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戸田先生の最後の指導(所化頭事件)

俺は、本山で一番偉い所化頭だ! 酒を飲んで何が悪い!
お前たち学会は、アルバイトで大石寺にきているのだろう
俺に講義させろ!お前たちは間違った指導をしている。俺が代わって指導してやる!
勤行のやり方がなってねえんだよ。いいか、だいたい、お前らはな…身延の山に行ってしまえ
信者から物をもらって喜ぶやつが、どこにいる。感謝なんかしなくてよい!

16日に戸田先生を車駕にお乗せしたことについても、『総本山では乗りものは禁止されているのに、いい気になって、なんだ。』と罵っています。もう、黙っているわけにはいきません。

あなたとの約束は、慶祝期間中は禁酒だったはずですね! しかし、あの所化頭は毎日酒を飲み、その上、学会の青年部をいじめぬき、今度はお小僧さんに暴行を加えた。これは許せません。
あなたが所化さんたちの教育係と聞いていたので、何回となく私はあの所化頭の愚行をやめさせてくださいと頼んだはずです。しかし、あなたは一度でも実行してくれましたか。もうあなたは信用できません。

衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。
……ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない……。
戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処にならないとも、限らないのだ……。
しかし……、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。
そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。追撃の手をゆるめるな!

P1010486_2.jpg


≪ナレーション1≫ 本日の寸劇人間革命は、「戸田先生の最後の指導」と題しましてお送りいたします。

時は、昭和33年・西暦1958年3月のお話。
そうです。「広宣流布記念の日」3月16日の前後のお話であります。

≪ナレーション2≫ 毎日七千人、延べ二十万人の学会員が大石寺に参詣する慶祝登山を無事故で行うために、何度も宗門と学会の間で協議が、されたのであります。

≪山本伸一≫ 学会は、大講堂周辺の警備をさせていただきます。御僧侶方は、大講堂のなかを守ってください。この警備は、私たちも命懸けで青年部を中心に行います。

次に大事な事は、慶祝登山が終了するまで、禁酒を徹底していきましょう。御僧侶方全員に伝えてください。

学会の方は私が責任を持って徹底させます。

≪ナレーション2≫ ところが、いざ慶祝登山が始まってみると、この約束を破ったのは僧侶の方であった。そして酒浸りになって、不祥事を起こした僧侶が出たのである。

一度還俗(けんぞく)し、修行を、一からやり直していた、三十一才になる所化頭であった。

この所化頭は、毎晩、料亭に行っては酒を飲んでいた。そればかりか、日中も一升瓶を放さなかったのであります。

所化頭はやりたい放題だった。

酔っ払っては、警備をしている青年部に絡(から)んだ。
「俺は、本山で一番偉い所化頭だ! 酒を飲んで何が悪い!」
「お前たち学会は、アルバイトで大石寺にきているのだろう」

酔っ払ったまま、会合に押しかけた。

「俺に講義させろ!」
「お前たちは間違った指導をしている。俺が代わって指導してやる!」

多くが小中学生である,所化のお小僧さんいじめも、ひどかった。
朝の勤行でも、自分は酔っ払っていながら、お小僧さんには、罵声(ばせい)を浴(あ)びせ続けた。

「勤行のやり方がなってねえんだよ。いいか、だいたい、お前らはな……身延の山に行ってしまえ」

お小僧さんに届けられた、お菓子や果物も、気にくわない。

「信者から物をもらって喜ぶやつが、どこにいる。感謝なんかしなくてよい!」

学会の青年部は、これらの度重なる暴言も、僧侶にあるまじき行状についても、慶祝法要中であることや、僧俗和合のために、ひたすらじっと耐えていたのであります。

≪ナレーション1≫ 三月も末に迫った日のことであった。
整理役員の青年が、早朝、あの問題の所化頭が、お小僧(こぞう)さんたちを怒鳴(どな)り散らしたあげく、大きな鈴(りん)を頭からかぶせて、鈴棒(りんぼう)で思いっきり叩(たた)くという、信じられない虐待をしている光景に出くわした。

酒を飲んでいると見え、顔は異様に赤かった。

驚いた青年は、山本伸一にその模様(もよう)を伝えたのであります。

≪山本伸一≫ また、そんなことがあったのか。

≪青年部≫ 参謀室長、それだけじゃありません。
あの所化頭は、学会員がお小僧さんのために、持ってきた、各地の銘菓や果物に対して、『こんな余り物を』と吐き捨てるように言っているんです。

16日に戸田先生を車駕(しゃが)にお乗せしたことについても、『総本山では乗りものは禁止されているのに、いい気になって、なんだ。』と罵(ののし)っています。
もう、黙っているわけにはいきません。

≪ナレーション1≫ 山本伸一は宗門理事に事情を説明し、所化頭の反省・謝罪を求めなければならないと、判断したのであります。

≪山本伸一≫ あなたとの約束は、慶祝期間中は禁酒だったはずですね! しかし、あの所化頭は毎日酒を飲み、その上、学会の青年部をいじめぬき、今度はお小僧さんに暴行を加えた。これは許せません。

≪宗門理事≫まあまあ、もう少し穏便にしてくれませんか。

≪山本伸一≫ あなたが所化さんたちの教育係と聞いていたので、何回となく私はあの所化頭の愚行をやめさせてくださいと頼んだはずです。しかし、あなたは一度でも実行してくれましたか。もうあなたは信用できません。

≪宗門理事≫ よくわかりました。それでは、彼を呼んで反省を促し、謝罪をさせます。しばらくお待ちください!

