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創立記念日,11.18にまつわるお話

我いま仏の 旨をうけ
 妙法流布の 大願を
高くかかげて 独り立つ
 味方は少なし 敵多し

誰をか頼りに 闘わん
 丈夫の心 猛けれど
広き戦野は 風叫ぶ
 捨つるは己が 命のみ

捨つる命は 惜しまねど
 旗持つ若人 何処にか
富士の高嶺を 知らざるか
 競うて来たれ 速やかに


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創価学会の歴史を学ぼう・任用試験勉強会シリーズ・その2
この寸劇人間革命は任用試験の勉強会の時に上演されることを想定して作成しました。


≪ナレーションA≫それでは寸劇人間革命のコーナーです。

昭和5年1930年11月18日、初代会長牧口常三郎先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されました。

そうです。本日は創価学会の創立記念日・11.18のお話であります。

≪ナレーションB≫ 創価教育学会の活動が活発になった当時、座談会にも特高警察が同席して目を光らせる、軍国主義一色(いっしょく)の時代になったのであります。

「天照大神(てんしょうだいじん)の神札(かみふだ)」を拝(おが)まぬものは国賊(こくぞく)とされ、反戦思想の危険人物とされたのです。

しかし折伏、弘教の戦いは、神札を謗法払(ほうぼうばら)いして、着実に進められていったのであります。

≪ナレーションA≫ 昭和18年1943年6月27日、学会の幹部は日蓮正宗総本山大石寺に登山を命ぜられた。

≪本山僧侶≫ 時節がら、総本山においても、神札を、受けることにした。
全国の寺院に対しても、徹底する。

そこで、創価学会でも、神札を受けるように申しわたす。

≪牧口常三郎≫ 時(とき)の貫首(かんず)為(た)りと雖(いえど)も仏法に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)えば之(これ)を用(もち)う可(べ)からざる事(御書P1618)とあるではないか。

承服(しょうふく)いたしかねます。神札は、絶対に受けません。

いまだかつて創価学会は、総本山に、何ひとつご迷惑を、かけておらぬでは、ありませんか。

≪本山僧侶≫ いやいや、創価学会が謗法払いで、神札を焼いておるのは、日蓮正宗の指導によるものだと、警察に告訴状がでているのですぞ。

≪牧口常三郎≫ 神札は、絶対に受けません。

≪ナレーションA≫ 牧口会長は、こう言い切って、総本山を、後にしたのであります。

≪牧口常三郎≫ 私が嘆くのは、一宗(いっしゅう)が滅びることではない。
一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。宗祖日蓮大聖人の悲しみを私はひたすら恐れるのだ。

今こそ国家諫暁(かんぎょう)の秋(とき)ではないか。
宗門は、いったい、何を恐れているのだろう?

戸田君、君はどう考える?

≪戸田城聖≫ 先生、戸田は命をかけて戦います。
何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生の、お供をさせていただきます。

≪ナレーションB≫ 牧口は、一、二度うなずいて、はじめてニッコリと笑いかけた。
そして、この日から十日とたたぬうちに、二人は逮捕されたのである。

権力の弾圧に恐れをなした宗門は、あわてて創価学会の総本山への登山を禁止し、信徒除名処分としたのです。

日蓮正宗は、大聖人の仏法を唯一、守った牧口先生を切り捨てたのであります。

≪ナレーションA≫ 逮捕されてから一年四ヶ月。
昭和19年11月18日― 牧口会長は東京拘置所で逝去したのであった。

奇(く)しくも、創価教育学体系の出版から、ちょうど14年の歳月が、流れていたのです。

≪ナレーションB≫ それから一年、昭和20年1945年11月18日、牧口常三郎の一周忌が営まれることになった。

集まったのは、親族のほかに、わずかに二十数名の門下の弟子であった。

かつて三千名をかぞえた創価教育学会員は、今、牧口会長の一周忌法要というのに、これだけしか、集まることが、できなかったのであります。

≪戸田城聖≫ 忘れもしない今年一月八日、私は取り調べの判事(はんじ)から、突然「牧口は死んだよ」と聞かされたのであります。

私は独房(どくぼう)に帰って、ただ涙にかきくれました。
この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。

