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母の手紙


はやくきてくたされ。

はやくきてくたされ はやくきてくたされ。

はやくきてくたされ。

いしよのたのみて。ありまする。

にしさむいてわ。おかみ。ひかしさむいてわおかみ。しております。

きたさむいてはおかみおります。

みなみたむいてわおかんておりまする。


meiji45nenn1gatu.jpg

meiji45_1.jpg



≪ナレーションA≫ 母は息子の帰りを、待っていたのであります。

子供の時に両親と別れ、祖母の手で育てられた、母。

朝から晩まで、子守や、野良仕事に追われた、母。

雪の峠を越えて、荷物を運ぶ重労働をやり、猪苗代湖でエビを捕り、行商に出、夜も縄をなった母。

そんな、目を離したすきに、赤ん坊が、手に大やけどをしてしまった。

≪ナレーションB≫ なんて事だ。

この子は手が不自由だから、もう、百姓はできない。

学問で身を立てるしかない。

≪ナレーションA≫ 働きづめに働いて、学校に入れさせた。

成績は、優秀。若くして、医者の国家試験に合格。

医学博士にもなった。

研究所で、立派な仕事をした。

母は、なんと誇らしかったことであろうか。

≪ナレーションB≫ しかし、いったい、いつになれば帰ってくるのか。

船に乗って何ヶ月もかかる、アメリカという国。

行ったきり、もう12年にもなるのだ。


≪ナレーションA≫ 息子から手紙が届いた。

ロックフェラー医学研究所。

立派な姿の写真。

その写真に両手を合わせ、あふれる涙を、どうしようもなかった。

その涙を、すずりの水として、母は、手紙を綴(つづ)ったのでありました。

明治45年1911年1月23日のことであります。


≪母の手紙≫

おまイの。しせ(出世)にわ(は)。

みな たまけ(げ)ました。

わたくしも よろこんで を(お)りまする。

なかた(中田)の かんのんさまに(観音様に)。

さまに(様に)ねん(新年の)。

よこもり(夜篭り)をいたしました。

べん京(勉強)なぼ(いくら)でも。きりか(が)ない。

いぼし(集落名)。ほわ(は)こま(困)りをりますか(が)。

おまいか(が)。きたならば。

もしわけ(申し訳)か(が)て(で)きましょ。

はるになるト。

みな ほかいド(北海道)に。いて(行って)しまいます。

わたしも。こころ ぼそく ありまする。

ドか(どうか)はやく。きてくだされ。

かねを。もろた(もらった)。こト たれ(誰)にも きかせません。

それを きかせるト みなのれ(飲まれ)て。しまいます。

はやくきてくた(だ)され。

はやくきてくた(だ)され はやくきてくた(だ)され。

はやくきてくた(だ)され。

いしよの(一生の)たのみて(頼みで)。ありまする

にしさ(西さ)むいてわ(は)。おかみ(拝み)。

ひかしさ(東さ)むいてわ(は)おかみ(拝み)。しております。

きたさ(北さ)むいては おかみ(拝み)おります。

みなみた(南に)むいてわ(は)おかんて(拝んで)おりまする。

ついたち(一日)にわ(は)しをたち(塩断ち)をしております。

ゐ少さま(え少様・僧侶)に。ついたち(一日)にわ(は)