≪ナレーション1≫ 所化頭は、いつもの料亭にいた。
なんと、押入れの中に隠れていた。
あきれたことに、一升瓶を抱えすでに半分あけていたのであります。

すっかり泥酔して、フラフラしている所化頭に、青年部が謝罪を求めたのであります。

≪青年部≫あなたは僧侶として、大事な記念行事のさなかに、毎日、酒など飲んで恥ずかしいとは思わないのですか。

あなたは私たち青年部に何か恨(うら)みがあるのですか? はっきり言ってください。

(怒鳴りつける)…ちゃんと、質問に答えなさい!

≪山本伸一≫ まあ、待ちなさい

≪ナレーション1≫ 戸田が宗門の興隆(こうりゅう)のために、外護(げご)の赤誠(せきせい)を貫(つらぬ)いてきたことを嘲(あざ)笑うかのように、僧侶の腐敗、堕落は、限りなく進行していたのであります。

酔いをさますため、所化頭は、衣を脱ぐと川に入り、顔を洗いはじめた。戻ってくるのを待って、伸一は込み上げる激情をこらえ、諄々(じゅんじゅん)と諭(さと)すように語りはじめた。

≪山本伸一≫ いいですか。このたびの大講堂の落成は、日蓮正宗の七百年の歴史に輝く、晴れの壮挙なのです。その慶祝登山のさなかに、僧侶が朝から酒を飲んでいるようなことがあってよいのですか。

しかもあなたはお小僧さんを不当にいじめている。鈴をかぶせて打つなどということは、修行でも、訓練でも、決してないはずです。暴力、暴言は、私どもとしても見過ごすわけにはいきません。是非おやめください。

学会員は、僧侶の皆さんを尊敬しようとしているし、お小僧さんも心から大切にしています。それだから、登山のたびに、お小僧さんたちに、ひもじい思いをさせてはならないと、苦しい生活費のなかから菓子や果物を買い、お届けしてきたのです。

しかし、あなたはそれを『余り物』と言い、学会員を悪く言う。それでは、あまりにも、学会員を愚弄(ぐろう)しているではありませんか。みんなの真心を踏みにじらないでいただきたいのです。

また、あなたは日頃から戸田先生や学会の青年部員に反感をいだき悪口を言っていると聞きましたが、そういうことも、おやめいただきたいのです。

もし、ご意見や批判があるのならばお伺いしますので、私に言ってください……

≪ナレーション1≫ 伸一は忍耐強く、噛んで含めるように所化頭の非をただした。真心をつくしての説得であった。

所化頭は、意固地になっていると見え、憮然(ぶぜん)とした態度を取りつづけていたが、次第にうなだれていった。

≪山本伸一≫ あなたのことは宗門にお任せしますが、私たちの思いをわかってください。

≪ナレーション1≫ やがて、それまで押し黙っていた所化頭の、「すいません……」という声が、かすかに聞こえたのであります。

≪ナレーション2≫ 三月二十九日の朝、山本伸一は、登山会の進行状況を戸田城聖に報告したのであります。

≪山本伸一≫ 先生、ご容体はいかがでしょうか

≪戸田城聖≫ …大丈夫だ。どうだ…総登山の様子は……

≪山本伸一≫ はい、すべて順調に進んでおります。
総登山もあと二日となりましたが、何も事故はございません。ご安心なさってください。

≪戸田城聖≫ そうか……、何も、問題はないか。青年たちは、皆、元気か……

≪山本伸一≫ はい、皆、元気でがんばっております。問題といえば、あまりに非道な僧侶がおりまして、私どもで反省を促(うなが)す意味から抗議をいたしました。

≪ナレーション2≫戸田は軽く眼を閉じて伸一の報告をきていたが、聞き終わると、さも残念そうな表情で語りはじめた。

≪戸田城聖≫ 情けないことだな……。これは、小さい事のようだが、……宗門の腐敗、堕落というじつに大きな問題をはらんでいるのだ。

なぜ、堕落が始まり、腐敗していくのか……。それは広宣流布という至上の目的に生きることを忘れているからなのだ。この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう。

残念なことだが……広宣流布を口にしながらも、多くの僧侶が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。

……つまり、欲望の虜(とりこ)となり、畜生の心に堕(だ)してしまっているのだ。
だから……自分より弱い立場の所化小僧などは、鬱憤(うっぷん)ばらしのオモチャとしか考えない……。
……学会員のことも、供養を運んでくる奴隷(どれい)ぐらいにしか思わず、威張(いば)り散らす者もいるのだ……。

 戦時中も、宗門は、保身のために法を曲げ、大聖人の御遺命(ごゆいめい)を破り、軍部政府に迎合(げいごう)した。
……そして、牧口先生と私が逮捕されるや、かかわりを恐れて、学会を登山停止したのだ。……私は、憤怒(ふんぬ)に血の涙を飲む思いだった。

