東京オリンピックのお話

伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴な笑みが、満面に広がったのであります。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

伸一はその笑顔に胸を打たれた。
心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。
バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。


tkyo_02.jpg



≪ナレーションA≫ 時は昭和39年、西暦1964年10月11日、早朝。

そうです。

あの東京オリンピック開会式の翌日であります。

場所は、なんと、東ヨーロッパのチェコスロバキアの首都プラハのバーツラフ広場であります。

山本伸一が、ふと建物の壁を見ると、そこには、東京オリンピックのポスターが張ってあったのであります。

≪ナレーションB≫ しばらく、その前にたたずんでいると、背後に人の気配がした。

振り向くと、長身の青年が立っていた。25、6歳であろうか。

黙って、無表情に、伸一を見ていた。

しかし伸一が、微笑みを浮かべ、会釈をすると、青年の目にかすかに光が差した。

伸一は、オリンピック記念の百円銀貨がポケットに何枚かあったことを思い出し、青年に贈ろうと、
その一枚を差し出したのであります。


≪山本伸一≫ 硬い表情の青年だな。

そうだ、待てよ。

記念の100円銀貨があったはずだ。
はい、これは私からのプレゼントですよ。

≪プラハの青年≫ なんだ?
この変な東洋人は。
にやにやして気色わるいな。

え?何だよ、何だよ。
なにこれ?

何のコインだろう?
100?

どれどれ。
どれどれ。

オーッ!

これはオリンピックのコインじゃないか。

そうか、わかったぞ。
この東洋人は東京から来た、日本人なんだ。

このコインはいくらするんだろう?
えーと、ペラペラ。

こまった。言葉がつうじない!

tkyo_04.jpg

≪ナレーションB≫ そして、青年は、ポケットから財布を出すと、何か話しはじめた。

どうやら、この硬貨の代金を聞いているようであった。

伸一は、まず、自分の胸を指さして、それから、その指を、青年の胸に向けて言った。

≪山本伸一≫ これは、私からあなたへのプレゼントですよ!

≪プラハの青年≫ もらっていいの?

≪ナレーションB≫ 不思議そうな青年の顔は、そう語っていた。

伸一はにっこりと、頷(うなず)いたのであります。


≪プラハの青年≫ え!本当に!ありがとう。

それにしても、何てやさしそうな、きれいな目をしているんだろう。

≪ナレーションB≫ 伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴(じゅんぼく)な笑みが、満面に広がったのであります。

≪プラハの青年≫ うれしな。うれしいな。

世の中にこんな人がいるなんて。

ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。

≪ナレーションB≫ 伸一はその笑顔に胸を打たれた。

心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。


池田先生は2005年2月、「随筆人間人間世紀の光(69)」の中で次のように綴っています。

≪随筆朗読≫ 私が、東欧に第一歩を印したのは、もう40年も前の1964年の10月である。
 アジア、欧州を回るなか、チェコスロバキア(当時)の首都プラハに立った。

 私は、世界広布の決意を、一生の信念として固く抱いていた。

 しかし当時は、学会の幹部まで嘲笑(あざわら)っていた。いわんや、多くのマスコミも知識階層も、皆、笑っていたようである。

 初めての共産圏。正直に言って、雰囲気は、決して明るいものではなかった。

 しかし、社会体制が異なっても、住むのは同じ人間である。心を開いて語り合えば、必ず共感が生まれてくるはずだ。

 それが、私の行動の信条であったのだ。世界広布の歴史を残す、私の深い決意の断行であったのである。 私は、行く先々で、市民と触れ合い、語りあった。

 プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。

バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」―彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。

≪ナレーションA≫ 人間主義の鼓動が高まる1992年の1月、チェコスロバキアとポーランドに、旧東欧で最初のSGI支部が誕生したことは皆様ご存知のとおりです。

 本日は、小説・新人間革命第9巻・「光彩(こうさい)」の章より、「東京オリンピックのお話を」、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。

 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


この寸劇人間革命を最後まで読んでいただきありがとうございます。


プラハの青年のセリフの多くは、管理人の作文です。
ただし「法華経の知恵、第4巻、P150」にある、次の表現を借用いたしました。
「世の中にこんな人がいるなんて」「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」

