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人生の並木道

そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。
やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。

立派な娘さんです。これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。
 事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。
そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。
 私は、山本先生と約束したのだ!。それが、父親の口癖となったのであります。


SBSH1421_1.jpg



≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は『人生の並木道』と題しましてお送りいたします。

時は昭和33年1958年8月16日、長野県は諏訪でのお話であります。

≪山本伸一≫ 山本伸一です。当時は、学会でただ一人の、「総務」という役職だったそうです。

≪竹本君子≫ 竹本君子です。女子部の組長(現在の地区リーダー)をしています。東京の先輩幹部から、手紙が来ました。どれどれ、

≪先輩幹部≫ 山本総務が諏訪市民会館で行われる文京支部の方面大会に出席されます。山本総務は、事実上学会のすべての責任を担っている人です。山本総務が諏訪を訪れる機会は、これからも滅多にないと思いますので、是非、自分の部員さんに会ってもらうようにしたらどうでしょうか。

≪ナレーション≫ 彼女は喜び勇んで、6人のメンバーを連れて参加したのです。メンバーのなかには、小児マヒの後遺症で体の不自由な人や、結核に苦しむ人もいた。
皆、生活も決して楽ではなかったし、家族の中で、たった一人で信心している人がほとんどだったのであります。

市民会館での山本総務の指導を聞くと歓喜が込み上げてきた。そして、なんとしても山本総務に、メンバーと会ってもらおうとの思いが、つのったのであります。
会合が終わって、大急ぎ控え室に駆けつけました。しかし、、

≪会場役員≫ 山本総務は、近くの旅館で予定されている、幹部の指導会へ行ってしまいましたよ。

≪竹本君子≫ どうしよう。みんなの家族の事情を考えると、もし列車に乗り遅れ、今日のうちに帰れなければ、大変なことになってしまう。
でも、このチャンスを逃せば、みんなが山本総務と会える機会はないかもしれない。
ウーン…よし、がんばって、みんなで指導会の会場に行きましょう。

≪ナレーション≫ 旅館の二階は、たくさんの人が、階段まであふれていたのであります。
山本伸一が参加者の質問に答え、次の質問を受けようとした時、姿は見えなかったが、人垣の後ろから、女性の叫ぶような声がしたのであります。
その声には、どこか必死な響きがあったのであります。

≪竹本君子≫ 山本先生!!

≪山本伸一≫ どうしましたか?

≪竹本君子≫ 私の組の部員さんに会ってください。

≪山本伸一≫ お会いしましょう。連れていらっしゃい。みんな道を開けてあげて!

≪ナレーション≫ 人をかき分けて、体の不自由な友をかばいながら、竹本は伸一の前にやってきたのであります。

≪山本伸一≫ よく来たね。みんなどこから来たの?

≪竹本君子≫ 伊那市から、七人でまいりました。

≪山本伸一≫ あなたが女子部の組長さんだね

≪竹本君子≫ はい!

≪山本伸一≫ それじゃあ、あなたから、みんなを紹介してください。

≪竹本君子≫ はい!私は、組長の竹本君子です。そして、ここにいるのが私の妹の達枝と申します。その隣にいるのが……

≪ナレーション≫ (少し間をおいて)
 彼女はこう言うと声を詰まらせた。目には涙があふれていた。自分が責任をもつ同志を伸一に会わせたい一心で、ここまで来たのだ。それが実現できたと思うと嬉しくて仕方なかったのであります。

≪山本伸一≫ 組長さんが泣いてしまったんでは、しょうがないな……。
あとの人は自己紹介だね。

≪ナレーション≫ ところが、皆同じように喜びに震え、声にならなかったのであります。

≪山本伸一≫ そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。

≪ナレーション≫ 伸一は、優しく竹本君子を見つめながら言ったのであります。

≪山本伸一≫ そうだ!あの歌を歌ってあげよう。『人生の並木路』だよ

(音響係りさん、準備はいいかな)

