入って採用した。


牧口会長7回忌法要(S25.11.12) 「牧口先生7回忌に」より、以下の部分を、引用、参考にしました。(戸田城聖全集第3巻P417 S58.2.11.聖教新聞社刊)
忘れもしません。夜の12時まで、二人で火鉢をかこんで、私の家で、こんこんと学説の発表について語り合いました。
「よし、先生、やりましょう」と申しあげると、先生は「戸田君、金がかかるよ」と申されました。
わたくしは「わたくしには、たくさんはありませんけれども、一万九千円のものは、ぜんぶ投げ出しましょう」と申しあげ、また「先生の教育学は、何が目的ですか」といいますと、先生はおもむろに「価値を創造することだ」と申されました。
「では先生、創価教育、と決めましょう」というぐあいで、名前も一分間で決まったのです。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

このブログを実際に座談会でやってみようと思われた方は「続きを読む」をご覧ください。


このブログでは、読みやすくするために、空白行がたくさんありますが、これでは印刷になりません。
空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご活用ください。
登場人物

戸田先生役、牧口先生役、そして、ナレーション役をやる人を、座談会の司会者が紹介してから、寸劇が、始まります。
≪ナレーションA≫全体の説明役です。
≪ナレーションB≫個別のお話の説明役です。
参加者を増やすために、ナレーションを2人にしていますが、一人で両方やっても大丈夫です。

≪著名な地理学者≫一回だけのセリフなので、座談会に参加された方に、いきなりお願いしてもいいと思います。
≪牧口常三郎≫壮年部の方にお願いしましょう。婦人部の方でも結構です。
≪戸田青年≫青年部の方に、お願いしましょう。


解説

牧口初代会長のお話として、①著作「人生地理学」のお話。教育者としてのお話。
そして、戸田2代会長との出会いのお話。
「創価教育学体系第一巻」の発刊のお話。特に「創価」の言葉の、誕生のお話。

牧口先生と戸田先生の出会いのシーンは、小説「人間革命」第2巻「地湧」(じゆ)の章にあります。
「うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、、」の表現は、人間革命8巻「明暗」の章にあります。
牧口初代会長のお話は、新人間革命第12巻「栄光」の章にあります。

(すごい人だ。でも、やさしそうだ。よし、思い切っていこう。ゴクリ。) 
はっ、はっ、はっ。そうか、そうか。
(ちょっと照れるが、ここが大事。よし、もう一押しだ。)
などは、私の作文です。


(知ったかぶりの知識) 創価教育学体系は、全12巻です。

創価教育学体系・総論4巻
「創価教育学体系第一巻_第一篇、教育学組織論。第二編、教育目的論」S5.11.18発刊
「創価教育学体系第二巻_第三篇、価値論」S6.3.5発刊
「創価教育学体系第三巻_第四篇、教育改造論」S7.7.15発刊
「創価教育学体系第四巻_第五篇、教育方法論」S9.6.20発刊

創価教育学体系・各論8巻
 第五巻_道徳教育の研究。第六巻_綴り方教導の研究。第七巻_読方・書方教導の研究。第八巻_地理科教導の研究。第九巻_郷土科の研究。第十巻_算術科教導の研究。第十一巻_理科教導の研究。第十二巻_歴史科教導の研究。
しかし各論は、現場教育を踏まえての、弟子たちの研究に牧口が手を加えて完成するつもりではあったが、結局出版するまでには至らなかった。


原稿印刷 

実際に座談会でやるには、原稿印刷が必要です。
4~5部、印刷しておきます。

A4、1枚に印刷してどうでしょうか。Word を使いますと、余白は上下左右12.3ミリ、10.5ポイント、横書き、段数2、文字数26、行数54くらいでどうでしょうか。

