七つの鐘・そして五月三日のお話

問題はこれからだよ。あと7年でどこまでやるかだ。
急がねばならんのだよ。
伸一、あと7年で、300万世帯までやれるか?

はい、成就いたします。
ますます勇気がわきます。
私は先生の弟子です。
先生の御構想はかならず実現してまいります。
御安心ください。

そうか。
伸一の手で、どこまでできるかな。
一千万人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。
楽しみだな、ほんとうに楽しみだ・・・・・・

SBSH1846.jpg


≪寸劇係長≫ 皆さんこんばんは。好評の寸劇人間革命のコーナーです。
  本日は、『七つの鐘』のお話です。
  ナレーションが2人になってますので、≪ナレーションA≫を○○さん。
  ≪ナレーションB≫を○○さん、お願いします。
  戸田先生は、やはり壮年部の○○さんにお願いします。
  山本伸一のセリフが、今回、たくさんあります。
  6回もありますので、前半の3回を、○○さん。
  後半の3回は、男子部の○○さんにお願いします。
  以上、配役が決まりましたので、よろしくお願いします。


≪ナレーションA≫ 昭和33年1958年2月10日。伸一は関西の状況を、戸田に報告したのであります。

≪戸田城聖≫ よし。関西は完璧に仕上がったな。

これで日本の広布の基盤は調ったといってよいだろう。さて、問題はこれからだよ。あと7年でどこまでやるかだ。

 急がねばならんのだよ。伸一、あと7年で、300万世帯までやれるか?

≪ナレーションA≫ 彼は熟慮(じゅくりょ)の末に、壮大な広布の展望を練(ね)り上げたのです。

だが、それを成すのは戸田自身ではないことも、彼は悟らざるをえなかった。

自らの寿命の、ながからぬことを、戸田は覚知(かくち)していたのです。

≪山本伸一≫ はい、成就(じょうじゅ)いたします。

ますます勇気がわきます。

私は先生の弟子です。先生の御構想はかならず実現してまいります。

御安心ください。

≪戸田城聖≫ そうか。うん。うん。

 伸一の手で、どこまでできるかな。

一千万人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。

楽しみだな、ほんとうに楽しみだ・・・・・・

≪ナレーションA≫ 伸一は、その言葉を遺言(ゆいごん)として心に焼きつけた。

師から生涯の大指針を示されたのだと思うと、胸が高鳴るのを覚えたのであります。


≪ナレーションB≫ 4月2日。戸田先生が逝去。

山本伸一は、その日の日記に、次のように、記(しる)したのであります。


≪山本伸一≫ 嗚呼(ああ)、四月二日。

この日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。

・・・・・・妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。

しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。

われは立つ。


≪ナレーションB≫ 伸一は、創価学会の新たな出発のために何が必要かを、考え続けていた。

伸一は、戸田が生前、「学会は七年ごとに大きな歩みを刻(きざ)んでいくのだ。」と、しばしば語っていた事を知っていた。

また「七年を一つの区切りとして広布の鐘(かね)を打ち、『七つの鐘』を鳴らそう!」と語っていた事が思い出された。

≪山本伸一≫ 牧口常三郎と戸田城聖の手によって、創価教育学会が創立されたのは、昭和5年11月18日である。

そして、7年後にあたる昭和12年には、創価教育学会の発足(ほっそく)式が行われている。

そして、7年後の昭和19年11月18日には、牧口が獄死。それから7年後の26年5月3日には、戸田が第二代会長に就任している。

以来、7年を経て、戸田は願業(がんぎょう)をことごとく成就し、逝去した。不思議な時の一致といってよい。

昭和5年に、第一の広布の鐘が打ち鳴らされたとすれば、すでに、第4の鐘が鳴り終わったことになる。すると、今年の5月3日の春季総会は、第5の鐘を高らかに打ち鳴らす日としなければならない。