先生は、死して、獄門(ごくもん)を出られた。不肖(ふしょう)の弟子の私は、生きて獄門を出た。私がなにを、なさねば、ならぬかは、それは自明(じめい)の理であります。

話に聞いた地湧(じゆ)の菩薩は、どこにいるのでもない。

実にわれわれなのであります。

私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶものであります。
広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。
地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
先生―先生の真(しん)の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧(ささ)げ、先生のもとにまいります。

今日よりは、安らかにお休みになってください。

≪ナレーションB≫ 法要の帰り道、戸田は未来への決意を心に秘めて、自作の詩を一人、静かに歌ったのであります。

≪戸田城聖≫ (“同志の歌”ゆっくりと朗読)

我(われ)いま仏の 旨(むね)をうけ
 妙法流布(るふ)の 大願を
高くかかげて 独(ひと)り立つ
 味方は少なし 敵多し

誰(だれ)をか頼(たよ)りに 闘(たたか)わん
 丈夫(じょうぶ)の心 猛(たけ)けれど
広き戦野(せんや)は 風叫(さけ)ぶ
 捨(す)つるは己(おの)が 命のみ

捨つる命は 惜(お)しまねど
 旗(はた)持つ若人(わこうど) 何処(いずこ)にか
富士の高嶺(たかね)を 知らざるか
 競(きそ)うて来たれ 速(すみ)やかに

≪ナレーションA≫ 
本日は、小説「人間革命」第1巻「一人立つ」の章、などから、『創立記念日,11.18にまつわるお話』を、任用試験受験予定者のオール スター キャストで、お送りいたしました。

以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。
この寸劇人間革命の分量はおおよそ、20文字×130行です。

印刷用に空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひご活用ください。
img028.jpg

フォント_11ポイント  段数_2   文字数_27   行数_52
A4 余白、上下左右5mm



≪ナレーションA≫それでは寸劇人間革命のコーナーです。
昭和5年1930年11月18日、初代会長牧口常三郎先生の30年に及ぶ研究・思索・実践の結晶として「創価 教育学 体系 第一巻」が発刊されました。
そうです。本日は創価学会の創立記念日・11.18のお話であります。
≪ナレーションB≫ 創価教育学会の活動が活発になった当時、座談会にも特高警察が同席して目を光らせる、軍国主義一色(いっしょく)の時代になったのであります。「天照大神(てんしょうだいじん)の神札(かみふだ)」を拝(おが)まぬものは国賊(こくぞく)とされ、反戦思想の危険人物とされたのです。しかし折伏、弘教の戦いは、神札を謗法払(ほうぼうばら)いして、着実に進められていったのであります。
≪ナレーションA≫ 昭和18年1943年6月27日、学会の幹部は日蓮正宗総本山大石寺に登山を命ぜられた。
≪本山僧侶≫ 時節がら、総本山においても、神札を、受けることにした。全国の寺院に対しても、徹底する。そこで、創価学会でも、神札を受けるように申しわたす。
≪牧口常三郎≫ 時(とき)の貫首(かんず)為(た)りと雖(いえど)も仏法に相違(そうい)して己義(こぎ)を構(かま)えば之(これ)を用(もち)う可(べ)からざる事(御書P1618)とあるではないか。
承服(しょうふく)いたしかねます。神札は、絶対に受けません。いまだかつて創価学会は、総本山に、何ひとつご迷惑を、かけておらぬでは、ありませんか。
≪本山僧侶≫ いやいや、創価学会が謗法払いで、神札を焼いておるのは、日蓮正宗の指導によるものだと、警察に告訴状がでているのですぞ。
≪牧口常三郎≫ 神札は、絶対に受けません。
≪ナレーションA≫ 牧口会長は、こう言い切って、総本山を、後にしたのであります。
≪牧口常三郎≫ 私が嘆くのは、一宗(いっしゅう)が滅びることではない。一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。宗祖日蓮大聖人の悲しみを私はひたすら恐れるのだ。
今こそ国家諫暁(かんぎょう)の秋(とき)ではないか。
宗門は、いったい、何を恐れているのだろう?
戸田君、君はどう考える?
≪戸田城聖≫ 先生、戸田は命をかけて戦います。
何がどうなろうと、戸田は、どこまでも先生の、お供をさせていただきます。
≪ナレーションB≫ 牧口は、一、二度うなずいて、はじめてニッコリと笑いかけた。
そして、この日から十日とたたぬうちに、二人は逮捕されたのである。
権力の弾圧に恐れをなした宗門は、あわてて創価学会の総本山への登山を禁止し、信徒除名処分としたのです。
日蓮正宗は、大聖人の仏法を唯一、守った牧口先生を切り捨てたのであります。