地区の皆さんで合唱

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い ふたりして
故郷を捨てた 甲斐(かい)がない

遠いさびしい 日暮れの路(みち)で
泣いて叱った 兄さんの
涙の声を 忘れたか

雪もふれふれ 夜路(よみち)の果ても
やがてかがやく あけぼのに
わが世のはるは きっと来る

生きてゆこうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路

≪山本伸一≫ じゃあ、今度は『赤とんぼ』だ

夕やけ こやけの 赤とんぼ
負われて みたのは いつの日か

山の畑の くわの実を
小かごに つんだは まぼろしか

十五で ねえやは 嫁に行き
お里の たよりも たえはてた

ゆうやけ こやけの 赤とんぼ
止まっているよ さおのさき

≪ナレーション≫ 伸一の提案で、数曲の歌が、次々と歌われたのであります。
同志を思う心が織り成す、ほのぼのとした調べが、乙女たちの胸に、希望を燃え上がらせたのであります。

≪山本伸一≫ やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。
ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。
それじゃあ、遅くなるといけないから、早くお帰りなさい。気をつけて……

≪ナレーション≫ 会場をあとにした竹本たちは、天にも昇るような気持ちだった。
彼女たちは、車中、互いに手を取り合い、人生の希望を語り合いながら帰路に着いたのであります。

≪ナレーション≫ 時は流れて、2年後の昭和35年1960年11月10日、会長就任後、初の海外歴訪の旅を終えた直後であります。
この日は、松本支部の結成式が行われたのであります。

山本伸一は、諏訪に自分を尋ねてきた竹本君子が、松本支部の女子部の中心者に育っていたことが嬉しくてならなかったのであります。

≪山本伸一≫ 竹本君子さん、よくがんばったね。
家族の、皆さんお元気ですか。

≪竹本君子≫ はい。父が一年ほど前に信心を始めたのですが、まだ勤行もしておりません。
実は、事業に失敗して、家族と別居しているんです。

≪山本伸一≫ そうか……。大変なんだね。
今度、お父さんとお会いしましょう。
大切な娘さんを、お預かりしているんだもの。

≪竹本君子≫ 本当ですか!お願いいたします。

≪ナレーション≫ 人材を育むには、本人だけでなく、その人の環境も考慮し、さまざまな応援をしていくことが大切である。
またそれが指導者の責務でもあります。

翌日、松本駅には、父親を連れた竹本君子の姿があった。
伸一は、丁重にあいさつをしたのであります。

≪山本伸一≫ いつも、お世話になっております。
私が会長の山本です。
これから、長野支部の結成のために、長野まで行く予定になっているんです。
お父さん。長野までご一緒いかがですか。切符はありますから。

≪ナレーション≫ 車中は伸一と竹本の父親との語らいの場となった。

≪山本伸一≫ 立派な娘さんです。
これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。

≪お父さん≫ は、はい。ゴクリ。
ふつつかな、娘ですが、よろしくお願いします。

≪山本伸一≫ お父さん、事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。
信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。
焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。

≪ナレーション≫ 竹本の父親は、この日を契機に勤行を始めた。そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。

≪お父さん≫ 私は、山本先生と約束したのだ!

≪ナレーション≫ それが、父親の口癖となったのであります。

本日は、新人間革命第2巻『勇舞』の章から、
『人生の並木道』と題しまして、女子部の大先輩・竹本君子さんのお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

以上で寸劇のコーナーを終わります。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
女子部の皆さんが主役の寸劇をと思って作ってみました。
地区の座談会では、いつも皆さんで歌を歌っていますので、寸劇の中でもすぐに合唱できるんです。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×200行です。

この寸劇人間革命を、実際に座談会で上演するには、原稿印刷が必要です。
印刷しやすいように、空白行の少ないテキストデータを準備しましたので、ご活用ください。



人生の並木道 
作詩 佐藤惣之助  作曲 古賀政男
昭和12年「検事とその妹」という映画の主題歌。妹の夫を、法廷で裁かなければならない検事の苦しい胸のうちを描いた歌詞。
作曲の古賀政男が、幼い時、母につれられて一緒に海をわたった2つ違いの弟を思い出し、「歌詞」の中にある「妹」を「弟」におきかえて、その時の苦労を思い出して、涙の中で作曲した歌といわれています。
創価学会の中では、草創期に女子部の歌として、広く歌われてきました。
秋田では、昭和32年1957年5月19日秋田支部第1回総会の後、伊藤宅で、「赤とんぼ」「春の小川」「人生の並木道」などを、参加者全員で合唱した、との記録があります。