……戦時中、大聖人の仏法は、外敵によってではなく、臆病(おくびょう)で、姑息(こそく)な、僧侶の保身によって滅ぼされようとしたのだ。

……そのなかで、厳然(げんぜん)と、大聖人の仏法の命脈(めいみゃく)を保ったのが、牧口先生であり、創価学会なのだ。……だから、大聖人の御精神は、ほんとうの、信仰は、学会にしかない。

もし、学会から離れるならば……大聖人の正義(しょうぎ)を踏みにじった、謗法の寺でしかなくなってしまう。

しかも……学会は、宗門が財政的基盤を失い、壊滅(かいめつ)の危機に瀕(ひん)しているのを、信心の赤誠(せきせい)をもって、お助けしてきた。
心ある僧侶は、それを感謝している。
しかし……なかには、学会の大発展に嫉妬(しっと)し、私に対して、反感をいだいている者もいる。

……私が、信心のあり方を厳しく言うものだから、眼のうえのタンコブのように思っているのだ。

でも、……私が生きているうちは、正面きって、とやかくいう者はおるまい。だが、私がいなくなれば……あとは、何をするか、わかったものではないぞ。

≪ナレーション2≫ 戸田は肩で大きく息をしながら話し続けた。その言葉は、息苦しさのためか、しばしば途絶えたが、ただならぬ気迫にあふれていたのであります。

≪戸田城聖≫ 衣(ころも)の権威で、学会を奴隷のように意のままに操(あやつ)り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。

……ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない……。
戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処(すみか)にならないとも、限らないのだ……。

しかし……、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。

≪ナレーション2≫ そして、戸田は、最後の力を振(ふ)り絞(しぼ)るように叫んだのであります。

≪戸田城聖≫ そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。

いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。

追撃の手をゆるめるな!

≪ナレーション2≫ それは、炎のような言葉であった。
瞬間、戸田の眼が燃え輝いた。
これが、彼の最後の指導であり、愛弟子(まなでし)への遺言となったのであります。

≪ナレーション1≫ このお話が、戸田先生の逝去の4月2日の直前の出来事でありましたことは、皆様ご存知のとおりであります。

 本日は、小説人間革命第12巻「寂光」の章などより、「戸田先生の最後の指導」と題しまして、黎明地区の、オールスターキャストでお送りいたしました。

4.2 そして 5.3と、創価のリズムを刻みながら、すべてに勝利していこうでは、ありませんか。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


長い寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ20文字×270行です。
印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。

所化頭事件については、「渡辺慈済著、日蓮正宗“落日の真相”(2001年2月16日発行、 第三文明社)」から多くを参照しました。
参考のため該当部分を掲載しました。