≪ナレーションA≫ 逮捕されてから一年四ヶ月。
昭和19年11月18日― 牧口会長は東京拘置所で逝去したのであった。
奇(く)しくも、創価教育学体系の出版から、ちょうど14年の歳月が、流れていたのです。
≪ナレーションB≫ それから一年、昭和20年1945年11月18日、牧口常三郎の一周忌が営まれることになった。
集まったのは、親族のほかに、わずかに二十数名の門下の弟子であった。
かつて三千名をかぞえた創価教育学会員は、今、牧口会長の一周忌法要というのに、これだけしか、集まることが、できなかったのであります。
≪戸田城聖≫ 忘れもしない今年一月八日、私は取り調べの判事(はんじ)から、突然「牧口は死んだよ」と聞かされたのであります。
私は独房(どくぼう)に帰って、ただ涙にかきくれました。
この世に、これほどの悲しみがあろうとは、思いもかけないことでありました。
先生は、死して、獄門(ごくもん)を出られた。不肖(ふしょう)の弟子の私は、生きて獄門を出た。私がなにを、なさねば、ならぬかは、それは自明(じめい)の理であります。
話に聞いた地湧(じゆ)の菩薩は、どこにいるのでもない。
実にわれわれなのであります。
私は、この自覚に立って、今、はっきりと叫ぶものであります。
広宣流布は、誰がやらなくても、この戸田が必ずいたします。地下に眠る先生、申し訳ございませんでした。
先生―先生の真(しん)の弟子として、立派に妙法流布にこの身を捧(ささ)げ、先生のもとにまいります。今日よりは、安らかにお休みになってください。

≪ナレーションB≫ 法要の帰り道、戸田は未来への決意を心に秘めて、自作の詩を一人、静かに歌ったのであります。

≪戸田城聖≫ (“同志の歌”ゆっくりと朗読)
我(われ)いま仏の 旨(むね)をうけ
 妙法流布(るふ)の 大願を
高くかかげて 独(ひと)り立つ
 味方は少なし 敵多し

誰(だれ)をか頼(たよ)りに 闘(たたか)わん
 丈夫(じょうぶ)の心 猛(たけ)けれど
広き戦野(せんや)は 風叫(さけ)ぶ
 捨(す)つるは己(おの)が 命のみ

捨つる命は 惜(お)しまねど
 旗(はた)持つ若人(わこうど) 何処(いずこ)にか
富士の高嶺(たかね)を 知らざるか
 競(きそ)うて来たれ 速(すみ)やかに

≪ナレーションA≫ 
本日は、小説「人間革命」第1巻「一人立つ」の章、などから、『創立記念日,11.18にまつわるお話』を、任用試験受験予定者のオール スター キャストで、お送りいたしました。
以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




以前に作成したものを、任用試験勉強会用に作り直しました。
以前に作成したものは、 ここをクリック


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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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