≪ナレーション≫ それでは寸劇のコーナーです。
本日は『人生の並木道』と題しましてお送りいたします。
時は昭和33年1958年8月16日、長野県は諏訪でのお話であります。
≪山本伸一≫ 山本伸一です。当時は、学会でただ一人の、「総務」という役職だったそうです。
≪竹本君子≫ 竹本君子です。女子部の組長(現在の地区リーダー)をしています。東京の先輩幹部から、手紙が来ました。どれどれ、
≪先輩幹部≫ 山本総務が諏訪市民会館で行われる文京支部の方面大会に出席されます。山本総務は、事実上学会のすべての責任を担っている人です。山本総務が諏訪を訪れる機会は、これからも滅多にないと思いますので、是非、自分の部員さんに会ってもらうようにしたらどうでしょうか。
≪ナレーション≫ 彼女は喜び勇んで、6人のメンバーを連れて参加したのです。メンバーのなかには、小児マヒの後遺症で体の不自由な人や、結核に苦しむ人もいた。皆、生活も決して楽ではなかったし、家族の中で、たった一人で信心している人がほとんどだったのであります。
市民会館での山本総務の指導を聞くと歓喜が込み上げてきた。そして、なんとしても山本総務に、メンバーと会ってもらおうとの思いが、つのったのであります。
会合が終わって、大急ぎ控え室に駆けつけました。しかし、、
≪会場役員≫ 山本総務は、近くの旅館で予定されている、幹部の指導会へ行ってしまいましたよ。
≪竹本君子≫ どうしよう。みんなの家族の事情を考えると、もし列車に乗り遅れ、今日のうちに帰れなければ、大変なことになってしまう。
でも、このチャンスを逃せば、みんなが山本総務と会える機会はないかもしれない。
ウーン…よし、がんばって、みんなで指導会の会場に行きましょう。
≪ナレーション≫ 旅館の二階は、たくさんの人が、階段まであふれていたのであります。山本伸一が参加者の質問に答え、次の質問を受けようとした時、姿は見えなかったが、人垣の後ろから、女性の叫ぶような声がしたのであります。その声には、どこか必死な響きがあったのであります。
≪竹本君子≫ 山本先生!!
≪山本伸一≫ どうしましたか?
≪竹本君子≫ 私の組の部員さんに会ってください。
≪山本伸一≫ お会いしましょう。連れていらっしゃい。みんな道を開けてあげて!
≪ナレーション≫ 人をかき分けて、体の不自由な友をかばいながら、竹本は伸一の前にやってきたのであります。
≪山本伸一≫ よく来たね。みんなどこから来たの?
≪竹本君子≫ 伊那市から、七人でまいりました。
≪山本伸一≫ あなたが女子部の組長さんだね
≪竹本君子≫ はい!
≪山本伸一≫ それじゃあ、あなたから、みんなを紹介してください。
≪竹本君子≫ はい!私は、組長の竹本君子です。そして、ここにいるのが私の妹の達枝と申します。その隣にいるのが……
≪ナレーション≫ (少し間をおいて)
 彼女はこう言うと声を詰まらせた。目には涙があふれていた。自分が責任をもつ同志を伸一に会わせたい一心で、ここまで来たのだ。それが実現できたと思うと嬉しくて仕方なかったのであります。
≪山本伸一≫ 組長さんが泣いてしまったんでは、しょうがないな……。あとの人は自己紹介だね。
≪ナレーション≫ ところが、皆同じように喜びに震え、声にならなかったのであります。
≪山本伸一≫ そんなに泣いてはいけないよ。あなたは女子部のリーダーじゃないか。
それに、ぼくは、みんなの兄さんなんだよ。兄さんが来たんだから、安心して、なんでも相談していいんだよ。
≪ナレーション≫ 伸一は、優しく竹本君子を見つめながら言ったのであります。
≪山本伸一≫ そうだ!あの歌を歌ってあげよう。『人生の並木路』だよ
(音響係りさん、準備はいいかな)
地区の皆さんで合唱