≪ナレーション1≫ 本日の寸劇人間革命は、「戸田先生の最後の指導」と題しましてお送りいたします。
時は、昭和33年・西暦1958年3月のお話。そうです。「広宣流布記念の日」3月16日の前後のお話であります。
≪ナレーション2≫ 毎日七千人、延べ二十万人の学会員が大石寺に参詣する慶祝登山を無事故で行うために、何度も宗門と学会の間で協議が、されたのであります。
≪山本伸一≫ 学会は、大講堂周辺の警備をさせていただきます。御僧侶方は、大講堂のなかを守ってください。この警備は、私たちも命懸けで青年部を中心に行います。
次に大事な事は、慶祝登山が終了するまで、禁酒を徹底していきましょう。御僧侶方全員に伝えてください。
学会の方は私が責任を持って徹底させます。
≪ナレーション2≫ ところが、いざ慶祝登山が始まってみると、この約束を破ったのは僧侶の方であった。そして酒浸りになって、不祥事を起こした僧侶が出たのである。
一度還俗(けんぞく)し、修行を、一からやり直していた、三十一才になる所化頭であった。
この所化頭は、毎晩、料亭に行っては酒を飲んでいた。そればかりか、日中も一升瓶を放さなかったのであります。
所化頭はやりたい放題だった。
酔っ払っては、警備をしている青年部に絡(から)んだ。
「俺は、本山で一番偉い所化頭だ! 酒を飲んで何が悪い!」
「お前たち学会は、アルバイトで大石寺にきているのだろう」
酔っ払ったまま、会合に押しかけた。
「俺に講義させろ!」
「お前たちは間違った指導をしている。俺が代わって指導してやる!」
多くが小中学生である、所化のお小僧さんいじめも、ひどかった。
朝の勤行でも、自分は酔っ払っていながら、お小僧さんには、罵声(ばせい)を浴(あ)びせ続けた。
「勤行のやり方がなってねえんだよ。いいか、だいたい、お前らはな……身延の山に行ってしまえ」
お小僧さんに届けられた、お菓子や果物も、気にくわない。
「信者から物をもらって喜ぶやつが、どこにいる。感謝なんかしなくてよい!」
学会の青年部は、これらの度重なる暴言も、僧侶にあるまじき行状についても、慶祝法要中であることや、僧俗和合のために、ひたすらじっと耐えていたのであります。
≪ナレーション1≫ 三月も末に迫った日のことであった。整理役員の青年が、早朝、あの問題の所化頭が、お小僧(こぞう)さんたちを怒鳴(どな)り散らしたあげく、大きな鈴(りん)を頭からかぶせて、鈴棒(りんぼう)で思いっきり叩(たた)くいる光景に出くわした。酒を飲んでいると見え、顔は異様に赤かった。
驚いた青年は、山本伸一にその模様(もよう)を伝えたのであります。
≪山本伸一≫ また、そんなことがあったのか。
≪青年部≫ 参謀室長、それだけじゃありません。
あの所化頭は、学会員という、信じられない虐待をしてがお小僧さんのために、持ってきた、各地の銘菓や果物に対して、『こんな余り物を』と吐き捨てるように言っているんです。16日に戸田先生を車駕(しゃが)にお乗せしたことについても、『総本山では乗りものは禁止されているのに、いい気になって、なんだ。』と罵(ののし)っています。もう、黙っているわけにはいきません。
≪ナレーション1≫ 山本伸一は宗門理事に事情を説明し、所化頭の反省・謝罪を求めなければならないと、判断したのであります。
≪山本伸一≫ あなたとの約束は、慶祝期間中は禁酒だったはずですね! しかし、あの所化頭は毎日酒を飲み、その上、学会の青年部をいじめぬき、今度はお小僧さんに暴行を加えた。これは許せません。
≪宗門理事≫まあまあ、もう少し穏便にしてくれませんか。
≪山本伸一≫ あなたが所化さんたちの教育係と聞いていたので、何回となく私はあの所化頭の愚行をやめさせてくださいと頼んだはずです。しかし、あなたは一度でも実行してくれましたか。もうあなたは信用できません。
≪宗門理事≫ よくわかりました。それでは、彼を呼んで反省を促し、謝罪をさせます。しばらくお待ちください!
≪ナレーション1≫ 所化頭は、いつもの料亭にいた。
なんと、押入れの中に隠れていた。あきれたことに、一升瓶を抱えすでに半分あけていたのであります。
すっかり泥酔して、フラフラしている所化頭に、青年部が謝罪を求めたのであります。
≪青年部≫あなたは僧侶として、大事な記念行事のさなかに、毎日、酒など飲んで恥ずかしいとは思わないのですか。
あなたは私たち青年部に何か恨(うら)みがあるのですか? はっきり言ってください。
(怒鳴りつける)…ちゃんと、質問に答えなさい!
≪山本伸一≫ まあ、待ちなさい
≪ナレーション1≫ 戸田が宗門の興隆(こうりゅう)のために、外護(げご)の赤誠(せきせい)を貫(つらぬ)いてきたことを嘲(あざ)笑うかのように、僧侶の腐敗、堕落は、限りなく進行していたのであります。
酔いをさますため、所化頭は、衣を脱ぐと川に入り、顔を洗いはじめた。戻ってくるのを待って、伸一は込み上げる激情をこらえ、諄々(じゅんじゅん)と諭(さと)すように語りはじめた。
≪山本伸一≫ いいですか。このたびの大講堂の落成は、日蓮正宗の七百年の歴史に輝く、晴れの壮挙なのです。その慶祝登山のさなかに、僧侶が朝から酒を飲んでいるようなことがあってよいのですか。しかもあなたはお小僧さんを不当にいじめている。鈴をかぶせて打つなどということは、修行でも、訓練でも、決してないはずです。暴力、暴言は、私どもとしても見過ごすわけにはいきません。是非おやめください。
学会員は、僧侶の皆さんを尊敬しようとしているし、お小僧さんも心から大切にしています。それだから、登山のたびに、お小僧さんたちに、ひもじい思いをさせてはならないと、苦しい生活費のなかから菓子や果物を買い、お届けしてきたのです。しかし、あなたはそれを『余り物』と言い、学会員を悪く言う。それでは、あまりにも、学会員を愚弄(ぐろう)しているではありませんか。みんなの真心を踏みにじらないでいただきたいのです。
また、あなたは日頃から戸田先生や学会の青年部員に反感をいだき悪口を言っていると聞きましたが、そういうことも、おやめいただきたいのです。もし、ご意見や批判があるのならばお伺いしますので、私に言ってください……
≪ナレーション1≫ 伸一は忍耐強く、噛んで含めるように所化頭の非をただした。真心をつくしての説得であった。
所化頭は、意固地になっていると見え、憮然(ぶぜん)とした態度を取りつづけていたが、次第にうなだれていった。
≪山本伸一≫ あなたのことは宗門にお任せしますが、私たちの思いをわかってください。
≪ナレーション1≫ やがて、それまで押し黙っていた所化頭の、「すいません……」という声が、かすかに聞こえたのであります。
≪ナレーション2≫ 三月二十九日の朝、山本伸一は、登山会の進行状況を戸田城聖に報告したのであります。
≪山本伸一≫ 先生、ご容体はいかがでしょうか
≪戸田城聖≫ …大丈夫だ。どうだ…総登山の様子は……
≪山本伸一≫ はい、すべて順調に進んでおります。
総登山もあと二日となりましたが、何も事故はございません。ご安心なさってください。
≪戸田城聖≫ そうか……、何も、問題はないか。青年たちは、皆、元気か……
≪山本伸一≫ はい、皆、元気でがんばっております。問題といえば、あまりに非道な僧侶がおりまして、私どもで反省を促(うなが)す意味から抗議をいたしました。
≪ナレーション2≫戸田は軽く眼を閉じて伸一の報告をきていたが、聞き終わると、さも残念そうな表情で語りはじめた。
≪戸田城聖≫ 情けないことだな……。これは、小さい事のようだが、……宗門の腐敗、堕落というじつに大きな問題をはらんでいるのだ。
なぜ、堕落が始まり、腐敗していくのか……。それは広宣流布という至上の目的に生きることを忘れているからなのだ。この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう。
残念なことだが……広宣流布を口にしながらも、多くの僧侶が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。……つまり、欲望の虜(とりこ)となり、畜生の心に堕(だ)してしまっているのだ。だから……自分より弱い立場の所化小僧などは、鬱憤(うっぷん)ばらしのオモチャとしか考えない……。
……学会員のことも、供養を運んでくる奴隷(どれい)ぐらいにしか思わず、威張(いば)り散らす者もいるのだ……。
 戦時中も、宗門は、保身のために法を曲げ、大聖人の御遺命(ごゆいめい)を破り、軍部政府に迎合(げいごう)した。
……そして、牧口先生と私が逮捕されるや、かかわりを恐れて、学会を登山停止したのだ。……私は、憤怒(ふんぬ)に血の涙を飲む思いだった。……戦時中、大聖人の仏法は、外敵によってではなく、臆病(おくびょう)で、姑息(こそく)な、僧侶の保身によって滅ぼされようとしたのだ。
……そのなかで、厳然(げんぜん)と、大聖人の仏法の命脈(めいみゃく)を保ったのが、牧口先生であり、創価学会なのだ。……だから、大聖人の御精神は、ほんとうの、信仰は、学会にしかない。
もし、学会から離れるならば……大聖人の正義(しょうぎ)を踏みにじった、謗法の寺でしかなくなってしまう。
しかも……学会は、宗門が財政的基盤を失い、壊滅(かいめつ)の危機に瀕(ひん)しているのを、信心の赤誠(せきせい)をもって、お助けしてきた。
心ある僧侶は、それを感謝している。しかし……なかには、学会の大発展に嫉妬(しっと)し、私に対して、反感をいだいている者もいる。
……私が、信心のあり方を厳しく言うものだから、眼のうえのタンコブのように思っているのだ。
でも、……私が生きているうちは、正面きって、とやかくいう者はおるまい。だが、私がいなくなれば……あとは、何をするか、わかったものではないぞ。
≪ナレーション2≫ 戸田は肩で大きく息をしながら話し続けた。その言葉は、息苦しさのためか、しばしば途絶えたが、ただならぬ気迫にあふれていたのであります。
≪戸田城聖≫ 衣(ころも)の権威で、学会を奴隷のように意のままに操(あやつ)り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。
……ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない……。
戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処(すみか)にならないとも、限らないのだ……。
しかし……、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない。
≪ナレーション2≫ そして、戸田は、最後の力を振(ふ)り絞(しぼ)るように叫んだのであります。
≪戸田城聖≫ そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。
追撃の手をゆるめるな!
≪ナレーション2≫ それは、炎のような言葉であった。瞬間、戸田の眼が燃え輝いた。これが、彼の最後の指導であり、愛弟子(まなでし)への遺言となったのであります。
≪ナレーション1≫ このお話が、戸田先生の逝去の4月2日の直前の出来事でありましたことは、皆様ご存知のとおりであります。
 本日は、小説人間革命第12巻「寂光」の章などより、「戸田先生の最後の指導」と題しまして、黎明地区の、オールスターキャストでお送りいたしました。
4.2 そして 5.3と、創価のリズムを刻みながら、すべてに勝利していこうでは、ありませんか。
以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