この第5の鐘にあたる7年のうちに、先生が示してくださった300万世帯を、断固、達成するのだ。第6の鐘となる次の目標は、600万世帯の達成になろう。

そして、次の7年が、第7の鐘。
つまり、今から21年後の昭和54年には、「七つの鐘」が鳴り終る事になる。

それまでに、日本の広宣流布の、確かな形を作り上げることだ。

それは同時に、本格的な世界広布の幕開けとなるだろう。

そのとき私は、51歳 ・・・・・・。

もし、健康でさえあれば、新しき世紀への大舞台が待っている。


≪ナレーションB≫ 伸一の、広布の展望は、限りなく広がっていった。
伸一は、この日、高鳴る胸の鼓動(こどう)を感じながら、日記に、こう記したのであります。

≪山本伸一≫ ・・・意義深き五月三日、目前に迫(せま)る。実質的―学会の指揮を執(と)る日となるか。

胸(むね)苦し、荷(に)重し。『第五の鐘』乱打(らんだ)。

戦おう、師の偉大さを、世界に証明するために。

一直線に進むぞ。

断じて戦うぞ。

障魔の怒濤(どとう)を乗り越えて。本門の青春に入る。


≪ナレーションB≫ 昭和33年5月3日。
第18回春季総会であります。

≪山本伸一≫ ・・・・・・そして、昭和26年、戸田先生は、第二代会長に就任され、以来7年、いっさいの広宣流布の原理を示され、広布の基盤を、つくってくださいました。

いよいよ、本日から、第5の鐘となる新たな7年の幕が開くのであります。
そして次の7年が第6の鐘。その次の7年が第7の鐘となり、その終了は21年後の、昭和54年となります。

この『七つの鐘』が鳴り終わる時までに、広宣流布の具体的な形態(けいたい)をつくりあげることを目標に、前進してまいりたい、と思うのでございます。

本日を力強い前進の第一歩として、希望と勇気と確信を、たぎらせて、広宣流布に邁進(まいしん)していこうではありませんか!


≪ナレーションB≫ 人びとは、新しき広布の道が豁然(かつぜん)と開かれ、未来の金の峰、銀の峰を仰(あお)ぐ思いで、伸一の話を聞いたのであります。

≪ナレーションA≫ そして、2年後。山本伸一が第3代会長に就任。
昭和35年・1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。

≪山本伸一≫
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!


≪ナレーションA≫ こうして5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。

本日は、小説人間革命第12巻 後継の章。そして新・黎明の章、より、「七つの鐘・そして五月三日」のお話を、黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。

以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。




この寸劇人間革命を、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この寸劇人間革命は、まぁ、ほとんど、近頃噂の “コピペ” であります。
こりずに、続けましょうと、思っておりますので、「なんだこれは?」と思われた方には、お詫びいたします。

『よし。関西は完璧に仕上がったな。』このセリフ中の「よし。」
『そうか。うん。うん。伸一の手で、どこまでできるかな。』このセリフの中の「うん。うん。」
以上の「よし。うん。うん。」は、わたしの作文です。

この寸劇人間革命の分量は、おおよそ 20文字×135行 です。


「5月3日創価学会の日のお話 20文字×110行」というのも、作ってあります。 その寸劇人間革命を読んでみたい方は、ここをクリック してください


原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備いたしました。
ぜひ、ご活用ください。

img352.jpg

Wordを使用した時。
用紙サイズ A4。フォントサイズ 11。余白 上下左右ともに 9mm。とじしろ 0mm。
文字方向 横書き。段数 2。
文字数と行数を指定する。文字数 25。行数 52。
以上の設定で、A4用紙 一枚に収まります。