泣くな妹よ 妹よ泣くな
泣けば幼い ふたりして
故郷を捨てた 甲斐がない

遠いさびしい 日暮れの路で
泣いて叱った 兄さんの
涙の声を 忘れたか

雪もふれふれ 夜路の果ても
やがてかがやく あけぼのに
わが世のはるは きっと来る

生きてゆこうよ 希望に燃えて
愛の口笛 高らかに
この人生の 並木路

≪山本伸一≫ じゃあ、今度は『赤とんぼ』だ

夕やけ こやけの 赤とんぼ
負われて みたのは いつの日か

山の畑の くわの実を
小かごに つんだは まぼろしか

十五で ねえやは 嫁に行き
お里の たよりも たえはてた

ゆうやけ こやけの 赤とんぼ
止まっているよ さおのさき

≪ナレーション≫ 伸一の提案で、数曲の歌が、次々と歌われたのであります。同志を思う心が織り成す、ほのぼのとした調べが、乙女たちの胸に、希望を燃え上がらせたのであります。
≪山本伸一≫ やがて、人生の春は、必ずやってくる。今はどんなに辛く、苦しくとも、負けないで頑張ることだよ。ぼくは、あなたたちの成長を、いつまでも見守り、祈り続けるからね。
それじゃあ、遅くなるといけないから、早くお帰りなさい。気をつけて……

≪ナレーション≫ 会場をあとにした竹本たちは、天にも昇るような気持ちだった。彼女たちは、車中、互いに手を取り合い、人生の希望を語り合いながら帰路に着いたのであります。
≪ナレーション≫ 時は流れて、2年後の昭和35年1960年11月10日、会長就任後、初の海外歴訪の旅を終えた直後であります。
この日は、松本支部の結成式が行われたのであります。
山本伸一は、諏訪に自分を尋ねてきた竹本君子が、松本支部の女子部の中心者に育っていたことが嬉しくてならなかったのであります。
≪山本伸一≫ 竹本君子さん、よくがんばったね。家族の、皆さんお元気ですか。
≪竹本君子≫ はい。父が一年ほど前に信心を始めたのですが、まだ勤行もしておりません。実は、事業に失敗して、家族と別居しているんです。
≪山本伸一≫ そうか……。大変なんだね。今度、お父さんとお会いしましょう。大切な娘さんを、お預かりしているんだもの。
≪竹本君子≫ 本当ですか!お願いいたします。
≪ナレーション≫ 人材を育むには、本人だけでなく、その人の環境も考慮し、さまざまな応援をしていくことが大切である。またそれが指導者の責務でもあります。
翌日、松本駅には、父親を連れた竹本君子の姿があった。伸一は、丁重にあいさつをしたのであります。
≪山本伸一≫ いつも、お世話になっております。私が会長の山本です。これから、長野支部の結成のために、長野まで行く予定になっているんです。
お父さん。長野までご一緒いかがですか。切符はありますから。
≪ナレーション≫ 車中は伸一と竹本の父親との語らいの場となった。
≪山本伸一≫ 立派な娘さんです。これから娘さんは、学会の女子部のリーダーとして、私どもが責任をもって育ててまいります。
≪お父さん≫ は、はい。ゴクリ。
ふつつかな、娘ですが、よろしくお願いします。
≪山本伸一≫ お父さん、事業には失敗しても、人生に負けたわけではありません。信心さえ貫いていくならば、最後は必ず人生の勝利者になります。焦らずに、着実に、信心を磨いていくことです。
≪ナレーション≫ 竹本の父親は、この日を契機に勤行を始めた。そして、娘の学会活動のためには、どんな協力も惜しまなかったのであります。
≪お父さん≫ 私は、山本先生と約束したのだ!
≪ナレーション≫ それが、父親の口癖となったのであります。
本日は、新人間革命第2巻『勇舞』の章から、
『人生の並木道』と題しまして、女子部の大先輩・竹本君子さんのお話を、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。
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テーマ: 二次創作:小説 | ジャンル: 小説・文学

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