渡辺慈済 著 日蓮正宗“落日の真相”
(2001年2月16日発行 第三文明社) 

的場事件

昭和33年三月、大石寺に法華本門の大講堂が落成した。それまで大石寺は七堂伽藍の構えを欠いており、学会寄進の大講堂の完成は、大石寺がいよいよ七堂伽藍を備えた大寺院に発展しゆく大慶事であり、当時の柿沼庶務部長も「五百年前の三門寄進以来の一大供養だ」と述べた如く、この上ない喜びであり、画期的な出来事であった。
鉄筋コンクリート造り七階建て、大広間は七百畳もある宏壮な大堂宇である。実は、この大講堂建築の経緯は、昭和三十年十一月に奉安殿ができた時、戸田会長が、間髪おかず構想を示され、着手されたものだった。総本山外護のために矢継早に手を打たれる戸田先生の赤誠の一念には深い感動を覚えるばかりだが、この法華本門の大講堂の建設が始まると、比叡山延暦寺では法華迹門の大講堂が焼失するということもあった。
日淳上人は3月一日の落慶大法要で、「白亜七層乃楼閣はまさに是れ東海の偉観と云うべし。……此の大講堂に講経論壇の華さかず、説法講演の法鼓を打たずんば如何せん」と述べられ、いよいよ法華本門の真実をもって日本の仏教界を指導していくべき新時代の到来を告げられた。全山の僧侶が決意を新たにしたことは、いうまでもない。
法要後、直ちに戒壇の大ご本尊が大講堂に御遷座され、翌二日から一か月間、宗門始まって以来の二十万人の慶祝登山が挙行された。ところが、不心得にも、この慶祝期間中、酒浸りになって、揚げ句の果てに小僧さんの頭に大きな鈴を被せ鈴棒で叩いて虐待する不祥事などを起こし、大慶事を汚した僧侶が出たのである。所化頭の的場正順(まとばしょうじゅん)氏であった。