 この寸劇人間革命の分量は、おおよそ、20文字×105行です。

原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備しました。
ぜひ、ご活用ください。




≪ナレーションA≫ 時は昭和39年、西暦1964年10月11日、早朝。
そうです。
あの東京オリンピック開会式の翌日であります。
場所は、なんと、東ヨーロッパのチェコスロバキアの首都プラハのバーツラフ広場であります。
山本伸一が、ふと建物の壁を見ると、そこには、東京オリンピックのポスターが張ってあったのであります。
≪ナレーションB≫ しばらく、その前にたたずんでいると、背後に人の気配がした。
振り向くと、長身の青年が立っていた。25、6歳であろうか。
黙って、無表情に、伸一を見ていた。
しかし伸一が、微笑みを浮かべ、会釈をすると、青年の目にかすかに光が差した。
伸一は、オリンピック記念の百円銀貨がポケットに何枚かあったことを思い出し、青年に贈ろうと、その一枚を差し出したのであります。

≪山本伸一≫ 硬い表情の青年だな。
そうだ、待てよ。
記念の100円銀貨があったはずだ。
はい、これは私からのプレゼントですよ。
≪プラハの青年≫ なんだ?
この変な東洋人は。
にやにやして気色わるいな。
え?何だよ、何だよ。
なにこれ?
何のコインだろう?
100?
どれどれ。
どれどれ。
オーッ!
これはオリンピックのコインじゃないか。
そうか、わかったぞ。
この東洋人は東京から来た、日本人なんだ。
このコインはいくらするんだろう?
えーと、ペラペラ。
こまった。言葉がつうじない!
≪ナレーションB≫ そして、青年は、ポケットから財布を出すと、何か話しはじめた。
どうやら、この硬貨の代金を聞いているようであった。
伸一は、まず、自分の胸を指さして、それから、その指を、青年の胸に向けて言った。
≪山本伸一≫ これは、私からあなたへのプレゼントですよ!
≪プラハの青年≫ もらっていいの?
≪ナレーションB≫ 不思議そうな青年の顔は、そう語っていた。
伸一はにっこりと、頷(うなず)いたのであります。
≪プラハの青年≫ え!本当に!ありがとう。
それにしても、何てやさしそうな、きれいな目をしているんだろう。
≪ナレーションB≫ 伸一のささやかな好意が伝わったのであろうか、次の瞬間、青年の顔には、子供のような純朴(じゅんぼく)な笑みが、満面に広がったのであります。
≪プラハの青年≫ うれしな。うれしいな。
世の中にこんな人がいるなんて。
ジェクユバーム。ジェクユバーム。
ありがとう、ありがとう。
≪ナレーションB≫ 伸一はその笑顔に胸を打たれた。
心の窓が開かれて、生き生きとした「人間」の顔が現れたような気がしたのであります。

池田先生は2005年2月、「随筆人間人間世紀の光」の中で次のように綴っています。
≪随筆朗読≫ 私が、東欧に第一歩を印したのは、もう40年も前の1964年の10月である。
 アジア、欧州を回るなか、チェコスロバキア(当時)の首都プラハに立った。
 私は、世界広布の決意を、一生の信念として固く抱いていた。
 しかし当時は、学会の幹部まで嘲笑(あざわら)っていた。いわんや、多くのマスコミも知識階層も、皆、笑っていたようである。
 初めての共産圏。正直に言って、雰囲気は、決して明るいものではなかった。
 しかし、社会体制が異なっても、住むのは同じ人間である。心を開いて語り合えば、必ず共感が生まれてくるはずだ。
 それが、私の行動の信条であったのだ。世界広布の歴史を残す、私の深い決意の断行であったのである。 私は、行く先々で、市民と触れ合い、語りあった。
 プラハのホテルのロビーで、東京五輪の映像に見入っていた人びと。バーツラフ広場で出会った、あの「凛々しき青年」――彼らの笑顔は、今でも忘れることができない。
≪ナレーションA≫ 人間主義の鼓動が高まる1992年の1月、チェコスロバキアとポーランドに、旧東欧で最初のSGI支部が誕生したことは皆様ご存知のとおりです。
 本日は、小説・新人間革命第9巻・「光彩(こうさい)」の章より、「東京オリンピックのお話を」、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。
 以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。


tkyo_01.jpg



関連記事

テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

コメント

コメントの投稿


 管理者にだけ表示を許可する

Page top