おかんて(拝んで)もろて(もらって)おりまする。

なにお(何を)わすれても。これ わすれません。

さしんお(写真を)みるト。

いただいて おりまする。

はやくきてくた(だ)され。

いつくるト おせて(教えて)くた(だ)され。

これの へんちち(返事を)まちて(待って)を(お)りまする。

ねても ねむられません


≪ナレーションA≫ 数年後、一時帰国。

15年ぶりに、母と子は再会した。

しかし、もう二度と故郷の土を踏む事は、無かったのであります。



≪ナレーションB≫ 桂冠詩人は、詠(うた)いました。


母よ あなたは

なんと不思議な 豊富(ゆたか)な力を

もっているのか

もしも この世に

あなたがいなければ

還るべき大地を失い

かれらは永遠(とわ)に 放浪(さすら)う


母よ わが母

風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を

繰り返した 母よ

あなたの願いが翼となって

天空(おおぞら)に舞いくる日まで

達者にと 祈る


母よ あなたの

思想と聡明(かしこ)さで 春を願う

地球の上に

平安の楽符(しらべ)を 奏でてほしい

その時 あなたは

人間世紀の母として 生きる


≪ナレーションA≫ 母の名前は、野口シカ。

そして、この手紙は、福島県猪苗代町にあります、野口英世記念館に、大切に保管・展示されているのであります。


本日は「母の手紙、母の歌」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。


以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




最後まで読んで読んでいただきありがとうございます。

今回の寸劇は、いつものパターンではありません。
座談会で使えるものかどうかわかりませんが、掲載させていただきました。

この寸劇の分量は、おおよそ20文字×130行です。
原稿印刷用に、空白行の少ないテキストデータを準備してあります。

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≪ナレーションA≫ 母は息子の帰りを、待っていたのであります。
子供の時に両親と別れ、祖母の手で育てられた、母。
朝から晩まで、子守や、野良仕事に追われた、母。
雪の峠を越えて、荷物を運ぶ重労働をやり、猪苗代湖でエビを捕り、行商に出、夜も縄をなった母。
そんな、目を離したすきに、赤ん坊が、手に大やけどをしてしまった。
≪ナレーションB≫ なんて事だ。
この子は手が不自由だから、もう、百姓はできない。
学問で身を立てるしかない。
≪ナレーションA≫ 働きづめに働いて、学校に入れさせた。
成績は、優秀。若くして、医者の国家試験に合格。
医学博士にもなった。
研究所で、立派な仕事をした。
母は、なんと誇らしかったことであろうか。
≪ナレーションB≫ しかし、いったい、いつになれば帰ってくるのか。
船に乗って何ヶ月もかかる、アメリカという国。
行ったきり、もう12年にもなるのだ。

≪ナレーションA≫ 息子から手紙が届いた。
ロックフェラー医学研究所。
立派な姿の写真。
その写真に両手を合わせ、あふれる涙を、どうしようもなかった。
その涙を、すずりの水として、母は、手紙を綴(つづ)ったのでありました。
明治45年1911年1月23日のことであります。

≪母の手紙≫
おまイの。しせ(出世)にわ(は)。
みな たまけ(げ)ました。
わたくしも よろこんで を(お)りまする。
なかた(中田)の かんのんさまに(観音様に)。
さまに(様に)ねん(新年の)。よこもり(夜篭り)を
いたしました。
べん京(勉強)なぼ(いくら)でも。きりか(が)ない。
いぼし(集落名)。ほわ(は)こま(困)りをりますか(が)。
おまいか(が)。きたならば。
もしわけ(申し訳)か(が)て(で)きましょ。
はるになるト。
みな ほかいド(北海道)に。いて(行って)しまいます。
わたしも。こころ ぼそく ありまする。
ドか(どうか)はやく。きてくだされ。
かねを。もろた(もらった)。こト たれ(誰)にも きかせません。
それを きかせるト みなのれ(飲まれ)て。しまいます。
はやくきてくた(だ)され。
はやくきてくたされ はやくきてくたされ。
はやくきてくたされ。
いしよの(一生の)たのみて(頼みで)。ありまする
にしさ(西さ)むいてわ(は)。おかみ(拝み)。
ひかしさ(東さ)むいてわ(は)おかみ(拝み)。しております。
きたさ(北さ)むいては おかみ(拝み)おります。
みなみた(南に)むいてわ(は)おかんて(拝んで)おりまする。
ついたち(一日)にわ(は)しをたち(塩断ち)をしております。
ゐ少さま(え少様・僧侶)に。ついたち(一日)にわ(は)おかんて(拝んで)もろて(もらって)おりまする。
なにお(何を)わすれても。これ わすれません。
さしんお(写真を)みるト。
いただいて おりまする。
はやくきてくた(だ)され。
いつくるト おせて(教えて)くた(だ)され。
これの へんちち(返事を)まちて(まって)を(お)りまする。
ねても ねむられません

≪ナレーションA≫ 数年後、一時帰国。
15年ぶりに、母と子は再会した。
しかし、もう二度と故郷の土を踏む事は、無かったのであります。

≪ナレーションB≫ 桂冠詩人は、詠(うた)いました。
母よ あなたは
なんと不思議な 豊富(ゆたか)な力を
もっているのか
もしも この世に
あなたがいなければ
還るべき大地を失い
かれらは永遠(とわ)に 放浪(さすら)う