酒浸りだった所化頭・的場氏

この時ちょうど私は、菅野慈雲氏、早瀬義寛氏と三人で四月から一年間の大坊在勤になっており、大講堂落慶の慶事もあったので、一か月前の三月からすでに大坊の手伝いを始めていた。不思議な因縁だが、昭和二十七年の「狸祭り事件」の時と同様、私は内示部の手伝をしていた関係上、吉田理事から命じられ、現場に立ち会うことになったのである。
毎日七千人、延べ二十万人の学会員が大石寺に参詣する慶祝登山は大事業であった。これを無事故で行うために、運営上の問題として、式の進行、運営、輸送、整理、渉外、警備など、重要な案件は何度も宗門と学会の間で協議された。
二月末、最後の打ち合わせが内事部で行われ、この席には、内事部の吉田理事、学会からは池田先生が出席された。
この席で第一の議題は「警備問題」であった。なぜなら、この期間中、戒壇の大御本尊が奉安殿から大講堂に遷して御安置されるため、警備がことのほか重要だったのである。
池田先生は、この席で次のように話された。
大御本尊様を御守りすることが一番の根本です。そのために、学会は、大講堂周辺の警備をさせていただきます。御僧侶方は、大講堂のなかを守ってください。この警備は、私たちも命懸けで青年部を中心に行います。御僧侶方も真剣に警備をしてください。次に大事な事は、慶祝登山が終了するまで、禁酒を徹底して行きましょう。吉田理事におかれましては、御僧侶方全員に伝えてください。学会の方は私が責任を持って徹底させます-と。
とくに、禁酒の事項は、無事故を貫くうえでは大事なことであった。
ところが、いざ慶祝登山が始まってみると、この約束を破ったのは僧侶の方であった。そして多くの人に迷惑をかけたのが、的場氏である。
的場氏が通っていたのは、「美幸(みゆき)」である。現在も裏門を出たすぐそばに割烹・旅館としてある。的場氏は、毎晩この「美幸」に行っては酒を飲んでいた。所化頭は、早朝、六壷で行なう所化小僧の御経の導師を務めなければならないが、的場氏は御経の時にも、酔いが覚めぬまま、いつも酒気を漂わせていた。
当時、本山には、大村寿顕、青山聴瑩氏らが在勤していたが、的場氏はやりたい放題だった。その理由は、彼らが二十三、四歳なのに、的場氏は、三十一歳。七つも八つも年上で、出家したのも彼らが生まれる前の、昭和四年だった。一度還俗はしていたが、一日でも出家が早ければ、先輩として敬われるのが僧侶社会のしきたりである。こうして、毎晩飲んで来ては、警備をしてくれていた青年部員に対して、常軌を逸した言動を繰り返した。
「お前たちは、アルバイトで大石寺にきているのだろう」
「俺は、本山で一番偉い所化頭だ! 酒を飲んで何が悪い!」
酔っ払って、大声を出して絡んだのである。
三月といっても、大石寺は底冷えのする寒さだった。そのなかを不寝番の警備をしてくれるのに、「ご苦労様」という労いの言葉もなければ、感謝の気持ちもなかった。僧侶の側が、自らを貶め、恥ずべき行状をしていたのである。
当時、高校生で、所化として本山にいた小阪明英氏(京都・能栄寺)も、貴重な証言を私に語ってくれたことがある。その話によれば、的場氏は所化部屋で一升瓶を抱えて一日中飲んでいたという。夜ともなれば「美幸」に出かけた。そして、新しくできた大講堂で大事な講義や指導会が行われているところへ出向いて行き、「俺に講義させろ!」「お前たちは間違った指導をしている。俺が代わって指導してやる!」と、しゃしゃり出て、その都度、学会の大幹部や青年部の人になだめられ、やっとやめるという醜態で、皆に迷惑をかけていたという。
また、小僧いじめもひどかった。所化小僧を大切にされた戸田先生を見習って、登山してくる学会の人たちは、小僧さんへの御供養としてお菓子を持って来てくれた。それを的場氏は、「信者から物をもらって喜ぶ奴がどこにいる。感謝なんかしなくてよい!」と怒鳴りつけた。
朝の勤行でも、自分は酒気を帯びていながら、小僧さんには勤行の仕方が悪いと罵声を浴びせて叱ったりした。
とくに私が、的場氏のあまりの非道を許せなかったのは、3月十六日の記念式典で池田先生が真心を込めて戸田先生の乗る車駕を作ったことに対して、「猊下も本山では乗り物にはお乗りにならない。それなのに信者の分際でもってのほかだ!」と、戸田先生の宿坊となっていた理境坊に文句を言いに行ったことである。病床にある戸田先生のことを思えば、こんな馬鹿なことができはずはない。そんなことを平気で行うのも、自分は偉いんだという的場氏の増上慢からであった。
本来なら、慶祝期間中は本山では「禁酒」としたのだから、このような的場氏の行いについては、僧侶間で注意する問題であり、なかでも、お仲居だった八木直道氏(八木信瑩氏の養父)には、厳しく取り締まる監督責任があった。ところが、それができなかったのは、ほとんどの僧侶が内緒で寝酒をしていたからである。
学会の青年部は、的場氏の度重なる暴言も、僧侶にあるまじき行状についても、慶祝法要中であることや、僧俗和合のために、ひたすら耐えていた。