≪ナレーションA≫ 昭和33年1958年2月10日。伸一は関西の状況を、戸田に報告したのであります。
≪戸田城聖≫ よし。関西は完璧に仕上がったな。これで日本の広布の基盤は調ったといってよいだろう。さて、問題はこれからだよ。あと7年でどこまでやるかだ。
 急がねばならんのだよ。伸一、あと7年で、300万世帯までやれるか?
≪ナレーションA≫ 彼は熟慮(じゅくりょ)の末に、壮大な広布の展望を練(ね)り上げたのです。だが、それを成すのは戸田自身ではないことも、彼は悟らざるをえなかった。自らの寿命の、ながからぬことを、戸田は覚知(かくち)していたのです。
≪山本伸一≫ はい、成就(じょうじゅ)いたします。ますます勇気がわきます。私は先生の弟子です。先生の御構想はかならず実現してまいります。御安心ください。
≪戸田城聖≫ そうか。うん。うん。
 伸一の手で、どこまでできるかな。一千万人が信心する時代がきたら、すごいことになるぞ。
楽しみだな、ほんとうに楽しみだ…
≪ナレーションA≫ 伸一は、その言葉を遺言(ゆいごん)として心に焼きつけた。
師から生涯の大指針を示されたのだと思うと、胸が高鳴るのを覚えたのであります。
≪ナレーションB≫ 4月2日。戸田先生が逝去。
山本伸一は、その日の日記に、次のように、記(しる)したのであります。
≪山本伸一≫ 嗚呼(ああ)、四月二日。
この日は、学会にとって、私の生涯にとって、弟子一同にとって、永遠の歴史の日になった。
……妙法の大英雄、広布の偉人たる先生の人生は、これで幕となる。しかし、先生の残せる、分身の生命は、第二部の、広宣流布の決戦の幕を、いよいよ開くのだ。
われは立つ。
≪ナレーションB≫ 伸一は、創価学会の新たな出発のために何が必要かを、考え続けていた。
伸一は、戸田が生前、「学会は七年ごとに大きな歩みを刻(きざ)んでいくのだ。」と、しばしば語っていた事を知っていた。また「七年を一つの区切りとして広布の鐘(かね)を打ち、『七つの鐘』を鳴らそう!」と語っていた事が思い出された。
≪山本伸一≫ 牧口常三郎と戸田城聖の手によって、創価教育学会が創立されたのは、昭和5年11月18日である。そして、7年後にあたる昭和12年には、創価教育学会の発足(ほっそく)式が行われている。
そして、7年後の昭和19年11月18日には、牧口が獄死。それから7年後の26年5月3日には、戸田が第二代会長に就任している。
以来、7年を経て、戸田は願業(がんぎょう)をことごとく成就し、逝去した。不思議な時の一致といってよい。
昭和5年に、第一の広布の鐘が打ち鳴らされたとすれば、すでに、第4の鐘が鳴り終わったことになる。すると、今年の5月3日の春季総会は、第5の鐘を高らかに打ち鳴らす日としなければならない。
この第5の鐘にあたる7年のうちに、先生が示してくださった300万世帯を、断固、達成するのだ。第6の鐘となる次の目標は、600万世帯の達成になろう。
そして、次の7年が、第7の鐘。
つまり、今から21年後の昭和54年には、「七つの鐘」が鳴り終る事になる。
それまでに、日本の広宣流布の、確かな形を作り上げることだ。それは同時に、本格的な世界広布の幕開けとなるだろう。そのとき私は、51歳……。
もし、健康でさえあれば、新しき 世紀への大舞台が待っている。
≪ナレーションB≫ 伸一の、広布の展望は、限りなく広がっていった。
伸一は、この日、高鳴る胸の鼓動(こどう)を感じながら、日記に、こう記したのであります。
≪山本伸一≫ ……意義深き五月三日、目前に迫(せま)る。実質的―学会の指揮を執(と)る日となるか。
胸(むね)苦し、荷(に)重し。『第五の鐘』乱打(らんだ)。
戦おう、師の偉大さを、世界に証明するために。一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤(どとう)を乗り越えて。本門の青春に入る。
≪ナレーションB≫ 昭和33年5月3日。
第18回春季総会であります。
≪山本伸一≫ …… そして、昭和26年、戸田先生は、第二代会長に就任され、以来7年、いっさいの広宣流布の原理を示され、広布の基盤を、つくってくださいました。
いよいよ、本日から、第5の鐘となる新たな7年の幕が開くのであります。
そして次の7年が第6の鐘。その次の7年が第7の鐘となり、その終了は21年後の、昭和54年となります。
この『七つの鐘』が鳴り終わる時までに、広宣流布の具体的な形態(けいたい)をつくりあげることを目標に、前進してまいりたい、と思うのでございます。
本日を力強い前進の第一歩として、希望と勇気と確信を、たぎらせて、広宣流布に邁進(まいしん)していこうではありませんか!
≪ナレーションB≫ 人びとは、新しき広布の道が豁然(かつぜん)と開かれ、未来の金の峰、銀の峰を仰(あお)ぐ思いで、伸一の話を聞いたのであります。
≪ナレーションA≫ そして、2年後。山本伸一が第3代会長に就任。昭和35年・1960年5月3日。
山本伸一 32歳であります。
≪山本伸一≫ 
若輩(じゃくはい)ではございますが、
本日より戸田門下生を代表して、
化儀(けぎ)の広宣流布をめざし、
一歩前進への、
指揮を、とらさせていただきます!
≪ナレーションA≫ こうして 5月3日が「創価学会の日」となり、広宣流布を誓う、誓願(せいがん)の日となったことは、皆様ご存知のとおりです。
本日は、小説人間革命第12巻 後継の章。そして、新・黎明の章、より、「七つの鐘・そして五月三日」のお話を、黎明地区の オール スター キャスト でお送りいたしました。
以上で、寸劇人間革命のコーナーを終わります。
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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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