A4、2枚に印刷してどうでしょうか。Word を使いますと、余白は上下左右12.3ミリ、12ポイント、横書き、段数2、文字数2、行数36くらいでどうでしょうか。



≪ナレーションA≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は、牧口先生と戸田先生、そして創価教育学会創立の、お話であります。
≪ナレーションB≫ 牧口常三郎は、明治4年1871年新潟の荒浜村に生まれた。
小学校卒業後、単身北海道に渡り、苦学して、北海道尋常師範学校(現・北海道教育大学)卒業。
同付属小学校などで教壇に立つかたわら、地理学の研究を続けたのであります。
明治34年1901年、上京。牧口常三郎、30歳であります。
そして、著名な地理学者、の門をたたいたのであります。
≪牧口常三郎≫ 先生、どうか私の原稿を見てください。
≪ナレーションB≫ そういって牧口が差し出した原稿は2000枚近く、厚さにして六寸(約18センチ)もあった。
≪著名な地理学者≫ これは大変なものだ…。
ところで、君はどのようにして、これほどの学問をしたのですか。
できるだけの援助をしましょう。
ところで、この書の題名は、なんですか。
≪牧口常三郎≫ はい、「人生地理学」と、したいと思っています。
≪ナレーションB≫ こうして、明治36年1903年10月、遂に牧口の悲願が実って、最初の著作「人生地理学」が出版されたのであります。
執筆を始めてから、ちょうど10年目のことであります。
この書は、ベストセラーとなり、地理学 学会に大きな波紋(はもん)を呼んだのであります。

≪ナレーションA≫ 時は流れて、大正9年、西暦1920年2月。
青雲の志に燃える、戸田青年は、北海道厚田村の父と母に別れを告げ、東京を目指した。彼の心には、大きな志が、赤々と熱く燃えさかっていたのであります。
しかし、上京した戸田青年を待っていたもの、それは苦闘の日々でありました。
やがて友人を通して、同じ北海道出身の牧口常三郎の存在を知ったのであります。
当時、牧口は、台東区の西町尋常小学校の校長を勤めていたのであります。
≪ナレーションB≫ 紹介状をたずさえ、戸田青年は、緊張して、牧口常三郎の自宅を訪ねた。
季節はもう夏であります。
牧口は、鋭い眼で戸田青年をじっと見た。
そして北海道出身の青年と知って、快く迎えたのであります。
≪牧口常三郎≫  履歴書をお持ちになったかな?
≪戸田青年≫  はい、持ってきました。
(すごい人だ。でも、やさしそうだ。よし、思い切っていこう。ゴクリ。)
 先生、私をぜひ採用してください。
私はどんな劣等生でも、必ず優等生にしてみせます。
先生、私を採用してくだされば、あとできっと、「いい奴を採用してよかった」、とお考えになるでしょう。
≪牧口常三郎≫  はっ、はっ、はっ。
そうか、そうか。
≪戸田青年≫(ちょっと照れるが、ここが大事。よし、もう一押しだ。)
先生、ぜひとも、ぜひとも、お願いいたします。
≪牧口常三郎≫  わかった、わかった。尽力しよう。
戸田君。君は、うまくいけば素晴らしい人物になるが、わるくすると、とんでもない人間になるだろう。
≪戸田青年≫ は、はい。
≪ナレーションB≫ この時、牧口常三郎は49歳。戸田青年は20歳でありました。
こうして戸田青年は、牧口先生のはからいで、彼が校長を務める西松尋常小学校に代用教員となったのです。

≪ナレーションA≫ やがて昭和3年1928年。牧口先生が日蓮正宗に入信し、戸田青年も入信します。
当時のいきさつを、いろいろやってますと、寸劇が、朝になってしまいますので、今回は、次のお話を急ぐことに、いたしましょう。
≪ナレーションB≫ 時は、昭和4年1929年2月。
牧口は、戸田の自宅を、新しい教育学説の発表と名称について語るために、訪れたのであります。
夜は、しんしんと更け、二人は火鉢をかこみながら、熱っぽく語り合ったのであります。
≪戸田青年≫  先生の、教育学は、何が目的ですか?
≪牧口常三郎≫ 価値を創造できる人間を育成すること。つまり、価値を創(つく)ることだ。
≪戸田青年≫  それでは先生、先生の教育学を、創価――創価教育学と名付けましょう。
≪ナレーションB≫ “価値創造”を略して「創価」とした戸田の進言を、牧口は大変気に入って採用したのであります。
こうして、昭和5年1930年11月18日 牧口先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されます。
そして、この日を、もって、創価学会の創立記念日となったことは、皆様ご存知のとおりです。
≪ナレーションA≫  本日は、小説「人間革命」第2巻「地湧」(じゆ)の章、さらに新人間革命第12巻「栄光」の章などから、『牧口先生と戸田先生』、そして『11.18創立記念日』のお話を、    地区のオール スター キャストでお送りいたしました。
戸田青年と、牧口初代会長、この2人の偉人は、創価教育学会を、どのように発展させていくのでありましょうか。
それらは、またの寸劇に、こう、ご期待、であります。
以上で寸劇のコーナーを終わります。
関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。