小僧さんの頭に鈴を被せ虐待

そうしたなか、あと少しで慶祝登山も終わろうとした三月下旬、事件が起こったのである。客殿では青年部の人が、六壷では所化小僧が朝の勤行を行なっていた。ところが、的場氏は勤行中に、まだ小学生だった小僧さんの頭に、大きな大鈴を載せて、上から鈴棒で叩いたのである。やられたのは、後に正信会に行った高橋秀正という小僧さんであった。
青年部の人たちが、すぐその場に駆け付けた。
的場氏が「お前は誰だ!」と怒鳴ると、「学会の青年部だ」と。すると、的場氏は「小僧が勤行の時、居眠りをしていたから、活を入れたんだ!」と言い捨て、一目散にその場から去っていった。すでに的場氏も、毎日酒を飲んで繰り返す行状は、自分でもまずいと感じていたのである。
禁酒の約束を破り、酔っ払って青年部や小僧さんに対して行なわれた度重なる的場氏の暴言や暴行は、学会でも当初から問題になっていたと思う。しかし、事ここに至り、三月二十七日の午前九時頃、池田先生が内事部に来られ、吉田理事に厳しい口調で話をされた。
-あなたとの約束は、慶祝期間中は禁酒だったはずですね! しかし、的場氏は毎日酒を飲み、その上、学会の青年部をいじめぬき、今度は小僧さんに暴行を加えた。これは許せません。
側にいた八木お仲居が「もう少し穏便にしてください」と依頼したが、池田先生は、あなたが所化さんたちの教育係と聞いていたので、何回となく私は的場氏の愚行をやめさせてくださいと頼んだはずです。しかし、あなたは一度でも実行してくれましたか。もうあなたは信用できません。私は吉田理事に頼んでいるのです、と言われたのである。
その毅然とした態度に、吉田理事は、「よくわかりました。ここでは目立ち過ぎます。六壷でお待ちください!」と言って、すぐに、隣の内事部番部屋にいた私を呼んで、「君も聞こえていたと思うが、的場を至急探して、内事部に連れてくるように!」と指示したのである。

「美幸」の押入れに隠れていた的場氏

的場氏がいつも入り浸っているのは「美幸(みゆき)」である。
私はすぐさま「美幸」に向かった。女将さんに尋ねると、「的場さんは夜には来るが、昼間は来ませんよ」と不安げに言う。私が、「もし、的場さんが居るのなら、私に会わせてください。さもなくば、何百人の学会の青年部が押しかけて来ますよ」と脅すように言うと、仕方なく奥の押入れに案内した。襖を開けると、そこには的場氏が隠れていたのである。
酒に逃げている的場氏は、一升瓶を抱えすでに半分あけていた。
相手は三十一歳になる先輩ではあったが、「的場さんには奥さんも子供もいるでしょう。その家族を守るためには、今、青年部に謝罪するしか道はないのです。家族のみでなく、日淳猊下にも類を及ぼすのですよ! 私が側についていて、絶対に暴力は振るわせません。さあ、いきましょう」と促した。的場氏はしぶしぶ立ち上がり、よろめく足取りで私と一緒に六壷に向かった。
六壷では、池田先生と十人ほどの青年部の代表が待っていた。
青年部は、“謝れ”と言う。一か月近くいじめられた青年部にとしては当然のことだった。池田先生は、尊い慶祝登山のさなかに、朝から僧侶が酒を飲んでいていいのですか、と問われた。そう言われても、的場氏は虚ろな目で足元はフラフラしている。
また、青年部の一人が言った。「あなたは私たち青年部に何か恨みがあるのですか? はっきり言ってください」。 しかし的場氏は私の後ろに隠れるだけで、謝らない。
こうしたことが繰り返され、一般の参詣者も何事かと集まってきた。ちょうど御開扉の時間とも重なり、日淳上人が近くを通られる。
そこで、人目につかないように、場所を移すことにし、私は「川に入って酔いをさませ、その上で謝らせたい。私一人では大変だからもう一人連れて行きます」とい言って、同僚の菅野慈雲氏に付いて来てもらい、御塔川(潤井川)の河原に行ったのである。
ここでも、的場氏は不貞腐れた態度で、謝ろうともしなかった。青年部から問い詰められても、一向に埒があかない。まず、酔いを醒ましてからでなければ、事は進まない。そこで御塔川で顔を洗うことになり、私が手伝って、的場氏の衣を預かり、顔を洗わせたのである。
戻ってきた的場氏に対して、池田先生は諭すように言った。
-大講堂の落慶は日蓮正宗の七百年の歴史に輝く晴れの壮挙なのです。そのさなかに、僧侶が朝から酒を飲んでいるようなことがあってよいのですか。しかもあなたは、小僧さんを不当にいじめている。鈴を被せて打つなどということは、修行ではありません。また、あなたは日頃から戸田先生や青年部に反感を抱き悪口を言っていると聞きましたが、そういうことはおやめください。もし、意見や批判があるのなら、私に言ってください。
ようやく、的場氏も、「すいません」と小声で謝り、事件は収まったのである。