母よ わが母
風雪に耐え 悲しみの合掌(いのり)を
繰り返した 母よ
あなたの願いが翼となって
天空(おおぞら)に舞いくる日まで
達者にと 祈る

母よ あなたの
思想と聡明(かしこ)さで 春を願う
地球の上に
平安の楽符(しらべ)を 奏でてほしい
その時 あなたは
人間世紀の母として 生きる

≪ナレーションA≫ 母の名前は、野口シカ。
そして、この手紙は、福島県猪苗代町にあります、野口英世記念館に、大切に保管・展示されているのであります。
本日は「母の手紙、母の歌」と題しまして、旭日地区のオールスターキャストでお送りいたしました。
以上で寸劇人間革命のコーナーを終わります。




齋藤孝著 理想の国語教科書 文芸春秋社刊 H14/5/20 を参考にしました。
解説の一部を引用・紹介します。

また寸劇に、ここからの表現をお借りしました。


「早く来てくだされ」という言葉が何度も繰り返される。活字にしてもなお迫力があるが、実際の自筆原稿の文字は、いっそうの衝迫力をもっている。墨で文字を紙に書き付けることが、心を人に伝える、いわば「呪術的」行為だと感じさせられる。
これは、明治四十五年、渡米後十二年、梅毒スペロヘータの純粋培養に成功し、世界の野口として認め始められた時期に、ニューヨークにいる英世宛に送られたものだ。福島県会津の猪苗代湖からニューヨークは、現在からは想像もできないほど遠い距離であっただろう。その距離を越えて言葉が、力を失わずに伝わっていく。その心を伝える力、「すごみ」からして、まさにこの手紙は名文だ。
この手紙が広く世間に知られることになったきっかけを作った高崎達之助は、こう言っている。
「極めて稚拙な筆で精一杯努力して書かれたこのたどたどしい手紙には、天衣無縫の母の愛が一字一字に、にじみ出ていて、照合しつつ読んで行くうちに、私はとめどもなく涙が出てこまりました。極貧の農家に生まれて、幼いうちに両親に別れ、信心深い祖母の手一つで育てられたシカ女。七歳で他家に雇われ、終日子守や野良仕事に追い回され、人が寝静まってから月明かりに指で木灰にいろはを書き習ったと云われる彼女。
想像も及ばぬ辛苦を重ねつつも、ひたすら観音の教えを信じて逆境に耐え抜いたこの母が、博士の成功を祝し、その身を案ずる真心で書き綴ったこの手紙は正に鬼神をも泣かしめる天下の名文と言えましょう。」
(中略)シカの夫佐之助は、酒好きで農業を嫌っていた。手紙の中の金を受け取ったことがわかれば、皆飲まれてしまいますというのは、この意味だ。シカは一家の大黒柱として、フル回転で働いた。
雪の峠を越えて荷を運ぶ重労働をやり、猪苗代湖で小エビを捕り、行商に出、夜も縄をなった。シカが畑にでている間に、清作(英世の幼名)が囲炉裏に転げ落ち、左手にやけどを負ったことを、シカはずっと心の負い目として持っていた。それだけに、清作に教育を受けさせたいと熱心に働いた。英世は、ニューヨークのロックフェラー医学研究所でめざましい成果を上げ、その後も黄熱病の病原体を発見するなど世界的業績を上げた。



『その涙を、すずりの水として母は手紙を、、、』
この表現は、御書の1361ページの2行目を、借用いたしました。


「かんのんさまに○さまにねん○よこもりを」
通常の解釈では「さまにねん」を、「毎年」と読んで、「観音様に毎年、夜篭もりをしましたを」と解釈しています。
私は、「さまにねん」を「様に、年」つまり「観音様、観音様に、新年の年越しの夜に、夜篭もりをしました」と、読んだほうが、いいのでは、と思いました。

「いぼし○ほわこまりをりますか」
「いぼし」は集落名ですが、「いぼし集落に住んでいる誰某」を意味すると思います。借金の催促で困っているけれども、あなたの立派な姿を見せれば、「いぼしの誰某」も納得、申し訳が出来る。という意味だと思います。

「はるになるト○みなほかいドに」
これは、ニシン漁のための出稼ぎだと、思います。

「いただいておりまする」
いただいて(頭上にささげて)おりまする。


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テーマ: 二次創作 | ジャンル: 小説・文学

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