師僧・崎尾正道氏が悪影響

慶祝登山を汚したこの事件は、酒浸りになって、青年部に悪態をつき、小僧さんを叱り飛ばす的場氏自身の言動に原因があった。的場氏は昔、還俗していた時に、トラックの運転手など職を転々として、酒なしで日々を過ごせなくなっていた。本山で所化頭を終えた後も、帯広・法広寺、鳥取・日香寺の住職となり、平成二年に鳥取で亡くなったが、その間の行状をずっと見ていても、酒で身を滅ぼしたとしか言いようがない。
また的場氏が、学会青年部を見下すような言動を平気で行なったのは、師僧に大きく影響されたものと思う。
彼の師僧は、尾崎正道氏である。尾崎氏は大阪・蓮華寺の住職で、二百年も続いた蓮華寺に比べれば、学会は新参者と見下していた。信徒のくせに生意気だと、学会に対する嫉妬と反感を持っていた。昭和三十年一月、突如、それまで学会員に下付したご本尊をすべて返却せよと迫った蓮華寺事件は有名である。
蓮華寺の総代には、総本山にも御供養をしてきた有力檀家N氏がいた。ところが、大阪の学会の白木氏を中心とした大折伏で、毎日、蓮華寺に大勢の御受戒者が訪れる躍進ぶりに恐れをなし、このままでは学会に寺が乗っ取られると危機感を抱いたのである。
そこで、御本尊返却を迫る事件を起こしたわけであるが、大聖人は一切衆生救済のために御本尊を顕されたのに、その慈悲の発露であるご本尊を脅しの道具に使うというのは、本末転倒の極みというほかない。今の日顕も同じだが、それほど学会を憎しみで見ていた。
 こんな師僧のもとでは、的場氏が学会に対する感謝の気持ちなど持てるはずがなかった。一度還俗して、再び僧籍に復帰したのも、僧侶に戻った方が食べていかれると思ったからで、純粋な求道心などまったくなかった。所化頭に任じられたのも、彼と同世代に得度していた者はほとんど住職になっていて、所化小僧からやり直させるのは酷だと、日淳上人が配慮されたからである。そうしたことも分からず、師匠譲りの反学会感情で、こんな不祥事を起こしてしまったのである。

昭和五十二年には週刊誌に嘘の作り話

的場氏はこの事件を契機にして、自分の行躰を心底反省し、再出発すべきであった。しかし、かれはそうせず、かえって学会に対する怨念を深くいだいたのである。
 それから二十年後、正信会の問題の時、昭和五十二年九月一日号の「週刊文春」に登場し、自分が引き起こした事件を学会青年部にリンチされた事件だとすり替えて、“僧侶リンチ事件”として池田先生の攻撃につかったのである。
 記事では「M師を青年部員が数人がかりでかつぎあげて御塔川に放り込んだ。(中略)罵声を浴びせては代わるがわるM師に馬乗りになって、顔を水の中につっ込む」などと書かれているが、作り話もいいところである。本当に放りこまれていたのなら、御塔川は水の流れも浅く大きな石がゴロゴロしており、大ケガをしていたはずである。そんな事実がなかったこと自体、デッチあげであることは明白である。的場氏は酔っていたので、私が手伝って川で顔を洗わせ、酔いをさまさせたのである。
この週刊誌騒ぎの時、当事者として、吉田善誠渉外部長も、「聖教新聞」(昭和五十二年8月二十七日付け)に次のようなコメントを出している。
「“M氏を御塔川に放り込んだ云々”というくだりに至っては、全く事実と異なっている。私は当時、大石寺理事をしており、この時のことは、一部始終知っているが、およそリンチといわれるような出来事は全くなかったことは断言できます」

作り話を蒸し返した竜年光

ところが、それからさらに十四年後、日顕の今回の問題が起こった直後、今度は竜年光が同じ話を蒸し返し、「週間文春」平成三年五月三十日号に、学会中傷の記事を出したのである。
これは、「的場氏が妙信講裁判の際に証拠資料として提出した手記」をもとに、竜年光が書いたというものである。もちろん、竜年光は裁判の当事者ではないのだから、こんな裁判資料を持っているわけがなく、日顕や宗門が裏で関係して、書かせたのである。しかし、もともと、的場氏の手記自体が嘘を織り交ぜたものであり、そんなものをもとにしても、真実が描けるはずがない。
「(的場師を)青年部員たちに担ぎ上げさせて、境内にある潤川の川原まで、二十人ほどで行列を組んで運んで行った」「裸になった的場師を青年部員に担ぎ上げさせ、冷たい水の中に頭を何度も押し込ませた」などと、あたかも的場氏が青年から暴行を受けたかのように書いてあるが、まったくの嘘である。彼は歩いて移動したし、自分で顔を洗ったのである。第一、この記事は、的場氏が酒浸りで、酔っ払って起こした不祥事が発端だったことをまったく書かないで隠しており、それ一つ取ってみても、いかに歪曲された記事であるか明らかなのである。
「狸祭り事件」にしても「的場事件」にしても、すべて同じ方程式である。宗門にとって都合の悪いことは、全部覆い隠してなかったことにし、他に責任をなすりつけてしまうのである。本当の原因、真実の経過については口を噤み、自分たちに都合がいいように話を作り上げ、流布する。これが昔からの宗門の悪しき体質なのである。

(引用ここまで、的場事件の章、全部です。)
入力ミスありましたら、お詫びいたします。
「所化」と入力すべきところを、「所家」と入力した箇所が多数ありました。申し訳ありませんでした。


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